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01 〈ゼロ〉のイリアス

 暴風。そして耳が壊れそうになるほどの咆哮。

 公国の端、山の七合目だろうか。どれだけ登ればいいのか分からなくて身体は疲れ切っていた。雲は近い。


 飛竜。飛ぶトカゲと揶揄されるワイバーンの咆哮は、この程度であっても俺の戦意を喪失させる。俺から見ればワイバーンの咆哮でさえ恐ろしいのに、本物の竜の咆哮なんて聞いた日には俺の意識は砕け散ってしまうだろう。

 紫紺の髪の女、幼馴染のニーナはこちらの耳が駄目になっていないことを確認すると魔力障壁を張る。こちらに危害が及ばないようにするためだ。


 ニーナはこちらの安全を確保し、確認すると視線をワイバーンに向ける。

 仲間のゼノとアルは携帯していた弓を射って、ワイバーンの行動を誘導する。


 対して、俺は何もできずに立ちすくんでいるだけ。

 弓なんて扱えないし、ショートソードでは飛行するワイバーンに届かない。


 直後、力の奔流がニーナを中心に吹き荒れる。


「――紫解の六七・千条紫電」


 複雑な詠唱式を破棄して、ニーナは高位の魔術を発動させる。

 ワイバーンの群れの上空に稲光が幾条も降り注ぎ飛竜たちを炭へと変えていく。


 また、なにもできなかった。

 冒険者らしくショートソードを帯びているものの、それを使う機会はついぞなく。

「大丈夫だから、イリアスは私を見守ってて」とニーナは言う。けれど、俺だって戦って彼女の隣に立てるくらいになりたい。


 けれど現実はそうはいかず、俺がなにかをしようとする前にニーナが片付けてしまう。

 討ち漏らしても自分でどうにかしてしまうため、本当に俺はなにもしていない。やることと言えばただの雑用だ。


 もっと上を目指したい。頼られる自分になりたい。


 そうは思っても世界は残酷で、優秀な〈スキル〉を持つ者にしか挑戦権というものを与えてはくれない。


『〈ゼロ〉の発動条件を満たしていません』


 うるさい。

 無機質な神の声にうんざりしながらも、なんでもないような体を取り繕う。

 そうでもしなければ俺は、イリアス・イリスネスは自壊してしまいそうな気がしたから。


 そんな心情を知ってか知らずか、幼馴染は笑顔で「褒めてー!」と寄ってくるのだ。

 君がすごいのは知っている。ずっと見続けていた。


「じゃあ帰ろっか。街のギルドに報告しなきゃね」

「……そうだね」


 それを見て仲間の青年たちはおもむろに不快そうな顔を浮かべる。


 報告しなければいけないことは、もう一つある。

 それは俺の胸の内にしかないことだ。



「じゃあ、依頼の達成を記念して――乾杯!」

「……乾杯」


 角杯に注がれた蒸留酒を呑む。以前なら美味しく飲めていたものも、いまではただの酒という感想しか持てない。

 酒精があるだけの、ただの水。飲んだらどんどん腹の奥に溜まっていた黒いなにかがぐるぐると煮詰められるもの。


 蒸留酒は高級な嗜好品だ。俺が買えるようなものではない。

 言うまでもなく在野でもかなりの高位にいるニーナの稼ぎによるものだ。


 例えば俺が一ヶ月必死に働いたとしても、ニーナは一日でそれ以上に稼ぐ。

 新人にして将来は最高位の黒等級に届くと言われている才気あふれる有望株。それがニーナ。


 対して、金等級という中位の位階に居ながらも実力は最下位である無能の俺。


 つり合いが取れていないというのは分かっていた。


 いままではそれでもなんとか堪えられてきた。

 けれども、いつになっても発動条件を満たさないスキルに対して、見限り始めてきた。


 〈ゼロ〉のイリアス。腰ぎんちゃく。そう噂されているのは知っている。

 蒸留酒を飲み込む。笑ったままのニーナに、感情が揺さぶられる。なんでそんなに楽しそうにできるのか。

 力がある人間は見えている世界も違うのか。


「今回も楽勝だったね。安心して背中を預けられるとやっぱり違うなー」

「……それなら、よかったよ」

「……どうしたの? まだ陰口が気になる?」

「いや、そんなことじゃないよ」

「そっか。なら早く飲もう! 久しぶりの公都なんだし、楽しまなきゃ!」


 酒に強いニーナはどんどん蒸留酒を呑んでは料理に手を付ける。彼女が手を付けてから俺も食べ始める。

 美味しいのに、味がしない。虚無感だけがつのっていく。


 冒険者になって一年半弱。ギルドはニーナを期待の若手として暖かい目で見守り、そして俺を使えないただの荷物持ちとして扱っている。

 その評価は間違っていない。


 脳内に聞こえるお告げ。

 俺のスキル〈ゼロ〉は下賜の儀で得たスキルなのだが、その説明が全くなかったことで使い道が分からずじまい。さらには二年ほど冒険者をやってもスキル発動条件を満たしてはくれない。


