第二章7『赤眼の魔女が作った最高傑作』
目の前に広がっていたのは、炎に覆われた街だった物、そしてその原因と思われる黒い衣服の男だけ。
見回してもあるのは、死体、死体死体死体。その光景は正しく『地獄』そのもの。
そんな地獄を副産物と言いたいのかエリスの瞳は黒い衣服の男以外映していない。
そんな瞳に映る男はたった一人で地獄を体現できるような異様な存在感。まるで人の皮を被った魔物。
知識範囲内で例えるのなら『レイ』に匹敵する恐ろしさ。
「――やっぱり綺麗だな」
その言葉は周りにある光景を言っているのか、エリスに向けられて発せられたのか分からない。
男の表情は深いフードのせいで確認出来ない。見たところでどうにか出来る訳では無いが。
「テオの仇!!」
この状況下で生き残っていたのか、どこからか現れた男は両手で持っている剣を力いっぱいに黒い衣服の男に振り下ろした。
「今更そんな玩具が怖いわけねぇだろ」
黒い衣服の男に向けられた本気の一撃は簡単に避けられてしまう。
男の一撃は完全に不意打ちのはずだった。
後ろから迫り来ている事を事前に知らなければ、避けようがないほど近くにいたはず。
例え、男に左目が無かったとしても、外すような事は絶対に無かった。
黒い衣服の男はどこからかナイフを取り出し、それを剣を持った男の首に深く刺した。
刺された男の首から大量の血が流れ出る。
ぽっかり空いた左目から涙とも血とも言える物が流れ、男はゆっくり地面に体を落とす。
「悪いね? 邪魔が入ってさ」
黒い衣服の男は見えぬ顔をこちらに向け、エリスに話しかける。
エリスは一言も声が出せずにいた。
遊びのように黒い衣服の男は人を殺した。そんな異様な光景を見て、平気で話せる人は中々いないだろう。
ただ声が出せない理由はそれでは無い。
「――俺が怖いか?」
ただ恐ろしい。この男の存在が、周りの光景が、何もかも、ただ恐ろしい。
次は自分かもしれない。
そんな恐怖がエリスの喉を震わせ、まともに喋らせてくれない。
立って逃げようとしても、足は産まれたばかりの小鹿のように震え、使い物にならない。
「そうだった。まだ自己紹介してなかったね」
そう言うと男は深くお辞儀し、闇で隠れた顔をこちらに向ける。
「――俺は大罪教の司教をやってる。大罪は傲慢だ。名はフェンリル・コズニス」
大罪教の名を語り、男はエリスにゆっくり近づいてくる。
その右手にはナイフが強く握られ、男が体から発する殺気は、今にも喉を掻っ切られてしまうのではないかと思うほど、巨大な物だった。
「もう一度聞くぜ? 俺が怖いか?」
首筋にナイフを近づけられ、質問の問いを求められた。
それだけの至近距離にいても、フェンリルの表情は確認出来ない。それどころか、顔を隠している霧のような物が強くなっているように見える。
エリスは恐怖に怯えている脳を動かし、質問の答えを出そうとする。
問いの答えはいたって簡単だ。
「――怖いです」
正直に話した。嘘偽りなく、これが事実。エリスは目の前にいる男が怖い。そこに理由などいらない。
生き物としての勘が男から全力で逃げろと言っている。がしかし震えている足は使えず、逃げ道も炎に覆われている。
そんな絶望的状況でフェンリルはエリスが質問に答えた事に満足したのか、ゆっくりナイフを離し、周りを見回す。
「――これ俺がしたと思ってる?」
質問にならない質問をエリスに投げかけられた。
その質問には、思っている、としか答えられない。逆にこのフェンリルが何もしていない可能性の方が低いのだ。
「はい……」
目の前にいるのは、大罪教の司教。
本でしか聞いたことがない幻の存在。
姿を見れば首がはねられ、声を聞けば五感が奪われる。
有名どころの話ではない。どの本にも乗っている常識中の常識。
どの国でも子供の頃から大罪教は危険、と言い聞かせるのだ。
もしそれを怠れば、命は無いものと思うしかない。
親のいないエリスもメアに大罪教に会ったらすぐに逃げろと言われていた。
エリスの心は恐怖を通り越して、無に変わる。
着々と近づく死を受け入れるしかない。
