第二章12『自分の在り方』
「……生きるのってこんなに大変だったけ?」
年齢は十四くらいか、それだけ若い少女が一人の部屋で自分の手のひらを見てそう言った。
他者からして見れば、その言葉は正常の人間は言わない。
「この前は何回死んだっけ?」
その独り言はまるで木葉の様な酷い状況に置かれている人間の言葉、しかし少女にとって死ぬという事は実に普通の事で、人生というゲームをやるには必要不可欠なスタミナと言う存在になっている。
少女の考えは大切な人を除く、全ての命はどれも平等でその重さは空気よりも軽い、実に無意味な物だという。
「えっと……確か五回だっけ…………じゃあ殺した数は大体二百五十人くらいかな?」
少女の手には女性の頭、胴体は魔法の影響で消え去ったのか見回しても見つけられない。
ただ死体はそれだけじゃない。
少女を中心に何百と言う数の死体が転がっている。
どこからどう見ても地獄絵図の中心に立つ少女は女を投げて遊んでいる。
「さってと……そろそろ出てこないかな? 見られてて嬉しいものじゃ無いんだよね。"剣聖"さん」
いつからか白い服を来た白髪の男が少女の後ろに立っていた。
その距離は腰に携えている剣を振るえば、少女の体を真っ二つにできるくらい。
「その剣を僕に向けるかい? 君とは言えど僕と戦えば無傷では済まない。傲慢と戦う為に力の温存はしといた方がいいんじゃない?」
「……レイ。お前がどこまで知ってるかは知らないが少なくともお前は傲慢を殺してほしいとは思ってないだろ」
「……だからなんだ? 身の程知らずもここまで来ると清々しいね」
レイはゆっくり"剣聖"と呼ばれる男の方を振り向く。
その紅い瞳で映したのは最強とも言える傲慢とも並べる程強い"剣聖"と呼ばれる男。
その現実を目の前にしてもレイが恐れる事は無い。今この体なら剣聖だろうと傲慢だろうと殺されても別に構わない。その為の体なのだから。
剣聖の言葉がレイの怒りに突き刺さったのかレイは凄い剣幕で剣聖を睨みつける。
最強の男、剣聖はそんなレイに怯える姿は全く見せない。若しかしたら本当に怖くともなんともないのかもしない。
「僕の名も廃れてきたね……はぁこれだから嫌なんだよ。物怖じしないガキは」
レイは右腕を剣聖の体に付け、詠唱なしに爆炎を起こす。
その攻撃に気づき、剣聖も飛び退くが炎の範囲は剣聖を簡単には逃がしてくれなかった。
植物や建物を一瞬で灰に変え、地面を抉る爆風は剣聖の右腕に火傷を負わせた。
その業火の中、レイは一人、少したりとも火傷を負わず立っていた。
「……火傷…………だけか」
「この一撃をもろに受けて火傷だけなのは評価に値するね。だけど次だ。次の連撃には耐えられるかな?」
無慈悲にレイから放たれる業火は、数百体程あった死体を全て燃やし尽くして剣聖に向かっていく。
レイから放たれた炎は数十程度ではなく、数百、それ以上はあるかもしれない。そしてそのどれもがさっきの倍くらいの火力を持っている。剣聖であろうと全て当たれば死からは逃れられない。
剣聖は飛んでくる全ての炎を斬り、爆砕していく。その際に周りが爆発するがどうでもいい。
そんな事を続けている剣聖の体には最初に付けた傷以外何も付いていない。
「この程度か?」
「尻の青いガキが、この程度だと思うな。これはちょっとした余興に過ぎない」
剣聖は次の攻撃の為に剣を構える。
「散れ、"インビシブル・インフェルノ"」
レイが最後に放った一撃は剣聖を含み、空気や光、全てを飲み込んでいく。
逃げるどころの話ではない。
レイが放った広範囲魔法、もはや人間が扱える魔法の域を越えている。剣聖も油断していたせいか、なす術なく炎に飲み込まれてしまった。
地面はない。全て炎が飲み込み、溶かしきってしまった。
「言ったろ? その程度じゃ最強は名乗れないってね?」
