第二章24『無敗無敵は叡智と呼ばれ』
視界に映るのは大量の鎖に繋がれた目玉が無いエルフ、そして世界から光を奪ったと思える闇の霧があった。
「――ここに来たということは見たということだな……どうだった?」
「どうだった?」
それ以前の問題だ。
この目の前にいる奴は一体誰だ。
眼球は無いし、鎖に繋がれている。どっからどう見てもヤバい奴、他の体験がどうでも良くなってしまう。
眼球が無いのも気になるが、それよりも強く惹かれた物がある。
「耳が……」
尖っている。
エリスに良く似た姿、兄弟とまではいかないが、その姿は同じ種族だということを裏付ける証拠だった。
「お前……誰だよ」
知らないはずがない。会ったことは無いし、生きている年代にコノハは存在すらして無かった。だがわかる。今目の前にいるこのエルフは、
「三大英雄……エルフだ」
世界をレイから救った英雄の一人、決定打を打ったのもこの男だ。それほどの男が何故今、ここで膝をついているのだ。
その姿はまさに生きた死体、アンデッドと言うべきだろうか、眼球があった場所は底無しの闇に覆われ、所々焼け落ちたと思われる肌、そして古い物や最近と思われる鎖に繋がれている。
それでも尚、エルフは内側から魔力のようなものを放っていた。
「三大英雄……」
「そんな名はいらない。俺達は死ななければレイを倒せないんだからな」
「あんたらがいてくれれば……俺は! いや、みんなは死なずに済んだんだぞ!」
「……なんとも言えない。俺達は無力過ぎたんだ。レイと比べられても足先はおろか、地面にすらも到達してない。俺達は英雄じゃない。名無しの騎士だよ」
怒りが胸の奥からゆっくり、口までこみ上げてくる。
仕方ない、仕方ない。それは分かっている。彼らは本気で戦い、敗れた。それでも国のために戦い、救った。もしも三大英雄がいなかったら、エリスの存在はまずなかった。
それなのに、分かっているのに、この怒りは収まらない。
三大英雄さえ死ななければ、戦況は変わった。否、全く変わらない。怒りが湧く理由はそれじゃない。
彼らは殺してしまった。唯一、大罪教に対抗できる"レイ"と言う最強の魔法使い、彼女を殺してしまった。
その罪は重い、
――人の命より?
違う。もっとだ。そんな軽い物は置いておけ、
――じゃあ自然の命?
まだだ、軽すぎる。比べ物にもなりやしないじゃないか、もっとマシなものを、もっと重いものを、
――それなら自分の命?
だからそんな軽いものじゃ比べられない。例える、なんてことが無駄だ。彼らが起こした罪は何千、何万、いやもっと、大量の人を殺してしまう。
「お前らは一体どうやって死んでいった人達に顔合わせするんだよ……?」
「この罪は決して拭えない。サラマンダーやケットシーの心までは分からないが、私は一生この苦痛の中で生き、私のした罪と向き合う」
エルフは「だから」と付け加え、コノハの名前を叫んだ。
その名前は何度も反射してコノハに届く。
怒りか、悲しみか、殺意か、その全てかもしれない。言葉に混じっていた感情の数々、数えればキリがない。
「……僕は君に"試練"をやらせるわけにはいかない」
「――なっ! なら俺の努力は一体何だったんだよ!」
「僕の試練は君に悪影響を及ぼす。本来、僕は試練を無視した君を"実現の魔人"のところには連れていけない。だが話は別だ」
鎖が朽ちていく。ゆっくり粉になっていき、最後に残っていたのはエルフだけだ。
エルフはゆっくり立ち上がり、再度口を開く。
「――君を守り、"実現の魔人"にも会わせる。それが僕の試練だ。だから……出てきなよ」
「……気づかれてましたか。私としたことが、やはり英雄相手にふざけるのはやめといた方が良かったですね」
血のような赤色の瞳、色を完全に失った銀髪、そして右腕に握られている誰かの腕、間違いない。
こいつは赤眼の魔女、大罪教の中で一番、傲慢に忠実だった女、大罪教の後継者。
