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君を救う死生活  作者: 鈴先壮 ゆっクリ
第二章 騎士としての役割
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第二章5『招待状の無い来訪者』

「――お前の部屋、遠くね?」


「もし襲撃者が来た場合、遠くに部屋があれば、誰よりも長く生きられますわ」


「逆に言えば、お前が外に逃げるのも遅れるってことだ」


「余計なお世話ですわ」


 入口からどれくらい歩いただろうか、歩いている間はずっとカーミラと木葉の会話は途絶える事は無かった。ただいつも木葉が沈黙を作ろうとする。

 

 カーミラは木葉の表情を見て不機嫌そうな顔をし、木葉を睨みつける。

 そんな木葉はこれ以上、長い廊下が続くならカーミラを置いて、走って逃げようと考えている、表情にも出てしまっていたのか、カーミラは眉間にシワを寄せた。


「めんどくさそうな顔をしないで下さいまし!」


「めんどくさいもんはめんどくさいから仕方ねぇだろ」


 カーミラは怪訝な顔をしながら木葉の顔を見た。


 頬を膨らませたカーミラの顔を見た木葉は、腹の底から無理やり大きなため息を吐き出した。


 体の空気を出し切った木葉は耳を塞ぎ、カーミラの言葉を鼓膜まで届かないようにする。

 少しだけカーミラの声は聞こえるがほんの少ししか聞こえない。それもそう、カーミラの声ではないものが大声で叫んで声をかき消しているのだから。


「お前! カーミラに近寄るな!」


「どこまでもめんどくさい奴ですわ!」


 声の主の足音が廊下で響き、耳を塞いでいる木葉は振動で後ろに誰かがいることに気づく。


 木葉は耳を塞いでいる手を下ろし、いつの間にか後ろにいた男に反応を示した。


「お前のような奴が近づいていい存在じゃないんだよ!」


「あなたに決める権利は無いわ! わたくしに近づいていいか、悪いかはわたくしが決めますわ!」


「それじゃダメなんだよ! カーミラ、男は最低なんだ」


「それって自分の事も最低って言ってるんだぞ?」


 無言を突き通していた木葉が会話に割り込む。


 男は嫌そうな顔をし、カーミラはナイスと言いたいのか、機嫌の良い顔をしている。そんな二人の中で木葉は無関心そうな顔をしている。


 男は木葉の事を睨みつける。

 青色の瞳には反射して木葉が映る。金髪に青色の瞳を持った男は木葉とは比べ物にならないくらいイケメンだ。カーミラに嫌われる理由が分からないくらい。


「アーロン! あなたの事をわたくしは敵だとしか思ってませんわ! これ以上、わたくしを追いかけないでくださいまし!」


「敵味方なんて愛には関係ない! それに僕は追いかけてるんじゃない! ついてきてるだけだ!」


「世の中ではそれを追いかけてるって言うんだぜ」


 木葉の嫌味混じりの言葉を聞き、アーロンと呼ばれる男は木葉を睨みつける。

 木葉は睨みつけてくるアーロンに気づき、怒りが湧いた。ただでさえ時間が押しているというのに面倒事を増やそうとしているアーロンは木葉の敵そのものだった。

 しびれを切らした木葉はアーロンを睨み返した。アーロンは臆病者なのか、すぐに木葉から視線を外す。


「それにこいつはあのハーフエルフの騎士なんだよ? 絶対におかしな奴だって!」


「そうやって人の事を差別するからあなたの事を嫌いなのですわ!」


 カーミラがアーロンの事を嫌いな理由は多分、ストーカー気質と差別主義者だからだろう。


 アーロンは不満げな顔をし、下を見る。

 それもそう、自分の好きな人に包み隠さずに嫌いと言われてしまったのだ。木葉だってエリスに嫌い、と言われれば、死のうか考えてしまう。それだけなら、木葉とアーロンは物凄く似ている。


