第二章8『失って初めてわかった事』
「悪いけど俺ってそう言うシーン嫌いなんだよな。だって幸せエンドってなんかつまんねぇじゃん」
突如現れた黒い服に体を包んでる男は所々、意味のわからない言葉を発していた。
「――間違えてもそこの子は殺さないでくださいよ? 傲慢からの命令です。無傷で持って帰ってこいと」
「何故お前達がいるんだ!」
どこからに隠れていたのか、いつからそこに居たのかわからない。いつの間にか、その場に立っていた赤眼の魔女。
そしてテオはその赤眼の魔女と男に怒鳴りつける。
「そう怒らなくてもいいだろうが? その糞女はともかく、俺はたまたまこっちに用があっただけだしな」
「私はその子に呼ばれたから来ただけですよ」
赤眼の魔女は男に微笑み返した。
ただその微笑みはもはや、信用に値しない。その表情がエリスを騙し、こんな結果を生んだのだ。
そんな会話をしている間、テオの鋭い目は赤眼の魔女ではなく、黒いコートの男に向けられている。
声が小さすぎてあまり聞こえないが『なんでこんな所に……』と何度も繰り返している。
「とまあ、その娘渡してもらうぜ? 抵抗すんなら腕を引きちぎって喰ってやるよ」
「あまり野蛮な言葉を発しないでください。私の品が下がります」
黒いコートの男が手を伸ばしてくる。その手には火傷の跡がある。
その傷は古い物で街の炎で出来た物では無い。
テオもその事に気づいたのか、視線の先を男の顔から手に移した。
「……宜しいですか? エリス様、私が走れと言ったらあなたは振り返らず走ってください。ここは私がなんとかします」
テオがエリスの肩を掴み、小声でそう言う。
その言葉はつまり、唯一生き残った大事な人を捨てるという事。
だが今のエリスに走って逃げる以外の決断は出来ない。
テオの顔が険しくなり、肩を掴んでいる手から汗が浮かび出ている。
その現状に恐れをなしたエリスが出来る決断は一つもない。今はテオの言う事を聞くことしか出来ない。
そうすれば必ず、もう誰も死ぬ事は無い。
エリスの肩からテオの手が離れていく。そしてその手は止まることなく、テオの服の中に入っていく。
薄ら見えた。光る鋭い物、想像するに多分、ナイフ。
そのナイフを取り出し、男の手に突き刺す。
「――走れ!」
一瞬の出来事で赤眼の魔女も黒いコートの男も反応が遅れた。
そんな事はどうでもいい。
エリスは今ある体力を使い切る勢いで全速力でその場から離れる。
振り返る事は許されない。
テオに言われた事、今回の出来事も言う事さえ守っていれば怒らなかった。
エリスは自分を信じらなかった。
自分の無力が、自分の無知が、百、千、大量の人を殺した。
決して償えない罪。だからせめて言う事くらいはちゃんと守らないといけない。
エリスに不安がよぎる。
その不安のせいでテオの言われた事を忘れ、振り向いてしまう。
エリスの後ろにあった光景は――黒い鎧の様なものを体に纏ったテオの姿だった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「いッ! てーだろうが!」
その瞬間に視界が反転する。それと同時に背中、いや体全体に激痛が襲う。
胸を圧迫される。息ができない。苦しい。
体を起こし、血反吐を吐く。
テオが見た地面は所々、ヒビが入っている。
「不死身かよ。手加減したつもりねぇんだけどな」
自分より高い位置にいる男は手に刺さったナイフを抜きながらそう言った。
テオも自分のタフさに驚いた。ただ今そんな事をしている暇はない。
エリスを少しでも遠く、こいつらの手の及ばぬ範囲まで逃がさなくてはいけない。
「一撃でこれですか……後何回耐えられますかね?」
「満身創痍で耐える気でいんのかよ」
さっきの一撃を喰らい立ち上がれてもそれが限界、骨の何本かは折れているはず、もしかしたら粉々になっているだろう。それに出血が酷い、あと一発でも貰えば、簡単に死ねる。
「おい赤眼、ガキを追え。こっちはこっちで殺しとく」
「分かりました。油断すれば足元すくわれますからね」
赤眼の魔女がそう言い、微笑む。
