第二章14『死んでも死にきれない魔女』
「着いたぞ、馬鹿野郎」
「着いたな、枯葉野郎」
馬車から見えるのは巨大な扉、そうそれが王城に入れる唯一の扉である。
この扉を見たのはもう何回目なのだろうか、普通に暮らしていればこんな扉を見るのは良くても、一、二回程度だろう
「にしてもよォ? でっけぇんだな」
「あんまりうろちょろすんなよ? 迷子になられたら怪しまれるからな」
「俺、お前より歳上な気がするんだがなァ?」
扉を開けてもらい、建物へ侵入する。
幸い、顔が知れているからなのか、なんの疑いもかけられずすんなり入れた。今ここで止められても困るだけだから都合がいい。
何個もある扉のうち一つ、木葉が向かう場所はキッチン。
その理由は、とりあえず暴食から離れる必要があるからだ。もちろん腹が減っているのも理由の一つ。
その為には何か都合の悪くならないような嘘をつかなければならない。
相手は暴食、丁度いいとか言って付いて来る可能性がある。
「ハーフエルフの様子を見てきてもいいか? 多分今の時間は台所にいると思うんだ」
「あァ〜? 勝手にしやがれよォ? 俺は少しここを見て回りてェ〜」
拍子抜けした。
大罪教の司教である暴食をここまで簡単に騙せるとは思いもよらない出来事だ。もしかしたら木葉が何かする必要もなく、勝手に大罪教は滅ぶんじゃないか、という不安が積もる。
上の空の暴食を置いていき、木葉はエリスの場所とは真逆の場所に歩を進める。
「着いたはいいが、食えるもんあるのか?」
キッチンの床は反射するほど綺麗に磨かれ、目が痛くなるほど真っ白な壁、家事を全くせず、汚い家に住んでいた木葉とは全くの真逆と言える。
「やっぱ、金持ちはちげぇな。ちょっと気持ち悪いぞ」
食料庫と思われる巨大な扉を開き、木葉は食べられる物を探す。
しかしここまでデカいとなると、探すのにとてつもない時間が掛かってしまう、そんな単純な事にやっとの事で気づけた木葉はゆっくり扉を閉める。
「やっぱり、サブミッションは後でクリアすべきだな。先にメインやっちゃうか」
木葉は置いてあった小型のナイフを持った。
「まあ自己防衛くらいならこれくらいが良いかな……」
そのナイフを隠し持ち、木葉はキッチンをあとにする。
キッチンから暴食の居た場所までそう遠くない。
だが足の進みが遅く、暴食の場所まで行くのに想定していた以上に時間がかかってしまった。
今この状況なのならば、ごく普通の事である。
大罪教がエリスに接触できないように裏で操っていたはずだったがいつの間にか、こんなに近くまで来てしまった。
想定外の傲慢との接触、別世界から来たという異世界人だ。ここまで来ると木葉の処理速度が追いつかなくなる。
「遅かったじゃねぇかァ? 流石に俺の方も見飽きたぞ。それでガキの様子はどうなんだ?」
「……居なかった、だから今度は部屋に行こうと思ってる」
「ん? そうかァ、じゃあ俺も付いていくぞ、暇だからな」
体が重い、出来ることならここで引き返したい。
自分の選択で"人を殺す"事になる。
こんな小さいナイフ一つで人は簡単に殺せてしまう。仮に相手が極悪人だとしても、人を殺してしまったという罪はどんな人間であろうと平等に送られる。本当に残酷な物だ。
「ここかァ? 見た感じガキは居ねぇみたいだなァ?」
初めて王城に来た時、メアとエリスが一緒にお茶をしていた部屋、今でも良く覚えている。
その日をきっかけに木葉はエリスの騎士になれ、この事件が始まったのだから。
窓から見える外の景色は橙黄色に彩られ、もう遅い時間だと言いたげだ。
近くにあった時計は十三時四十分と針が示している。
「んで、どうするんだァ?」
「知るかよ」
「……あんたに聞きてぇ事がある」
「なんだよ?」
「……お前にとってあのハーフエルフはいったい何なんだ? 俺が見る限り、知らない者同士って訳じゃ無さそうだな」
全てを勘づかれた。
ただの馬鹿だろうと思っていた奴に、傲慢よりも、テオよりも、早く一番痛いところに気づかれた。
もし暴食がこの事を傲慢などに教えれば、大罪教を裏から操るなんて事は不可能になる。
気づかれる可能性は本当に少ししか無かったはずだ、いったいどこでそう思ったのか、全く検討もつかない。
だが一つだけ分かった事がある。
