第二章21『間違いの先には何も残らない』
冷えきった風は木葉に付いた深い傷を抉り、中へ入っていく。
その風が辿り着く場所はいつも"心臓"、それでも殺しはしない。ただ嘲笑ってから帰るだけだ。
体の自由を奪う風より、よっぽど可愛い。
「……雨……か」
孤独を歌う部屋にはベッドで座り込む男一人、その男は誰よりも苦痛を味わい、誰よりも幸せを知った。それでも何故か、何かが足りない。
そんな欲に体が押し潰されるのは早いかもしれない。今じゃ体が動かない。
どれだけ足掻いたことか、どうしても腕や足が動かない。痛いわけじゃない。ただ感覚が無いってだけだ。
「――――」
憂鬱な気分だ。
暴食を倒し、傲慢も始末した。それなのにこの胸に開く大きな穴は一体何なのだろうか、どれだけ自分に問いかけてもその答えは教えてくれなかった。
司教を一人失い、トップにいた傲慢を殺された。ここまでされたら流石に大罪教は解散になるだろう。
例え、後継者がいたとしても、これだけ簡単に司教が二人も殺せたんだ。大丈夫だ。
「……何か……違うんだよ」
満足出来ない。足りない。じゃあ何が足りない。
答えられない。この喪失感の意味は、どれだけ死んでも分からない。
「そっ……か」
一体いつからこんな事になってしまったのか、一体何が原因だったのか、考えて見れば色んなことがあった。
しかしその全ては木葉の喪失感を埋めるに値しない物ばかり、異世界に来て、エリスに会った。そして救いたいと思い、何度も命を捨てた。だから今がある。
違う。こんなのは俺じゃない。強すぎるじゃないか、我慢強いじゃないか、こんなのは俺じゃない。
だって俺はいつもすぐに諦めて、人を見下してきたじゃないか、そんな俺がなんで、――平然と"今"を認められている。
「そうだ……なんで俺はここまで強くなれたんだ? 知ってる。知ってるんだ! いつもそばにいてくれて、いつも見守ってくれた奴の事を!」
なのになんで俺は、
「――お前を覚えてないんだ……?」
どんな奴よりも好印象で、覚えやすかった。
世話好きで、お人好しだった。そんなお前と俺は仲良くしてた、そのはずなのに俺はお前の事を一切覚えてない。
「……なんなんだよ」
「――答えは君自身が知ってるはずだよ。だって私が知っている君はそんな人なのだからね」
気配を感じさせず、ゆっくり近づいてきた者の正体は、赤い布を羽織る王様と呼ばれる存在だった。
「あんたは?」
「名前が分からないのは不便かな? それなら答えるよ。私はラインヴァルト・リーゼ・カルヴァート、どんな呼び方でもいいよ」
「……いや、何でもねぇよ」
「王様に向かってその態度は、少しだけ強気だね。まあ悪いってわけじゃないけどさ」
ラインヴァルトは不機嫌そうに顎を触り、口の端を小さく上げ、ニタァと笑った。
その表情は木葉をバカにしているとも受け止めれるし、ただ嫌がらせするから楽しみだ、という表情とも言える。
「なんだよ」
「……いや何でもないよ。ただほんの少し、ふふっ、いや何でもないんだ。ごめんね」
「お前! ふっざけんじゃねぇよ! 人が真剣に悩んでいる時によ!」
「いやただ少し……君が元気ならいいんだ。私はこれ以上口出ししないよ」
そう言い、ラインヴァルトはゆっくりと扉に向かった。その間、木葉はラインヴァルトの背中を睨みつけていた。
疑っているわけじゃない。ただほんの少しだけ、――ラインヴァルトが持ってきた空気が重いだけだ。
「ああ、それと君に言いたいことがあったんだ……」
「……もったいぶらずに言えよ」
「それがね? どうやら"彼"が復活したみたいなんだ」
「は?」
"彼"と言う存在が誰なのかは木葉に理解できない。その答えを持っているのは、"彼"と今目の前にいるラインヴァルトだけだ。
