第二章11『邪魔になる者』
「――テオに変わって俺があんたの面倒を見る事になった。テオの奴今逃げてるからな」
「お前いったい誰なんだよ……」
そんな木葉の問いに答えるつもりは全くないようでククク、と喉を鳴らしながら木葉の表情を楽しんでいる。
男は大罪教の司教、しかも暴食。腹が減っていたらまず話を聞いてくれる気がしない。
そんな考えが木葉の中で回っていて暴食の話など全く受け付けなかった。
「俺はあんたの守り神であり、監視役でもある。まあ怪しい行動を少しでも行えば殺すけどな!」
「……何? 味方なの? それとも敵なの?」
「お前が裏切らない限り、お前が何をしても俺は味方だ! 安心しやがれ!」
暴食は口を大きく開け、ガハハ、と大音量で笑った。まるで会って数年の友人の様に扱ってくれる。しかし木葉は敵を前にして少したりとも笑えない。
テオだけに収まらず、暴食まで現れ、行動を大きく制限されてしまう。
視界と聴覚を共有しているであろうテオ、木葉に護衛と言う形で付いてくる暴食、本当に迷惑だ。
「で? 今からノアニールに行くんだろ? 俺、あんまり顔知られてねぇから大丈夫だぜ」
「姿とか変えるとか出来ねぇのか?」
「生憎、そんな高等技術持ってんのは赤眼とかその辺だろ」
有無を言わせず暴食は馬車に乗り込んでくる。そのついでなのか、暴食は木葉を安心させたいのか、それとも諦めさせたいのか、暴食は笑いながらそう言った。
木葉はその言葉を上手く使い、能力を聞き出せないかと試みるが相手が一枚上手だったのか、能力は聞き出せなかった。今ここで聞き出せないとなると後々めんどくさい事になる。
信用してないから、なんて事は二度も通用しない。信用しているから今行動している事になっているはずだ。もし同じ事をして相手が馬鹿じゃなかったら、怪しい行動をしたとして殺される可能性がある。
「ついて行ってバレても何とかなるだろ」
「……司教って結構適当なのな」
「傲慢は適当とは言えねぇけどな? あいつは常に警戒心マックスだ。俺が近づいてきたら殺しにくるんだぜ?」
ノアニールに向かっている馬車の中に二人。その内の一人はずっと独り言を続けていた。
本人は独り言をしている自覚はないのかもしれないが馬車にいるのはたった二人、一人はずっと喋り、一人はずっと無言でノアニールまで馬車を走らせている。
「お前、話聞いてないだろ? そういうとこマジで傲慢に似てるよな!」
「みんなそう言うけど本当にそれって悪口じゃねぇのか?」
「安心しろよ! ほんの少し似てるだけだ。だってお前弱いし、馬鹿じゃねぇか、傲慢とは天と地の差があるぜ」
「やっぱ、悪口だろ!」
分かっていたが流石に暴食も話を聞いていない事に気づいていたようだった。しかし怒る様子は全く無く、むしろその場の空気を良くしようとしてるようだ。
その気遣いが木葉にとっては邪魔でしかない。
ずっと一人で生きてきて、親も友人も居なかった木葉にとっては毒でしかない。
――てか親ってなんだ?