「――それにわ、わたくしはこの方がす、好きなのですわ!」


「え?」


「え?」


 アーロンと木葉は同時にカーミラの顔を見る。


 カーミラは少しだけ顔を赤らめた。そして木葉に細い腕が回される。

 顔を赤く染めたカーミラが自慢げにアーロンの顔を見ていた。アーロンを諦めされる秘策なのだろう。


「お前! 名をなんと言う!」


「……え? 俺の事?」


「お前以外に誰がいるって言うんだ!」


 アーロンは恥ずかしいという感情とは全く別の怒りの感情が顔に出ており、赤い顔で木葉を睨みつけた。

 

 怒りのせいか、声の音量を調整できず、アーロンの声は無駄に長い廊下で何度も跳ね返り、耳に響く。


「俺の名前は水瀬木葉、覚えてもいい事ないぞ」


「その名、絶対に忘れないからな! 恋敵としてお前を負かしてやる!」


 それだけ言うとアーロンはやってきた方向を向き、走り去る。足が速すぎて、数秒でアーロンの姿は見えなくなっていた。


 後ろから腕を回していたカーミラが大きめのため息を吐き、回された腕が離れていく。


「これでしばらくは安心ですわ」


「急に来るから普通にびっくりしただろうが」


「仕方ないでしょう! アーロンを払い除けるにはこれが一番最適ですの! わたくしだってこんな事したくありませんでしたわ!」


 カーミラが顔を赤くし、木葉を睨みつける。そんなカーミラに対し、木葉は怒る気力がないのか適当に言葉を組み、口にする。


 カーミラの言葉遣いは良いものの、正直者過ぎて色んな人を傷つけてしまいそうだ。そんなカーミラに惚れているアーロンは頭がおかしくないのか、と木葉は声に出さず笑ってしてしまう。


 カーミラはその態度に不満なのか、木葉の足を踏みつける。


「痛てぇな! 何しやがる!」


「なんか少しだけイラッとしただけですわ!」


「少しだけで人の足を踏むな!」


「わたくしに踏まれるなんて褒美、なかなか貰えませんのよ!」


「馬鹿か! んなもんエリスが踏んでくれれば、褒美になるんだよ!」


 木葉は自分から性癖を晒した事に恥ずかしくなったのか、顔を赤らめ、手で覆う。

 そんな反応をしている木葉を見て、カーミラはつまらなさそうな顔をして、歩き出した。


「護衛感謝致しますわ。今までの無礼も今の言葉も聞かなかった事にしますわ」


「……悪魔だったり、天使だったりするよなお前」


「わたくしはいつでも天使ですわ」


 カーミラは木葉に背中を向け、歩き出した。多分部屋がある方向、ただ木葉はいつまで経ってもその背中から視線を外す事はしなかった。


 カーミラはずっと見てくる木葉には気付かず、部屋へ一歩ずつ歩を進める。


 木葉はしばらくカーミラを見ていた後、窓から外の景色を見た。


「エリスを救う方法……」


 感情のこもっていない言葉が木葉の口から出た。


 助ける方法など思いついているわけがない。ただ自分を正常である為に何かを考えているようにする。

 そんな事も長くは続かない。


 胸の奥を押されるような、熱くなっている様な感覚に襲われる。それが恐らく緊張、と言うやつなのだろう。

 有りもしない作戦に頼る木葉の心情は複雑な物だ。


「……もしかしたらこれが最後かもな」


 窓の外には何もいない。ただ木葉はこの何もいない、に話しかけている。

 頭がおかしいのかもしれない、だが木葉はこうでもしていなければ、本当に世界から離れてしまう。


 異世界に来てもう何日が経ったことだろうか、いつも休む暇は無い。常に木葉は死ぬかもしれない戦いをしている。

 ミナセの時も今回も、実際に体験しなければ、事の重大さは誰にもわからない。

 世界が崩壊、化け物の襲撃、異世界では普通であって普通ではないこと。


「普通、初めのボスがラスボスレベルとかあるかよ?」


 木葉のプレイしていたゲームは、いつも最初のボスは簡単に倒せるような者ばかりだった。そんな考えも異世界では通用しない。いや人生が元々そういうゲームだったのかもしれない。

