第二章30『イカレ狂った世界の中で』
視界を覆い尽くす白い風景、そんな風景の中に黒い点がポツンと一つあった。
それはコノハと呼ばれる少年、なんの前兆もなしに何度も不幸を見ることになってしまった不運なごく普通の少年。
「このイカレ狂った世界の中でお前は変わり続ける。そうしていつしか確信に迫り、絶望するはずだ」
「……どういう、事だ?」
「この物語にはハッピーエンドが存在しない。いや、それは本人の解釈次第で変わるな」
「お前は一体何が目的で――」
世界が崩れ始める。
白い空間はまるでガラスのように割れ、コノハに迫り来る。しかしコノハは動じることなく、崩れゆく世界を見ていた。
「ああ、分かってるぜ。始まるんだろ? "試練"が」
瞼を閉じる。
その先にあるのは底なしの闇、先程まであった白い空間はもはや見えない。正確には見ようとしていない。
誠というコノハにとって光のような存在だった親友はこの日を持って、
「――最大の敵になった」
「帰ってこい。俺の親友、水瀬木葉」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
瞼を開け、確認できたものは赤い炎に覆われた建造物だったもの、どこを見ても人間らしい存在はいない。それだけじゃない。
「死体がない……」
この炎が放たれたのは遅くてもコノハが来る少し前、爆風で死体が吹き飛んだとは考えにくい。
焼き消えているとしたら、もしそれが事実だとしたら炎の発生源は近くにいる可能性が高い。
「探す……しかないな」
コノハは歩き出した。
虚無の空間、色というものが存在せず、ただ何も無い空間が続いている。
狂いそうになる。
こんな世界にコノハが求める答えが現れる気がしない。何度も、何度も、同じ景色を見る。しかし変化は意外と早く起こった。
「……お兄さん誰?」
「んじゃあ教えてあげるから君の名前、教えてくれるかな?」
「やだ! お兄さん目付きが悪いもん!」
「じゃあ当てるよ……君、メアって名前だね?」
銀髪の目つきが悪いエルフ、それがコノハが抱くメアの印象、そして目の前にいる少女、その少女はコノハが描いたメアの印象を本物そっくりに再現出来ている。
確信はなかった。ただの勘で間違えても大丈夫だろうと思っただけの事、外れれば他を当たるつもりだった。
「なんでお兄さんはお名前を知ってるの?」
「それは……お兄さんがなんでも知ってる魔法使いだからだよ」
「お兄さんも魔法が使えるの? 魔法使えるのは私だけかと思ってた!」
「お前……」
少女が発した発言、それは魔法が扱えるということ、コノハが知っているメアと同一人物という考えは薄れていく。
「とりあえず、ここから離れようか」
「なんで?」
「この近くで事故が――」
「そりゃねぇぜ。こちとらそのガキ目当てで探しまくってたんだぜェ?」
後ろを振り向く。
聞き慣れた嫌な声、見慣れた不敵な笑み、この二つが混ざりあった時生まれるのはたった一人、
「暴食の司教……」
「ご名答! んじゃそのガキ引き渡せ、そうすりゃお前は助けてやるぜェ」
「小さい時から言われてんだよ! ガキを攫おうとするやつにろくな奴はいねぇてな!」
「……ふざけんな」
「――ふぐッ!?」
大ぶりのパンチ、勢い任せのその一撃はいとも簡単にねじ伏せられ、地面に叩きつけられる。
その衝撃で意識を失いそうになるのを必死に堪え、次の攻撃に移す。
「うりゃぁ!」
「ガキみてぇな鳴き声出すなァ!」
「――ぐッ!」
フォボスの顔面めがけ拳が振るわれる。しかしフォボスはそれを受け流し、コノハに狙いを定め、拳を地面に打ち放つ。
地面にヒビが入り、周囲一体に取り憑いていた静寂を一気に薙ぎ払った。
「……危ねぇ。俺生きてるよね? ね?」
その攻撃をコノハは紙一重で避けていた。しかし近くで爆音を聞いたせいか、耳の調子が少しばかり狂っている。