感情が頭に問いかけても答えは返ってこない。
木葉の中に出来た一つの感情は人生で初めての物、それ以上でもそれ以下でもない。
「んがァ? なんでお前泣いてんだ?」
「は?」
暴食に指摘され、木葉は涙が流れている事に気づく。
悲しい訳でも苦しい訳でも無い。
感情と呼ばれている"それ"は瞳の自由を奪い、止むことのない透明の雫を何粒も流している。
後悔だろうか、自分に何度も聞いたが答えは全部沈黙、もしかしたらそれが正解なのかもしれない。
答えを求めるだけ無駄で、答えが無いという事が全ての丸回答。
問いの答えを答えてくれないのに対し、向こうはずっと自分の興味の穴を閉じようと何度も聞いてくる。
『――今は何が要らない?』
その問いに木葉は冷静に応えようとするが自分の中でブレーキを掛け、言葉を止めた。
今ここで要らない物を言えば、力が手に入るかもしれない。それこそ、憤怒のテオくらいには勝てるかのような夢のような力が、しかしその言葉に正直になるのが正解なのか、嘘をつくのが正解なのか分からない。
「俺の邪魔になるもの全て要らない」
その言葉には嘘など無い。
真っ白な正直で木葉は問いに答えた。
後悔だろうが、苦しもうが、結局エリスを笑わせられる、皆が笑っていられる世界を作れるのならそれでいい。
死なない自分にしかできない事、しかしそれだけでは力不足。出来るだけ、力がいる。
その欲に答えられる"者"がそこにいる。
『――分かった』
こうすればもうバレも苦しむ事は無い。
自分が強くなれば、皆を守れるはずなんだ、そう言い聞かせ、木葉は後悔と言う感情を押し殺した。
「――じょうぶ」
不思議と笑えてくる。
勝った気がした。もう負ける事は絶対に無い。
そんな木葉を優越感は包み込み、木葉の体を軽くする。
「――おい!」
ずっと一人で笑っていた木葉に心配した暴食は焦った表情で木葉を揺さぶっている。
「マジであんた大丈夫か? 最近あんまり寝てねぇんじゃねぇのか?」
「あ……悪いな」
「まあでも仕方ねぇか……テオが無理させてんだろ? でもよ、俺がいるんだ。少しくらい休んだって誰も文句言わねぇよ」
「……そうだよな…………俺は疲れてんだよな。少し寝るよ、悪いな」
「おう! しっかり守ってやるよ!」
睡魔がゆっくり夢の世界を連れてくる。
悪意など無い、それが仕事なのだから仕方ない。しかしその"夢"はいつもと少し違い、現実感を帯びている。まるで別世界に移されたかのようだ。
その夢に恐怖を感じ、木葉は必死に睡魔から逃げる、がしかし睡魔はすぐ後ろまで来ていた。手を伸ばせば届くその距離まで。
その瞬間、木葉は夢の中に引っ張りこまれ、夢と呼ばれる"夢"の世界に召喚された。
『――試練の始まりだ』
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「あんのガキ、マジでどこに行っちまったんだ?」
格好つけてゆっくり去っていった少年を巨漢の男は探していた。
「まさかマジで司教について行ったんじゃ無いだろうな……」
『やっぱりお前が関係してたんだな』
「……お前は」
木葉を必死に探している男の様子は誰から見てもやましい事があるのは分かる。
そのせいか、男は亡き者に話しかけられてしまった。
『今度はどんな殺され方をしたいんだ? ブラッド』
「出来れば殺されたくないんだかな?」
『……じゃあ聞くぜ。禁断の果実の味はどうだった?』
「……不味すぎるし、代償がデカすぎるんだよ」
額に汗をにじませ、ブラッドは黒い霧を睨みつける。だからと言って、勝てる気は全くしない。
足の震えが全く止まらない。何度この霧に殺された事か、数えられない。
五百、千、一万、どれだけ死のうとこの霧にだけは勝てなかった。それどころか、触れる事も出来なかった。
レベル一の木葉とレベルマックスのブラッドの違いは分かりきっている。
木葉には希望があるかもしれないが、ブラッドはもはやその希望は消え失せている。
最大まで上がってしまったステータスで勝てない。
最後に戦った日、持ちうる力、手札を全部使っても傲慢には敵わなかった。
それだけしたのに何かを変えられるわけがない、だからブラッドは大罪教から手を引いた。
『今度は目を抉ってやろうか?』
「……どうせ再生するだろ? そう言いたいんだろ」
『……痛いのは嫌いか?』
「あと何回死ねるか分からねぇし、どれだけ歳をとっても痛いのだけは嫌いだね」
その答えに傲慢は高笑いをした。
もちろん怒らないわけがない。しかしだ、化け物ぞろいの大罪教を従えるラスボス。こんな奴に一人で挑んで勝てるはずもない。
だから今のブラッドにキレる権利など無い。
『とりあえずだ、木葉に余計な事を吹き込むな。計画がズレるだろうが』
「……俺は特に何もしてないぞ」