 

 ヒロインと異世界で幸せエンド、今の木葉にはそんな終わりが存在する気がしない。何も救えず、終わりのない終わりが永遠に続く人生。


 そう考え始めると木葉は薄気味悪い恐怖に襲われる。


「人間って極限状態になるともっとやばいのかな?」


 その考えは精神だけではなく、魂をゆっくりすり減らしていく。いつしか精神だけではなく、魂まで無くなってしまうのではないか、そんな考えが脳の中を走り回っている。


『死ねば時間が巻き戻る』能力、これは万能じゃない。神の気分次第でセーブポイントが決められる。そんな気まぐれな神が能力が発動しないようにしたらその事に気づけるのか。


――辛い


 誰も救えない、救ってもくれない。救ってやってもそいつには自分の努力は理解できない。

 それはどの世界でも同じ。


――辛い


 誰かに助けを求めるのは大きな間違い、お前は助けてもらう側、求めてちゃいけない、そんな強欲許されない。


――でも


 でも許して欲しい、自分の強欲を、異世界で、孤独の世界で、救ってくれるはずもないのに助けを求めてしまってごめんなさい。

 助けてもらっても結局、一回でも死ねば最初からなんだ。


 手を伸ばして引っ張ってほしい、一緒に花畑が見たい、花火が見たい。君と一緒に笑い合える世界があれば、他は何もいらない。


「――木葉?」


 笑っていて、辛い顔をしないで、悲しまないで、死なないで、諦めない限り終わりじゃない。


 自分に言い聞かせるのはもう嫌なんだ。

 辛いからやめたい、これ以上見たくない、めんどくさい。


「なんで俺ばっかりこんな目に会うんだよ」


「――そうやって君はまた何かを捨てて歩くんだね」


 間違いじゃない、いやそれが何もかも正しい、ずっと捨てて歩いた。学校も親も友人も信用も、何もかも捨てて歩いた。自分には必要ない、無くても人生に支障がない、だから捨てた。

