第二章25『友情は切れず、未だ』
「グハァ? ……君、一体何をした?」
「私の目は世界、その世界が赤色ならば世界は真っ赤に染まり、青色ならば世界は津波に襲われる。私の目はそういうものです」
先に沈黙を破ったのはエリアス、気付かぬうちに刻まれた傷からは、大量の鮮血が流れ、エリアスの体力を確実に奪っていく。
「フェンリル様が恐れていたのは叡智であるあなた、そして戦神、剣聖、賢者の四人です。それなのに本当に残念ですよ。フェンリル様が恐れていた男がここまで弱いなんて……」
「侮りすぎだ。この程度で僕をどうにか出来ると思うなよ」
エリアスはそう言うとゆっくり立ち上がり、赤眼を睨みつけた。
ダメだ、エリアスに出来た傷は致命傷とも言え、この状態で戦うのは不可能と思われても仕方がない。しかも幼い子供の体、無理をすればコロッと死ねる。しかしエリアスはその幼い体の残る体力を使い、赤眼の目の前に立っていた。
「……その体でよくもまあ生きていられますね」
「この体は借り物でね。簡単に壊していい代物じゃ無いんだ。唯一無二の友人だ。壊すことは決して許されない」
「……美しい友情ですね。本当に、本当に、あなた方人間が憎いです」
その言葉を引き金に左手で薙刀を掴み、エリアスは動き出す。
薙刀の先、それは赤眼の魔女の頭部、貫通すれば間違いなく死に至る。その確実の死に全てをかけ、エリアスは全体重を薙刀に乗せて赤眼に襲いかかる。
たった二秒、その二秒がとてつもなく長く感じ、恐怖がより一層主張を激しくした。
残り数センチ、時間にしてみれば一秒、いやもっと早い。あと少しで刃先が赤眼を貫く。それなのに、
「――甘いですね」
次の瞬間、赤眼はエリアスから薙刀を奪い取り、その薙刀でエリアスの左腕を断ち切った。
そんなはずはない。あの状況で、エリアスが命を懸けた一撃が、瞬きをするより早く、一瞬で消え去った。
エリアスの勝利は確実だった。次の瞬間、赤眼は死んでないといけない。それでないといけないのに立っているのは赤眼だけ、エリアスは背中から血を流し、倒れている。
逆だ。倒れるべきなのは赤眼の方だった。
「……普通に戦っていれば私の力はあなたに遅れを取っていた。但しそれは無策で私が戦った場合です」
「どう……言うこと……だァ!?」
「この空の役目は地上に存在するすべての生き物の魔力を奪うこと、そしてその魔力を全て、私のモノにする為です」
無茶苦茶だ。
魔力を奪っただけじゃなく、それすらも力に変えるだと、ふざけてる。勝てるわけがない。そんな能力にどうやって対抗すればいいんだ。
思いつかない。赤眼の魔女だけなのに、あと赤眼を殺してしまえば、大罪教は破滅する。それなのに最後になるラスボスが強すぎる。
「この能力には決して弱点は無い。最強です。それでも"後悔"しか出来ないのです。この能力は敵味方関係なく殺してしまう。それ故に疎まれ続ける人生、決して人として見てはくれませんでした」
「――――」
「しかしフェンリル様だけは違いました。あの方は私を人間として迎え入れてくれた。それだけで充分だったのに、私はフェンリル様を救えませんでした。この能力を持ってしても、その"後悔"が私を強くしてくれましたよ」
「それがテメェの、フェンリルに与えられた……そういうことか」
エリアスはゆっくり立ち上がり、震える体で赤眼に対抗する。
デコピンひとつで倒れてしまうような致命傷、戦うことは困難を極める。このまま無理をしていれば、いつかは隙が生じる。それにエリアスの魔力を奪った赤眼が相手だ。分が悪い。
だからと言って退散は出来ない。相手は確実に殺しに来ている。それに弱ったエリアスがいるのならば、尚更確実に仕留めたいはずだ。
