第一章18『安らぐ場所はいつも通り』
「――あああああぁ!」
木葉は覚悟していたはずの痛みに耐えきれず声が出た。
1度も味わった事のない痛み、木葉が痛みに襲われている中、誰も心配してくれる人は居ない。
「――ハァハァ」
木葉の原因不明の痛みが引いていく中、木葉に余裕が出来た。木葉は重たい体を持ち上げ周りを見渡す。
「誰も居ないのか?」
誰もいない。逆に見られていたら、また変な印象を植え付けてしまうだろう。特にメアには1番見られたくない。
信用を無くし共に戦ってくれなくなると木葉は死ぬしかなくなってしまう。
「――エリスも居ねぇよな?」
部屋には木葉の声だけが響いている。返事をする者も居なければ、無言で木葉を見ている者もいない。
「こんな時に優しい声を掛けてもらえれば少しは気分が楽に何のかな……」
部屋の中には木葉以外何もいない。木葉は気が狂いそうになるのを堪える。今少しでも狂気に心を許せば一瞬で持ってかれるだろう。
「――じっとしてても何も起こりっこないな……にしても、俺がこの世界に来て本気で安心した部屋は、何ひとつ変わってないな……良かった」
木葉にとってここは、この世界で1番心が安らぐ場所だ。ただそれすらも最初から無かったかのようにミナセ・レイは奪っていった。奴を見ながら最後を終えた。憎い……奴さえ居なければ今頃俺は見習いから使用人まで成長していただろう。
全てを奪った奴の顔が頭から離れない。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い……ただひたすらに憎い奴の顔が
ミナセ・レイが木葉に見せた最後の顔が頭から瞼の裏から消えてくれない。
顔を涙で濡らし見えぬ目で木葉を見て、哀れんでいたあの顔が、奴は知っている。あいつは、ミナセは、俺を理解した。やり直しの存在を知っていた上で俺を殺した。助言をした。よく似ているとも言った。メアが成す術もなく殺された。しかも目の前で、木葉の視界の中でメアはミナセに殺された。
憎いのに憎めない。何か奴にもきっと事情があるのだと何かそれらしい言い訳を探す。
「――こんな事になってるのに、ただ悲しい顔を見せただけのミナセ・レイを憎めないのは人間の性と言う奴かい?」
「……夢だよな? 何でお前の声が聞こえるんだよ。レイ」
「契約者として当然の権利だよ。君が抱く感情も君が見た光景も何もかも僕は見る事、聞く事が出来る」
「……お前とはあっちでしか会話が出来ないはずじゃ無かったのかよ?」
「実際はそうだね。それも契約してなければの話さ。いつでも僕は君を見る事が出来る。契約者としての当然の権利だ」
「それじゃあこれは夢じゃないんだよな?」
「もちろん。大体あれだけ痛がっていたのに、夢だったなんて事があれば、君は諦めてしまうだろう?」
「……そうだな出来ればあんな痛み、もう味わいたくねぇな」
「……安心したまえよ。同じ痛み何てものはない。それ以上だよ。木葉」
「……今頃何の用だ。俺を絶望させに来たのか?」
「……冗談が通じるくらい余裕が出来ているのなら僕ももっと酷い事を言いたかった所だけど、流石にそれも無理そうだ……僕は君を安心させに来たんだよ」
安心どころか『それ以上』という言葉のせいで不安が積もっている。
ただそれでも木葉の中にある希望は生きている。諦めるのはまだ早い。いや諦めてはダメだ。心に誓ったのだから、ただ1人の為に、見ず知らずの木葉を助けてくれた、ハーフエルフの為に
「やっぱり僕って君を安心させるのが得意なんだね」
「ありがとよ。不安は消えてねぇがお陰でそれを覆い隠すくらいの自信が湧いてきたぜ」
「……ふふ、やっぱり君はそうでなくてはいけない。さあ部屋から出て次の作戦を考えてきなよ。僕はもう引き下がるとするよ」
「ありがとよ、感謝するぜ。レイ」
「……」
レイの返事は返ってこない。今の木葉にとってそれが1番最適なのだからレイはそれを理解した上で無視をした。だから木葉も無視した事になんとも思わない。
