第二章2『本に描かれた世界の罪』
馬車に乗り、しばらく時間が経っていた。
木葉が座っている横では、疲れたのかエリスが眠っている。馬車の操作をしているメアは、疲れた様子など全くなく、無言で運転を続けている。
木葉は窓から外の世界を見る。
窓から見た外の世界は木しかない。その奥を見ようとしても、闇に覆われており、人間が迷い込んでも、気づいてもらえないかもしれない。
木葉が見る限り、人間はもちろん、動物は見つけられない。
森の中にある闇は木葉の心を吸い込むかのような、錯覚に陥る。いっそこのまま身も心も預けてしまいたい、そう思い始めてしまう。
そんな事を考えている木葉は気づき始める。木葉はこの感覚を知っている。
顔をしかめ、メアの方を向く。メアは周囲を警戒しているのかあちこちを見回していた。
「メア、一体どうしたんだ?」
「雰囲気だけですが、森がおかしいんです」
森がおかしい、これは木葉にも感じている事だった。
メアは鋭い目付きになり、馬車を止め、降りる。
「……今この森にいるのは危険ですね」
「んなことくらい誰だって分かるだろ」
決して大きくはなく、静かな森の中では耳を澄ませば、聞こえるくらいの足音が聞こえる。足音から察するに1人、ただその気配は数人いるように感じられた。
森の中で目では見えなかった生物達がその存在に気づき、騒ぎ立てる。今すぐにここを離れろ、と
だがその気配は徐々に存在を消していき、最後には、エリスとメア以外の気配はなかった。
「早く逃げましょう!」
メアが血走った目でそう言う。木葉は元よりそのつもりだ。この森に長居出来るほど木葉は強くない。下手をしたら、この気配を消した生物が次の死に繋がるかもしれない。
メアは走って馬車に戻ったが、木葉は森を見回している。
静寂に包まれたこの森に敵になるかもしれない者が入り込んでいる。屋敷には戻れない。もしかしたらノアニールに戻っている間に襲撃されるかもしれない。
「早く乗ってください!」
自分の世界に入っている木葉にメアが大声で叫ぶ。木葉は焦って後ろを振り向く。
怒っているのか顔を赤くしたメアが木葉の方を見ていた。
その表情を見て木葉は焦って馬車に戻る。木葉も感じている。1秒でも早くこの場から離れなくてはいけない。
さっきの気配とは全く別、殺気がこの森に満ちている。
「――逃げてしまうのじゃな?」
馬車に乗ろうとする木葉を若い男の声が動きを止めた。
前の世界で聞いた事のある声は殺意に満ちている。この化け物に背中を見せてはいけない、そう木葉は気づいたが少しばかし遅すぎた。
「早く乗ってください! 死にたくないなら!」
メアの声はもはや木葉には届かない。いや届いているのだが、木葉は今動いたらいけない、と心の中で叫んでいる。今動けば木葉だけでなく、メアもエリスも殺されてしまうかもしれない。そんな妄想が脳を、心臓を締め付ける。
そんな木葉の腕を何者かが妄想の中から、馬車の外から引っ張り出す。
馬車の中に引っ張られ、受け身をとれなかった木葉が床に顔をぶつけ、顔を抑える。
そのすぐ後ろからドアを思いっきり閉める音が聞こえる。
「メア! 早く!」
「は、はい!」
馬車が動き始める。
木葉が顔を上げるといつ起きたのか、大粒の汗を流したエリスが立っていた。多分木葉を引っ張ったのはエリスなのだろう。
そんなエリスは強ばった顔で窓の外を見ている。木葉も窓の外を見たがあるのは木だけ、その間にも闇が存在するだけで特に何も無かった。ただ目に見えない『何か』がある。
「――やっぱり偽物か」
耳から聞こえる訳では無い。頭の中に直接声が流れてくる。
『偽物』と言う言葉の意味を理解する前に木葉は頭痛に襲われる。
その頭痛は17年生きた木葉が生まれて初めて感じた、言葉にするには難しい激痛だった。
木葉は頭を抑え、床に膝を付く。エリスは心配しているのか木葉を揺さぶる。
声にできない、声が聞こえない。全神経が痛みを耐えることだけに集中している。
そんな努力も無意味だったのか、木葉は眠りに入ってしまう。気絶に近い、いや気絶そのものだった。
「――木葉!」
瞼がゆっくり閉じられていく中でエリスと呼ばれる少女が木葉の名前を言葉にする。