真っ赤に染まった地上でレイと呼ばれる少女は呟く。
その言葉は炎を使う割には酷く冷たい。少しでも触れれば一瞬で全てを凍らせてしまうような。
「真の"業火の魔人"はこの僕だ」
けたたましい笑い声をあげ、少女は一人、その場を後にした。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「……暇だ。運転変わってやらァ」
「事故らせそうだから却下」
「ケチな奴だな。お前、あんまりもてねェだろ?」
「余計なお世話だ!」
ノアニールに辿り着くまでずっと暴食のつまらない話を聞かされていた。例えば『桜咲く氷の先』、『終焉の業火』、『鈴の鳴った扉の先』など、他にも色々聞いていたが半分は頭の中に入ってこなかった。
内容は複雑な終わりばかりで胸の奥にモヤモヤが残ってしまっている。続きが気になって朝も起きれなくなってしまう。
「悪ィけどあそこに向かってくれねェか?」
「なんだあれ? 教会か?」
暴食が指を指したその先には少し大きめの教会があった。
まず教会と言うものをこの目で見た事がないから実物は分からないが、その教会は異様な雰囲気を発している。
木葉は仕方なく教会に向かった。
近づくにつれてその異様な雰囲気の原因が分からなくなる。しかもどんどん濃くなっているようだった。
「んで、着いたが何がしたいんだ?」
「ちょっとした情報収集だ。アザレアって奴の五感をちょっと借りるだけだからすぐに終わる」
暴食はポケットから魔石を取り出す。
それはテオから貰った物とは違い黒い霧の様なものは無い。そして黒い霧があるはずの場所に映し出されたのは、
「――エリス!」
木葉は暴食には聞こえないくらいの小声でエリスの名を叫んだ。
それもそう、その魔石にはエリス、メアの姿が映っている。
「こいつがエリスって奴か……見た事あるような顔だな…………あ?」
暴食は困惑を隠せず、口を開けたまま固まってしまう。そして含み笑いをする。
「そうかよ……こいつ生きてやがったのか。てっきり赤眼の奴が殺したのかとと思ってたぜ」
暴食はゆっくりフードを外し、火傷で半分焼けている顔を見せ、一言。
「――仮は返さなきゃな」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「あらぁ? 二人も揃ってどうしたのかしら?」
「単刀直入に聞きます。アゼレア様は大罪教の関係者なのですか?」
驚くのは一人だけ、それも仕方ない。メアとエリス、カーミラまでアゼレアが大罪教関係者と話していてのだ。
「そんなのを聞いて何かあるのかしらぁ?」
「……司教の者共がエリス様の命を狙っていると小耳に挟みました」
アゼレアは全く表情を変えない。今この状況で焦りを見せたら本当だとバレてしまう可能性を考えているからかもしれない。だがメアの疑心は先程より強くなった。
結局どっちに転んでも疑心は強くなっていたが発言次第では減っていたかもしれない。
返答が返ってこないあたり、半分本当で半分嘘、と考えるのが一番なのだろう。
「失礼ですがアゼレア様、今あなたに大罪教の疑いがかかりました。罪状はおわかりの通り、第一級反逆罪」
「その根拠は何かしら?」
メアに冷静を保っていられる余裕は全く無い。
拳を強く握り、体を小刻みに震わせているメアを見たのは生まれて初めてだ。
「この間、これが私の所に送られてきました」
「……それは」
メアが取り出したのはアゼレアの字で大罪教に一切攻撃はしない、そして命令があれば騎士団を使い、全力で期待に応える、と書いてある紙。
その紙一枚でアゼレアは眉間に皺を寄せ、メアを睨みつける。
「これをどこで拾ったのかしらねぇ?」
「言葉通り、送られてきたんですよ。それで言い訳はございますか?」