そうして木葉の心を奪ったまま、ラインヴァルトはドアノブに手をかけた。
「ちょっと待て! 一体どういう意味だ!」
「誤解しないで欲しいんだけどね。私は決して敵じゃない。これはただの警告だ」
そう言い残し、ラインヴァルトは、木葉の叫び声が空回りする部屋から出ていった。
意味がわからない。
"彼"と言った存在がなんなのか、それを答えずにラインヴァルトは部屋をあとにした。
"彼が復活したみたいなんだ"、この言葉の意味、それは木葉に関係する誰かのはずなんだ。
ブラッドの事だろうか、アゼレアの事だろうか、もはや答えを知る道はない。その答えはラインヴァルトが持っていってしまったのだから。
「わっかんねぇな……とりあえず部屋から出なきゃな。ずっと寝てたらメアに殴られる」
雨音が響く部屋、心音が響くほど孤独な木葉の耳、それらすべてが別の音を拾えと歌う。
もちろん嫌ではない。ただ木葉はうるさいところは嫌いなんだ。静かに平穏な日々を歩んでいきたい、それだけだ。
それでも木葉の体は思っている事とは逆の事をする。それが木葉が生きた"意味"だと言いたいかのように、間違っていないかもしれない。
普通は無い命、そんな命に与えられた代償は実に小さい。それなら今度は死ぬ意味を作る。
それがエリスと言うハーフエルフ、全ては彼女から始まり、彼女で終わる。それは木葉の中で決定事項、それ以外は決して許されない。
木葉が堕ちた時、木葉が死ぬ時、全ては彼女に終わらせてもらう。
それが無限に続く恐怖への対抗手段、そうして心を保っている。
思えば、異世界に来たのは約一ヶ月、その間に様々な事に木葉は直面した。
世界を崩壊させようとする奴と世界を崩壊させようとした奴、そして大罪教と言う存在、それら全てがエリスと木葉を引き合わせたと言える。
幸運と言うべきか、不幸というべきか、今となってはその答えを見つける事はできない。ただひたすらエリスに捧げ、エリスの為に戦う。
それが、"騎士の在り方"だ。
「よっこいしょ」
重たくなった体を起こし、ベッドから出る。
学校に行く時と同じような重苦しい感覚、木葉の心を抉る、感情を知らない最低な感覚、逆に感情を持っていたら怖いな。
「……まずは」
アイザックにでも会っておくべきだろうか、それともエリスか、メアでもいい。カーミラはパスだな。ロイさんでもいいな。
そうしてただ普通の事を考える木葉はドアノブに手をかけた。そのドアノブから感じる異様な寒気、そして鼻を突く鉄の匂い、間違いない。これは血だ。
その事に気づいた木葉は勢いよくドアを開く。そして視界を覆うのは赤色の壁に赤色のカーペット、こんな色をしていただろうか、そんなはずがない。これは全て血だ。
誰のものか分からない。ただ人の温かさを残している死体が十、二十、大量に転がされている。
「なんだよこれ?」
こんな状況に置かれた木葉は誰でもない自分に問いかける。
そんな答えられるはずがない。だって木葉は部屋に篭っていた。部屋の外に出るまで、状況を理解する術は無かった。
木葉の横を酷く冷たく、少しだけ温かさを残している風が通り過ぎる。ただ木葉にはその事を気にする余裕も、暇もなかった。
暴食を殺し、ブラッドの命で傲慢を倒した。それなのにまたやり直しなのは実に苦だ。
「一体どうすれば……?」
「答えてやるよ。お前は死ねばいい」
「――ぐッ!?」
背中から感じる妙な気配、そしておまけの一点に集中する熱、その熱は徐々に広がっていく。
まずは心臓から、そしてそれが広がり全身へ、体の自由が奪われていく。
「ぐッ……は?」
木葉は振り向く。そこには存在するはずがない。確かに殺したはずの――暴食が立っていた。
暴食が握る小型のナイフ、そのナイフの先端には赤黒い木葉の物と思われる"血"が付いている。
「――――」
