第二章28『戦いとは悪魔が創造した』
コノハ達の目の前に現れたのは騎士王と呼ばれ、国に選ばれたたった一人の騎士、ノアニールの旗となり得るもの。
「……ゴミが増えただけじゃ。今更お前のような半端者が来ても変わらない」
「それはどうでしょう? これでも僕は王なんですよ」
「言ったろ。お前のような半端者がいても変わらないって、それが聞こえてないよう――」
風が無くなり、木々が静かに眠り始めた。そして土は己についた液体を吸い、真っ赤に染まっていく。
その液体が滴る先を見ればわかる。それはテオの右腕から流れ、いやその右腕すらない。
「……全く見えんかったぞ?」
「そうですか? これでも手加減をした方ではあるのですが」
「これで手加減か……」
誰もアイザックの予備動作を見ていない。気づけばアイザックはテオの右腕を切り離し、背中を奪っていた。
この場でアイザックの動きが見えなかったのはテオとコノハの二人、残されたアルテミシアは微笑み、その戦闘を楽しんでいた。
「隠していたのかい?」
「なんのことですか? アルテミシア様」
「……だからそれだけの力を持ちながら僕ら国に隠していたのかって聞いているんだ」
「決して僕は隠しているつもりはありませんでした。ただこんな機会は初めてで――」
小さい石が何粒も飛んでくる。それらをアイザックは剣を振り跳ね返したが、もちろん全部と言うわけにはいかない。
残された石がアイザックの肌に触れるとそこは黒色に変わり、ゆっくりではあるが広がっていく。
「――アイザック! それは呪いだ!」
「……わかった」
アイザックは冷静に返事し、剣を少し振った。
その瞬間、呪いに侵食されつつあった黒い肌が真っ赤に染まり、呪いは侵食を止めた。
「要は発生源を切ってしまえば問題ない」
「……呪いの影響で知性は落ちているはずなのだが」
「そんなもの、どうにかなる」
「そういう問題かのう」
テオは地面に落ちている石を拾い、アイザックは剣を構えた。両者とも勝利の自信があるようだった。
テオの右腕は未だ再生を始めていない。
もしも再生能力に何か制限があるのならばアイザックは今、有利だと言える。しかし相手は司教、しかも最後の能力が判明していない。コノハが想像するに強力な能力であるのは間違いない。
アイザックもそうだが後ろで見てるコノハ達もそうだ。
魔法のような広範囲ものであれば外野とはいえ、油断は許されない。
「……そういえば今司教と戦っておった奴が瀕死じゃのう」
「今更そんなデタラメを聞くわけがない」
「デタラメじゃないぞ? 現に今、司教が二人でアレスロイという男と交戦中じゃった」
「何!? アレスさんが!」
「……甘いのう童、敵に背中を見せるとは」
背中を見せたアイザックの体を黒色の何かが取り巻く。
黒色の"それ"は肉を裂き、体内へ侵入する。こうなればアイザックではどうしようもない。
謎の生命体の目的は二つに分かれる。一つは心臓部の破壊、もう一つは、
「貴様の体を貰うぞ」
もう一つは体の自由権を奪うことだ。
今この状況はテオにとって不都合なもの、例えアイザックを殺したとしても後ろで控えるアルテミシアが存在する以上、戦闘は避けられない。
テオが襲撃に来たことは既に誰かが聞きつけている可能性だってある。その可能性がある以上、早急にハーフエルフを始末してこの地を去らなければならない。
この仮説が正しければテオは"猫の手"でも借りたいはずだ。仮にそれが"敵の手"だったとしても。
「……体を乗っ取ることも出来るのかい?」
「そうだ……生憎ワシには貴様らを殺してやるだけの時間が無い。仲間同士ぶつかっていてくれ」
「……二対一だよ?」
「何を言っとる。そのガキは戦力外じゃろ? 何も持ってない"無能"じゃ」
無能、まさかこの世界でも聞くことになるとは思わなかった。いや、よく考えればそうだ。
強大な敵を前にし、ただ仲間に戦わせ、コノハは高みの見物、文句ばっかり言って戦おうともしてなかった。
変わったと言ったじゃないか、変われると言ったじゃないか、そんな言葉は前の世界で何千何万と言ってきた。それでも結局変われないままだった。
「アルテミシアがアイザックを相手し、じゃあ俺は?」
テオを相手するって、無茶言うなよ。アルテミシアですらギリギリで戦ってたのに"無能"がどうにか出来るはずがない。だって相手は司教、一般人じゃ戦えない。
コノハはそうして自分を何度も否定し、己の無力さを実感した。
刻々と迫ってくる"死"の形、今度はどんな死に方をするのか、過去を振り返り、暗い未来を想像する。
血液がゆっくり熱を失っていく。まだやれると口で言っても脳はそれを否定し、使えなくなった体から出ようと必死にもがく。
自分の体にも無能だと言われ、残るのは生きる理由を失った何も無い世界だけ、何のために生きてきたのか問うことすらもはやできない。
体の自由を奪われたアイザックが件を構える。
一番苦しいのは彼じゃないのか、そんなのは物語の中だけ、本当は少しでも生きたいとそう思ってるに違いない。
そんな言い訳ばかりを言って自分を悲劇のヒロインにする癖は治ってない。
「コノハ……僕は――」
「なあ、魔法かなんかで剣とか作れないか?」
「え? 剣を?」
「そうだ、剣だ。なるべくすぐに作ってくれ。その間、時間稼ぎくらいはする」