それと最初のダメージが重なり、コノハの生命エネルギーを徐々に削っていく。
「くっそ……正面からの戦いは完全に不利だな」
「分かってんならさっさとガキを寄越せ、俺達の目的はそのガキ一人なんだ」
「俺……達?」
「洒落せェ! 八つ裂きにしてやらァ!」
その言葉を引き金とし、フォボスはこちらへ飛んで一気に距離を縮めた。
腕を伸ばせば確実に当たる。避けようがない。そこまでの距離に来ておきながらフォボスは攻撃を行わなかった。
違う。行わなかった訳じゃなく、"行えなかった"の方が正しいだろう。
「こんのクソガキがァ!」
「私悪い人嫌い! お兄さん付いてきて!」
「え? お、おう!」
少女は手を前に出し、何かを放っていた。それしか見えなかったが多分魔法を撃ったはずだ。しかし炎でも水でも雷でもなかった。
その魔法は目には見えなかった。
小さい少女の背中を追うこと体感時間では十分、実際は一分にも満たない。
その間、ずっとフォボスが叫び続け、コノハ達を追ってきていた。
「このままじゃ捕まるのは時間の問題、やばいな」
「……お兄さんこっち!」
「了解したぁぁ!?」
コノハが飛び込んだ場所は高校生であるコノハがギリギリ入れるほどの穴だった。
底を見ようにも体を余分に動かしたら擦れて最後には血だらけの状態で死んでいるかもしれない。想像するだけでも死ねる。
「ぶろふぁ!?」
「どう? 私が見つけた隠れ家なの。最初は怖いけど中々楽しかったでしょ?」
「わー楽しー……んなわけあるか! 並の絶叫マシンより怖かったわ!」
「お兄さん結構小心者なのね」
少女から向けられる冷たい視線を退けてコノハは周りを見渡す。
壁、壁、壁、壁、つまり出口が存在しない。
「わー凄いなぁー出口が入口にしかねぇよ。てかその唯一の出口ももはや使えねぇよ!」
「隠し通路だもん!」
そう言うと少女は明らかに通路がなさそうなゴツゴツした岩へ近づいていく。
少女の細い指が岩に触れる。その瞬間、先程まで壁しかなかったこの空間に細い通路が現れた。
「ほらお兄さんこっち」
「やべぇ、子供に遊ばれてる気分だ」
愚痴愚痴言いつつコノハは歩き出した。
それから数分、未だこれといった変化が起きない狭い通路の中にいた。
「お兄さん大丈夫?」
「いや全然、疲れすぎてもう倒れちまう。あ、狭すぎて倒れられないじゃん!」
「もうすぐ出口だから我慢して!」
その言葉に偽りはなかった。
会話を終えた数秒後に外へ繋がる光が見え始めていたのだ。
それは希望とも呼べ、絶望とも呼べる。
この光の先でフォボスが待っている可能性、他の司教に遭遇する可能性、ゼロじゃない恐ろしさがコノハを襲う。
「外だよお兄さん!」
「ああ、でも状況は最悪だな」
「……見つけたぜェ? 簡単に逃げられると思うなァ」
待っていたと言わんばかりに立っているフォボス、逃げ道は後ろだけ、しかし戻れば袋のネズミ、どっちにしろ勝ち目はない。
司教対少女とコノハ、絶望的な戦力差、どれだけ抗っても結果は同じはずだ。
「もう逃がさねェ、ここで皆殺しにしてやらァ」
「……お兄さん逃げて」
「はぁ!? 子供置いて逃げろってそう言うのか!?」
「うん……だってお兄さん、すっごく戦えなさそうだもん。だから逃げて、お兄さんだけでも……」
甲高い音がその場を覆い尽くした。
コノハが少女の頬を引っぱたいたのだ。
少女は真っ赤になった頬に触れながら涙を流していた。ずっと流れていた涙を少女はコノハに隠していた。
それは少女なりの思いやりがあったから、あえてコノハに隠していた。
その少女に対するコノハの対応は実に酷なものだった。
「お前が逃げろ! 泣いてるくらいならさっきみたいに背中見せて、年上に甘えてみろ!」
「でも、お兄さんは……」