『知ってるさ、だからだ。これからは接触はなるべく避けろ。少しでも情報を渡せば、分かるよな?』
黒い霧から腕が伸ばされる。その腕を掴んで技を喰らわせれば波の人間ならダメージを与えられるかもしれない、しかし体が少しも動かない。
これから起こる事を想定しての事だろう。
体の震えは完全に止まり、脳がブラッドに命令を始めた。
今すぐ覚悟を決めろ、その命令が体全体に伝わるにはそう時間は掛からない。
『少々トラウマを植え付けてやるよ』
伸ばされた腕がブラッドの体に触れた。
脳が働かない、心臓までも機能を停止し、今すぐ死んで痛みを避けろとまで言ってくる。
『貫け"ニゲル・フォッグ"』
その瞬間に黒い霧が骨と肉を削り取って貫通、背中から抜け出てきた。
その黒い霧はまるで生きているかのように傲慢の元へ自分から戻っていく。この黒い霧が傲慢の防御と攻撃の役を担っている。
「――がは」
『これは少ししたプレゼントだ。よく味わいな』
「ありがたいプレゼントだぜクソ野郎」
最強の黒い霧を纏った傲慢はゆっくり歩き出した。
腹に風穴を開けられたブラッドはその背中を見る事しか出来ない。むしろ意識を保っていられるのが不思議なくらいだ。
「クソが! もういっその事殺せよ」
ブラッドは近くにあった木を殴り、暴れる準備をする。しかし木を殴った手から鋭い痛みが走り、ブラッドは正気に戻る。
手からは血が流れ、腹には風穴がある。今のこの状態はまさに満身創痍。死んでもおかしくない状態。
「手が……まあいいか」
ブラッドはその場に座り、今までの事を考える。
そんなブラッドの過去は誰よりも過酷だ。
何度も死ぬ思いをして、死のうとしても死ねない。永遠に続く無限地獄でブラッドはいつか来るはずの死を待つばかり。
傲慢を倒す為にブラッドは何度も悪魔と契約を交わした。
目が代償だったり、腕が代償だったり、心臓が代償だったり、しかしそんな代償はブラッドにとってはゴミよりも価値がない物。
唯一ゴミ以上と感じた代償は元の世界の記憶。
その代償で手に入れた物はこれまでで一番大きかった。
『相手の能力を見抜ける』能力、最初は使えない能力と思っていたが以外に万能だった。
その能力のお陰で傲慢の能力も分かった。傲慢を倒すという夢を潰してくれたのもその能力だった。
「……俺はお前のコマにはならないぞ、クソ野郎。俺がこの手で必ずカーミラを守ってみせる」
ブラッドは拳に力を込め、ノアニールまで走り出した。
"真実の魔人"が見せたその背中は普通の人間とは全く別の物だった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『――少しだけ話をしようぜ? ミナセコノハ』
目の前に広がる死体の山で黒いコートを羽織った男は木葉にそう問いかける。その問いに対する木葉の答えはイェス、その言葉以外は発せられない。
『これがする話は数百年前の話だ。ある日俺は時間が巻き戻せる事に気づいた。それに気づいた理由は決して些細な事じゃない』
小鳥のさえずりが雑音に変わり、木々が騒がしく音を立てる。
男が座っているその下は全て死体、木葉の足元にも死体がある。その光景はまるで地獄のような何か、間違いなくここで戦争が起こった。
『それは自分だけの問題には収まらなかった、だけど俺はたった一人で全てを解決させた。まるでヒーローの様にな』
そう語る男の顔は見えない。決して霧がある訳では無い、今の木葉にはその顔を覗く勇気がない。
今木葉が対話している人物は紛れもなく、大罪教のボス、傲慢と呼ばれる存在。
その顔はこれまで誰一人見た事は無いはずだ。
元の世界でも木葉は先陣を着れなかった、その後の後悔を恐れていたからだ。間違える事がどんなものより怖くて仕方なかった。そんな感情は異世界にも引き継がれている様で木葉は相変わらず先陣を着れないままでいる。
『それからもずっと自分を欲を埋める為に色んな事をしてきたさ、そんなある日ある女の子に手を引かれた』
傲慢のその言葉一つ一つが老人が思い出話を語っているかのような物、しかしそれは大きな間違い。
傲慢から一方的にされる思い出話は木葉の好奇心を掴んで離さない。
『その日から変わった。ずっと自分の為に戦ってきたのに今度は人の為だとよ。馬鹿らしいよな』
そしてゆっくり木葉の体には重力が掛かる。その重力に耐えきれなかった木葉は地面に手をつける。そして頭を上げた時に周りの状況をようやく理解できた。
その重力に耐えきれない脆い世界はゆっくり崩壊を始めていた。そんな光景を尻目に傲慢は思い出話を続けている。
『だけどな、そいつは死んじまった。全部は剣聖のせいだ、あいつさえ居なければ今まだ生きていたはずなんだ』
世界は崩壊を急ぐ。
多分世界の状態は傲慢の感情によって変わるのだろ。だから今の感情は間違いなく"怒り"だ。