アルテミシアの静止を聞かずコノハはただがむしゃらにアイザックに突進する。
コノハの体重を込めたタックルは簡単に避けられ、そのまま腕が掴まれてしまう。
「グゥ……」
腕がへし折れるかもしれない異常な握力、しかしそれはアイザックがしたい攻撃じゃない。
コノハは上を向き、剣の存在を確認する。
そのまま剣が振り下げられ、コノハの首元ギリギリまで来る。人間の身体能力なら避けられずにお陀仏、しかしコノハはそれを紙一重で避けて見せた。
「しゃ! 魔人の力はまだ抜けてねぇみたいだな!」
「……お主」
「気分わりぃけどまあいいや!」
アイザックの剣術は異常だ。司教であるテオに傷を付けられるレベルと来た。
反撃は出来ない。だが避けるだけなら集中していれば難しくはない。
それにこれは時間稼ぎ、アルテミシアが剣を作るまでの間、アイザックの標的がコノハからズレないための手段に過ぎない。
そこまで本気でやる必要は無い。危なくなればすぐにその場から離れ、体力が回復するのを待てばいい。あくまでアルテミシアに狙いがいかないためだ。
攻撃の必要は無い。コノハはただ死なないように抗えばいい。
「んなクソゲー、こちとら何回もしてんだよ!」
アイザックが横に剣を振る。それを体を回転させて避け、コノハは距離を取る。
「アイザックの剣術は目に見えなかった……魔人とは言え、そんな急成長をするようなことは無い。乗っ取りは身体能力まで引き継げるわけじゃないのか?」
「――――」
「勝ち目はある。だけど……」
それはアイザックを殺してしまうのと同じこと、普通の剣で切ってしまえば間違いなくアイザック"だけ"が死ぬ。
乗っ取っている今、テオとしても騎士王であるアイザックを始末してくれるのは、時間稼ぎにもなるしで一石二鳥だ。
「コノハ! 出来たよ!」
そんな考えは脳を周り、答えは出ないまま終わりの時間がやってきた。
いつも時間というのは残酷で、どれだけ苦しい思いをしても結局は待ってくれない。どれだけ願ったとしてもその願いは叶わぬまま、奈落の底へ捨てられる。
背中を押すその時間はコノハを殺す死神となるか、アイザックを殺す死神になるか、二つに一つの存在、それだけあればこの時間の正体がわかる。
殺し合うのを楽しむ"悪魔"なんだと、
「アルテミシア! お前はテオを追え、アイザックはこっちで引き受ける!」
「あまり無理をしないでくれよ!? 君が死んだら僕の努力は無駄になるんだから!」
「……分かってる。分かってる。だから最大限今ある力を全て引き出す」
アルテミシアの言葉を最後まで聞き、長い溜息のあと、コノハは急ぎで作ってもらった剣を握り、構える。
構え方はどう見たって素人で騎士王であるアイザックから見ればお笑いものだった。しかし、
「――やってやらぁ! 俺の経験値なめんなぁぁぁ!」
コノハが走り出す。アイザックが剣の間合いに入った瞬間、コノハは剣を力任せに振り下ろすが簡単に受け流され、攻撃の隙を与えてしまった。
「うっわ! 危ねぇ」
勘で避けたものの、アイザックの剣はコノハの肌をかすれて空中で舞う。奇跡に近い動きをしたコノハだが、全体重は地面の方へ、そのままコノハは哀れにも倒れてしまう。
アイザックがその一瞬を逃すはずがない。
コノハは回りつつも攻撃を避けていき、体制を立て直そうとする。
「ぐお!?」
勢いに任せコノハは立ち上がったが、ふくらはぎに痛みを感じまた地面に背中と頭を強打した。
「やべぇ!」
すぐに体を動かし、アイザックの攻撃を避ける。
頭の真隣に剣が突き刺さり、今この状況が非常にまずいことに気づいてしまった。
「クソっ! 対等な戦いはさせないってか!」
元々、コノハには不利な戦いでしかなかった。剣も経験も技術も、全てはアイザックが遥かに凌ぐ。
引きこもりで暇だったら筋トレをしていたくらいのコノハには到底かなわない最強の敵だった。
「剣を持っても戦況は覆せないってか」
まともにやり合う以外でコノハには戦う術がない。魔法も使えないし、武術の心得もない。ならせめて殺傷能力のある剣でならと思ったが、やっぱり無理だった。
剣を振るう度に体を圧迫するこの感じは一体何なのか、いやどう考えたって死ぬことによる恐怖以外の何者でもないじゃないか、心の底では勝つ自信がなかったのかもしれない。
ただ無理ゲーに手を突っ込むだけ突っ込んであとは捨てて逃げられるとそう思っていたに違いない。それだけコノハの考え方は甘かったんだ。
コノハはゆっくり崩れ落ち、空を見上げる形になった。
「……もう無理だ」
どう考えたって勝ち目はない。もう充分時間稼ぎはした。これでアルテミシアが、いやレイがテオを殺してくれる。
そうすればこの世界で死んだ意味も生まれる。テオも死に、理由もできる、一石二鳥だな。
足音がコツコツと近づいてくる。
その一つ一つの音がコノハの死を意味し、命の軽さというものを実感させてくる。
この音が終わるその時は数十秒、そんな短い時間で命というものは枯れて落ちていく。本当に軽いものだ。
「――――」
アイザックが剣を掲げ、コノハの顔を見る。
アイザックの瞳に反射して映ったのはコノハの虚ろな目、完全に生きる意味を失くしたものの瞳だった。
――剣が勢いよく振り下ろされ、真っ赤に染まった木々が騒ぎ始めた。その一瞬を見てしまったのだから。