「俺が弱いか!? ああ、弱いさ! 弱いよ。今だって凄く逃げたい! だけどな。俺は自分のプライド裏切ってまで生きる気はねぇんだよ! だから逃げろ!」
「……んだよ。二人で来るかと思ったら、つまんねぇの」
コノハが鋭い目つきでフォボスを睨みつける。それでもフォボスは平然とした顔でコノハを待っていた。
さっきのような隙しかないような攻撃を、フォボスは期待している。
「……残念だぜ。さっきみたいな勇気ある行動をしてくれると思ったのによォ?」
「俺も学習するんだよ。お前と違ってな」
「てめぇ、いいぜェ先に殺してやらァ!」
フォボスが飛び、一瞬で距離を詰めた。
普通の人間では達することが不可能な動き、まともに殺り合えばコノハに勝機はない。しかしそれはこの世界での"まとも"だ。
「――いだぁ!? くがァァ!? てめぇ離しやがれェ!」
「某孤独の……漫画、呼んどいてよかったぜ。アームロックできれば大体はどうにかなるんだよ!」
「なんだそのクソ理論! てめぇ、今すぐ外し……イデデデェ!」
たまたま読んでいた漫画にたまたまアームロックと言う技があり、たまたま興味が湧いて、たまたまこの世界で使えた。
コノハがこの技が使えるのも、興味という偶然に偶然が重なった偶然の何かがあったからだ。
「走れぇ! 多分俺も後で追うからよ!」
「お兄さん……ちゃんと生きてね! 死んだらもう一回死んでもらうからね!」
「死んだら生き返れねぇよ!」
「――皮肉なもんだな」
コノハがフォボスを押さえ込んでいる状態、しかしその状態は長く続かず、気がつけばコノハはフォボスにより持ち上げられていた。
どれだけコノハがきつく締めてもフォボスは打って変わって痛がる様子がない。
「なめんじゃねぇぞ! 三下がァ!」
「ぐはッ!?」
コノハを持ち上げ、フォボスは一気に地面へ振り下ろす。
コノハの背骨が砕ける音は体の中で反響し、何度も再生されている。
ただでさえ、地面を割る一撃だっていうのにそれが人間に向けられたら、その答えは以外に早く知れた。
「イラつくったらありゃしねェ、ハーフエルフなんて簡単に見つかるわけねぇのに、クソが! てめぇのせいだぞ!」
「ハーフ……エルフ……?」
「あんのガキに逃げられるのは、絶対に許さねェ」
頭を踏まれ、ミシミシと頭蓋骨が悲鳴をあげる。薄れゆく意識の中、痛みすら感じることもできなかった。しかし意識はゆっくり戻っていき、体も軽くなった。
「俺、死んじゃったか」
「早く起きて!」
「うお!? なんでお前がここにいるんだよ! 逃げろって……」
「お兄さんが危ないの知ってて誰が置いて逃げるっていうの! 早く前に集中して!」
怪我人にどうとか言いたかったが、体が妙に軽いのも、意識が戻ってきたのも、全部少女が治癒魔法をかけてくれたおかげだ。
しかしフォボスを倒すにはこの戦力じゃ到底不可能、逃げる以外に方法は残されていない。
「痛てぇじゃねぇかァ! まあ戻ってきたんならいいぜ。ハーフエルフなんて珍しいもんそう見つかんねぇからイラついてたところだからなァ!」
「ハーフエルフ? 私別にハーフエルフじゃないけど?」
「は? だってお前魔法使って、それに肌が白じゃねぇか」
「魔法はハーフエルフって人しか使えないわけじゃないよ。それに肌が白いのはたまたま」
フォボスは少しの間、唸り、結局答えを見つけられなかったのか、大きめなため息を吐いた。
「んだよ。興が冷めたぜ。良かったなお前ら……」
「……いやあいつなにしに来た」
フォボスは頭を書きながらその場を去っていった。やはり最後も人間じゃ真似出来ない動きをし、消えていった。
少女とコノハは二人取り残され、口を開けて呆然としていた。
「……あ、戻ってきてくれてありがとな。じゃなきゃ俺あそこで」
「私が魔法さえ使えなければ……」
少女は無事生き残れたはずなのにその容姿に似合わない暗い顔をしていた。