「なんで生きてるんだって? 一応説明してやるよ。俺はな」
そう言い、暴食は話し始める。
最初こそは雑音に聞こえたが、木葉の耳は慣れていき、話している言葉の意味を知る事になった。
それは木葉が行ってきた物を全て否定するかのような、存在してはいけない"能力"、
「――俺の能力は"時間を固定する"」
敗北の花が綺麗に咲き、視界全てを覆い尽くす。否、それは木葉の目から流れる鮮血だった。
「あ!? がァァァ!?」
「……つまり、だ。俺はお前に殺される前に別空間を作った。例え、ここで殺されても別空間にいる俺の肉体や魂を持ってこれば、俺は何度でも生き返るんだ」
戦える力を持ち、死なない体を持っている。勝てない、勝てないよ。あまりにも強すぎる。
これじゃあ、傲慢が生きている可能性が高くなる。暴食ですら殺せないのに、傲慢を殺せるはずがない、という固定概念。
もし生きていたらブラッドになんと言えばいいのか、どんな顔して会えばいいのか、全てが分からない。
「人間は呆気ない。このナイフで切り刻んでしまえば、一生生き返りはしないんだ。本当に哀れだな」
暴食がナイフを掲げ、一気に振り下ろす。
そんな事をしなくても木葉は出血多量で死に至る。暴食はそれすらも許してはくれなかった。
自分の手で確実に殺し、息絶えた事を確認しなければこの場から去ってくれないようだ。
どこまで俺の事が憎いんだ。
もういいじゃないか、どっちみち死ぬ命、もう少しの間だけでもこの世界に浸らせてくれないだろうか。
暴食が出した答えは――
「――拒否する」
暴食が映る黒色の瞳は真っ赤に染まり、いつしか暴食だけでなく、憤怒のテオを映すようにもなっていた。
「……もう少しで危なかったのう」
「もう少し、でな」
二人の会話は微かに聞こえるがどの道、聞こえなくなる。
その会話内に使えそうな情報は全くない。これでは死んだ意味が無くなる。
どうにか情報を手に入れようと暴食のいる場所まで手を伸ばした。
「それは恐怖だな。俺にはわかる。死なない体は死よりも恐ろしい。だから俺は誰よりも恐怖を知れた」
暴食は悲しげな声でそう続ける。
「不死ってのは万能じゃない。自分が弱けりゃ欠点ばかりだ。だから俺は強くなる。傲慢よりもな」
腕がゆっくり地面に落ちる。感覚がなくなっている。指一本動かす事も叶わない。
死に抗い、力にも抗ってきた。そんな木葉にどうしようもない敵は"時間"、あれはどうしようもない。こうしている間にも時間は着実に進んでいく。
この世界で生き残る自信はない。ただ戦う勇気はある。だけど出来れば、時間とは戦いたくない。どうしようもない、勝てるはずがない。
世界が"虚飾"に満ちる。
もし木葉が死んだ後にも世界の時間が進んでいるのなら、間違いなく大罪教の侵略が始まっているだろう。
創設者を失おうが、指揮者を失おうが、組織の意を果たさない化け物達、最初からボスと呼ばれる存在は要らなかった。
この世界では戦う力を失くした者から死んでいく。戦えない奴は生きる意味も価値もない。それは木葉の中で変わる事の無い常識になっていた。
「――もう……めんどくさいな」
諦めようか、このままこの"時間"を認め、最後まで幸せに生きて行こうか。
諦めない事は正しいのか、必死に生きるのは正しいのか、その答えを他者に求めても結局は相手は無知、それが正しいとしか言ってくれない。
知らないくせに言ってくれるじゃないか、やっぱり経験は大切だった。
「……じゃあ人を助ける事は?」
人が人を助けて何がおかしい。救ってくれた人を助けるのは間違っていない。
――君は恩を仇で返すのか?
違うな。恩は倍にして恩で返す、それが水瀬木葉のやり方だ。
『――ここは断罪の世界、ここでの経験が役立つ事を望んでいるよ。ようこそ、ミナセコノハ』