逃げ道は封じられた。
「……終わったな」
「そうです。あなた方は全員ここで終わるんです。死を受け入れるのも悪くないでしょう?」
「……言葉足らずで悪いけどね? 僕は決して僕らが負けるとは一言も言ってないんだよ?」
エリアスがそう言うと周囲が光に覆われ、足元も確認出来なくなってしまった。
そんな光の中でも金属音は鳴り響く。いや違う。金属音じゃない。肉を裂く音だ。
風を裂き、その数秒後に肉が裂けた音が鳴り、存在するはずのない水滴が地面に付いた音に変わる。
そのパターンは一切変わらず、続く。
裂く、裂く、裂く、裂く、この音が何度もリピートされ、光が無くなる頃には全ての状況を理解出来るようになっていた。
「やっぱり時代のせいかな? 僕が馬鹿にされるなんて世も末だよ」
「な、にが!」
「当たらない当たらない。君の攻撃は僕には届かない」
目が追いつかない。速い、速すぎる。あの赤眼が、この場にいる者の魔力を奪った赤眼が、圧倒されている。
エリアスの腕は両方復活していた。
その手が握る薙刀はスピードを徐々に上げていき、赤眼がその動きに慣れるのを阻止している。この状態が進めば、間違いなくエリアスの勝利、しかしそれは消耗戦だ。
エリアスが力尽きるが早いか、赤眼が薙刀に突かれるが早いか。
もしもエリアスがスピードを落とすことがあれば、その時点で負けは確実、だからと言って赤眼が死ぬまでエリアスがスピードを高め続けるのは至難の業、それに傷も加わり、敗北率が高くなっている。
「君が魔力を奪い、僕の強化魔法を弱くするなら、僕は己の力だけで君を捻り潰せばいい。単純すぎて笑えてくるよ」
「この程度! 私にかかればッ!」
「無駄だよ。能力に頼りすぎだ。そんなんじゃ大罪戦争の最前線にいた僕らには勝てない」
圧倒的力、強敵と見なされた赤眼がこうも簡単に負けていいものだろうか、いやダメだ。ダメなんだ。
赤眼は強くないといけない。弱いのは決して許されない。それは傲慢のフェンリルに与えられた使命、そんなフェンリル直々に与えられた命令を無きものにすることは決して許されない。
この考えはただの勘、決して確信を得られる"何か"があるわけでは無い。ただコノハの中では赤眼がそういう奴だと言う確信がある。むしろそれ以外は絶対に無い。
もしこの考えが当たっていれば、
「赤眼にはまだ……勝機がある」
それはグチャと言う気味の悪い音を聞き、確信へと変わった。
「古参如きが新しい叡智に勝ると思わないでください」
「……これは、なんだい? 一体いつから」
「さあ? 私にも分かりかねますよ。ただあなたが負けたということは分かりますがね」
ドサッ、という音を立てエリアスが地面に倒れ込む。
そんなエリアスの心臓部は大きな穴を開け、中身は無理やり抉り出されたのか心臓が存在しておらず、地面は真っ赤に染まっていた。
「私の全力は見えましたか? 私の姿が、私の能力が、あなたには見えましたか?」
「――――」
「……最後まで私の半分も、力を引き出せませんでしたね。もはやこの声も届いていませんね」
その瞬間、コノハは後ろに引っ張られ、そのまま倒れてしまう。いや地面がないから倒れてしまうというのは間違いか、正確に言うと落ちているだな。
「――貴様ッ!」
「最後の敵は剣姫である私、ここから先は絶対に行かせない」
エレナさんが剣を抜き、赤眼がそれに構える。
その二人が視界に映っていたのは一瞬、瞬きをすればその姿はいつの間にか消え、残るのは闇の空間と落ちている感覚だけだ。
それらが無くなった先に残るのは"無"、そして無から向け出すために救いを求める。それが人間、絶対の摂理。それはコノハも同じだ。