「無いわ……それは正真正銘、私が大罪教と交わした契約書よ――でもそれを知られたらもう殺すしか無いわねぇ!」
その瞬間にアゼレアが飛び上がり、メアに突進してくる。
急の出来事で反応が遅れたメアはそのままアゼレアに体の自由を奪われてしまう。
「――グゥ!」
「まだまだこれからよぉ!」
無慈悲な一撃がメアの腹に直撃。
メアの体は壁を突き破り、吹き飛ばされる。
メアは何とか受け身を取り、致命傷は避けた。そしてアゼレアの標的はメアからエリスに変えられ、メアは大事から逃れた。
「さて……次はあなたよ。覚悟は出来てる?」
「……なんでメアが酷い事されてる中でじっとしているのか分からないんですか?」
「あら? それってどういう――」
エリスから放たれた小規模の炎はアゼレアに当たった瞬間に広がる。
その火力は国一番の魔法使いと呼ばれていたレイよりも劣るものの、人間を殺すには十分すぎる火力がある。しかしアゼレアはその炎を物ともせず、立ち続けている。
「この……程度の魔法…………戦場でなら何度も浴びたわ!」
アゼレアは体が燃えていても、エリスが"魔法使い"だった事も何もかもを無視して体全身を使ってエリスの方へ物凄いスピードで向かっていく。
「……私をあまり馬鹿にしないで」
エリスはその突進を軽々しく受け流し、アゼレアの背中に一発お見舞する。そんなエリスの一発はアゼレアにとっては蚊が止まった程度だったが、アゼレアは動きを止めてしまう。
そんなアゼレアの表情には焦りが見える。それはエリスに対する恐怖ではない。
「なんで……あんたみたいなただのガキが私の一撃を受け流せるのよ! 武術の心得があるメアですら避けられなかったのになんであんたが!」
「……私は一回魔法を打つと数時間は使えなくなります。もしメアが居なくて、魔法が使えないそんな時、自分の身を守るにはどうすればいいんでしょう?」
「……ガキが、殺して魔獣の餌にでもしてやるわ!」
それからの戦いはアゼレアが突進し、それをエリスは踊るかのように受け流す。
そうしている間にメアの体力が回復していく。アゼレアを倒せるまで体力を貯めるのであれば数分はかかる。その間、アゼレアの標的はエリスでないといけない。
そんな歯痒い状況に苛立ちを覚えつつあるメアはアゼレアとエリスの戦闘を二人目の観戦者としているしかない――今、この光景を苛立ちながら見ている暴食に加わって
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『……司教の者共がエリス様の命を狙っていると小耳に挟みました』
「クソ! なんで俺達の目的がバレてやがる!」
壁を強く叩き、獣のような怒鳴り声を上げる暴食の姿を木葉はただ呆然と見ているしかなかった。
アゼレアからエリス達の行動を確認できるのであれば、エリス達に警告する事も逃がす事も出来ない。
木葉は暴食に見張られていて、エリス達の行動は全て筒抜け、こんな状況で一体どうやってエリス達の安全を確保できるのだろうか。しかも、だ。どうやらエリス達は大罪教の目的を知っている様だった。
もし目的が分かったという事を知られたら間違いなく大罪教は全勢力でノアニールに突撃に来るだろう。それは何としてでも避けなくてはいけない。しかしそんな儚い願いを神は聞き入れてくれず、木葉に最悪な道を歩ませる。
「殺すか……」
その一言で木葉の冷静は一気に掻き消された。
エリスを殺す、その言葉の意味は簡単に理解できる。
木葉の計画は全て泡に変わった。
予想もしていなかったテオと暴食の入れ替わり、傲慢との接触、エリス達がいち早く大罪教の目的を知ってしまう、今から何個も警告を考える暇は木葉には無い。
「……くくくく」
「あ? どうしたんだァ?」
「くくくくく、ははははははははっ! お前は馬鹿だな!」
「あ? 急に何言ってやがる」