黒いコートの男は何も言い返さず、傷のある手をコートの中に隠した。
当たり前だが赤眼の魔女をエリスに追わせるわけにもいかない。テオの予想では、今目の前にいる二人の中で一番、赤眼の魔女が危険。
赤眼の魔女の行き場所を塞ぎ、テオは言い放つ。
「ここより先に行きたいのなら私を殺してみてください」
「……あなた一人殺すのは容易いんですよ? もっと命を大事にしようとは思わないんですか?」
両手を広げ、立っていることも不思議な体で赤眼の魔女を行く先に立ち塞がる。
その状態に赤眼の魔女は少しだけ心配しているのか、退くことを提案している。しかしテオの意思は強く、その場から一歩も動こうとはしない。
「本当にめんどくさいですね……そこまで言うなら殺してあげますよ」
赤眼の魔女の腕が空へ向けられた。
その腕が下がっていく中でテオは一言。
「――出来るもんならな」
赤眼の魔女は今起こった光景に驚き、一瞬の隙を作ってしまう。
テオはその一瞬を逃さない。
手加減などしない。
この女に少しでも傷を残せれば、まだ勝機はある。そしてそんな事を考えているテオの拳が赤眼の魔女のみぞおちに打ち込まれた。
「――グゥ!」
その攻撃を避けられなかった赤眼の魔女は膝を地面に着ける。
テオはすぐに次の攻撃へ行動を移した。膝を地面に着けた赤眼の魔女の顔は低く、蹴りやすい。
ただその蹴りが赤眼の魔女に届く事は無かった。
「ひでぇじゃねぇか! 俺を置いて楽しい事をするなんてなァ!」
赤眼の魔女の追い打ちのため、伸ばされた足は黒いコートの男によって止められた。
そして男の拳がテオのみぞおちに打ち込まれる。
「その黒い鎧、お前、悪魔と契約したんだなァ!」
しかし男の一撃は、漆黒の鎧に身を包んだテオには全く無意味だった。
ただ鎧にもダメージが入っていない訳では無い。少しながらヒビが入ってしまっている。
「悪魔と契約して手に入れたのは、その鎧って事だな」
「よくお分かりで……」
「という事は、この場には魔人しかいねぇのなァ!」
テオは会心の一撃を止められた事により、少しながら警戒心を強めている。また赤眼の魔女が隙を見せるとは限らない。それどころか、気づかないうちに体を細切れにされてしまうかもしれない。
なにより二対一だ。傷を負わせられたとしても、赤眼の魔女に意味があるのか、わからない。
契約者に街一つ破壊できる力を与えられる赤眼の魔女の強さは計り知れない。
「純血の魔人かー何年ぶりだろうな!」
「こんなんでまともに戦えるなんて思っていません。ただ時間稼ぎくらいはできるでしょう」
「まあ赤眼がそんな許さねぇだろうがな」
男は視線をうずくまっている赤眼の魔女に移した。
テオには到底戦える状態とは思えない。しかし赤眼の魔女から放たれる異様な殺気に嫌な予感を覚えた。
――それは一瞬、赤眼の魔女が立ち上がったその一瞬、瞼を閉じるより早く。その一瞬で勝負はついた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「何で! テオが!」
漆黒の鎧に覆われていたテオの姿を紅い瞳は絶対に映した。
優しかったテオが、正義の塊のはずだったテオが、人間のはずのテオが、エリスの知らないところで、エリスの理想のテオが消えた。
その姿は化け物と言える。いや化け物以外には例えられない。
そんな事実から背け、エリスは言われた通り、走り出していた。
「そんな! テオがそんなはずは……」
信じられない。信じたくない。
テオがエリスと同じ、魔人だということは絶対に。
「――あらぁ? こんにちは、小さい小さい魔人ちゃん」
――その生き物と共にエリスの耳に響く爆音が不安を煽った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「まさかこ……まで簡単に……負けてし……とは」
「あまり舐めないでください。私は最強の魔女、そんな私に触れていいのはただ一人、私より強い傲慢だけです」
ボロボロになった鎧、引きちぎられた四肢、魔人の力を持ってして、なんの抵抗もできず、負けてしまった。