 間違いだったなんて気づくのは、何日も何年も遅かった。


 木葉にレイの言葉を言い返す気力は残ってなかった。

 力が体から全て抜けていき、膝から地面に落ちていく。


「――木葉!」


 エリスにこの箱を渡すなんて無理だ。エリスは木葉を拾ってくれた、言わば命の恩人なのだ。そんな恩人を捨てられるほど木葉は腐っていない。


 もういっそのこと木葉が代わりに死ねば、全員救われるんじゃないか。

 自分だけ犠牲になれば何十、何百って人が救われる、それならそれでいいんじゃないだろうか、どんな手を使っても一人の苦痛で沢山の人が救えるなら、それが一番いい。

――魔人になってテオと直接戦えば、それが一番。


「木葉! いい加減にして!」


 頬に衝撃が走る。

 一瞬、鋭い痛みが木葉の頬に伝わり、木葉の正気が戻って来た。


 頬を抑え、声が聞こえた方向を向く。

 そこには薄紅の瞳を持っている美しい白髪の女が立っていた。

 紅い瞳は窓から見えた澄んだ夕日のように木葉の心を正面から掴み、目を離さないようにする。

 夕日のような紅い瞳には何粒か、涙が流れており、その瞳の先には姿だけ痩せこけた木葉が映っている。


「――どこに行ってたの! 凄く心配したのよ!?」


 エリスの声は木葉の耳だけではなく、心までも響いて木葉を呪縛から解き放つ。

 くすんだ黒色の瞳には光が灯り、エリスの姿を反射した。


 エリスは何粒も涙を流し、木葉を睨みつけて大声で言った。

 木葉はエリスの表情に驚き、声を出せずにいた、しかしそんな木葉を放っておいてエリスは続ける。


「寂しかったんだから!」


 その言葉を言い放ったあと、涙を流しながらエリスは木葉に抱きつく。

 エリスの瞳から流れている涙は木葉の蝕まれた心を清らかにしてくれる。


 悲しくない、痛くもない、なのに木葉の灰色の瞳から透明の雫が落ちていく。


「ずっと一人だったから! 木葉が居てくれて凄く嬉しかった! だから死んで欲しくないの!」


 木葉は流したくないはずの涙のせいでエリスの言葉に答えられない。


 木葉の泣く声は廊下で何度も反射してエリスの耳にも届いているだろう。

 世界を救った英雄は恥などを忘れ、今ある感情を涙と共に流し、ゆっくり瞼で瞳を隠し、眠りにつく。


――疲れていたんだろう。今日は寝かせてやろう。

 

 どこかで聞いたことのあるような男の太い声。


――いつも無理してたんだわ。


 どこかで聞いたことのあるような女の細い声。


 木葉の記憶の中には何かが足りない。大事な何かが足りない。それでも忘れてしまった今、思い出す事は絶対に出来ない。


――どこかでまた大事な記憶が木葉の頭から、誰かの頭から、落ちていく



「――大丈夫?」


 薄目で状況を理解しようとする。

 目の前に最初に現れたのは、天井でも太陽でもない。女の子の顔だった。

 頭の後ろには人肌のような暖かく、柔らかい感触。目の前に現れた女の子の顔。

 木葉は今の状況を一言で言い表す。


「膝枕」


「うん、膝枕」


 言葉をコピーし、同じ言葉を言ったエリスを見て、木葉は冷静に顔を動かす。


 部屋を見回し、視線を奪ったのは机の上にある大きめの箱だった。


「エリス、あの箱開けてないよね?」


「うん、だって木葉の物でしょ? 勝手に開けるなんて悪い人がする事です!」


 木葉は疲れきった体を無理やり立たせ、箱に触れる。


 木葉はエリスの目の前に箱を出した。


「……これやるよ」


「え? ほんとに?」


 木葉は少しだけ考え、自分のしてる事を理解した。

 

 エリスから箱を離し、小さいため息を吐いた。


「……やっぱりダメだ。プレゼントならもっとちゃんとしたやつじゃないとな」


 木葉の不思議な行動にエリスは首を傾げ、少しだけ考える動作をした。が結局、何も思いつかなかったのか、木葉に説明して、と言いたげな顔を向けた。


 木葉は口だけ笑い、窓の外を見た後、エリスの方を向いた。


「ちょっと色々あってな。またどっかに行かないといけなくなる」

 

「何で? 私も一緒に行っちゃダメ?」


「絶対にダメだ」


 優しい声をしていた木葉の声色は一気に変わり、エリスを怯えさせた。

 多分、顔にも出ていたのだろう。だが仕方ない、今回もエリスを巻き込むわけにはいかないのだ。


「……なんか、ありがとな」


「え? ううん、これぐらいいつでもしてあげるんだから!」


 エリスの自慢げな顔を見たあと、木葉は含み笑いをした。


「ちょっと英雄になってくる」

 

「え?」


 小声で言った言葉はエリスには届かず、それでも木葉は箱を持ち、背中を向け、歩き出した。


 動力源は怒りだろう。一瞬でも箱を渡そうとした自分に対する怒り、エリスを心配させてしまった自分に対する怒り、エリスを殺そうと考えるテオに対する怒り、そんな怒りが恐怖を打ち消した。

 