そんな叫び声が聞こえても木葉の瞼が閉じる事には変わりない。
木葉は現実世界から夢の世界へ引っ張られた。
ゆっくり瞼を開く。慣れない光の中で世界を見回すことは困難だった。
目が少し慣れてきたところで周りを見渡す。
木葉はどっかの部屋のベッドで寝かされているのに気づいた。
窓の外を見るともう朝で鳥の鳴き声が聞こえる。森なんてものは無く、あるのは建物ばかりだった。
窓から視線を外し、部屋を見回す。ベッドの隣で椅子に座りながら寝ているエリスがいた。
木葉の事を心配してずっと看病していたのかもしれない。
そんな部屋の中ではエリスと木葉以外に生き物はいない。ただ高級感のある部屋で寝ていたようだった。
木葉はベッドから足を出し、ドアまで歩き出す。そのすぐにノックがし、ドアが開けられた。
「失礼します!」
扉が開かれ、金髪の男が入ってくる。騎士王のアイザック・グルーエンバーグだ。
名前が妙に長い彼は木葉の存在に気づき会釈する。
アイザックが部屋に来た理由は木葉に会うためでは無く、エリスと何かを話すためだろう。
「……エリス様は寝てらっしゃったのですね」
「そうだ。だからエリスに用があるなら俺に言ってくれ」
アイザックがエリスが寝ている事に気づいて小声になる。
その隣で木葉は自慢げな顔をして言う。
「とりあえず外で話そうか? エリス様を起こしてしまうし」
「そうだな」
アイザックと木葉はエリスが寝ている部屋を後にする。
エリスは座りながら寝ているが、エリスに少しでも触れれば、後が怖いため、2人共何もしないことを咎め合う事はしなかった。
木葉は特にどこで話すか決めていなかったため、アイザックの後を追うだけだった。
アイザックの後ろ姿は木葉とは全く違い、本当に騎士のようだ。いや騎士なのだ。木葉とは全く違う。
「そ、それでどこで話そうか?」
アイザックも決めていなかったのか後ろを振り向き、木葉に聞く。
だからと言って木葉に聞かれても、王城を把握していない木葉は場所を決めることは無理だった。
「いやお前が決めろよ」
アイザックは何かを思いついたのか相槌をする。
「……そうだね。僕の部屋にしよう」
「それが1番早いな」
アイザックの言葉に賛成し、木葉は『早く案内しろー』とアイザックに背中を向け、歩き出す。
アイザックは苦笑いをし、『そっちじゃないよ』と木葉に言う。
「それを早く言えよ」
木葉達がいた所からアイザックの部屋まではそう時間は掛からなかった。部屋に向かっている間、会話と言えるものはしていない。
部屋のドアを開ければ、やはり金持ちと言うべきか木葉の汚れた部屋とは全く違った。と言っても、部屋は本棚がほとんどで少しベッドが高そうに見えるだけだった。
「やっぱり金持ちってわかんねぇな」
「僕は別に金持ちなんかじゃないよ」
「嫌味か! 嫌味なのか!」
せっかくの広い部屋も本棚のせいで狭く感じてしまうのは、仕方ないのかもしれない。
少し見回して木葉は気になる物を見つける。本なのだが本から発せられる物は奇妙なものだった。
「読みたいなら読んでもいいよ?」
木葉がその本に触れようとしている瞬間にアイザックから言われた。
最初から読むつもりだったが、許可が出されたおかげで気遣いなしに見ることが出来る。
本を開けば、難しい文字が書かれている。日本語ではないようだった。
「あ、そうだ。ちょっと貸して」
木葉は首を傾げてアイザックに本を渡す。
何をするのかと木葉がアイザックを見ていたが、アイザックは意味のわからないことを言い始め、本が光を出す。
その不思議な光景に木葉は口を開けたままだった。
「よしこれで読めるよ」
アイザックから返された本をもう1度見る。
本には木葉のわかる言語、日本語が書かれていた。アイザックは不思議な言葉を発しただけだったので、木葉は魔法の様なものだろう、と解釈した。あまり深追いしても謎を深めるだけだ。
日本語に変わっていた本には『大罪教』と記されていた。1度聞いた事のある単語だ。
アイザックは気になったのか、横から本を見る。
アイザックは顔をしかめ、木葉に言う。
「大罪教は化け物の集まりだよ。ノアニール王国の全兵力を使っても、始末できないくらいだからね」
