第二章23『花は語る』
色とりどりな空間、無限に広がる花畑は、たった一人の女を花が生えていない枯れた砂の上に座らせていた。
「あら? 同情してくれるのね、優しい。その感じだと私の事知らないできてたみたいね」
「……当たり前だ。お前らの事はこれぽっちも知らねぇよ。知りたくもねぇな」
「気の強い子、そういうところが面白いんだけどね」
女はギリギリ触れられる距離にあった花をむしり取り、それを花に近づけ匂いを確認した。
強い風が吹き、コノハの不安を煽る。それにつられ、咲き乱れる花々は一色に変わり、その状況が安全でないことをコノハに教えた。
「……ここであなたが体験するのは力の差、これから何度も死んで生き返り、死んで生き返るって言うのを続けてもらう。準備はいいわね?」
「おいおい! ちょっとくらい説明してくれたっていいだろ。あんたらは一体なんなんだよ」
「そんなおとぎ話のように何でもかんでも教えてもらえるわけないでしょ」
「いい加減にしやがれ! 俺はお前らの玩具じゃねぇんだ! 人間なんだ」
「――やかましい」
女が持っていた花は枯れて落ちた。それが知識を失ったと解釈するべきなのか、何なのかはコノハには分からない。ただこの女が怒っている事ぐらいはコノハにも理解出来た。
「人間の分際で何をほざくと思えば、まだフェンリルの方が骨があったわ。あなたはつまらなさすぎる」
人間の不幸を面白い面白くないで判断するこの女はただのクズだ。それ以外の言葉はどう足掻いても出ない。
「わたくしを閉じ込めた人間が憎い、首輪なんかをつけて……わたくしの事を犬だとでも言いたいのかしら!」
確信した。こいつはやばい。
女から湧き出る無数の黒玉、その黒玉が地面に落ちたと思ったら花達は炭の姿に変わり、朽ちていった。
黒玉はそれだけでは止まらず、地面を抉り、そのまま奥深くに落ちていった。
これが首輪をしている女の力かよ。そこらの司教よりバケモンじゃねぇか。こいつ一人だけで世界滅ぼせるかもしれねぇ。
――逃げられない。
それが一秒という長いスパンで思いついた実に醜き、意味の無い言葉。
何言ってんだ。逃げられないのは大前提だろ。
「ああ忌々しい。あのハーフエルフ、いつかわたくしが始末してあげますわ!」
殺意を込めたその言葉を豪語する。
「もういいわ! 早く始めましょ!」
「おい! ちょっと待ち――」
言葉は遮られ、花畑とはおさらば、だからなんなんだって話だが、やっぱり心残りがある。
――結局ハーフエルフってのは誰のことを指して言ってるんだ。
そんな疑問の答えを考える時間はコノハには無かった。
目の前の状況を理解することすら、困難を極める。
「――は? ……ぐぁぁあがァァ!?」
右腕の感覚がない。右腕があった場所には赤色の液体が絶え間なく流れ、熱を帯びている。
必死に自分の右腕を探す。
ああ、あったじゃないか、自分の目の前に、
「――いや、は? いやだって、俺の右腕は、はっ、あぁぁぁあぁああ?」
あっちゃいけない。確認しちゃいけない。そこに右腕があったら、右腕があることを知ったらいけない。何をやってるんだ。この大馬鹿者。
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、なんで俺だけこんな思いをしなきゃいけないんだ。何が俺にこんなことをさせるんだ。殺してやる。絶対に、この命尽きても、こんな思いをさせた奴を引き裂いて、グチャグチャに、
「――お前、死なないだろ。何が命尽きてもだ」
「は?」
「寝ぼけてんのか? フォボス」
「誰だよ……フォボスって?」
「はぁ? お前の名前だろうが、暴食のフォボス、お前の名前だ」
暴食、フォボス、意味がわからない。俺は水瀬コノハで、なのに俺は暴食。
混乱してしまう。状況を上手く理解出来ず、思考を放棄する選択を迫られる。
「あんた……誰なんだよ」
「見てわからねぇか? フェンリルだ。寝ぼけんのもいい加減にしろ」
ああ、聞いたことのある憎き名前だ。ついさっきも聞いた。