『お前にだって救いたい奴はいるだろう? だからお前も魔人になれ、今からなら遅くない。迷うな、もう時間が無いんだ』
「俺は……」
思い出話はいつの間にか質問に変わり、その質問の矛先は木葉に向けられている。
その質問の答えに木葉は一瞬の迷いを見せてしまう。その木葉を見ていた傲慢は「本当にそれは救いたい奴か?」と付け加え、木葉の決断を急ぐ。
木葉にも薄々分かっている。
今魔人になれば救える者が増える事に、しかしまだ分からない事だらけ、もし魔人になった自分がエリスの目の前に現れても何とも思われないか、いつも通りに接してくれるのか、心配で仕方ない。
『今のお前は自分に満足してねぇ、分かってんだろ? エリスを守るには力不足だってこと』
「――な!」
全てを見通した傲慢の一言は木葉の決断を傾けさせた。
司教に勝つにはまず、力を付ける必要がある、しかしその力を付ける方法は木葉には全くない。
出来る事は筋トレだけ、かと言ってこの異世界で通用するはずもない。
そう今の木葉に必要な力は"魔人"と呼ばれる闇の存在。
魔人になれば倒せる範囲が増える、しかし生きれる範囲が狭まる。もしそれがエリスに迷惑を掛けてしまう結果になったとしたら、今たった一言でこれからの異世界ライフが決まる。
背に腹は変えられない、自分で自分が決めた決断を今、傲慢に告げる。
「――弱いから誰も救えなかった、ずっと誰かに頼ってその人が死ぬ度に殺した奴を憎んでた。一番憎むべき相手は自分だって事くらい気づいてた。だが俺は弱いから仕方ないってずっと言い訳をしてきた。だから俺の決断はこれ以上、揺るがない」
『は?』
「俺は水瀬木葉、木のように大きく育ち、いつか枯れ葉のように落ちていく男だ! だから俺は名前の通りに生きてやる。重力に逆らって枯れ葉が木に戻って来るわけねぇだろ! これからだって俺は言い訳し続けるさ! 弱いから俺は人しか憎めねぇ!」
木葉の言葉が想定外だったのか傲慢は間抜けな声を出してしまう、木葉は高揚感に浸りながら、この世で始めて傲慢を倒した男として自分の中に刻み込んだ。
「落ちるところまで落ちてやる! 大事な人が死んだから色んな人を巻き込んで人殺しかよ! お前バカだろ!」
『……俺が…………バカ?』
「そうだ! お前はバカだ! 俺は確かにエリスが大事だ! だからなんだ? エリスが死んだ事を理由に俺が殺人なんかしてやるもんか!」
生まれて初めて木葉は人に勝った、生まれて初めて傲慢は人に負けた。その事実はノアニールだけに留まらず、世界中に知れ渡るだろう。
初めて人に負けた傲慢の、無敗のフェンリルのプライドはズタズタに引き裂かれた。
『……やっぱり、お前はダメだ。勝手に後悔して勝手に堕ちろ』
「なんだ? 逃げんのか! 俺は絶対に逃げねぇぞ! どれだけ弱くても、どれだけバカでも、俺は絶対に逃げてやらねぇからな!」
ゆっくりその場から去る傲慢に対し、木葉は強気で煽る。
傲慢が作ったこの世界はゆっくり崩れ落ち、最後には何も残らないだろう。それがこの世界の宿命。
『……勝ったね、木葉』
崩れゆく世界の中で存在するはずのない女の子が少しだけ嬉しいそうにそう言い放った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「夢の世界からの生還を見事成功させた木葉の旅はここからだった」
「……悪ぃが何言ってかわかんねぇぞ」
「ほっとけ、夢の世界で頭打っただけだ」
木葉に向けられた白い目は死なない限り消えはしない。自分で言ったことだが色んな意味で取り返しがつかなくなったようだ。
「とりあえず、だ。ノアニールまで急ぐぞ」
「元からそのつもりだぜェ。それより睡眠はちゃんと出来たのかァ?」
「十分できた。体が軽いぜ」
木葉は腕を鳴らしながら暴食に微笑み返す。それは本心では無い、いつか敵になるであろう暴食に警告しているのだ。
試練と呼ばれた夢の中に傲慢は現れた。レイの元に行けずにだ。
もし傲慢がレイの元に行けるのだとしたら、これからは結構気をつけなくてはいけない。
どこかに隠れていた場合、今ある計画が全て、無駄になる。あんな所に隠れる場所なんて無いとは思うが。
「……一つだけ言っといてやるぜェ。フェンリルは"王"だ、俺達じゃ到底届かないような。倒すんなら諦めな」
「――――」
「ただの感なんだがな……まあやるんならマジでやめておけよ」
その言葉を最後に馬車には沈黙が流れた。暴食も木葉も会話するネタを持ち合わせていない。
ノアニールに着けば話すネタは増えるかもしれない――それは木葉がテオの所に向かってから数分くらい後の話だ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「やっぱり慣れないな」