「ここに来たということは……彼らを殺したんだね」
「本当につまらない方々でした。レイを殺せると豪語するのならばもっと強くなくては困ります」
「……その"傲慢"が今の君を殺す。ここで朽ち、罪を改めろ」
「おこがましい。無能力者の貴様に何が出来る」
そうだ。今のエルフには眼球がない。最強と思われていた能力が通用しない。
赤眼の魔女は勝てる自信がある。
傲慢を最も近い場所で見ていたのだ。総合的な戦闘力は赤眼の方が上のはずだ。
勝機は無い。逃げられない。確実の敗北、殺されるのはエルフだけに留まらない。
ここで死ねば一体どうなる。生き返れるのか、それともそのまま生き返ることもなく、死の世界へ行ってしまうのか。
「――君は殺させない。だから走るんだ。君の中にある"それ"が道を示してくれる」
それ以上の言葉は無い。いや必要無いんだ。だって英雄が背中を守ってくれる。これ以上無い安心感、それに進まなくてはもう、コノハは一生、臆病のままになってしまう。
足を前に出し、全速力で走る。後ろからは金属音、肉を裂く音、骨を砕く音、様々な音が混じり、恐怖へと変わる。
後ろは決して振り向くな。向けば最後、お前は死ぬ。
分かってる。分かってるんだ。だけど、無視をしていられない。
後ろで命を懸けて戦っている人がいるのに、コノハはただ自分の無力を悔やむことしか出来ない。
なんの音も聞こえない。無くなった。恐怖の象徴が、英雄が、いやただのエルフが後ろで、死んだんだ。
コノハの背中を必死に守り抜き、一生を終えた。
「クソ! クソが! なんでだ! なんで助けに行かなかった!」
自分が無力だから、お前が弱虫だから、そして何より、
「――君が人間だからだよ」
ああ、知ってる。知ってるよ。知ってるんだ。だから怖いんだ。不死身になって、それなのに何も出来ずにいる自分が、怖いんだ。
「俯くな。前を向け、さすれば道は開かれる。夫はそうやって言ってたわ」
聞き覚えのある声、その存在が元騎士王のロイさんを泣かせ、コノハの大事なものを奪い去り、その能力に気づかせてくれた。
彼女は一にして全、全にして一、全ての始まりであり、全ての終りであった人物、そして今のコノハを作り上げた張本人、
「エレナ……エレナ・リッカー、それが私の名前よ」
うっすらだが確かに聞いた名前、ロイさんの奥さんであり、初めてコノハを殺した元凶、そんな奴の名前。
もちろんそんな奴が目の前にいるということに恐怖を感じていないわけではない。むしろ恐怖でしかない。
なんせ、コノハはこの女が死ぬ、その運命を作り上げて見事殺しているのだ。
一人の人間、その人間の命という長い年月を奪い去った。憎まれていても仕方ない。それが普通、当たり前だ。
それなのに女はコノハを抱き上げた。
暖かい、人間の体温をこんな近くで感じたのは本当に久しぶりだ。
「恨んでないとは言えないけど、感謝はしてる。だってあのままだと私は色んな人を殺してた」
実際そうだった。コノハはその目で終わった世界を見た。その時、コノハの心を蝕んだものは未だ、体内に残っている。
あの記憶はトラウマになり、思い出すだけでも体が震えてしまう。あんな光景は映画でしか見たことがない。
「……もう来てるんだね」
ああ、来ている。今この空間に入ろうと全ての手段を使い、コノハだけじゃなく、この部屋の主であるエレナさんまで殺しに来ている。
この場からコノハが離れても、コノハが立ち向かっても、エレナさんが死ぬ未来は変えられない。
この場所に逃げ場はあったか、死者は元の世界に戻れるか、無かったし、戻れない。
ここが死んだ人達の全て、コノハが逃げても、戦っても、いつかは殺される。それは運命、必ず辿らなければならないゴール地点、全てはコノハが引き起こしたことだ。
ここにコノハさえ居なければ、異世界にコノハが転移しなければ、誰も死ぬことは無かった。今頃、普通に笑って暮らしていた人達が大量にいた。