その声には優しさはなかった。アイザックの低い声は憎悪に満ちており、様々な体験をしている木葉の体全身を震わせるものだった。その声だけでアイザックが大罪教と呼ばれる者達を嫌っているのが嫌という程わかる。
そんな雰囲気に恐ろしさを覚えた。そんな木葉を、窓から吹かれる風は優しく包み込む。
窓の外からは生物の声と風が来るだけで他のものは何も無い。ただそれが怖いのだ。
「……今1番有名な大罪教の司教は憤怒のテオ・アンガー、能力自体分かってないものの、大罪の中で1番危険な奴だと言われてる」
「……へぇーそのテオ・アンガーって一体何をした奴なんだ?」
木葉が疑問に思ったことを質問するとアイザックは1度目を閉じ、木葉の方を向く。
その目には怒りなのか悲しみなのか分からないものが写っている。
「――テオ・アンガーはアレスロイさんの奥さん、エレナさんを誘拐した者だ」
木葉は知らない名前を聞いて1度考える動作をしたが、すぐに分かった。
エレナさんと言うのはロイの奥さん。つまり、ミナセ・レイの本名。
木葉はロイの奥さんをおかしくさせた奴――テオ・アンガーに怒りを覚える。アイザックが憎んでいるのも良くわかる。
「テオ・アンガーって奴は殺さないのか?」
「殺さないんじゃない。殺せないんだ」
木葉は目を見開き、口を開ける。
殺せない、木葉にはその言葉の意味をすぐに理解出来なかった。ふざけているようにしか思えない。
木葉はアイザックが言っていた言葉をもう1度思い出す。
ノアニール王国の全兵力を使っても始末出来なかった、木葉は言葉の穴を見つけ、アイザックに問う。
「司教だけなら殺せるんじゃないのか?」
「仮に司教を1人に出来たとしても、その司教が強すぎて勝てないんだ」
司教1人で一般人を打ち負かすのはまだ普通に考えられるが、ロイは先代騎士王なのだ。それに禁術使いのエレナをいとも簡単に倒したのだ。それなのにその司教はエレナを上回る強さを持っている。つまりそういう事になる。
「ならアイザックとロイさんが殺せばいいじゃねぇか」
「僕の剣の実力はロイさんの上を行くけど、ロイさんの戦闘技術は僕の遥か上を行く。何度か戦わせてもらったけど僕が勝てた事なんてないよ。それに2人でやったとしても、僕は足でまといにしかならない」
アイザックは薄目になり、寂しそうな声でそう言う。
切り替えが早いのか、そんな雰囲気は一気に消え去り、木葉の方を向く。
「大罪教には七つの罪がある。憤怒、傲慢、怠惰、色欲、暴食、嫉妬、強欲の七つだよ」
「七つの大罪ってやつだな」
七つの大罪という言葉は元の世界でもあったがこの世界にもあるのは思いもしなかった。
木葉は何故この部屋に来たのか思い出そうとする。それもそう、長々と全く別の話をしているのだ。
木葉はアイザックの方を向くが、本に気になった単語があった為、もう1度本を見る。
本に記載されていた文字は『傲慢』何故そんな言葉に目がいってしまったのか、すぐに木葉には理解出来た。
「傲慢は司教の中でも絶対の権限を持っており、その力は他の司教と全く別次元の物……どういうことだこれ?」
「文字の通りだよ。傲慢は1番強い司教だ。もしかしたら、レイや剣聖よりも強いかもしれない」
「剣聖? 剣術を極めた人か? それならお前達騎士王じゃねぇのか?」
剣聖と騎士王は別なのか木葉は問いただす。
王とまで言うのならば、剣術が並外れていても不思議じゃない。
アイザックは首を横に振り、木葉に言う。
「僕達騎士王は強いわけじゃない。権力が少しある騎士なんだよ」
木葉はため息を吐き、『まだ強いやついるのかよ』と苦笑いをしながら、アイザックの方を見て言う。
アイザックは少し考えた後、窓の外を見ながら木葉に疑問を突き立てる。
「剣聖がいて、レイ・ノアニールがいて、傲慢がいる。一体誰が最強なんだろうね?」
アイザックは窓の外を見ながら、悲しそうな声で木葉に質問した。
そんな疑問に木葉が答えられるわけもなく、木葉は無言でアイザックを見る。
アイザックはこちらを振り向き、言葉を続ける。
「僕が騎士王になりたかったのは、戦わずして誰かを救いたかったんだ。誰かに奪われ続けるのも、奪うのも、もう嫌なんだ」