 木葉は腕に抱かれる箱を睨みつける。その瞳には怒りと箱以外映ってはいない。そんな木葉に殺される恐怖なんて、少したりともなかった。


「レイ」


「何かな?」


「テオを殺す方法を思いついたぞ」


 殺気に満ちたその声は最強と呼ばれたレイの言葉を詰まらせた。それほどまでに木葉の怒りは、殺気は、完璧に出来上がっている。

 今の木葉に狂気も正気もない。ただ一つの目的の為に体が勝手に動いている。まるでアンデッドのよう。


「……それが仮に何かを捨てる、無謀な挑戦だったとしてもかい?」


「当たり前だ。もう何度も捨てた、それなのに捨てるのが怖いわけねぇだろ」


 木葉の覚悟は異世界に来て初めての物だった。ミナセの時もそこまでの覚悟はした事は無かった。

 頼れる人が居たから木葉が覚悟しなきゃいけない事はほとんど無かった。


 いつの間にか馬車がある場所まで着いていた。

 来た道と同じように道を戻る。テオがいた隠れ家に行かなくてはいけない。テオがめんどくさくなって木葉を殺さないように。



「やっぱり気味悪いな」


 それから一時間ほど経ってこの森に着いた。普通ならもっとかかるはずの森もいつもより早く木葉を迎え入れる。多分テオが何かしたんだろう。


 昼ぐらいなのに森の中で見た空は真っ暗で異様な光景が続いていた。


「いるなら出てこいよ。テオさんよぉ!」


「……お望みに答えて出てきてやったんじゃ。まずは言い訳を聞こうか?」

 

 どこからか現れたテオの顔は怒りで歪んでいる。

 そのテオに木葉は恐怖を感じることも無く、余裕な表情、声でテオに言い放った。


「俺とお前はただの利害の一致、お互いを信用し合ってねぇ。それにあんたは全部の能力を打ち明けてねぇじゃねぇか」


「だからどうしたと言うのじゃ」


「俺はあんたの相棒として動いてやるつもりだ。だがその相棒が信用してくれないんじゃ俺も動く気でねぇよ」


 木葉が発した言葉の意味がわからないのか、テオは一度だけ首を傾げて考えた。

 相変わらず木葉は余裕な表情を崩さない。それも首を傾げる理由になっているのかもしれない。


 木葉は自分で言った言葉の意味があまり理解出来ずに頭の中ではてなが回っている。


「つまりじゃ、貴様を相棒として迎え入れろとそう言いたいのか?」


「そういう事だ! 分かったか!」


 テオはデコに手を当て、考える動作をした。

 ここが正念場、ここでもしテオが拒否すればそこで終了、賛成すればそこからは簡単。


 森に現れる風は木葉の緊張を騒ぎ立てる。心臓の鼓動が胸を突き破るのではないか、と言うほど早くなっている。


「……明日には決めておく。今日は寝るんじゃ」


「間違えても俺の事殺すなよ?」


「踏み間違えれば殺すかもしれんな」


 テオの発言に冗談が混じっているのか、混じってないのかは、ハッキリ言ってどうでもいい。どちらにせよ殺すか殺されるか、なのだから。


 テオに案内された部屋で木葉は眠りにつく準備をする。


「案外ここ広いんだな」


 広いからと言って、風の音がうるさく、どんな生物が入り込むか分からないところで落ち着いて寝られるはずがない。


 今夜テオに殺される確率の方が高い。箱を渡さなかった挙句、のうのうと帰ってきたのだ。しかももっと信用しろ、と言っている。憤怒の罪を持つテオがそれに対し、怒りの感情を持っていないはずが無い。