エリスはゆっくり紅色の瞳を瞼で隠しながら、次起こることを冷静に判断した。
しかし何も起こらない。
体に痛みが走った感覚は無い。あるのは、肩を掴んだ誰かの手の感覚。
その手は人肌よりも冷たく、それでいて、生きている者の様に微かだが温かさがあった。
そして肩を掴んだ者はエリスに顔をゆっくり近づけ。
「――俺は居合わせただけだ」
普通の言葉、そこに恐れる理由なんて無い。だが意味もわからず、恐怖は頂点に達してしまった。
フェンリルのその言葉の意味はいつまで経っても理解できない。居合わせただけのはずが無い。確実にフェンリルは――
「こんな事をしたのは他でもない。君だよ」
その言葉の意味を理解し、泣き喚くのに時など必要なかった。
「――カーミラ! あなたエリス様に何をしたのですか!」
「そんな事、わたくしに聞かれましても分かりかねますわ!」
それはエリスが倒れ、数分の事。
メアがエリスを背中に乗せ、治癒魔法の使い手の所へ全力で走っている。
そんなメアにドレスを着たまま、追いつくカーミラの身体能力は馬鹿にできない。
「あの方起きているのでしょうか?」
「肌に悪いとか言って寝ている可能性がありますわ!」
エリスが倒れた場所から治癒魔法の使い手の所までは遠い。
治癒魔法の使い手の部屋は一番奥に存在する。
エリスが倒れてしまった事により、使い手が一番奥に部屋があるという事に苛立ち、一度蹴りを入れたいと思うメア。
一刻も早くエリスの無事を確認したい。それはメイドとして当たり前の事。
「あなたって以外に体力ないのね?」
「余計なお世話です! ただ長期戦が苦手なだけですから!」
エリスを背中に乗せ、走っているメアの体力が普通に走っている時の体力の減りより早いのはわかる。
しかしメアの体力の減りが早いのは、そこが原因ではない。
メアは普通に走るのが苦手なのだ。
サラマンダーの体重でも片腕で上げてしまうメアの筋力は騎士王よりもある。
たかだかエリスを背負っていたとしても、二百kgのサラマンダーを軽々持ち上げられるのだ。例え普通に走っていたとしてもあまり変わらない。
「あなたメイドの癖に治癒魔法、使えませんの?」
「魔法は全く使えません!」
「メイドの癖にありえませんわ!?」
相変わらず、体力に余裕がありそうなカーミラに情報を少しだけ提供している内に使い手の部屋の前まで着いていた。
「……わたくし、あの人に会いたくありませんわ」
「はぁはぁ、あなたのせいでもあるんです。逃がしませんよ……」
エリスを背負ったメアはドアノブに手をかけ、カーミラにそう言い放つ。
カーミラは嫌な顔をし、逃げたい、とブツブツ言っていたが、そんな事を無視してメアはドアをゆっくり開く。
ドアを開いた先には、椅子に座っている朱色の短い髪をした男だった。
その男はこちらを向いておらず、窓から星のように輝いている街を見渡している。
「あらぁ? メアちゃんから会いに来てくれるなんて珍しいこともあるものねぇ?」
「失礼します、アゼレア様」
「ご機嫌麗しゅう、アゼレア」
オネエ口調の男はゆっくりこちらに体を向けてくる。
男の服装をしていないアゼレアと呼ばれる男は完全にオネエだった。
アゼレアは机に肘をつき、琥珀色の瞳でこちらの心を見透かしたかのように分かった口調で話し始める。
「見れば状況は理解出来るけど、まずは自分の口で言ってみて」
「エリス様の治療をお願いします。それか診断の方を……」
エリスを背負ったメアの提案。
そんなメアの言葉を遮り、一言。
「――断るわ」
その言葉にメアは目を見開き、歯をガチガチ鳴らす。
そんなメアの威嚇も無視してアゼレアはカーミラの方を向いてしまう。それでもなお、メアはアゼレアの一言を許せず、睨みつけている。
アゼレアが自分の方を向いた事にカーミラは顔を顰める。
口調と言い、性格といい、アゼレアが嫌いな理由は沢山ある。ただそれもまだ許容範囲。
アゼレアが嫌いな理由は他にある。
「――そんなに威嚇したって怖くないわよ。今凄く調子がいいからメアちゃんくらい、小指で倒せる気がするわ」
その腹黒さ、何よりそれが一番許せない。