「――但し、罪は必ず償わなければならない。そうでしょう? あなた方リッカー家はそれを志にしていたはずです」
「赤眼の……ここに何をしに来たの。あなたの望むものはもはやここには無いわ」
赤眼が、赤い目の死神が、目の前に返り血を浴びた服を着て、その場に立っていた。
赤眼が着ている黒い服は付着する血を分かりにくくしていた。しかし付いている血は肉眼でも確認できる。
エルフの血なのか、それとも子供の血なのか、女の血なのか、全く検討がつかない。
「エルフは大健闘でしたよ。あの状態で私の一撃に耐えるなんて本当に英雄だったんですね。あの弱虫は」
「……! てめぇ!」
「他の子供と女性は本当に四十騎士なのか分からなくなりますね」
「――僕らが四十騎士って呼ばれてる理由は強いからじゃない。四個の死を司るからだよ」
その刹那、赤眼の体は真っ二つに裂かれ、上半身が空中で踊る。一体何がそうさせたのか、それは赤眼の体が落ちた瞬間に分かった。
子供が握っている巨大な薙刀、その刃先にはべっとりと血が付いていた。状況から察するにその子供が赤眼を殺したと考えるべきだろう。
「十騎士と言われる者達には十四騎士団の隊長の役割があった。その名の通り、隊長はたったの十人、ただそれでも戦力は足りたんだ。この平和な世界ではね」
「だからあなた方、元隊長は必要とされなくなった……そうでしょう?」
「……正解だ。僕達は世界が進むにつれて必要なくなったんだ。いつしか僕らを殺そうと考える者達が現れた」
「あなた達が持つ力を恐れ、暴走する前に殺してしまおうと考える者達が増えたからですね」
「そうだよ。だから僕達は強い、君達なんて無限の宇宙で足掻く微生物でしかない」
赤眼は何事も無かったかのように立ち上がった。もちろん体はくっついている。一体いつから体がくっついたのか、それ以前にどうやってあの状況で生きていられたのか、全くわからない。
その説明を求めようとしても、状況がそうはさせてくれない。
「君は本当に人間かい? 体を真っ二つにして生きている人間なんて聞いたことがないよ」
「もちろん人間ですよ。ですが、凄いですね。この私にこれだけの傷を負わせられるとは……流石、フェンリル様が警戒するだけのことはあります」
「……僕の武器は叡智、僕には分かる。今君がどんな動きで僕を殺しに来ているのかがね」
瞬間、赤眼が子供の後ろに周り、上げている手を一気に振り下ろす。しかし子供は薙刀で軽々しく受け流した。それはまるでどこから来るのか知っているかのように余裕のあるものだ。
赤眼は目を見開き、子供から飛んで離れた。
「どうした? 君達司教はその程度なのかい?」
「まさか……こんなガキに」
「僕はガキじゃない。エリアス・リーゼ・カルヴァート、君を殺す男だよ」
エリアスはその距離を一気に詰め、赤眼に攻撃を加える。
子供の腕力じゃありえないスピードで振られる薙刀は赤眼に息をする隙も与えない。これは殺し合いではない。もはや虐殺と言える。
赤眼はなす術なく切り刻まれ、体力や命を奪われていく。
エリアスの魔力はレイには劣るが中々のものであった。しかしエリアスは魔法を一切使わず、薙刀だけであの赤眼を一方的に切り、殺そうとしている。
赤眼の戦闘能力はテオを簡単に殺せると言っていたくらいだ。しかも大罪教の後継者、その名だけで他の司教達より化け物じみていると言うことは良くわかる。
「やっぱり君は弱い。諦めて死に晒せ」
「……私は負けませんよ? だって赤眼の魔女ですから」
その瞬間、空のような空が赤色に染まり、赤眼の姿を消した。しかし変化はそれだけでは無かった。
この状況を理解できないエリアスは薙刀を大きく振り、警戒心を高めていた。
そうして数秒、薙刀が地面に力無く落ちた。
その瞬間、コノハはエリアスに目を向けたが、そこに居たのは地面に倒れ、右腕を失い、血を大量に流したエリアスだった。