 木葉が眠りにつくにはそう長くなかった。どんなに汚くても、どんなに居心地が悪くても、人間が睡魔に勝てるはずがない。

 木葉はベッドに横になり、瞼をゆっくり閉じていく。抗いもせず、ただ身を任せるだけ。



「久しぶりだね? 少しは霧が晴れてきたから僕の下半身は見える気がするんだけど」


「足が見えた所で俺が喜べるわけがねぇんだがな?」


 目覚めればそこは闇の霧で覆われている薄気味悪い所だった。


 目の前には足だけがうっすらと見えるレイの姿。ただその足を見た所で木葉が何かを分かるはずもないし、得をするわけでもない。


 姿の見えない者と会話するのは厄介だ。表情が読めない。もし相手がテオのように大罪教ならば、木葉は何もわからず、無意味な死に直面する事になるだろう。


「君に会えるのは凄く嬉しいんだけど、ちょっとお客人が見えててね」


「――こんばんわ。私、ここに来るのは初めてだからあまり虐めないでくださいね?」


 木葉の後ろから巨大な気配が迫る。


 木葉が気配に感じている恐怖を簡単に例えれば、ライオンに狙われている子豚。


 様々な恐怖を知っている木葉は今の恐怖を何かに例えようとするが木葉はこの恐怖を例えるのは無理と確信した。体験した事の無い恐怖、世界が崩壊するより恐ろしいものがすぐ後ろで言葉を発している。


 後ろを振り返る事は出来ない。恐怖のせいではない、頭を後ろから手で掴まれている。

 その手から感じるものは、人肌とは違う温かさがある。


「こんな所でこんな方に会えるのはなにかの運命ですね。殺してもいいですか?」


「郷に入っては郷に従え、君の力がどれだけ強くてもここでは無意味だよ」


「……もちろん冗談ですよ」


 レイの声は怒りが混じり、謎の気配を持っている人間らしき者は余裕そうな声でレイとの会話を続けている。

 内容が物騒なものに聞こえなくもないが、それ以前に存在自体が恐ろしい。


 木葉は相変わらず、後ろを振り向けずにいる。それどころか掴む手はどんどん強くなっているように感じられていく。数分後には木葉の頭を捻り潰してしまうのではないだろうか。


「そろそろ木葉からその汚れた手を離してくれないかな? そろそろ怒るよ」


「それは失礼でした。あなたを怒らせると痛い目見てしまいますからね」


 木葉の頭を掴んでいた手がゆっくり離される。荒くやれば木葉の頭は胴体と離れ離れになってしまうかもしれない。それだけ巨大な手に掴まれていたのだ。


 レイの警告を聞いても気配は余裕を離さない。そんな会話を無言で聞いている木葉は恐怖を完全にかき消し、一気に後ろを振り向く。

 そこには黒い衣服を体に纏った女の姿、闇の霧で見えずらくはなっているがその姿の存在感はレイと同等、もしかしたらそれ以上かもしれない。


「お前……誰だ」


 当然の疑問、のはずだ。

 木葉は一度、いやもっとだ。この女と同じ存在感を目にしている。

 闇に覆われている森の中で木葉にまで存在がバレるほど体から発していた殺気、それを持っていたテオ、目の前の女には同じ殺気、存在感がある。


「これはまた失礼しました。私は大罪教の司教をやらせてもらってます。大罪は嫉妬です」

 

