第二章31『孤独は人をおかしくする』
少女の悲しそうな表情は瞼を閉じてもその裏から映し出され、消すことが出来ない。
「でもな? 俺はその魔法のおかげで助かったんだ。そこは喜ぶべきだろ?」
自分の心を誤魔化すかのようにコノハは少女をあやす。
それは逆効果だったようで少女は瞼を閉じてコノハに言った。
「私を、私に罰を……」
「――」
「このままじゃまた誰かを傷つけちゃう。そんなのはもう嫌だ」
「……目、瞑れ」
その言葉に少女は正直に瞼を閉じた。強く閉じられた瞼はコノハの言葉以外では開くことは無いだろう。
自信を持てない少女に一体何を言えば、先程のような元気な姿が見れるだろうか、あの姿を見るだけでコノハは助けられたというのに、
「――」
だから自分を偽り、この少女を騙そう。永遠に続く長い嘘を、コノハが考えた呪いのような嘘を、
「……お前の魔法は凄いよ。でも、確かに危険だ。俺はお前の苦しむ姿を見たくない。だから、魔法はこれから、一切使うな」
「……はい」
「そして、目を開けろ」
少女はゆっくり瞼を開き、その美しく光る赤眼をコノハに見せびらかした。
「ほら、こんなに綺麗な目なんだ。お前はそれだけで人を幸せにできるよ」
「……でも、私は」
「見ろ! 俺なんてこんな無愛想な表情ばっかしてるから友達の一人も出来やしねぇ。だから笑顔だ笑顔、笑え」
「それは……罰なの?」
少女から来る無垢の問い、コノハは今度は正直に、何一つ偽りがないように頭の中を少しだけ整理し、少女に言った。
「ああ、立派な罰だ。物足りないなら俺のメイドにでもなってみるか?」
「それは……罰でもいや、かな」
「今俺は君に傷つけられたよ。ほんのちょっとだけ心が痛い……」
少女は含み笑いをし、コノハから距離を取る。そしてその小悪魔のような笑顔をこちらに向け、少女は言う。
「次会う時は名前、教えてね」
「あ、そういえば名前言って……ってもう居ねぇ」
少女の姿は次の瞬間、きれいさっぱり消えていた。
それこそ、最初から何も無かったかのように、しかしコノハは不思議な出来事もあるもんだなと、自分を誤魔化した。
「……お前は変われなかった。お前は神を喰らうに相応しくない。水瀬木葉、俺はお前が嫌いだよ」
「俺だって俺のことが嫌いさ、親父とした約束の一つも守れない俺がよ」
「もういい! お前はここで殺してもう一度"最初"からだ!」
「例え殺されても俺は蛇のようにお前ら司教を死ぬまで追い続けてやるよ! 震えて眠ってろ! レイ!」
彼女の名前を呼んだところでこの空間から出られるわけではない。ただ生き残るというのであれば、彼女の名前を口にする意味はある。
コノハには自信があった。
この場にレイが駆けつけてくれるという絶対的な自信が、しかしレイの返事も姿も見えない、聞こえない。
ただそれが見捨てられたというのとは違うのをコノハはすぐに分かった。
「悪いね。この空間に入るのに凄い手間取っちゃって、なんせ死人が管理してるんだもん。仮死状態じゃないと入れないのさ」
「あと少しで漏らしてたわ!」
「それは流石の僕でも引くよ」
「レイ、ノアニール……」
レイとの会話に割って入ってきたのは他でもない。佐藤誠、その言葉には嫌悪感と憎悪が含まれている。
それは表情にも出ていた。
「そんな怖い顔しないでくれ。僕も立派な女の子だ。泣いちゃう」
「ハーフエルフ風情が、あまり調子に乗るなよ。こっちはお前を倒すだけの戦力があるんだ」
「とか言って百年以上も僕のことを殺せずにいるじゃない。一体いつ、その戦力とやらは僕を殺しにくるんだい?」
「黙れぇ!」
真っ白だった世界に色が一つ増える。それは形を変え、徐々に一体の人間になる。
「……それが君の能力か」
「面白いだろ? 死んだやつさえいればそいつを使えるんだからよ!」
目の前に現れた人間、いや姿は人間なのだが中身は人間のそれとは違う。
心などない。空っぽの抜け殻はコノハが何度も見た地獄を体現している。
またその姿を目にするとは思いもしなかった。
「エレナ……リッカー……」
「そう、お前が一番憎んだ女だ! 何度も世界を終わらせ、最後はお前を救った。そう、無力なお前をなあ!?」
「お前達司教は……相変わらず、することは変わらないね」
「魔女が、知った口を」
炎で世界が満ちる。否、その炎はコノハ達の周りを覆い、逃げ道と同時に攻撃手段を奪った。
しかし相手が攻撃出来ないのも同じ、有利でも不利でもないこの状況を作り上げたのは他の誰でもない。レイ・ノアニールだ。
「何のつもりだ? 俺は死んだやつを使うんだぞ? 中には魔法使いもフェンリルも存在する。こんなことをして……」
「ならなんで最初、フェンリルを出さなかった?」
「――」
「"出せなかった"だろ? 能力ってのはみんな等しく弱点がある。それが君の弱点だ」
誠は黙り込む。その様子からして図星だろう。
