10 魔槍・開眼
「ふむ……」
エレオノーラさんは椅子から降りると、こちらへ向かってくる。じいっと屈みこんで見つめられると、胸元の辺りが気になってしまったり、いい香りがするなあなんて思ってしまう。
見かねたレゾンさんがエレオノーラさんに声をかける。
「エレオノーラさん、少年をからかうのはそのくらいにしてあげてください」
「ふふ、すまないね。職業柄人を良く見てしまうんだ」
「い、いえ……。その……」
完全にたじろいでしまう。距離が近いし、気がつけば手を握られていたりするのだ。こちらとしてはたまったものではない。
ニーナともよく手をつないだりしたけれど、それとはわけが違う。それも大体昔の話だ。
何を話していいかわからず、口の中で「あの……」とか「その……」とつぶやくばかりでなんの進展性も見いだせていない。
エレオノーラさんと目がちらりと合った瞬間、好奇心とは別に冷えた感情を見つけてしまう。
――ああ、こちらを測ってるんだ。
そう認識してからは早かった。
深呼吸をして、エレオノーラさんに言う。
「……離れてください。要件を言いますので」
すると、いたずらがバレた子供のように彼女は笑って舌を出す。
そしてそのままエレオノーラさんがチチチと短く舌打ちをして首を横に振る。
「キミは初心者だね。大方神官がやられて欠員補充をしたいんだろう。で、酒場やギルドでも集まらないからここに来た、と」
どんぴしゃり。推理は見事に当たっている。
教会に来る前にも試してはいたのだが、大体回復役はどこかに囲われている。命に直結するので当然の話である。
しかしここまで見事に現状を当てられるのは楽しくないものがある。
なにかぎゃふんと言わせてみたいものだが、舌戦では恐らく敵わないだろう。
悔しいが、ここは認めるしかない。
「すごい観察力ですね」
「レゾン、この子と話がしたい。しばらく席を外してくれないかい?」
「ええ、もちろん」
エレオノーラさんがレゾンさんにそう言うと、彼は恭しく頭を下げて部屋を辞した。
さて、ここからが勝負だ。
ぽん、と手を叩いてエレオノーラさんは楽しそうに笑う。
「さて、ボクの名前は先ほども言った通り、エレオノーラ。君のお名前は?」
どう答えるもないだろう。俺は普通に名乗ることにする。
「俺はイリアス。イリアス・イリスネスです」
エレオノーラの目が光る。面白いものを発見した、と言わんばかりに。
獲物を見つけた猫のような静けさを纏うエレオノーラさんに、気おされてしまう。
負けるな。自分にも、彼女にも。
ズボンをぎゅっと握って口の中で「負けるな」と繰り返し呟く。
こちらが落ち着いたころ、エレオノーラさんはジャブを放つ。
「イリスネス村の出身だね。王国の。その歳だと……ああ、ニーナ・イリスネスの腰ぎんちゃくと呼ばれていたのがキミか」
「……っ」
事実だ。事実なだけに胃の奥に重いパンチを貰ったように苦しいのだ。
呼吸が自然と浅くなる。意識がおぼろげになる。苦しい。
「そのニーナとも、もう一緒にいません」
三か月前の冬の日。雪が降り積もる中、俺とニーナは道を違えた。
再び交わる時は俺が彼女を越えた時だ。
エレオノーラさんは目を細めて言葉を紡ぐ。
「それはそうだろうね、君が一人でいるのは合理的ではない。キミは〈スキル〉に選ばれなかったわけだ」
「それは……!」
その時はそうだっただけだ、と言おうとしても反論にならないことに気付く。
だって俺がニーナの腰ぎんちゃくだったことは変えられない事実。そして〈肉切り〉キャスパードを倒したのもだが、それはまだ誰にも話していないことだ。信じろというのが無理な話である。
俺の言葉を不服と受け取ったのか、エレオノーラさんが挑発的な笑みを浮かべる。
「試してみるかい? ボクの障壁に傷一つでもつけられたらパーティに同行しよう。キミがただの腰ぎんちゃくかどうかなんて、それこそ実際に見たほうが正しい知見が得られる」
「得物は?」
「この棒を使うといい。エンチャントをかけて強度を上げているから実用にも耐えうる。まあボクも本気を出すわけじゃない」
エレオノーラさんは本棚に置かれていたモップの先端を外し、それを投げる。
難なく受け取り、構える。
「……いきますよ」
「護法の二十〈赤壁〉」
瞬間、赤色透明の薄い壁がエレオノーラさんと俺を隔てる。
棒は握った感触からしてキャスパードとの戦いで得た得物よりも強度があると確信できるほど。
殺傷能力は遠く及ばないが、同じだけの力は十分にあるだろう。
あとはそれを俺が引き出せるかだ。
すう、と深呼吸をして――刺突。ガン! と鈍い音がしてはじき返される。
「硬っ!?」
じんじんと痺れる両手をさすり合わせる。
低ランクの使い手のものである二十番台、それも詠唱破棄で効力が落ちたものだというのに、まるで通用しない。
これらが指し示すことはただ一つ。
エレオノーラさんがとんでもない実力の持ち主だということだ。
彼女を見れば「これで終わりかい?」とでも言いたそうな笑みを浮かべてこちらの出方を待っている。
その表情には余裕と落胆。やはりこの程度かという諦めがそこにはあった。
なぜ分かるのかというのは愚問だ。
今までの俺がそうだったからだ。
俺に何を期待していたのかは分からない。
けれど、舐められたまま、諦められたまま終われない――!