「なんでここに司教が……」


「私はあなたの味方です。今あなたがしようとしている計画を邪魔する気は全くありません。むしろテオを殺してくれるのなら嬉しい限りです」


 目の前にいる者は大罪教の司教を名乗った。嘘である可能性はゼロに近い。存在感と殺気がそれを証明しているのだから。


「俺の計画を知ってる……?」


「テオを殺したいのですよね? 傲慢にバレない程度なら手を貸せます」


「……僕はオススメしないよ」


 木葉の疑問に女は笑って答える。

 こんな闇の中でも女の表情が分かるのは、普通はありえないこと。ただそんな事もどうでも良くなるような、女の発言には力があった。


 テオを殺す、手を貸す、同じ大罪教であれば、木葉を止めるか殺すかするはず、その場しのぎかもしれないが、レイの目の前で言うという事はそれだけの覚悟があるという事。

 ただでさえ怒っているレイの目の前で嘘をついているのであれば、女の命はないだろう。


 ただレイが発した言葉に力は無かった。

 木葉を説得するのは無理と察したのか、これから木葉はこの女の話しか聞かないと思ったのか、レイは少しだけ悲しそうな声で木葉に言った。


「――俺はあんたの手は借りねぇ」


「え?」


「敵に恩を作る気はねぇよ」


 木葉の強気な発言に女は余裕な表情から驚いた表情に変え、木葉に一歩ずつ近づいていた足を止めた。


 木葉は女の驚いた表情を、見て続ける。


「これまでもこれからもだ。敵の手は借りねぇ、そんな事、俺のプライドが許さねぇんだ」


「……」


「そういう事だよ。僕の木葉は君達には屈しない。さっさとここから出てってくれ」


 女は木葉の発言に返す言葉がないようだ。そんな女にレイは追い打ちをかけ、この世界からの退室を願った。それは木葉も同じ、これ以上、この女を直視できそうにない。


 女は歯をガチガチと鳴らし、被っていたフードを脱いだ。

 フードの下にあるのは、金色に光る美しい髪、エリスとよく似た肌、紅い瞳は熱を帯びて、今にも木葉を吸い込み、殺してしまうかのような美しさがある。


「とりあえず私は引くとします。テオには私からあなたが味方だと勝手に言っておきます。但し、テオを必ず殺してもらいます」


「……俺は恩は着ねぇ主義だ。それにテオは確実に殺す。それはもう決めた事だ」


「あっ! 出口はあっちね」


 真剣な表情をした二人とは裏腹にレイはとても嬉しそうな声をして出口の話をした。

 あっちと言われても姿が見えないので場所が分かるはずもなく、女は深く考え始める。

 それを察した木葉は出口の方を無言で指を指し、ため息を吐いた。


「これはこれは、申し訳ございません。それでは失礼させてもらいます」


「もう来ないでね!」


 嬉しそうにしているレイに返事すること無く、女は出口の方向へ足を進める。その途中で女は後ろを振り向き、木葉の方を見た。


「噂通り、傲慢に本当に似ているのですね」


「……どいつもこいつも、失礼だろうが! 俺に!」


 女は含み笑いをし、出口の方へ再度、足を進めた。今度は足を止めること無く、この世界を後にした。


 世界に余裕が帰ってきた。

 心なしか、少しだけ暖かくなってきた気もする。


「……あれどうやって入ってきたの?」


「……実は僕も分からなかったりする」


 暖かくなってきていたのにまた肌寒くなってきてしまった。


 招待されていない謎の来訪者の出現は木葉はもちろん、レイも理解に欠ける出来事だった。

 その際にゲットした情報は大罪教の嫉妬の存在が近くにあるという事、しかし弱みを握られているのだからあまり意味をなさない。


「僕、あの女好きになれない。生理的に」


「別に好きになる必要はねぇだろ」


「あれって幽霊?」


「お前がそう思うんならそうなんじゃね?」


 木葉は女が消えた場所をずっと見ている。女が最後に見せた背中はどう見たって普通の女と同じ姿だった。

 レイも多分、木葉と同じところを見ているのだろう。


「それでどうする? 僕は今からここの強化をしたいんだよね」


「なんの強化だ?」


「ああいう奴が入れないように」


 木葉はその言葉の意味をすぐに理解出来た。それもそう、またレイと話している時に嫉妬が来たり、傲慢が来たりしたらたまったもんじゃない。


 木葉は出口の方へ足を進めながらレイに言い放つ。


「まあまた来るぜ」


――この時、この世界で発した言葉はそれが最後だった。


 目を開ければ、目の前に広がっているのは綺麗な天井のはずだった。実際はものすごく汚れた汚らしい天井、体を横にした状態であたりを見回す。


「どこ見ても汚いな」


 周りは王城とは比べ物にならないくらい汚い。


 木葉は体をゆっくり起こし、頭を掻き毟る。目付きの悪い目で今置かれている状況を理解しようと努力する。

 それから数十秒、置かれている状況に理解ができた。


「あれ? 俺死んでねぇ!」


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