03 逃亡会議と目標
美しい少女だった。年のころはギリギリ十五歳に見えるくらい。
金髪は後頭部を結い上げたポニーテール。髪の毛は艶やかで、とても一般家庭の人間だとは思えない。
シャツとぶかぶかのジャケット、ショートパンツにソックス。その間にちらりと見える足が健康的だ。
顔も体つきも幼いが、あと数年すれば誰もが振り返る美人になるだろうと予感させる。
「……ありがと」
「立てる?」
手を差し伸べると迷いなく取られたので引っ張り上げる。
「わ、とと」と前につんのめってしまう少女。見た目と同じくらいに元気がありあまっている。
きりっとした瞳は意志の強さが見て取れる。赤い瞳は磨かれた石のよう。
「……とりあえず、逃げるわよ。あいつらマフィアの下っ端だから、この街にいられなくなるわ」
「そりゃあ、不味いね」
「でしょう?」
自慢げに言うが、それは彼女が言えることではない気がする。
少女の言うことには一理ある。マフィアというのはメンツを非常に気にする。舐められたら終わり。
だが――
「逃げるって言ってもどこに?」
「貴方、名前は」
真面目くさった表情で突然いうのだから、こちらとしては面食らってしまう。
それでも冷静を取り繕って名乗る。
「……イリアス。イリアス・イリスネス」
「いい名前ね。あたしはアリアリア。これからよろしく」
よろしくと言われても……。
道連れにする気しかないが、そもそも助けた時点でこうなることは確定だ。見放されないだけマシだ。
見放されたら最後。こちらは逃げる手段も持たないし、情報も力も何もない。三人寄らばともいうし、一人より二人だ。
とにかく、一人でなぶられて死ぬことだけは避けたい。
差し伸べられ手を取ると、アリアリアは満足げに笑った。あと数年もすればその笑みも人を魅了するものになるだろう。
金髪の少女は何を馬鹿なことをとでも言いそうな表情を浮かべる。
「……逃げる場所なんてあたしにもわからないわよ?」
「くそっ! こいつ残念だ!」
「なにが残念よ! じゃあなにか貴方はいい案があるわけ!?」
眉目秀麗なアリアリアにびしっと指をさされてぐうと黙る。
たしかに、パッと思い浮かぶことはない。
その様子を見て少女は「ほらね」とばかりに得意げな顔をする。
「……とりあえず移動しないか。どこかに逃げるにしてもここはいるのは目立つ」
「……そうね。でもその前に」
アリアリアは男二人の上着を脱がせ、それを使って彼らを縛る。
そして財布を抜き取る。随分と可愛らしいものを。
「ものは返してもらわないとね」
正直な話、このまま彼女が帯びた短剣で男たちがつきさされても同情はできなかった。
人の尊厳と金を奪い取ろうとするのだ。殺されても仕方がない。
だけどアリアリアはそれをしなかった。彼女が甘いのか、それとも根が優しいのか。それはこれから見極める必要がありそうだ。
◆
喉がひりつくような感覚。渇きを伴うそれは緊張によるものだ。ニーナに連れていかれた依頼の度にこの渇望感が付きまとっていたのは懐かしい。
朝帰りの客が寄り付く食堂で、俺とミリアリアは顔を突き合わせて黙りこくっていた。
アリアリアは深刻な顔つきのまま頭を抱える。
「どうしよう……」
「類が及ばないところに逃げるしかないだろ。俺は身元が割れて家族に危害が及ぶってことはないけど、君は違うんじゃないか?」
「んー……。そこに関しては心配いらない、と思う。まず身元が割れないから」
「……どういうことかは聞かないでおくけど、家族は気にしなくていいってことでいいんだな?」
どういう出自なのかは非常に気になるが、自分から首を突っ込んでいってもいいことはない。
アリアリアの首肯に、俺はどう話を進めるべきか考える。
「一番手っ取り早いのは国外逃亡……。だけどどこのマフィアかどうかが重要だ。国外にもつながりがあるならむしろこっちが不利になる」
「さすがに手持ちのものだけで身元を割るのは不可能よ」
「だよな……。とりあえず、俺は冒険者稼業ができてマフィアの手が及ばない場所ならいい」
「貴方冒険者だったの?」
アリアリアの目には驚きというか、意外そうな色が混じっている。
まあ身体を鍛えているようには見えないし仕方ないのだろう。冒険者稼業も実際廃業していたようなものだし。
「万年鉄等級だけどね」
「意外だわ……。荒事を生業にしている人特有の鋭さがなかったから」
「……まあ、ほとんど薬草採取だったから」
金等級だったのだが、ニーナと別れてから査定で降格を食らっている。
ははは、と笑うとアリアリアは首をかしげる。
その仕草が可愛らしくてじっと見つめてしまう。
「でも動きを見る限り〈格闘〉のスキルはもってるでしょ?」
「……ああ。一応ね」