切ない顔をしながら木葉に言う。
その目には、奪われ続けた木葉の目と同じ目をしていた。木葉にはその心情が良くわかる。3度も奪われ、殺された。1人じゃどうしようも無かった弱い木葉を助けてくれた人達を3度も。
アイザックと木葉の違いは、努力をしているか、してないか、だった。
「悪いね。こんな話よりもっと大事な話があったんだった」
「切り替え早いな」
アイザックの切り替えの速さは相変わらず変わらなくて、木葉を驚かせる。
アイザックは椅子に座り、木葉が座るのを待つ。木葉はそれに気づいて椅子に座る。
「今回エリス様達が焦って戻ってきた時は本当に驚いたよ」
「……俺は寝ていて気づかなかったが一体何があったんだ?」
「それがエリス様達も分からないらしくて、今第14騎士団の騎士達が向かってる」
「なんだ? その第14騎士団って」
第14騎士団については、詳しくではないがメアから聞いている。だが詳しく知らない木葉は興味を持ち、アイザックに質問する。
アイザックもそれを不思議に思ったのか、首を傾げる。木葉もその反応に首を傾げてしまう。
「もしかして騎士団を知らないのかい?」
「いや知らねぇよ」
アイザックのその言葉に木葉は素っ気ない態度で返事をする。
この世界に来て間もない木葉は赤子も同然、教えてくれなければ覚えるはずもない。
アイザックは苦笑いで木葉に説明をしようとするがやめ、木葉に抱いた疑問を問いかける。
「木葉って一体どこの国の人だい? 騎士団を知らないとなるとノアニールで育ったわけじゃないように思えるけど……」
今まで住んでる場所を説明してこなかったし、異世界ではありえない服装をしているのだ。今まで聞かれなかった事が不思議な話だ。
木葉は考える動作を少しだけ続け、アイザックを不思議そうな顔をさせたあと、木葉はアイザックの方を向き、笑いながら言う。
「俺もわかんねぇ!」
「まあ無理して話す必要はないよ。それでその騎士達が調査に行ってる。安全が確保できたら戻れるよ」
「それをエリスに伝えればいいんだな」
木葉は少し暗い顔になりながらアイザックにそう言う。
木葉の頭の中には謎がまだ残っている。木葉にとってこの世界は謎そのものだが、そんな事を言っていてもどうしようもない。
木葉は森の中で体験した事を思い出す。
頭の中に直接語りかける若そうな声、滅んだ世界で最後に木葉に話しかけた人間。その2つの声は瓜二つだった。あの化け物が現れた世界で生き残るのはそれ以上に強いものか、運が良い者だけ。
一瞬であそこまでした魔神獣より強いのだとしたら、第14騎士団如きがどうにか出来るのだろうか。
木葉は顔に焦りを見せながら、アイザックの方を向き、聞く。
「その14騎士団ってどれくらい強いんだ?」
「騎士団の中では1番弱いね」
「司教と14騎士団の全力、どっちが強い?」
「ん? 司教の方が強いね」
木葉の心配は頂点を達した。
前の世界で男は言ったのだ。『屋敷より西の山に来い』と、男は大罪教の可能性が高い、それに森の中に漂う恐怖感は並の人間が出来るものじゃない。その森では魔神獣の遥か上を行く恐ろしさがあった。
もし男が司教なら、14騎士団が勝てるはずがない。
木葉は下を向き、唾を飲む。喉に通る唾はいつもより熱く、ゆっくり落ちていく。
木葉の体は風が当たるだけで大きく反応するくらい敏感になっている。それも仕方ない。魔神獣より強い化け物が屋敷近くにいるのだ。家の近くに殺人鬼がいれば誰でもパニックになるだろう。
「俺はそろそろエリスの寝顔を拝みに行くぜ」
「感心しないけど……まあエリス様によろしく頼むよ」
木葉はアイザックに背中を向け、手を振る。その木葉に対し、アイザックは『よろしく頼むよ』と言っていたが木葉はその言葉を受け流した。
そんな木葉はエリスが寝ている部屋には行かず、代わりに王城の出口へ向かう。
木葉の顔には焦りが出ている。メイド達に変な顔をされていたがそんな事はお構い無しに木葉は足を早めた。
一刻も早く屋敷に行かなくてはいけない。今回はメアやロイの手は借りれない。相手は神を上回る強さを持ってる可能性がある。いや可能性では無い。確実に持っている。