「いい加減にして下さいまし。ハーフの娘を治療できない理由でもあるのかしら? まさかとは思いますけど差別じゃありませんわよね?」
カーミラの説教にアゼレアの表情から笑みが消え、残念そうな顔をし、メアもカーミラもいない。その間を睨みつけた。
その瞬間に雨が降り始め、雷が鳴り始めた。
「――まずなんで嫉妬の司教がここにいるのか説明してもらうわ」
すぐ近くに稲妻が落ち、一瞬だけアゼレアを黒く染めた。
まるで何も無いはずの空間がアゼレアに対し、怒っているかの様だ。
雨は更に強くなり、雷は先程より音量を上げ、鳴り続けている。だがそこ場には少し天候が変わったところで怯える奴はいない。
空間はそれに気づいたのか、降り続ける雨を止め、雷を消し去った。
メアは恐る恐る自分の横を見る。
確かに何も無い空間、しかしそこには確かに人間の気配がある。メアも気づかなかった訳ではない。気づいていたがそれを言葉に出してはいけないような気がしたのだ。
『さすがノアニールの数少ない化け物候補ですね』
何も無い空間から聞こえた言葉。
そんな奇妙な状況に驚いたのは、気絶しているエリスを除き、メア一人だけだった。
それどころかアゼレアは更に目を細め、体から大量の殺気を放っている。
状況を飲み込めていないのか、カーミラは大きめのあくびを出し、眠たそうな顔をしている。
「そんな姿だと話しにくいんじゃないかしらぁ? それに力には自信があるんでしょ。隠れてないで出てきたらどうなの?」
『確かにこの状態だと話しにくいですね』
その言葉を最後にメア達の視界は黒い霧に覆われる。その全てが殺気なのかもしれない。たとえ違ったとしてもメアは体の震えは止められない。
視界を奪われれば、戦うどころの話じゃない。下手をすればエリスが襲われる可能性がある。
目が慣れ始めた頃、霧がゆっくりと晴れていき、部屋に起こった奇妙な変化を直視させる。
「――これで話しやすいですね」
足音は疎か、扉が開かれる音も聞こえてこなかった。
メアの後ろから聞こえる声は恐怖と共に憎悪を連れてきた。
声だけでその存在の恐ろしさが分かる。
足の先からそのゆっくり上がってくる冷たい空気、張り裂けそうになるほど速い心臓の鼓動、止まらない体全身の震え。
騎士よりも戦場経験を持っているメアの自信は後ろにいる存在により一瞬で打ち砕かれた。
「今回は傲慢の為でも自分の為でもありません。ただ一人の騎士様の為に来ました。ついでにエリスには昔の夢を見せてます」
「その騎士様ってのが分からないと協力のしようがないわよ」
絶望そのものの存在と話している師匠の姿は異様なものだ。
そして後ろの存在がここに来たのは一回だけでは無いようだった。
何度もここに来て、アゼレアの協力を得て、何をしていたのか、それをアゼレアや後ろの存在に聞くには、少しばかり、いやもっとだ。今のメアには勇気が足りない。
そして後ろの存在は『そうそう、確かミナセコノハって言う人です』そう付け加えた。
その言葉にメアは一気に凍りつく。
木葉が司教と関係があるのだとしたら、それは王の耳にも入ってしまう。そうなれば、選挙に大きな支障が出てしまう。
ここまで怒りが湧いたのは生まれて初めてかもしれない。
「その子は大罪教の関係者なの?」
「いえ、普通に善人ですよ。ただどちらとも司教に嫌いな奴がいるので、利害の一致ってやつです」
その言葉にメアは安心して崩れ落ちてしまう。その時にエリスを床に寝かせた。失礼だと思ったが今、自分から少しでも離れてしまえば、殺されてしまう可能性がある。まさに四面楚歌。
「それで手伝って欲しい事って何なの?」
「簡単です。彼から何を言われても断ってほしいと騎士はもちろん、貴族の者達にも言っておいてください」
「傲慢にバレないようにでしょ?」
「傲慢にバレないなんて無理ですよ」
その言葉にアゼレアは含み笑いをした。
その瞬間にメアは一気に後ろを振り向く。
その瞳に映った者は口を手で隠し、微笑んでいるエリスに似た、金髪の女だった。
女は煌めいた長い髪をゆっくり撫で始め、その女が持つ紅い瞳はメアを映し出している。