フェンリル、そんな名前のやつはコノハが知る限りたった一人じゃないか、傲慢の司教、全ての始まりだ。忘れるわけがない。
この身に深く刻まれた。こいつは全てを奪った。――そしてコノハ達もこいつから全てを奪った。
「ちゃっちゃと行くぞ。カーミラ・アルドリッジを見たいんだろ? 今この時間ならあいつは外出してる」
「……ああ、わかった」
「準備しろよ。向こうでドンパチするかもしれねぇし」
とりあえず、話に乗るしかない。あくまで俺は暴食のフォボスなんだ。もしも間違えれば、さっきのような――
「ああ、嫌だ嫌だ。思い出したくもねぇな」
自分の頬をペちペちと叩き、気持ちを切り替える。そうでもしないと狂ってしまいそうだ。
この体に殺されたというのによくもまあ、呑気にいられるもんだ。普通ならもっと嫌がってもいいくらいだぜ。
「そう言ってても何も始まらないしなぁー」
文句をたれながらコノハは準備を始める。と言っても特に準備しなきゃいけない物は無い。着替えてなんか武器になるもん持ってそれでおしまい。
自分の体でないからか、着替えるのに思ったより時間をかけてしまった。
「体の大きさとかあんまり変わらないと思うんだけどな……やべぇ俺より筋肉あるぞ!」
自分で自分の体を触る。違和感はあるが筋肉を触るというのは中々楽しいものだ。
銃弾一発くらいなら耐えられそうな妙に硬い筋肉、それなのにコノハの体より素早く動ける。
いっそこの体で生きてしまえばいいんじゃないかと思ってしまう。
「……まあこれぐらいでいいよな」
それほど時間は使えない。傲慢を待たせればあとが怖いかもしれないし、何より情報を手に入れられる良いチャンスだ。このまま何も無しで殺されるのは絶対に嫌だ。
「黒い霧は相変わらず……本当に勤勉なやつだぜこの野郎」
ブツブツ呟きながらコノハはドアノブに手をかける。しかしドアノブには何か、言葉に表しづらい違和感があった。
外側で誰かが押さえているのか、そうだったとしても少しくらい動いてもバチは当たらない。それなのに、
「んだよこれ! ビクともしねぇじゃねぇか!」
どれだけ力を入れても全く動かない。壊しても別にどうでもいいから体重をかけてみたが、ドアノブは平然としていた。
こめかみに怒りマークが出てきそうな気分だ。いっそのこと、この扉を壊してみようか、そう思い拳を構えたと同時に扉が勢いよく開いた。
「――ふげぇ!?」
「てめぇいい加減にしやがれ。遅すぎんだろうが! もしこれがアニメ放送時間延長とかだったら死刑もんだわ!」
「だからってこれは……」
勢いよく開いた扉に押され、コノハは逆方向にある壁に激突する。その衝撃は思っていたより痛くなかった。この体が硬いおかげだ。
「もう準備は出来たんだよな? 出来てなくても知らねぇけどな! 早く行くぞ!」
「あーわかったわかった。だけど髪は引っ張らないで、いででで」
髪を引っ張られた状態のままコノハは外へ投げ出される。
髪の毛の十本は抜けていてもいいように覚悟をしておかなければいけないな。仮に抜けていてもコノハの体じゃないから別にいいが、やはり人のものは大事に扱いたい。
それが体でも同じことだ。
「アリス、早く空間捻じ曲げろ」
「遅れた挙句それですか……あと私は赤眼の魔女です。そうお呼びください」
「拒否する」
赤眼の魔女が両手を前に出し、呪文のようなものを唱え始める。
最初のうちは何も変化無かったが、目を凝らして見てみると何か、ゆっくり何も無い空間に隙間が開いていた。
その先は真っ暗、入れば戻ってこられる保証書はどこにもない。
経験値というのは貯めてなんぼだが、これに関しては経験とか絶対いらない気がする。
「ほら、行くぞ」
そういうと傲慢はなんの躊躇もせずに入っていく。
さすが現地の人だぜ。誰がこんな得体の知れないものの中に入るもんか、例え死ななくても恐怖という感情が無いわけじゃねぇんだよ。
赤眼の魔女に聞こえるかもしれないギリギリの声でコノハは地面に話しかけている。