いつから救いを求めていたのか、自分ですら気づかないうちに心に余裕が無くなっていたようだ。
そんなコノハを救いに来たのか、嘲笑いに来たのか、"彼女"はいつも通り、紅茶を片手に座っていた。
「――君の望んだ人物は僕だったようだ。実に嬉しいよ」
目の前にいるのは霧に身を包んだレイと呼ばれる魔法使い、何度もコノハの前に現れては色々と助言をしてきた。
レイが持っている目的は未だ謎だが、持ちうる力は現段階で最強クラス、敵になれば最悪、味方になっても最悪、一度世界を滅ぼしかけた魔法使いの言葉は最初から最後まで信用してはいけない。
それにあくまで利害の一致、裏切ろうと思えば、いつでも裏切られる薄い関係だ。
「まあ、あの状況で僕以外の誰かに救いを求めるのは間違いだね。君が知っている人に絞るなら、"あれ"は僕以外では倒せないしね」
「……人が死んだ」
「そうだね? だからどうしたと言うのかな?」
「……人が死んだんだ。俺を守ろうとしてくれた人が、腰を抜かして見ていることしかしなかった俺を、エレナさんやエリアスは助けてくれた」
握る拳を強める。
自分を呪うためか、レイの顔を殴るためか、間違いない。後者だ。
人の死を何とも思わないレイの性根は最初から分かりきっている。だからと言って、簡単に許せるはずがない。
――次の言葉でコノハを支える何かが、崩れた。
「だから? 結局君を守れずに死んだ人間だよ。それとこれと僕がどう関係するのかな?」
「お前ッ! いい加減に」
「――僕に何を求めてる? 慈悲かい? 同情かい? 残念だが僕はそのような感情をとうの昔に捨てていてね。それに非情でなければ強くなれない」
コノハの言葉を遮り、感情の込められていない言葉が続けられる。その言葉になんの反論も出来ない。ただ黙って聞いていることしか、無力のコノハにはそれしかできない。
「女がどれだけ助けを求めても、子供がどれだけ命乞いをしようと、表情一つ変えずに僕は殺せる。これは間違っているかい?」
「当たり前だ。お前は間違って」
「――いいや、間違ってるわけがない。君達人間は食料だという理由で命を奪う行為を正当化している。食べなきゃ生きていけないから殺す。それのどこが間違ってる? 全部だよ。殺す行為はそこにどんな理由があろうと等しく悪だ。そんな人間が、そんな下等生物がいくら死のうと別になんの被害も無いんだ。ただそこに"哀しい"と言う感情があるだけで」
「――いい加減にしろ! 何が下等生物だ! 何がいくら死のうと、だ! 人は生きてんだ! 家族だっている。残された者の哀しみが奪う側のお前に分かるのかよ!? 殺人鬼の分際で人を語るな!」
込み上げる気持ちを全て吐き散らしたコノハはゆっくり座り込む。どうやら気持ちだけでなく、力まで抜けてしまったようだ。
一方、レイは無言のまま、少しも動かないでいた。しかし視線はコノハに固定されている。何故か、それだけは分かる。それだけしか分からない。
あの馬鹿げた魔力が感じられない。心臓を圧迫する強大な力が霧から、レイから感じられない。
異様な雰囲気の中、コノハは無言のまま、流されていく。沈黙を破る事は二人にしか出来ない。ただそのうち一人は力が抜けた為、何も話せず、もう一人は霧の中で表情も確認できない状態、完全に行き詰まった。
――そう思った数秒後、霧の中で隠れる少女が話し始めた。
「……殺人鬼の分際で? 奪う側だから? ふふ、ふふふ、面白い事を言ってくれるじゃないか……君はこれから何百人も殺すというのに」
「は?」
「大罪教を始末するには他人の力が必要不可欠だ。仮に千人集めてもその九割は死ぬ。これだけ殺していれば君も晴れて殺人鬼になれるんじゃないかな?」