――その瞳はまるであの『地獄』を彷彿とさせる。
頭を抱え、地面に顔を擦りつけているエリスの姿がそこにはあった。
フェンリルの一言で何か多くの喪失感に襲われている。
「――私はそんな!」
「こんな事できるのって炎の魔女のお前だけだよな。業火の支配者」
「ちが――私は!」
その言葉に反論をしようとする。しかしフェンリルの言っている事は全て正論。
この『地獄』を作り上げたのは、紛れもないエリス本人なのだ。
この地獄を作ってしまう原因になったのは、九年前の今日、決して読んではならない本を読んでしまった。
育て役だった人が大事そういつも持っていた本、それは禁書と呼ばれる存在。
一部の者以外読む事を禁止されている。魔の本。
その本を盗み、知ってしまったのだ。『魔人』のなり方に――
ハーフエルフの血を少量、生贄となる生き物の肉体、そして必ず自分がハーフエルフではなくてはいけない。
生き物の肉体以外、全て用意出来るものだった。その時のエリスは好奇心に弱く、誰かの役に立ちたいと言う思いが強かった。
その二つが引き金になってしまったのだろう。
「――えっと……肉体はお魚さんでいいよね」
地面に書かれる奇妙な魔法陣、子供が書くのだから下手で仕方ない。その時は一回でも失敗すればやめる気でいたのだ。――そのまま失敗すればよかった。
一通りの事を終え、エリスは本に書いてある呪文を口にした。
「――――」
その瞬間に魔法陣が光り、周囲一帯を覆い尽くす。
「あれ? こんな可愛い子が呼んでくれるなんてとても嬉しいですね」
その場には誰もいなかったはず。
エリスしか知らない山の奥地、そんな所に人が来るのは、余程の緊急時。
だが魔法陣の真ん中に立つ女性は余裕そうな表情をしている。
「あ……なたは?」
「あなたが呼んでくれた魔女です」
まさか上手くいくとは思っていなかった。
魔女と名乗る存在は金髪の長い髪、瞳の色は火のような魅力を持っている。
魔女はゆっくりエリスに近づいてくる。その魔女から逃げるようにエリスは後退する。
地面は山の奥地だからか、整備されていない。しかも昨日は雨が降っていたのだ。
エリスは足場が悪かったのか、滑って転んでしまう。
そんなエリスを見て魔女はゆっくり歩くのをやめ、駆け足で近づいてくる。
「山なのですから危険ですよ。怪我をしたらどうするんですか」
魔女は足を掴み、何かを唱え始めた。
エリスは恐ろしさで気づかなかったが足には擦り傷があった。
魔女の唱えている言葉は、治癒術の呪文。魔法に詳しくないエリスは足の擦り傷が治っていく光景を不思議そうに見ていた。
「これで傷は無くなりましたね」
魔女は傷が無くなった足を離し、エリスに微笑む。
エリスの魔女に対する印象は悪い人からいい人に変わっていた。
「それであなたはいったい何が欲しいんですか?」
「え? えっとね。私は人の役に立ちたいの!」
エリスはゆっくり立ち上がり、そう言った。
魔女と名乗る存在を呼び出したのは、好奇心でもあり、役に立ちたいという思いがあったから。
エリスの純粋な心は今も変わらない。常に人の為に生きたいと思う。
それを聞いた魔女は含み笑いをし、エリスに顔を近づけた。
その奇妙な笑いにエリスはなんの疑いを持たない。
「――分かりました。あなたのその願いを叶えます。嫉妬の司教として、赤眼の魔女として」
そう言うと魔女は手を叩き、深い深呼吸をした。
「契約完了です。まあ残念な事にその力は簡単に操れませんから最初は大量の死人が出てしまいますがね」
「え? それってどうい――」
エリスが言い終わるより早く、その力は表に出た。
一瞬、瞼を一瞬だけ閉じただけなのにその瞳に映った物は美しい街だった物が真っ赤に染まっている。
一瞬の出来事だ。一秒にも満たないその瞬間に街は炎に覆われていた。
「なんで……」
「あなたが望んだ事です。素晴らしいでしょう? 炎と言うのは全ての始まりとも言えます。全にして一、一にして全。まさに神という存在に近づいたと言うことですよ」
「私はこんな事!」
「望みました。人の役に立ちたいと、火がこれまでどれだけの人に必要とされてきたか、どれだけの人の為になったか。少し考えれば分かります」