――こいつは殺さないとだめだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「……腹立たしいわ、なんでハーフの娘がわたくしの部屋に来たのかしら?」
「ちょっとだけ手伝って欲しい事が――」
「――早く出ていってくださいまし」
何かと優しいカーミラなら、と思って頼みに来たものの、要件を話せばすぐに遮られ、要件を話せば、という繰り返し。
メアならなんとか出来ると思って、期待の眼差しで振り返るが、その瞳を向けられたメアは完全に馬鹿じゃないのか、と言いたげな表情をしていた。
「どうにか話だけでも……」
「ハーフの娘と仲良くしているとわたくしの質が下がりますわ。早く去ってくださいまし」
「エリス様、このような者からの協力を得なくても騎士王などがいらっしゃいますよ?」
そう反論されるが、エリスも引き下がるわけにはいかない。
嫌な顔をされるのは頼む前から分かっている事だ。それでもエリスには、ハイわかりましたで下がるわけにはいかない理由がある。
「なんでそこまでわたくしに固執するんですの! 他にも沢山いるでしょう!」
「……私はずっとカーミラさんと仲良くしたいと思ってました」
「それがどうしたと言うんですの!」
「いつも綺麗な服を来て、色んな人に好かれてるカーミラさんを見るとすごくいい人なんだって思いました」
カーミラの言葉を無視したエリスの告白は終わらない。
エリスの真剣な表情にカーミラも何も言えなくなってしまう。それはメアも同じでなんにも言わない。
「木葉の事で色々と助けてもらいました。その時にカーミラさん言ってましたよね?」
「何のことかしら……」
「自分が魔人だって言ってくれましたよね、ノアニールで魔人は排除対象に入っています。それなのにカーミラさんは言ってくれました、だから私も誤魔化しません、もう逃げません、自分に正直になります」
例えそれが誰にも望まれない選択だとしても、自分の命を短くする結末しか無いような選択だったとしても、今を生き、後悔しない選択をしたい、そう思えたのは全部、カーミラさんが居たから。
もはや逃げ道は無い。
それなら落ちる所まで落ちてやろう。最後まで戦えるのなら。
「――私は魔人です」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「さて、僕もここまで来たけどどうなってるんだろうか……」
小さい体でよくここまでこれたな、と自分でも思う。
一方的な剣聖との戦いのせいで魔力は大幅に減らしてしまったが、下級魔法なら問題なく打てる。流石にまた剣聖となると無理ではあるが。
「アルテミシア様だ! 扉を開けろ!」
「仕事熱心だねぇー、招かれざる客だけど入っていいものか……」
開かれた扉にゆっくり入っていく。
生きていた時の姿で現れれば間違いなく戦争が起こっていたところだが、義体のおかげでそんな事は起こらなかった。
「アルテミシア様! 御足労ありがとうございます! 今回はどういったご要件で?」
「出来ることならほっといて欲しいね」
「はい! 申し訳ございません! 皆の者下がれ!」
嫌でも自分の権力の凄さに驚かされる。やはり次期王候補になれば、ここまで優遇されるのか、そんな事を思いながら足は前へ前へと進んでいく。
ああやって礼儀正しくしているが相手がレイと知れば、すぐに態度を変えるのだろう、それだから権力と無知は恐ろしい。そう思っていたのは生きていた時も同じ。
国の為に尽くしている間は誰もが尊敬していたが、少し国を燃やせば態度はガラリと変わる。
英雄はどんどん変わっていく。
僕の次は三大、その次はいったい誰になるのやら。
「まあそんなくだらない事、気にする意味も無いか……」
今は自分がすべき事を実行するだけでいい。それは国を敵に回した自分にとって本当に些細なことだ。
誰にもバレずにちょいと問題を起こせばいい。適当にどっかを燃やせばそれで終わり。
「木葉の為とは言え、少しだけ甘やかしすぎたかな……」
「今度は魔女様のご来店ですか。本当に骨が折れますね」
「……とことん君達は排除しないといけない人種の様だ」
目の前に現れたのは、黒いコートに身を包んだ紅い目の魔女、世界で魔女と呼ばれる存在は三人しかいない。その一人である"赤眼の魔女"が目の前にいる。
剣聖戦で消費した魔力は多い、この状態で赤眼の魔女と戦えば、間違いなく負けてしまう。