テオに起こった一瞬の出来事、赤眼の魔女が立ち上がったと思えば、瞳に映ったのは赤い空。
そして両手両足に鋭い痛み。
その状態を理解するより前にテオは激痛に襲われた。
そんなテオに治癒魔法をかけ、見下した目で赤眼の魔女は言い放った。
治癒魔法が終わると赤眼の魔女は周りを見回し始めた。
「どうするんだァ? あんのガキ逃げちまったけどよォ?」
「……追いましょう。そこまで遠くに行ってないはずです」
「――行かし……ませんよ……」
悪魔と契約した者だけ持ちうる再生能力、例え受けた傷が致命傷であっても何度でも回復できる。その性能は並の魔人とは比べ物にはならない。
ゆっくりではあるがテオの左腕は再生を始めている。しかし傷の再生は同時には出来ない。
例え左腕が完全な状態に出来たとしても、魔人二人を相手するのは無理がある。しかもその中には、悪魔から与えられた最強の鎧をいとも簡単に破壊できる赤眼魔女がいる。
未だ左腕は再生を続けている。
四肢をもがれてしまったテオに必要な時間は最悪の場合、三日は必要となる。
それが左腕だとしても、だ。
「その体で何が出来るというのですか……もういい加減諦めたらどうです?」
「……諦めら……るもんか……!」
「もう虫の息じゃ無いですか。あなたは何故そこまでしてあの子に固執するんですか?」
テオは再生しきっていない左腕を睨みつける。
そんな事をしたとしても再生が早くなる訳では無い。無意味だ。だとしても諦められない。たとえ、戦いで負けたとしても、心だけは強く持ち、せめて心だけでも勝てるように。
「悪魔と契約したのならもっと強くなれたでしょうに」
「……貴様らみた……人間を辞め……予定はないんだよ」
哀れみの目で見下している赤眼の魔女に対し、ほとんど死体に近い状態のテオは生気が感じられる目で睨みつけた。
もうほとんど体力の無いテオにとって、睨みつけるという行為も目を開けるという行為も苦痛である。
そんな瀕死のテオは再生途中の左腕を赤眼の魔女に向けた。
「ま……だ負け……てません……よ」
「だからその体で何が出来ると――」
再生を続けている左腕に彫られた赤色の刺青。その刺青も再生を続けている左腕と同じように再生を始めた。
まるで生きているかのようにテオの左腕から首の所まで這い上がってきた。その刺青を見た瞬間に赤眼の魔女は表情を変えた。
「それはまさか――炎の魔法陣ですか!」
「んァ? 説明しろよ、赤眼。その魔法陣がな――」
その言葉を言い終わるより前に男は赤眼の魔女に抱き上げられた。
「そんな事を言ってる場合じゃ無いですよ! 自爆するつもりです!」
「――どこに逃げても同じ、魔人は飛ぼうと、潜ろうと、行き着く場所は罪を裁く、地獄だけ何ですから」
そう言い終わると同時に炎が地面を覆い尽くした。
木も、生き物も、存在していたはずの街もその炎により全て溶かされ、無きものにされていく。
それはテオや赤眼の魔女達も例外ではない。
赤眼の魔女と黒いコートの男は逃げ遅れた。いや遅れていなかったとしても街一つ覆い尽くす量の炎、しかもテオが中心、逃げ切れるはずが無い。
一番広いと言われている国、ノアニールを半分飲み込むほどの巨大な炎の波、その炎はエリスの所まで届いているだろう。
それを知っていてテオは魔法陣を使った。
街で起こった炎の海の中で火傷一つ無かったエリスの姿、これだけを見れば誰だって分かる。
代償か、得たものか、そこまでは分からないがエリスは確実に火傷のしない体なのだ。
そこまで分かっていればそれでいい。
エリスには危害を加えられないとタカをくくっていた赤眼の魔女の誤算。
まさかエリスを巻き込んでの自爆をするとは思いもよらなかった。
「――すみません、私は両親を守る事もエリス様を守る事も出来なかったみたいです。エリス様、どうか幸せになって下さい」
――テオの最後の言葉はエリスに届くはずもなく、時は残酷にもテオの一生に終わりを告げる。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「――この火の中に生きてるなんてあなたもタフねぇ?」