ベッドから足を出しその足で部屋のドアまで向かう。
ドアノブに手を掛け木葉は無言で部屋を後にする
---???---
「……本当に良かったのかしら?」
「……何のことだい?」
「貴方、まだ言わないの? いつまでもそのままだと貴方だって変わらないわよ?」
「――僕は変わらなくていいんだよ。彼さえ変わってくれればね」
「そう……真実は残酷だものね」
「――」
---エリスの屋敷---
扉の先には無駄に広く、無音の廊下が続いている。そこには人と呼べる存在は無く、生物と呼べる者も居ない。
「誰かいねぇか〜?」
返事は来ない。
無音の廊下には木葉の声が響いただけだった。その言葉に反応したのは生物とは別の者だった。
「ここに居るよ」
「お前の返事は求めてねぇよ。少し黙ってろ」
「あ〜はいはい分かりましたよー契約者殿」
レイの無駄言を無視し、木葉はその長い無音の廊下で1人、音を作る。
長い廊下には先が見えない。そんな屋敷の中でかくれんぼをしてしまえば、見つけるのに良くても四日は掛かるだろう。そんな屋敷の中でただ1人を見つけることは、至難の業だろう。
「俺がかくれんぼの達人だったらな」
「そう? かくれんぼの達人でなくても私の事は見つけたでしょ?」
独り言に返事が返ってきた。その事に少しびっくりした木葉は、尻もちを着く
「もう! 大丈夫? おっちょこちょいなんだから」
白色の手が木葉に差し伸べられる。その手を持った人物は、肌が白く、白髪のロング、服装はこの屋敷の所有者の割に合わない服を着ている。貧相な服装でも無ければ特別福相な服は着ていない。難しいがその中間レベル
「俺って結構ビビりでな。脅かさないでくれよ」
「私別に脅してないもん。勝手に驚いただけでしょ」
「驚いただけならいいんだけどな。ビビりすぎて尻もちついちゃったぜ」
「ところでどうかしたの? すぐ近くにいた私にも気づかないなんて、悩み事でもあるの? 相談なら乗るよ」
「人様に軽々しく相談できるような内容じゃないからな」
「そう? でも相談した方が楽になるよ?」
「なら1つだけ聞いてくれ。メアって今どこにいる?」
「ん? メアなら今外で掃除してるよ?」
「そうか。ありがとよ……後エリスは少しの間自分の部屋でじっとしといてくれるか?」
「いいけど、なんで?」
「事が済んだら教えてやるから」
「……分かりました。部屋でじっとしてればいいのよね?」
「そうだ! 少しの間メアと出掛けるから誰が来ても絶対に出るなよ?」
「もう! 子供じゃないんだしそれくらい分かります!」
「そうでしたねぇー」
早足でその場から立ち去る。メアがいる庭へ1秒でも早くメアに会い、説得しなければならない。
こんな焦ってメアの所に行き怪しまれては意味が無い。だが今はそんな事はどうでもいい。なるべく早くメアと共にミナセを倒さなければならない。【インビジブルフレア】の存在を教えればなんとか出来るかもしれない。
「――どんだけ長いんだよこの廊下!!!」
木葉は2階に居るはずだが1階へ向かう為の階段が全く見つからない。
「そんな怪しい事をしていればこうなっても仕方ないでしょう?」
必死になり走っていた木葉に最初に掛けられた印象は疑いからだった。
「――ふざけんなよ。何がこうなってもだ。早く出てこいよメア!」
「そう言わずに……女の子というのは急がされると困ってしまうものです」
そして廊下の先から足音がゆっくり近づいてくる。その姿はメイド服を着た、白髪のツインテール、エリスと同様、肌は白かった。
「さて、私から出てきてあげたのですから、まずは説明してもらいましょうか?」
「お前を探してた。今度は俺の番だな。エリスとお前って姉妹かなんか?」
「残念ながら私はエリス様の親戚でもなんでもありません。それでなぜ私を探していたのですか?」
「お前に手伝って欲しいことがある」
「……何でしょう?」
「この世界が数日で滅びる。嘘だと思うなら思っとけ後悔するのはお前だぞ」