「倒されてみますか? 死んでみますか? それとも殺されてみますか?」
「それは男に言う事だと思うんだけど、ね!」
王城内で炎が発生した。それと同時に爆発音が廊下で響き渡る。魔法同士の衝突で起こる現象だ。
被害は王城の入口を吹き飛ばし、大量の死人と重傷者を出す物。
元からどっかを燃やすつもりではいたが、ここまで被害がでかくなると作戦に支障をきたしてしまう。
「君も一応魔法使いなんだっけ?」
「あまり調子に乗っていると足元をすくわれますよ!」
「その言葉、そのままお返しするよ!」
紅い色の瞳とは裏腹に赤眼の魔女が放つ魔法は氷系統、炎を扱うレイとの相性は悪いと思われるが、そんな事も無い。
少しも遅れを取らず、互角の戦いを続けている。
「練度の高い魔法だね!」
「もうあなたの時代は終わりました。死者は大人しく死んでいてください!」
「亡霊になって取り付いちゃうけどいいかな!?」
両者とも攻撃を全く通さない。
氷は一瞬で溶け、炎は一瞬で凍ってしまう。これだけの魔法を並の人間に向ければ、気づくまもなく死に至るだろう。
絶対零度と地獄の業火の中では、生きている人間はまともに戦う事もおろか、息をする事すらも忘れさせてしまう。
「地獄の業火で焼かれて死ね"ブレイジング・ウェルダネス"」
「……"コキュートス・ヴォロンテ"」
同時に放たれた魔法の差は一目で理解出来た。
レイが放った魔法をいとも簡単に粉砕していく魔法の威力は、残り魔力の少ないレイにはどうしようも出来ない威力を持っている。
幸い、レイに魔法が直撃する事は無かったが、レイの運が尽きたのと同時に魔力が底を尽きた。
剣聖との遭遇が無ければ、レイが勝っていたはずだ。
「どうやら神は私に味方したようですね。敗北の味はどうですか?」
「これだけイラついたのは生まれて初めてだよ」
「経験というのは大事な物ですよ」
そう言うと赤眼の魔女は右手を天に掲げ、理解できない言葉を口にする。
「……自作の禁術と言うわけか」
「これでも魔女ですからね、これくらいは出来て普通です」
その右手に膨大な魔力が満ちる。
レイの全魔力と比べれば赤子レベルだが、その一撃は間違いなく、今のレイを殺せるレベルに達している。
少しでも扱いを間違えれば、国一つを滅ぼせるかもしれないその一撃を生者に向ければ、考えるまでもない。
「最後に質問が二つほどあります。いいですか?」
「……拒否権は無しって言いたいんだろ」
「もちろんです……まず一つ目、剣聖の実力はどんな物か教えてもらえないですか?」
右手の魔力が下がる気配は一向にない。
情報を手に入れたいのなら、もう少し手厚い歓迎があってもいいと言いたかったが、そんな事を言える立場ではないのはどんな見方をしても分かる。
「僕に劣っている君が戦ったとしても負けるだけ、とでも言っておくよ」
「……それでは二つ目、ミナセコノハの能力を教えてください」
「……そんな事をこの僕が話すと思うかい?」
「では、拷問はいかがですか?」
右手に集まっていた魔力が更に強まる。しかしそれは先程のとは違い、綺麗に体を真っ二つにできるよう、調整されている。
だからと言って、レイも答えるわけにはいかない。
だいぶ昔から決めていた事、"秘密"は絶対に関係ない奴らに喋らない、内臓を抉られようと、真っ二つにされようとも。
そんな意志の硬いレイから聞き出すのは無理だと考え、赤眼の魔女は一度右手をゆっくり下げる。
「はぁ、レイともあろう魔女がこのざまとは、流石に呆れましたよ」
「……そうやって人を見下すから君はいつも聞き逃すんだよ」
「どういう事ですか?」
「そのままの意味だよ――」
レイの左手には小さい炎が燃え続けている。
小さいとしても相手はレイ、この状況を覆すような策を隠し持っていると考えるべきだろう。
赤眼の魔女は一瞬で右手に魔力を溜め、それを解き放った。
解き放たれた魔力は刃のように鋭くなり、レイの左腕を切り落とす。そして赤眼の魔女は次の攻撃に備える。
「さぁ、まだ策があるというのならやってみて下さい。全部捻り潰してあげますよ」
「……だから言ったろ? 君は人を見下すから聞き逃すんだって」
「だから! それはどういう意味なのですか!」
「……僕は言ったはずだ、亡霊になって君に取り付くってね。あーそうか、僕は炎の亡霊になるとは言ってなかったっけ?」