「――あった時から思ってましたがやはり頭のおかしな人なんですね」
早歩きで出口まで向かっている間、陰口は聞こえていたが無視をしていた。そんな事を続けていた木葉は少女の声で動きを止めた。
左を見れば鋭い目をしたメアが立っていた。
その冷たい視線は木葉の背中を震わせる。1度、騎士を一撃で倒したメアの恐ろしさは木葉の体の隅々まで知れ渡っている。
そんなメアを見つけてしまった木葉は苦い顔をする。
「私に会ってそんな顔する人は貴方が初めてですよ」
苦い顔をした木葉を見たメアはため息を吐き、木葉にそう言う。
木葉は息を切らし、メアの方を向いている。
木葉の表情には怒りもあるのだろう。
「焦ってどこに行くのですか?」
メアは当然の疑問を木葉に投げかける。
木葉はメアから視線を外し、考える動作をしたが結局何も言わずにメアの方を見た。
そんな木葉に対してメアは怪訝な顔をし、目をいつもより鋭くさせる。
「まさかとは思いますけど屋敷に戻るつもりですか? 今は報告を待つのが私達の役目ですよ」
「俺は戻らねぇよ。少しある人に用事があるんだ。だから馬車を貸してくれ」
「貴方、馬車を乗りこなせるのですか?」
「小さい頃に親父に乗せてもらった」
メアの発言は木葉を心配しているのではなく、面倒事を起こさないでほしい、と言う願いである。
その言葉に対し、木葉は嘘をつくがメアは気づいていないのかまた別の心配をする。
木葉は自慢げに『乗せてもらった』と言うがメアは深く考え始め、木葉の方を1度向き直したがまた考え始めた。
少し乗っただけの木葉に馬車を1人で乗せるのは危険と判断するのが普通だが、メアはそんなお人好しでは無いのは木葉も知っている。
馬車くらい貸してくれるはずだと木葉は思っている。
「……いいでしょう。馬車を貸してあげます。但し屋敷には近づかないことです。いいですね?」
「はいはい、分かりましたよメイド長様」
木葉の素っ気ない返事にメアはため息を吐き、睨みつける。
木葉には分かっている。『屋敷には近づくな』とメアは言いたいのだろう。元より木葉は屋敷に近づくつもりだった。
決して誰かに用事があるわけが無い。ある人もいなければ、用事も言えるものではない。
「馬車はこの紙を渡せば出してもらえます」
メアから渡された紙はよくわからない文字が書かれていた。
もちろん木葉に翻訳できるわけもなく、メアの方向を見たがメアはつまらなそうな顔をし、ため息を吐く。
「翻訳なんて出来ませんよ。適当に書いてるだけですから」
「そんなん渡して馬車が出してもらえると思えないんだが」
「私の筆跡を覚えない限り、騎士にはなれませんよ」
木葉は相槌をし、『そういう事か!』と言ったがメアはゴミを見るような目をした後、エリスが寝ている部屋の方向へ歩き始めた。
「私はエリス様の様子を見てきます。決して問題事は起こさないでください。騎士様ならそれくらい簡単でしょう」
メアは木葉に背中を向けながら、嫌味を言い放ち、少し早足になった。
木葉はその背中を見届ける事はせずに馬車がある場所に歩き出す。
1秒でも早く屋敷には戻りたいが歩きで無くなったため、少し余裕が出来た。
「あれ? 馬車がある所、俺聞いてねぇぞ?」
木葉は疑問に思ったことをそのまま声に出した。
メアに教えてもらえなかった馬車の場所をただ無意味に歩き探していたのだ。
無駄な事をしたと思った木葉は大きいため息を付いた。
「馬車の場所なら私が案内しますよ」
後ろから老人の声がした。
後ろを振り向けば、白い服をし、腰に剣をぶら下げている老人がいた。
ロイは木葉の行動を不思議に思っていないのか、気遣いなのか特に行動に対し、指摘はなかった。
「図々しいのは百も承知だ。馬車の場所まで案内してください」
「私も暇でしたからそれくらい良いですよ」
ロイが歩き出し、木葉はその後を追う。
ロイは木葉より身長が高く、会話をする時は自然に見上げるようになる。身長差があると会話をしづらくなるのを木葉は今初めて知った。
木葉は視線は剣の方へ持ってかれた。その剣は特別製なのか、他の騎士が持っているものとは全く違う。アイザックも高そうな剣だったが種類は違うようだった。騎士王になれば1つ1つ作って貰えるなんてまた金持ちは凄い、と木葉は思い始めた。