今まで詳細が謎だったスキルによって得たものなんです、とは言えない。保身もある。まだ言う必要がないというのもある。けれどなにより、自分がそのことを信じられないからだ。
無能とさげすまれていたあの頃からの脱却。夢見ていた場所に自分がいるという自覚が湧かない。
それに、スキルが載ってある辞典にはこのスキルは載っていない。信用ができるようになるか、あるいは話す必要ができたときに話すくらいに留めておこう。
アリアリアはこちらの間を気にすることなくぽん、と手を叩いて提案を持ち掛けてくる。
「冒険者はあたしもなろうと思ってたから、どうせなら一緒に行動しない?」
「いいよ。どうせ一人じゃロクに行動できないだろうし。……見るに、アリアリアは盗賊かな」
「そ。……といってもまだギルドに認可を受けていないモグリだけど」
軽装に短剣、そしてピッキングツールをしまうためのバッグは盗賊と呼ばれる者の特徴だ。
盗賊というのはおおむね〈盗賊作法〉というスキルを持つ人間がなる職業だ。
これを持つと人から物を盗む技術や、開錠、罠設置・解除などの技術が高くなる。
転じて、このスキルを持つ者は蔑視されやすくなる。ものがなくなるだけで疑いの目を向けられるということも。
実際、冒険者の中でも盗賊は報酬や財宝をごまかすことが多い。それは彼らが斥候役に使われるから一番危険で一番に財宝を見つけるからということもあるのだけど。
そんなわけで、盗賊というのは社会的に信用されにくいのだ。
「……やっぱりやめとく? 知り合いでもない盗賊とパーティ組むなんて嫌かしら」
自嘲するようにアリアリアは目を伏せて、軽く笑みを浮かべる。
俺が〈ゼロ〉のイリアスだったように、彼女も〈盗賊〉のアリアリアと呼ばれていたのだろう。
俺は首を横に振って否定する。
「俺は信じる。だって、武器以外没収しなかったじゃないか。あいつらが持ってる金目のものを盗もうと思えばできた。やっても文句は言われない。なのにやらなかった。だから俺は君を信じる」
「……そっか。あたしを助けたことといい、お人よしなのね」
「そうでもないさ。俺は信じられるものだけを信じてるだけだ」
じっと少女の目を見つめる。すると照れ臭そうに笑うアリアリア。
「じゃあ一緒に行動することは確定として。イリアス、どこに行こうかしら」
「……そこなんだよな」
そもそも国外に逃げた人間をネチネチ追い掛け回すかという問題もある。メンツで商売しているのだけど、わざわざ国外にまで刺客を放つまでするかというとありえない。
……かもしれない。
希望的観測だ。
比較的安全な場所。そこを拠点にして力を蓄えるしかない。
マフィアが来ても手を出すような考えを持てなくなるような、そんな圧倒的な力を得るしかないのだ。
「アリアリア。君は魔物を高効率で狩れる国を知らないか?」
「……知ってる。けどどうして?」
「刺客を放たれるとしても、冒険者としてやっていくには魔物を狩っていくのがいい。強い相手を倒せば倒すほどスキルの成長が促される」
〈魔術Ⅰ〉のスキルを得た人間でも、努力を積み重ねて魔物の魂から発する魔力を取り込むことによって成長していく。
スキルを得ることはできないが、これからによっては自分に合った道を進めるということは救いの一つだろう。
農家でも作物を収穫するごとに成長があるらしい。作物の魔力を取り込んだと解釈できる。
戦闘、冒険に関するスキルはやはり冒険を続けることで上昇していくのだ。
だから俺も得た〈槍術Ⅲ〉と〈格闘術Ⅳ〉を成長させ、あるいは新しくスキルを得たい。
今後のためにも。高みに登りたいと思ったあの日に嘘をつかないためにも。悲しそうなニーナの顔を思い出して古傷が疼かないためにも。
アリアリアはしばらく悩んだあと、告げる。
「……レグナンス」
「なるほど! レグナンスの大迷宮か。なんで気付かなかったんだ」
レグナンス王国城下町。迷宮都市と呼ばれるその中心に存在するのがレグナンスの大迷宮だ。
小国ながらもそこからとれる燃料や触媒、素材は豊富で、資本も丈夫だ。
レグナンスの大迷宮。通称迷宮は魔物が跋扈する異界といってもいい。以前ニーナと向おうとしたことがあるのだが、〈ゼロ〉のイリアスをパーティに入れられないという拒絶があったため、その計画は頓挫していた。
たしかに、今なら挑戦できるかもしれない。
「……アリアリア。俺たちは逃げるんじゃない、力をつけに行くんだ」
「そうね、ちゃちなマフィアに怯えて暮らすなんて嫌だもの」
目的地は決まった。そして新しい目標も心のうちに秘めた。
俺の、イリアス・イリスネスの新しい目標。
それは前人未踏の迷宮を制覇し、最高の冒険者となり自分が生きた証を残すこと――!