第二章29『望まれた体と不死の契約』
それは突発的に現れ、すべての決定打になった。
別に知っていたわけではない。ただレイなら普通の剣ではなく、何かしら仕組んだ物にすると、そう信じていたからたまたま思いついた。
一体一の戦いでコノハが勝てる確率はゼロに近い、それを最も理解していたのは剣を作ったレイだ。
コノハの無力を何度も見て、肯定してきたレイならば決して普通の剣では戦わせないとそう思っていたから、たまたま剣を地面に向けた。
変化はすぐには起きなかった。剣はもうすぐ真上、瞼を閉じる時間すら長く感じられる。いやそれすらも許さなかった。
本当に一瞬、気がつけば剣は、コノハの頭部を割る。その勢いは止まることなく残された体へ向けられ、そのまま胴体ごと真っ二つ、そのはずだった。
「ぐ……ハァ!?」
地面から伸びた涅色の槍、いや違う。"それ"は槍なんかじゃなくて何か別の物体、"それ"はコノハの脳だけでは判断出来ない謎の物体だった。
「……すまない……ね。これではただ……の、足で纏じゃないか……! 僕なんかが来な、ければ……きっと……」
「アイザック……今は、寝ろ」
「……迷惑……かけたね。このお詫びは、必ず――」
アイザックはゆっくり崩れ落ち、瞼を閉じた。
その数秒後、アイザックの口から黒い液体が出てきてその場をのたうち回った。しかし液体はすぐに動きを止め、しばらくの沈黙のあとゆっくりと地面に横たわった。
コノハはゆっくりその液体へ近づき、触れた。
感触はどことなく人間の肌に似ていて、重さは産まれたばかりの赤ん坊か疑うくらい軽かった。
このまま持っていればテオの能力を知れたはずなのにコノハは変な罪悪感に身を引っ張られ、気がつけば黒い液体を埋めていた。
「ハーフエルフ狩り……自分で言ったはいいがあいつは否定しなかったな」
心の底では気がついていた。この液体が一体何なのか、今までのテオを見ていれば簡単に推測できる。
それだから自分を否定したくなる。認めてしまえばこれから一生戦えなくなってしまうのではないかと、思ってしまうからだ。
「……もう」
勝った。これまでにない安堵感、それだけじゃない。やっとこの異世界で自分の意味を表せられた。
これでやっと、
「レイに……」
意識が遠のく。視界に地面が映り、その地面がゆっくりコノハに近づいていく。
地面どころか、光すら見えなくなる。痛みも力も、何もかも暗黒に呑まれていき、最後にはギリギリで保っていた意識すら、暗黒に奪われてしまった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
地面が見えない獄炎の中、普通の道を歩むのと同じように歩く男は着実に王都へ向かっていた。
「……どうした? この程度じゃワシを止められはせんぞ」
「どうやらそのようだね。僕としたことがあまり被害を出さないために加減をしすぎていた、な!」
テオを中心にし、爆発が起こる。
地面が抉れ、空気を焼き払うその一撃は人間を一瞬で灰にする熱量、不老不死でなければ簡単に殺せると思っての行動だが、
「詠唱なし……か。貴様なめとるじゃろ?」
「これもダメか」
男は平然としてそこに立っていた。
王都はもうすぐ近く、騎士達が爆発音に気づき、直にここへ来る。
そうなればまた騎士王と同じような現象が起こる。ただの騎士だけならば負けることは無いのだが、問題はそこではない。
殺し損ねた場合、王都の中で問題が起こり、テオを探すのも難しくなってしまう。しかしこんな近くで全力を出すわけにもいかない。
最小限に被害を抑えた攻撃をいとも簡単に受けて見せた。それに全力を出したところで確実に倒せるわけではない。
「やっぱり酷使し過ぎたか……」
「もう諦めろ。貴様に勝ち目はない」
「勝敗はいくらでも傾く。例え相手が司教であろうとね」
「哀れな小娘だ。暇であれば相手をしてやりたかったが、時間というのは残酷でな」
「何を言って――」
横腹から鋭い痛み、その衝撃は体全体を一瞬で駆け回り、何個か骨を砕いていく。
アルテミシアの体は衝撃に耐えられずそのまま吹き飛ばされる。空中を舞っている間、意識は他の場所に飛ばされていた。
「クッソ……気を抜けば気絶どころの話じゃないぞ」
敵の正体を確認するため、自分の元いた場所を見るが、そんな場所は全く見えていなかった。
周りを見渡せば、血を流し突っ伏しているアイザックと黒い瘴気を放ったコノハが倒れていた。
コノハとアルテミシアがいた場所は特別遠かったわけではないが、逆に近かったわけでもない。
飛んで移動しなければ先に移動したテオに追いつけなかった距離だ。その距離を一気に、
「お前は……誰だ」
「――」
「話せないとか言うんじゃ無いぞ」
そこに立っていたのは変形を続ける黒い物体、アルテミシアの知識を持ってしても正体を暴くことは不可能とされる謎の生命体。
話すことも出来ず、形はしっかりしない。もしホムンクルスのようなものであれば失敗作だ。しかしそれは失敗どころか成功、いやそれ以上の存在かもしれない。
神格レベル、今のアルテミシアじゃ到底かなわない。もしかしたら全力の剣聖やフェンリルをも上回るかもしれない。
「これは流石に……勝てない」
何度も変形するその物体は液体と考えるのが必然、物理攻撃は間違いなく効かないとして、魔法が通用する相手である保証もない。
仮に魔法を使ったとして、それを吸収されたらたまったもんじゃない。