歩き始め、少しだけ時間が経った。
馬車の場所まで着き、木葉は近くにいた騎士に紙を渡す。
騎士は不思議そうに紙を見たが理解したのか会釈し、馬車に付いているロープを外す。
「それで馬車などを借りてどこに向かうのですか?」
「ちょっとした用事だよ」
「ついては来るなよ、ですか?」
「ロイさんには悪いけど、そういう事です」
ロイは軽いため息をし、木葉の方を見る。
木葉から見たロイは笑顔で仕方ない、という表情に思えた。
木葉は1人で馬車に乗り込み、ロイの方を向く。
「どうかお怪我なさらぬように」
ロイは心配を口にし、木葉はその言葉に苦笑いをした後
「エリスに言われたかったな」
「エリス様に言われるくらいの成長を楽しみにしておきます」
ロイの冗談交じりの言葉に木葉は『結構本気で言ったんだがな!』と大声で返し、ロイの方をもう1度見た。
ロイの顔は戦っている時とは違い、優しい顔をしていた。戦っている時と違うのは当たり前だが、木葉にとっては普通とは思えない。切り替えの速さが並の人ではない。
そんな事が出来るからロイやアイザックは騎士王になれたのだろう。相手が知人であっても、本気で戦う姿はノアニールの子供達の憧れなのだろうか。
木葉はそんな疑問を持ちながら、王城を出る。
木葉が操作する馬車の速度は遅いわけでも早いわけでもない。ただ木葉が歩いて屋敷に着くには、3日かそれ以上はかかってしまうだろう。
「1日ずっと座ってるってどれだけ尻痛くなるのかねぇ」
「百聞は一見にしかず、君の国の言葉だよ。試しに1日座ってみたらどうだい?」
「今それをやってるんだろ」
独り言を口にしていたはずの木葉に少女の言葉は質問とついでに意見を木葉に述べる。
レイの言葉に木葉は反応を示したが木葉は少し考えた後、何も言わずに前に集中し始めた。そんな反応をする木葉にレイは『むぅ〜』と唸る。
「2人っきりなんだから無視しなくたっていいじゃないか」
「……まともに話してほしいならあそこへの招待状を出しとけよ」
「……アソコ?」
「そういう意味じゃねぇよ!」
レイの冗談に木葉は大声で返す。
レイは返事をしてくれた事に嬉しいのか少し機嫌が良さそうに木葉に話しかけている。木葉はレイの言葉を散々無視した挙句、質問をし始める。
「今回の事は司教が絡んでるよな?」
「……詳しい事は分からないけど、十中八九そうだろうね」
「……絶対に勝てない相手ではないよな?」
「傲慢と色欲はともかく、憤怒くらいなら何とかなるだろうね。何回も死ぬ事になるけどね」
レイのその言葉を後に木葉はそれ以上何も言わなくなった。
木葉の表情はいつもより真剣になっていて、体力を温存しとくため、息を最低限に抑えている。
「神の怒りって事か?」
「……神を名乗れるのは、僕と君だけだと言ってもいいよ」
レイは自慢げに言ったが、ふざけている訳では無い。それどころかいつも以上に真剣に言っているように木葉は聞こえていた。
木葉は少し考える動作をして何も無い空間に話しかける。
「俺が神ならエリスは一体なんだよ」
「君が神だと思うのなら、神なんじゃ無いかな?」
「じゃあ神だな。それ以上だと仕事が多そうだ」
「神王ってのがいたらそれはそれでお笑いもんだね」
レイは微笑する。
その姿は見えるはずのない姿を想像し、それが笑っている姿を考えるとどこからか少し怒りが湧いてくる。
そんな怒りも木葉はしまい、ため息を吐いた後、見えない存在に話しかける。
「――」
馬が歩くスピードを上げ、木葉に風が掛かる。その風に木葉の言葉は掻き消され、レイにも何を言ったのか理解しておらえずに木葉は『やっぱいいや』と言った後、沈黙が流れる。
レイもそれ以上、言う事が無いのか木葉に何も言わない。
レイは知っているのだろう。今ここで木葉に優しい言葉を掛けてしまえば、それに甘えてしまう。
木葉もそれを理解している。だから木葉もレイに話しかけるつもりは無い。
ノアニールを出てしまえば、そこから先は闇に包まれた森。
今木葉は、暗闇の中にいる殺人鬼に殺されるかもしれない。だから木葉は覚悟を決め、ノアニール王国から外に出る。