炎に覆われた世界では今、エリスと魔女が全ての中心に立っている。
炎の発生源だからか、エリスは火傷一つ無かった。
「それと代償は焼かれない体を差し上げました。この街を燃やしながら死なない体で楽しんでください」
そう言い残すと魔女はエリスとは別方向へ歩き出した。
エリスは魔女を目の前にしても、なんの抗いも出来ない。炎の力を操れない限り、子供のエリスが魔女に傷を残せるはずがない。
幼いエリスは炎に覆われている街の中へ走り出した。自分の家に育て役の人ならどうにか出来るはず。
魔女の召喚法を知っているのなら、この力を消す方法が分かるはず。
根拠は無い。ただ救いを求めて自分の家へ走っている。どうにかなって欲しい、夢であって欲しい。
「――誰か……助けて!」
全ての原因、好奇心で悪行に手を染めてしまったエリスに手を差し伸べてくれる人は誰もいない。
瞳から水滴を流し、視界が悪くなる。
炎がどんどんエリスに近づいてくる。ただどれだけ近づいてきても、痛みを感じない。代償の焼かれない体。
誰かの役に立ちたかったエリスにとってはどんな罰より、地獄だった。
「誰か……」
「――そこにいるのはエリス様ですか! すぐにそちらへ行きますのでじっとしていて下さい! 大丈夫です! このテオがエリス様をお助けします!」
声が聞こえた方向を向くと炎の中から走ってくる男の姿があった。
エリスと違い、焼かれない体を持っていない男は所々火傷を負っている。
「はぁはぁはぁ、エリス様大丈夫です。この私が来たからには必ず無事にここから逃がします」
「ねぇお兄様は……?」
「……抱っこで良かったですよね」
テオはそう言うと無言でエリスを抱き上げる。
そしてなるべく、火が無いところを通り、街から出る。
「ねぇテオさん、お兄様は……?」
大粒の涙を流したエリスがテオを見て言う。
その言葉にテオは何も言えず、無言を突き通す。なんせこの炎の海の中、テオが生き残れたのも、奇跡に近い。
もし仮に生きていたとしても、今のテオに十一歳の男児を抱き抱え、生きて帰って来れる保証は無いのだ。
「……エリス様のお兄様は先に逃げてくれました」
「――――」
エリスは不満げな顔をし、テオの顔をのぞき込む。
「――嘘つき」
その言葉にテオは驚いた表情でエリスを見た。
その時、ある事に気づいてしまったのか目を大きく見開く。
「エリス様、まさか魔女を呼び出したのですか!」
その表情の険しさに恐れをなし、エリスは首を縦に振った。
そんなエリスを見たテオは俯く。
「私が無力なばっかりにこんな幼い子が……」
幼いエリスにもわかる。
テオは今自分の無力を呪っている。そんな必要は無い。この事態も魔女を呼び出したのもエリス本人の意志なのだ。ただそれを上手い具合に利用されてしまった。
テオが自分を呪う必要は無い。
「すみませんエリス様、私はあなたの両親も守れず、エリス様まで魔人の道を歩ませる結果になってしまって……」
テオは額を地面に着け、エリスに許しを求めている。
エリスは何故テオが謝るのか分からない。
両親とテオの間に何かあったのは、育て役の人から聞かされていたし、お兄様からも言われていた。
別にエリスがその事に怒ったことは無い。
「……ごめんなさい。私が、罪人がすべきではないと思うんだけど」
エリスは短い腕でテオを包み込んだ。
エリスの瞳からもテオの瞳からも大粒の涙は流れている。それは絶えることは無い。
エリスは幼いうちから償うことの出来ない、取り返しのつかない事をしてしまった。その事実は今のエリスには重すぎるものだ。
ただそんな事を言っていても罪を背負っている事には変わらない。
だからせめて一人でも多くの人を救いたい。
赤眼の魔女に与えられた力や代償は八歳のエリスを大きく育て上げた。
どんな教育よりも、どんな言葉よりも、赤眼の魔女の存在は大きく、育て役もお兄様も求めていた成長を遂げた。
「――おっと、感動のシーンで悪ぃんだが、そのお嬢ちゃん渡してもらおうか?」
――突如現れた存在は最後の支えを奪い去った。