その高笑いは狭くも広くもない教会の中で木霊する。
その状態の木葉に暴食は警戒する。何を仕掛けてくるのか分からないからだろう。しかし木葉はそんな素振りは全く見せず、ただ話し始めた。
「それだけの力かあってもお前は馬鹿なんだな!」
「テメェあんま、ふざけてると――」
「もう一度言うぞ? お前馬鹿だろ」
暴食は木葉を睨みつけ、全身に警戒を促している。それは木葉も同じ、もし暴食が耳を貸さなくなった時、それが今回の死の原因になる。今ここで死ぬのは何としてでも避けたい。
今この状況を上手く利用すれば、考えていた計画よりも早く司教を一人、消し去る事ができる。
その緊張感の中、木葉は口に溜まった唾を一気に飲み込み、言葉を続ける。
「いいか? 今ここでエリスが死んだら間違いなく大罪教の仕業になるんだぜ? そうすれば戦争は間逃れない。なんせ相手は次期王候補なんだからな」
「全滅させればいいだろうが」
「向こうにはお前らの協力者がいるはずだ。もしそいつが捕まれば拷問にかけられるかもしれないんだぜ?」
木葉は強気のまま、暴食と対話している。相手は死そのもの、殺されるかもしれないと言う恐怖が木葉の全身を震わせる。
怖くないはずが無い。相手は国が戦っても勝てないような化け物。そして木葉は剣も魔法も無い、ただの凡人。
戦えば間違いなく負ける。仮に血の蛇があったとしてもこいつらには関係がない。
心臓の鼓動が尋常じゃなく速くなっている。小鳥のさえずりが、人間の足音が、風の音が、何もかもが騒がしい。
その騒がしさは死と言う恐怖を打ち消してはくれない。その逆の事をする。
まだこの世界でこの音を聞いていたいと、そう思ってしまう。
心と体は真逆の事をしてくれる。
死と言う現実から逃げたい心と何としてでも世界を救いたいと言う体はどっちも木葉の支配権を奪い合う。そんな無意味な争いが木葉の中で繰り広げられている。だが――
「あんなのは泳がせとけ、いつでも殺せるだろ?」
「だがなァ? もしあいつがそれ以上を知っていて、ベラベラ話されるのは困るんだ」
「だからほっとけって言ってんだろ。もしそいつらに情報を与えた奴が本当にいるのならそいつは野放しに出来ない、そうだろ?」
「――――」
その言葉に暴食は何も返してこない。筋は一応通っているようだった。
しばらくの間、沈黙が教会に満ちる。暴食は木葉の言葉を待ち、木葉は言葉を真剣に選んでいる。そんな静かな空間の中でコンクリートが砕ける音が聞こえる。
それの音の発生源は暴食が手に持っている魔石からだった。
「エリス……いったいそっちで何が起こってるってんだよ……」
木葉は暴食にバレない程度の小声でそう言った。
先程の音でエリス達が危険な状況だと言うことは簡単に理解できる。木葉も出来る事なら参戦してやりたいところだが、コンクリートを砕く音から分かる。相手は間違い無く、木葉より強い。仮にその場にいても木葉は力になれないだろう。
木葉は拳を強く握り、自分の無力を呪った。
「もし仮にだ。あいつらに情報を与えている奴がいるんならそいつの正体も突き止めなきゃいけないだろ? だから泳がせんだよ」
「――――」
暴食は相変わらず黙っている。
木葉の言葉に納得したのか、それともただイラついているのかもしれない。ただやっとの事で返ってきた返答は木葉が望んでないものだった。
「あいつらは殺す。俺のやり方に文句があるなら俺を納得させて見やがれ」
その言葉を最後に木葉は暴食に関する仲間と言う情報を消し去った。
ただ一点に集中する為に仲間意識は無意味で邪魔な物なのだから。
木葉が今集中すべき事はただ一つ。
『殺されるのはお前の方だ』
木葉から発せられたその言葉の一文字一文字が人間では無い。狂気と言う沼に落ちてしまった獣のような殺気を放っている。
そう、せめて心"だけ"でも魔人でいなければならない。