「……普通の魔法じゃあ簡単に避けられるか吸収されるね」
「――」
「かと言って強力な魔法を打ち込んで吸収でもされたら……情報が少ない上にただの魔人である可能性も低い」
情報が多かったとしても、魔人だったとしても、今のアルテミシアには殺しきれない。
未だ殴られた時の痛みは引かない。それどころかどんどん悪化していき、呼吸すらままならない状態へ落ちている。
よく見れば液体は少しずつ地面に垂れている。しかも地面に触れた瞬間、小さい煙を起こし、ゆっくりとその存在を消している。
「溶けているな……熱の影響か、それとも酸に近いものか……」
どちらにしてもアルテミシアには残酷な話、なんせその液体を纏ったやつの攻撃をもろに受けてしまったのだ。
殴られたところの服は溶け、露出された肌は血とともに溶かされ、骨が浮き出ていた。
「ク……そ……ここまでか」
呼吸を荒げ、アルテミシアは最後の力を絞り出して最後の魔法を放った。
「――」
そんな全身全霊の魔法をもろに喰らった液体は平然としてアルテミシアの前に立っていた。
意識が何者かに奪われていく感覚、戦う術を失くした者の宿命、走馬灯なのだろうか、意識は途切れることなくゆっくりとその時間を歩んでいた。
「――」
液体がアルテミシアとは別方向に歩き出し、羽を生やしたと思ったら飛び跳ねて消えてしまった。
それに続いてテオもゆっくりと王国とは別方向に歩き出し、いつしかその後ろ姿さえも見えなくなった。
それから何時間経ったのか、未だにアルテミシアの意識は消えることなく体に縛られ続けていた。
それはまるで体がアルテミシアを離れさせまいとしているかのように、いや違う。
ただその体に残された最後の契約が果たされるのを待っていた、それだけだった。
「……まだ僕に望むんだ……ね?」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「――今すぐに……治療を……一般……無視だ」
「しかし……は瀕死の……なんですよ!」
瞼が重く開けられない。体にも力は入らないし、頭は異常に痛い。
そんな今にも消えそうな意識の中、聞こえた声はコノハの治療を後回しにし、誰かの治療を優先するということ、それも仕方ない。
あの場で倒れていたのは騎士王のアイザックとただのコノハの二人、そりゃあコノハが後回しになってアイザックが優先されるに決まってる。
そんな自己否定を続けるコノハの耳に入ってきた透き通るような美声、聞いているだけなのに心が癒されるようなそんな錯覚に落ちる。
「コノハの治療を……してください! 全ての責任は……取ります」
「やめ……」
か弱い女の子に重い責任を背負わせるわけにはいかない。それはただの偽善、プライドが綺麗に保たれるためだけに己の体を盾にしているだけだ。
どうにか否定をしようと声を出す。しかしコノハは瀕死の状態、そんな奴の言葉はどう頑張ったって届きはしない。
そうしてそのまま治療は開始される。
何が原因でコノハは瀕死になったのだろう。
正しい記憶がブラジルまで飛んでいなければ、最後のコノハは無傷で気絶していた。ならば気絶している間に襲撃にあったか、それとも傷に気付かず戦っていたのか。
後者であって欲しい。もしも前者であればアルテミシアは負けたということになる。
この異世界で負けたと言う単語が意味するのは"死"、それはコノハが何度も体験してきた。
この世界は生半可な覚悟で生き残れるほど優しくない。それが二回以上死んだやつが学んだことだった。
思考が追いつかなくなってきた。経験上、この現象が起こるということはコノハに死が近づいてきたということだ。
死ぬのは怖くない。しかし失うのは今でも怖いままだ。死んだ先に現れるのはごく普通の毎日、なのに失った先に現れるのは地獄、その地では抗うことすら許されない。
それが世界の理、異世界でも元の世界でもそれは変わらない。
「――おいコノハ」
そんな元の世界の記憶は断片的で、もはや帰りたいとも思わなくなってきた。今はこの世界が故郷で前いた世界が異世界なんだと、そうして自分に言い聞かせている。
自分が"記憶を失ってしまった"という恐怖から逃げるために、
「――おいこら」
この世界で過ごすのも案外楽しいかもしれない。ゲームがなくたって異世界ファンタジーを体験できるし、騎士っていう珍しい職業になれる。不満なんてこれぽっちもない。
「――歯、食いしばれ」
「ぶべら!?」
右頬にコノハの拳と同じ形をしたものが飛んできた。否、それは他人の拳、同年齢で同性で、拳の形が似ていたって別に不思議じゃない。
「痛てぇだろ!」
「お前が何もない顔するからだろうが!」
「だからって殴ることはねぇだろ! て……お前?」
目の前に立っていたのは白装束に身を包んだ佐藤誠、コノハの親友と呼べる友の姿だった。
その他の風景は何もかも白、大抵こういう時はレイとか司教が絡んでくる。
「お前……司教かレイだろ」
「ん? 俺はただのお前の幻想、異世界ではお前の言う"佐藤誠"は存在しねぇよ」
「それじゃあ……」
「そう、俺はお前の知ってる佐藤誠の偽物、しかし性格も趣味も何もかもお前が知ってる佐藤誠だ」
佐藤誠を名乗る"彼"は両手を広げ、コノハに嬉しそうな表情を見せた。
それはまるで寂しさを紛らわすおもちゃを見るかのような、そんな表情だった。
「――幻の俺をどう思おうがお前の勝手だ。だけど……幻であっても俺を失望させないでくれ、"水瀬木葉"」