背筋を伝う冷たい風、こんな世界にも風はあったんだな。そう思うことすら禁じられた。
肌に触れる霧、その先には人肌があり、体温が感じられた。間違いない。今、レイが手を伸ばせば届く位置にいる。
拳を握り、冷静に考えた。
今腕を振るってもレイに通用するのか、それ以前にレイに当たるのか、もしかしたらレイはこの霧を伝って移動しているんじゃないのか、そんな考えが脳を回り、どうしても決断できない。
振って当たっても死刑、当たらなくても死刑、結局動かないという選択肢しか無かった。
「君が殺人鬼になっても僕は協力者として永遠に味方をする気だよ」
細い指がコノハの顔を撫でる。人肌であることは間違いないのに、何故こんなにも冷たいのだ。
今目の前にいるのは死人、それは分かる。分かるのだ。だが、脳がそれを否定し、体にロックをかけている。
この女は嘘だらけ、本当に死人なのかも怪しい。もしかしたらなんかの魔法で生きているのかもしれない。それだけレイは信用出来ないし、恐ろしい。
敵になってしまったら、ということは何度も考えた。しかしその考えはいつもバッドエンドへコノハを連れていき、敵であることが正しいと教えてくる。
逆に味方になったら、そんなことは考えなくてもわかる。
レイの力があれば大罪教など簡単に攻略してハッピーエンド、それなのに味方になってはいけない気がして自分の選択に疑い始めている。
現段階ではレイの言葉を全て疑っている。それは表向き、実際は全て信じている。いや真実であってほしい。それがこの異世界で生き残る最後の希望なんだ。
だから信じさせてほしい。自分が自分である為に、
「――僕は君の期待に添えられるように全力を尽くす。僕を救ってくれた僕の英雄に」
「……人違いだ」
「それでも構わない。コノハが笑って明日を迎えるのなら」
信じたい。そう願った。
救いたい。そう豪語した。
君が生きているのなら全ての人に嫌われても構わない。それでこの異世界に来た理由ができる。
「――何も無いのはもう嫌なんだ」
「それじゃあ僕のこの手を取ってほしい。君の期待に添える世界を僕が作ってあげよう」
「……普通は立場が逆だぜ」
「ここは異世界、君の常識では測れないものが多いんだよ。だからこそ、新しい発見ができる」
霧から伸ばされた細く白い腕、その手を取れば間違いなくコノハの望む世界が実現できる。ただそれは甘えじゃないのだろうか、
「しかし君が君の力で作り上げてくれ。僕は最低限の手伝いしかしない」
少しくらいなら甘えてもいいな。一人で抱えていくには荷が重すぎる。せめて、一緒に持ってくれる仲間が居れば、少しだけ気持ちに余裕が出来る。
「その手伝いも最低限でいいぜ。俺はあくまでただ一人のハーフエルフを救おうとしてんだ。人間様なめんなよ」
「それじゃあ僕より強くならなきゃね。そしたらもう上から目線をやめるよ」
「いや今すぐやめろよ! これからは同列だろうが」
霧は一向に晴れない。それがこれからのコノハ達を表しているのならばやりがいがある。
決してこれから歩む道は明るくない。戦争が起こるかもしれないし、何百回も死ぬかもしれない。やっぱりレイ一人では全ての不安を取り除けない。
それでも背中は少し、ほんの少しだけ軽くなった気がする。
コノハはレイの手を掴み、息を深く吐き、言い放った。
「――これで本当に協力者だな!」
視界が暗くなる。と思えば、コノハを光が指し、視界が明るくなった。
脳が追いついてきた。
コノハが見ているのは王城の天井、そしてふかふかな王城のベッド、間違いない。これは傲慢を殺したあとの世界だ。
その証拠にコノハの体はボロボロで、この喪失感、そして左手を掴む誰かの体温、
「ん?」