その瞬間にレイの体から炎が発生する。その炎は一瞬でレイの体を包み込み、まるで鎧の様になる。
間違いない、これはどっからどう見ても"完全体"の魔人じゃないか。
「君は言ってたよね、魔女は禁術を自作するのが普通だと、じゃあ僕は普通の遥か上を行こうじゃないか」
「どうして……ただの死人如きに何故、ここまでの力が……!」
「君達凡人とは違ってね、僕はある魔女との契約のせいでこの力を身につけちゃったんだよ、だから僕は僕以外で魔女を名乗る奴が嫌いなんだよ」
気づけば、レイの体に纏う炎は地面に燃え広がり、周囲一帯を焦がしながら、赤眼の魔女の逃げ場を奪っていた。
もはや、赤眼の魔女の力は通用しない。いくらレイに撃ち込んでも届くより先に溶けてしまう。
「……僕の言いたい事分かるよね?」
「ふ……さがけるな! 傲慢に選ばれたこの私が、貴様ふぜ……いに! 遅れを取るはずないだろ!」
「魔女を名乗る醜き人間よ、せめて安らかに眠り――」
赤眼の魔女の体はレイが手を伸ばせば届く距離にまで来ている。決して赤眼の魔女が動いたわけでも動かなかったわけでもない。
レイが使った魔法は二種ある。
一つは相手の魔力を完全に停止させる魔法、もう一つは四肢を奪う魔法、この魔法がかかるより前に逃げれば良かった、いやそれよりも先にレイを殺しておけばこうはならなかった。
そんな事を考えているのだろうと思いながらレイは最後の一言を赤眼に告げる。
『死ね』
レイが放った炎は一瞬でレイを含める全てを飲み込んだ。
剣聖に使った魔法よりも高火力なのだ、赤眼の魔女が助かる見込みはゼロと考えてもいい。
「危ねぇじゃねぇか、今戦力が減るとこっちが困るんだよ」
「この炎の中どうやって……」
赤眼の魔女を背負った男はこの世で最も危険とされたただ一人の人間、大罪教の司教にして、最強の魔人、フェンリル・コズニスだ。
傲慢は一度赤眼を下ろし、左手を開いて見せた。
「炎の魔封石だ。大体わかるだろ?」
「……ここまでやっても君を出し抜くまでには満たないか」
傲慢が見せた"魔封石"は赤色に光っている。
魔封石は強大な魔力のぶつかり合いが起こらなければ、現れない珍しい代物、しかしそこまで万能ではない。
魔封石は封印できる魔法が属性で変わっていく。
無属性の魔法があるから魔封石の対策は以外に簡単に出来る。
もちろんレイにも無属性の魔法が使える。
フェンリルが最強と知られていたとしても、何属性の魔法を使うかなんて分かるはずもないし、事前に魔封石を作っておくなんて事は不可能だ。
「僕の使える魔法の数は知っているはずだ。なんで火を使うと想定できた?」
「想定なんかしてねぇよ、たまたま落ちてた魔封石を拾っただけだぜ? 剣聖様とご健闘だったみてぇだな」
「まさか……運に任せたってそういうのか!」
「そうだが? 俺がわざわざ頭を使う必要もねぇよ」
そう言い終わると体を黒色の霧とも魔力とも言い難いものが包み込んだ。
『ここは一時休戦といこうじゃねぇか、今度戦う時は邪魔しねぇからよ』
「……とことんなめられたもんだね」
『まあ次会う時まで生きていれば良いな』
黒い霧もフェンリルも赤眼も姿を完全に消した。
魔封石は魔法を二度封印する事は出来ない、だからやろうと思えば、フェンリルにも赤眼にも魔法を撃てた。だが体がそれを許さなかった。
最強の魔女であろう自分の体が恐怖で怯え、攻撃を許さなかったのだ。
あの霧はレイですら扱いきれない"ノアの禁術"なのだ。
それを意味するのは、レイ単体でフェンリルを倒す事は不可能だという事、もし禁術の存在に気づけていなければ、レイはこの場に立っていなかっただろう。
「……屈辱だ。この辱め、必ず返してやる」
レイは一人、崩壊した王城の入口に立っている。この場を目撃された可能性は無いとは言いきれないが、目撃者が居たとしても、多分焼き殺しているだろう。
あまり長居をして、誰かがレイの事を目撃したらそれもまた面倒だ。
「仕方ない。今はとりあえず、ここから去ることにするか」
レイはそう言い残すとその場を離れようとする。しかしたった一人の男の声で引き止められる。
「お久しぶりですな、レイ、いや今はアルテミシアと言った方がいいのかね?」
声の正体、それはノアニール王国国王陛下、名を"ラインヴァルト・カルヴァート"、国王陛下にして元剣聖の男。
「――君の計画は順調かな?」