その瞬間、背中に衝撃が来た。
急にコノハを襲った衝撃に疑問を覚えながら、そのまま妙な空間の中へ足を運んでしまう。コノハ自身に止める手段は無い。
最後のその瞬間にコノハは後ろを見た。
視界に映ったのは足を前に出した状態の赤眼の魔女だった。
「この悪魔! 死神! 魔女〜!」
「いや私魔女です」
空間の中に体が入りきった。と思ったらコノハは後ろに転び、青色の空を視界全体に映し出していた。
「急に転んで来るんじゃねぇよ。あぶねぇだろ」
「不可抗力だ! どうしようもなかった。俺は無罪、はい! 閉廷!」
「殴り殺されてぇのか、お前は!?」
転がってきたことに怒る傲慢に何とか言い訳をするが、構えた拳は一向に降りない。
どうすることも出来なくなったコノハは強引に話を終わらせ、余計に傲慢の怒りを買うことになった。
傲慢に殴られ一時間、森の中に入り、出口を探すが視界は優れないし、頭痛いしで散々だ。
「王都……破壊…………奪還すれ……」
静寂に飲まれた森、そんな森の中で独り言を喋れば聞こえてくるのは必然、その中に目立った情報は無いと判断し、コノハは耳を向けずに歩くことに専念していた。しかしその考えはすぐに変わった。
傲慢が発する奇妙な単語、その意味は理解出来そうで出来ない。
喉まで来ているというのに脳はそれを即座に拒否し、理解することを拒む。
「エリスは……」
その言葉を発した傲慢の拳は強く握られ、霧はより濃くなった。変化が起こったのは傲慢だけではない。
前を歩き、独り言を呟く傲慢の後ろにいるコノハの見る目は獲物を狙う者のそれだった。
出来れば聞きたくなかった名前、半信半疑で行動をしていたが、やっとそれが確信へと変わった。
大罪教の狙いはハーフエルフという広い範囲では無く、エリスと言うたった一人の人間だ。
「……もうすぐ着くぜ」
『――そしてこの世界は終わる』
世界が崩れていく。
書き途中の絵に黒色のインクを投げつけたように世界という名の"絵"はゆっくり黒色に染みていく。
飲み込まれそうな闇の中、身を任せれば一瞬で死へと導かれる。
ほんの少し、ほんの少しだけ、体がそちら側へ行きたいと言っている。その気持ちはコノハも同じ。このまま目を瞑ればそれは闇、どこに行っても闇だけ、それならせめて終わりが見えていた方が気が楽だ。
「――あなたの望んだ正解はこの世界には現れない。しかしあなたが望んだ"答え"は必ずあなたが連れてくる。それが運命であり真実、わたくしが見せる"知識"、ここで起こったことをどう活かすのかはあなたが決めることよ」
「――――」
「子ウサギのままじゃ狼は倒せない。それでもあなたは膝をついたまま逃げ続けるのね。一体何回覚悟を決めたって言ったの?」
ああ、分からない。分からないくらい何回も、覚悟は決まったって言ったよ。かっこいいと思ったからじゃない。ただの願いだった。
覚悟が決まってほしい。そうやって自分に願っては、空っぽのまま異世界で走り回っていた。
結局、俺には何も出来ない。ずっと諦めてきたんだ。他力本願で生きてきたんだ。だから――
「――それでいい。何度も覚悟を決めて、何度も折れて、そして橋を作り歩んでいく。自分のでも他人のでも屍を踏み、歩んでいきなさい。例え批判されようとも、それがあなたが思う"正解"なんだから」
そうだ。前を向け、何も覚悟を決める必要は無い。ただいつも通り、ノリに体を任せていればいつか、いつでもいい。その先には必ず"あの子"が笑っていられる未来がある。
「さあ水瀬コノハ、あなたは何を見せてくれるの?」
――それは、
「知恵? 力? それとも根性?」
「――俺がこれから見せるのは"エリスを救う私生活"だ!」
その瞬間、視界が飲まれ、闇が晴れた頃には別の場所に立っていた。
そこは中心に伸びた鎖が大量にあった。錆びている古い物があれば、まだ新しい綺麗な鎖もある。そしてその先にいるのは、"鎖に身を包んだ目玉がないエルフ"だった。
「――ようこそ、本能の部屋へ」