何者かが放った炎の波はエリスの場所まで届いていた。しかしそれ以上は行くことなく、男には傷一つ無かった。
それどころか、余裕な表情を浮かべ、のうのうとエリスに話しかけている。
「それとあなたのお仲間さん、死んじゃったけどいいのかしらぁ?」
「……そんなわけないもん。絶対にテオは生きてる」
紅い瞳はその色には似つかない透明の水滴を流している。
今は言い聞かせるしかない。テオの生存が確認できるまでの辛抱。それがこの男を前にしてエリスが出来ること。
男は口元を隠し、微笑する。
「そこまで信じたくないなら別にイイのよぉ? だってもし魔女が生きていたら嫌でも信じるしかないもの」
「そういう事です。ただ今テオの死を確認しました」
いつの間にかいた赤眼の魔女の姿を見て、エリスは膝が地面に落ちてしまう。
この女がここまで来たということは何らかが原因でテオが負けたか、出し抜かれたか。そのどちらもエリスにとっては絶望でしかない。
テオの負けは死を意味する。そして今テオが男一人に苦戦しているのだとしたら、この赤眼の魔女が加われば簡単に殺されてしまう。
どちらもエリスが望んではいない結果だった。
赤眼の魔女はそう言うと高らかに笑う。
「あなたどうやってあの炎の中で生きていたの?」
赤眼の魔女は腹を抱えながら男の問いに答える。
「傲慢が助けてくれました。まあテオの死体を回収したあと、すぐに帰ってしまいましたけどね」
「あらぁ? じゃあこの子はどうするの?」
「もう要りません。最初はいいと思ったんですけどね? 傲慢が要らないと言うのなら、力も操れない出来損ないは私も要りませんよ」
その言葉に怒りを感じた。
テオはエリスを守る為に死んだ。それなのにもはや要らない扱い。挙句の果てにはテオの死体を回収と言った。
テオは物じゃない。人なんだ。
エリスの怒りの感情がそうさせたのかもしれない。
手の中に小さい炎の塊を作った。
「子供一人殺すのは簡単ですが流石に気が引けます。それにさっきの戦闘での傷がまだ癒えてませんし」
街を覆い尽くした炎より小さいがその火力は傷を負っている赤眼の魔女なら倒せるくらいある。
手の中で作った炎を全て、赤眼の魔女に向け、放ったがいとも簡単に避けられてしまう。
「アゼレアさん、あとはお願いします。殺すなり、喰うなり、お好きなように」
赤眼の魔女はその場から一瞬で消え去った。
エリスはそのまま存在ごと消えてしまえばいいんだ、と思ったがそんな儚い願いは神にまでは届かなかった。
そしてアゼレアと呼ばれた男の方を鋭い目で睨みつける。
アゼレアは少し考える動作をしたあと、エリスにゆっくり近づく。
「あなた、あの人憎いんでしょ?」
もう惑わされない。一度あった事を二度も繰り返すほどエリスは馬鹿じゃない。
エリスは表情一つ変えず、首を立てに振る。
そのエリスを見てアゼレアは少しだけエリスから離れる。
「そこまで警戒しなくてもいいわよ。私はあの人達とは違うわ。それに憎む相手は同じよ」
「それって……」
「そうよ。私はあの人達のやり方には気に入らないもの。だとしても私ぐらいじゃ足元にも及ばないわ。だからあなたのその力が必要なわけ」
アゼレアから手を伸ばされる。その手を掴む勇気も気力も今のエリスにはない。
街を燃やし尽くし、テオを失い、敵討ちのために放った最後の一撃も簡単に避けられてしまった。
「私に力を貸してくれれば、その力をどう使うか教えてあげるわ。赤眼の魔女にも勝てるような強さをあげるわ」
「私は……」
わからない。今伸ばされている手を取るべきなのか。
失われた世界を取り戻すことは出来ない。そんな失う事を幼い時から知ったエリスが失う事しかない世界に歩みを進めるべきなのか。
答えは簡単に出た。
「さぁどうするのかしら? 私はどちらでもいいわよ」
「私は――力なんてもう要らない」
そう言ったエリスの目は覚悟を決めた物だった。しかしそれは八歳の子供に目覚めるには早すぎる瞳。
戦場を歩んできたアゼレアには分かる。この瞳は憎しみでも、悲しみでもない。今を認め、今を生きる者の瞳。
「――私によく似てるわね」