「まだ……まだっ!」
突き、斬り、払い。
蹴り、殴打、体当たり。
持ちうる中であらゆる攻撃を放ってもエレオノーラさんの〈赤壁〉には届かない。
やはり、俺は〈ゼロ〉の、無能のイリアスなのか。
ふう、と息を吐くエレオノーラさん。
「君の力は分かった」
「……ありがとう、ございます」
滴る汗をぬぐう。俺はエレオノーラさんを見て歯噛みする。
敵わない。心の奥底がそう囁き続ける。
エレオノーラさんは目を閉じて、呟く。
「解せないね。……ニーナ君が彼のためにパーティを解散しただなんて」
心底不可解と首をひねる彼女。
ニーナが、パーティを解散した? あのまま行けばトップクラスも夢じゃないというのに? それが、俺のため?
俺のためだとしてもニーナは進むことをやめない。そういう性質なのだ。だから彼女はまだ先に進んでいる。
だというのに俺はなんだ? 手に入れた力ですべてを為せると思って、そして壁にぶつかったらまた諦めようとしている。
――負けていられるものか。
防御結界を解こうとするエレオノーラさん。俺は槍を握り直して、言う。
「……もう一度だけお願いします」
するとエレオノーラさんは楽しそうに口角を上げて、そして口元を手で覆った。
次に口元が見えたときには口だけは無表情へと戻っていた。瞳は面白いものをみつけた子供のよう。
「へえ、いいよ。……もう一度だけだ」
〈赤壁〉が色を取り戻していく。
ひりつく喉が水分を欲し始めていた。だが不思議と身体の疲れはない。
思考はどこまでも加速して、五感はどこまでも鮮やかになっていく。
外でレゾンさんが待っていること、エレオノーラさんの一挙手一投足、ほんのりと香る本、握る棒から踏みしめる木の床の感覚、そして昼に買い食いした肉串の味。
その全てが俺の頭の中に叩き込まれていく。
「俺の、武器」
頭を研ぎ澄ませろ。劣っているならかき集め――振り絞れ!
加速した脳が自分の持つ武器を列挙していく。
エンチャントされて硬度が上がった棒、〈槍術Ⅲ〉、〈格闘Ⅳ〉、〈神聖術Ⅲ〉、そして〈ゼロ〉。
個々の力で対応するから足りないのだ。
だからこれらを全て使う。
「……俺にできることは、あらゆるスキルを得られること。つまり――」
得たスキルの分だけ掛け合わせることが可能だということ!
棒を構える。突きではない。これは投擲の構え。
ただ投げるだけでは越えられない。
今から使うのは魔槍。
ある〈槍術〉スキル持ちが目指そうとした域。
今ならばやれる。
まず、脳のリミッターを解除する。
全力を出したのであれば、次の瞬間には死ぬか倒れるかするしかない。
けれどもそうならないのは脳が出力に制限をかけているからだ。
そしてそれは非常時においてタガが外れる。
〈肉切り〉キャスパードとの戦いにおいて、その感覚は身に着いた。
ならば、次の瞬間には死ぬかもしれないほどに力を振り絞る。
〈格闘〉で洗練された身体運びをこなす。
〈神聖術〉で壊れていく身体を治して全力を出し切らす。
〈槍術〉で飛ばす。
三位一体の投擲攻撃。
「魔槍――〈ゲイボルグ〉」
次の瞬間にはエレオノーラさんの顔に驚愕の色が浮かび、叫ぶ。
「護法の七十二・〈二元結界〉!!」
投擲に入った瞬間にエレオノーラさんが護法を展開する。球状結界が張られていく。
選ばれたエリートしか使えない高位の術。〈赤壁〉とは比べ物にならない。
そして――その結界にヒビが入る。
「……くそ、突破、できなかったか」
膝をついて、棒を杖にしてなんとか倒れないようにふんばる。
身体は全身が内側から金槌で叩かれたように、筋肉をのこぎりで切られたように痛む。
端的に言ってしまえば激痛以外のなにものでもない。
エレオノーラさんはこちらに向かってくると、詠唱をする。
金色に輝く燐光を放ち、そして魔力を放出。
「回道の三十・〈回帰〉」
見る見るうちに身体の痛みが引いていく。脂汗が頬を伝って床に落ちる。
エレオノーラさんはしゃがんでこちらに目線を合わせた。美しく整った顔立ち、そして花の香りが心を惑わせる。
すると、五感と思考は拡張と加速をやめ、世界の解像度が下がっていく。
普通の、今までのそれに戻っていくのだ。
エレオノーラさんはしゃがみこんだまま、こちらに問いかける。
「キミ、もう一度名前を言ってもらってもいいかい」
「イリアス。イリアス・イリスネス」
倦怠感が残る中必死に言葉を振り絞る。すると、エレオノーラさんはくしゃりと破顔した。
「イリアス君。キミは合格どころかボクの想定を大きく超えてきた。――キミの傘下に加わろう」