能力には必ず弱点が付く。その言葉の真偽は分からない。ただ目の前にいる誠に弱点があるのは確かだった。
「……だからどうした? お前らに勝ち目がないのは一目瞭然だろ。なんせ俺は億を越える兵力を作れるんだぜ?」
「いや別に構わないよ。僕は戦う気がないし」
「は?」
「だってここは君の世界、まともにやり合えば君の方が有利だ。そんな状況で大人しく戦うと思わないでよ」
レイがコノハの肩に触れる。
ここで戦わず目の前にいる司教を方って置くのはコノハとしては許し難い。それはレイも理解しているはずだった。
「いや普通に考えてここから出られると思うな。ここは俺の世界で俺の許可がなければ入ることも出ることも……」
「僕は入れた。つまりその入口から出れば出口ってことだ」
「ふざけんな。そんなことをさせるわけ――」
誠めがけて小さい炎が飛ばされる。しかし炎は誠に当たる直前で爆発し、その大きさでは考えられない爆発を起こした。
「クソがッ! こんな小細工!」
煙を払う誠の姿が見える。そんな誠の姿をした何かはコノハに何かを訴えていた。しかしその声は二度目の爆発音で掻き消えた。
ただ一つの炎で何十もの爆発音、耳を圧迫するその音は雑音にも聞こえ、鈴の音にも聞こえた。
「はは、僕が仕掛けた魔法だよ。もう数時間は僕らを追えない」
「……レイ、早く行こうぜ。ここの空気はどうしてか重てぇんだ」
「え? ああ、元よりそのつもりだ」
ああ、重たい。胸を圧迫するこの重力が憎い。胸を圧迫するこの憎悪が憎い。
最後まで信じていたかった人物は最初から裏切り者で、本当にどうしようもない奴だった。
そんな奴に同情はない。ただの大罪教と見て、虐殺するまで、それがコノハは自らに課した目標、それが正しいかなんて考えない。
ただ、
「……"あのゲーム"みたいにこの世界もクソゲーだな」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ただ広い空間でコノハの心音だけが虚しく木霊する。
ただ一人の世界でコノハ一人だけが存在するのはこれで何度目だろうか、意味の無い呼吸が何度も繰り返され、コノハの思考回路を闇に染める。
視界の端で蠢く影、その影に対抗することなく、コノハはただひたすらこの嫌悪感が去るのを待っていた。
「――」
鎖を引きずるような軽い音がコノハの耳元で鳴り響く。
その音が影から発せられているというのは怖い話でよくある展開、そして見て見ぬふりをしていれば過ぎ去るというのもよくある展開の一つだ。
黒い天井、窓をチラ見してみれば外は光一つ灯されていない街がそびえ立っている。
これら全てが影の本体と考えたら頭がおかしくなる。これだけのことをする奴が敵じゃないはずがない。そんなフラグを立て、瞼を閉じる。
視界に映されるのは何も無い闇の空間、見慣れた空間だからなのか、謎の安心感があり、それと同時に消失感があった。
この短い間にコノハは色んなものを失った。
家族、パートナー、愛する人、友人、そして自分の世界、失っていることに気付かず、今の今まで何をしてきたのだろうか、今までしてきた行動は結果として残っているのだろうか。
失ったものに見合うものは得られたはずなのに、コノハの瞳からは暖かい水滴が一筋流れていた。
生暖かい空気がコノハの頬を撫でながら人間の言葉を発する。
「――逃げ道を作んのか」
その言葉は一瞬にしてコノハを恐怖で覆い尽くし、コノハを現実に叩き戻した。
「クソ、なんなんだ」
「そっちこそなんですか、やっと起きたと思ったら品のない言葉を」
コノハの隣から聞こえる女性の声、見てみればメイド服を着こなした目つきの悪い色白の綺麗な女性が椅子に座っていた。
「いや訂正する。綺麗じゃなくて怖いに」
「何の話かさっぱりですけどなんか殴りたいですね」
「ほら見ろ。やっぱり怖いじゃねぇか」
そう言うとメアは表情を曇らせ、コノハに問い出す。
「今回の件、一体何があったんですか?」
「……司教が国に襲撃に来た。それを迎え撃っただけの話だ」
「それであれだけの怪我を負ったとそういうのですか?」
メアが言いたいことは大体わかっている。
コノハ達は迎え撃つどころか、返り討ちにあっただけだった。
アレスやレイの状況を把握していないが、コノハが生きているということは勝ったと考えてもいい。
「国がまた襲撃されるのはそんな早くない。その間、対策もできるし、俺はピンピンしてる」
「コノハの体のこともそうですが、怪我を負ったアレスやアイザック、そしてアルテミシア様、一体どうやってあの方達を動かしたのですか」
ここに来て疑惑の目、ここまで大事になってしまった今、コノハの言い訳は到底届きはしない。
しかも、敗北したとなるとコノハの立場は危うい。
「アレスはともかく、アルテミシア様までコノハの言うことを聞くわけが……」
「ならそれ、僕から説明してもいいかな?」
そこに現れたのは腕に包帯を巻いたアルテミシアと呼ばれる銀髪の少女が立っていた。