 こんなスキルでどんな立ち回りをすればいいかもわからず、ただ幼馴染と冒険者を続けた結果。


 そんな結果がニーナにただ着いていくだけの自分だ。

 自分一人ではなにも結果を出せないという事実がどうしようもなく悔しくて、悲しくて。


 その言葉が出てくるのは早いか遅いかの違いでしかなかったのだと思う。


「ニーナ。俺たち、別々の道を歩まないか……?」


 すると、一緒に呑んでいたアルとゼノはげらげらと笑いだす。


「ああ、いいぜ。テメーみたいな無能を雇っている余裕もないからな」

「つーか、お前邪魔なんだよ。荷物持ちにしてももっといい奴雇えるし」


 おもむろにこちらを下に見ている言動に、ニーナは一瞬だけ怒気を発する。

 だがそれに気づく者は俺だけだ。


 それに、俺は本気だ。……ニーナならもっと上に行ける。それに、俺は自分の力で道を切り開きたいんだ。

 その言葉は胸中にしまっておく。どうしても押しつけがましくて。

 それに彼女は俺という無能を庇護することで優越感に浸っているのかもしれない。

 確証はないけれど。


「そっか……」


 どこか遠くを見るニーナ。自分から切り出したんだ。後悔なんてしちゃいけない。どれだけ彼女のことを思っていても、重荷がいてはいけない。

 別れを切り出した俺に、最初は反対してくれたものの、最後は納得してくれた。


「……後悔しないでよ?」


 果たしてそれは俺に向けたものなのか、それとも――。


 雪がこんこんと降る日。

 俺は、イリアス・イリスネスはニーナ・イリスネスたちのパーティから脱退した。



「ああっ――ああああッ!」


 ふり絞るように出した声は自分でもわかるくらいに震えていた。声は森のさざめきに消える。

 ショートソードを緑色の肌をした子鬼、ゴブリンに突き立てる。肩に棍棒を喰らう。肩が砕けそうだ。


 装備品はパーティ脱退の後、ショートソード以外は取り上げられた。

 やったのはゼノとアル。パーティの資金で買ったのだから所有権はお前にはないと言われ、むざむざ渡すしかなかったのだ。

 異論を唱えられないほどに、俺と彼らの実力は隔絶していたからだ。


 だから、棍棒の打撃ひとつでひるみそうになるくらいに痛むのだ。


 俺の突きは見事にゴブリンの胸に突き刺さる。恨みがましい目、自分に何が起こっているかが分かっていない目。

 そんな目で見ないでくれと心中で呟く。どうしても罪悪感を覚えてしまう。


 ニーナと離れてから一週間。とりあえず自分だけでもできる依頼をこなしていた。

 日銭を稼がないといけないし、なにより〈ゼロ〉の発動条件を知りたかった。


 自分が持っているスキルは〈ゼロ〉のみ。そして効果や発動条件は不明。

 訳の分からないそれが、俺の唯一の武器だ。


 だからこそ、自分の持っている武器に関してしっかりと検証をしたかった。


 だが――


『〈ゼロ〉の発動条件を満たしていません』


 神のお告げは無慈悲にもこの言葉を告げるだけ。

 ゴブリンからとれる魔結晶を採取、そしてゴブリンの耳を切る。討伐の証拠となるから重要だ。金が、生活が懸かっている。



 それから半年。様々な依頼をこなしていった。自分ができる範囲で。


 薬草採取。〈ゼロ〉は発動しない。

 低級の魔物狩り。〈ゼロ〉は発動しない。

 雑用。〈ゼロ〉は発動しない。


 思いつく限りのことをやってみた。

 だが一つしかないスキルは『〈ゼロ〉の発動条件を満たしていません』と無慈悲に伝えるだけだ。


 気がつけば生活が回らなくなってきて、装備品を売り払い。

 そして最後には家賃も払えなくなって――そして気がつけば路上で生活していた。


 一張羅は洗濯をしているものの、大分くたくたになっていて困窮していることが一目で分かるほど。

 料理をする環境も外食をする金もなくて、ただひたすら残飯を漁る日々。


 端的に言って、やつれていた。肉体的にも精神的にも。


 今日も今日とて精神をすり減らしながら屋根のない寝床へと歩を進めていた。


 夜もすっかり明けそうで、自分が夜型の人間になったのだと思い知らされる。

 桜の散る様と吹きすさぶ風がかろうじて春の終わりを告げている。それが分かるだけまだマシなのだろう。そろそろ曜日感覚だって怪しい。

 精神的なゆとりがない証拠だ。


 あれからスキル〈ゼロ〉の詳細が分かるかもと思って色々試してみたがどれも発動条件を満たすものはなかった。

 もう俺は駄目かもしれない。負けたまま人生を終えるんだ。そういった諦観が胸中を満たすようになっていった。


 悔しいとか、恨めしいとか。そういう感情はもう枯れてしまったのか、ただひたすら世間という風によって削がれる岩となっていた。

 そのことが悔しいのが、まだ俺を、イリアス・イリスネスを人間足らしめている。


 朝焼けが出てきた中、とぼとぼと重い足取りで家路へと急いでいると――。

 ――くぐもった声が聞こえてきた。


 やめておけ、という自分の声を無視して、こっそりと近づいていく。隠形の技があればより安全に近づけるのだろうが、俺はもっていない。

 路地裏をゆっくりと走る。ただし音は立てないように。これでも冒険者をやっていたのだ。


「……て!」


 高いソプラノの声。少女が叫んでいるが、何かに阻まれている。

 音のする方へと進む。するとそこには、金髪の見た目麗しい少女が男たちによって組み伏せられていた。

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