「……それが事実であろうと嘘であろうと、私には無視できる物ではありません。嘘を付く人間を屋敷で匿うのも嫌ですからね」
「酷い言われようだな!」
「仕方ないでしょう? 貴方を本気で信じるなんて馬鹿ですからね。ところで名前は?」
「水瀬木葉だ。由来は面倒だから省くぜ」
「由来なんて興味すらありません」
「それで今から馬車の準備をしてくれ、ノアニール王国中心部に行くぞ」
「いきなり命令口調ですか……別に構いませんけど」
「後お前これってどういう事だ? さっきから走っても階段見つかんないぞ?」
「禁術です。もちろん禁術を使う以上何かを対価に支払わなければならないのですが、レイ・ノアニールのように完璧に使いこなせれば、対価を支払う必要も無いんですよ」
「完璧ってお前まじかよ。まさか禁術全部使えたりする?」
「1つだけです。これ以上覚えようとすると、精神が崩壊してしまいますからね」
「そうですか……それって戦闘向きか?」
「全く戦闘向きではありません」
「そりゃ残念だ! とりあえず馬車の準備してくれ!」
「はいはい、分かりました。馬車の準備ですね」
話が案外簡単に進んで良かったと、木葉は胸を撫で下ろす。今ここで少ない時を無駄にする訳にはいかない木葉にとっては、好都合だった。
「ハァ本当に君はエリスを連れていかないんだね」
これから時を一緒にするであろう人物、レイに話しかけられた。レイは悪気が無さそうな声でその言葉を口にした。それに対して木葉は呆れた声で
「言ったろ。エリスは巻き込まない。それこそメアの協力を得られなくなる」
「悪いね。死人は口無しと言うけれど僕はどうやらお喋りなようだ」
木葉の呆れ声に対して、レイは木葉を煽り、言葉を止める。
木葉はゆっくり玄関へ向かう。そして視界にギリギリ全体が見える位の広い庭が現れる。広い庭には自然の音以外何も無い、周りには王国なんて物は無い、村と呼べる物も無い。この広い土地をエリスは所有している。この世界でもこれ程の土地を持ってる者は、指で数えられる程度しかいないだろう。
「にしても凄いな。どうやったらこんな土地を所有できるんだか」
「色々事情があるのですよ。ちなみに言いますと王国までの森は全てエリス様の土地です」
木葉の世界に入り込んできたメイドの姿が後ろにある。自然の音しか無かったこの庭に、2人の会話がどんな音よりも大きく聞こえる。
「どうやったらこんな土地を管理できるんだよ」
「管理は私がしてます。勝手にこの土地に入ってきた者は殺してしまっても罪にはなりません。何より入ってきたら死罪は逃れられませんからね」
「……俺って死刑?」
「エリス様が連れてきたのですからそんな事はありませんよ」
「良かった〜これで死刑とか笑えねぇし」
「そうですね。ですが鼻で笑えますね。そんな事より馬車の準備が出来ました。ノアニール王国中心部に行くのであれば今から行ったら朝になりますよ?」
「それで良いんだよ。そうじゃなきゃ勝てないからな!」
「分かりました。善は急げです。早く行きましょう」
「分かってますよーだ」
メアを馬鹿にした様な口調で、返事をし馬車に入り込む。馬車は前回通り、貴族が乗っている物ではないかと疑うレベルの綺麗さだった。あれほどの庭を持っているのだから貴族と言っても間違いではない。
「今から聞く事はマジで大事だからよく聞けよ?」
「……聞かないと貴方死んでしまいますか?」
「あぁ俺はもちろん、お前もだ」
「分かりました。話してください」
「俺達が今から戦う敵は禁術を使う。インビジブルフレアとか言ってた」
「はて? そんな禁術は聞いた事ありませんね」
「なんせ僕が作った禁術だからね。並大抵の人間が知らなくても当たり前だね」
木葉に冷たい風が首筋を撫でる。レイがメアのいる時に話したのだ。馬車に存在しない3人目の声が聞こえたとなるとメアが馬車を止めて、声の人物を探しに行ってしまうだろう。だがそんな事は全く無かった。メアは沈黙を続けている。
「どうかなされましたか?」
メアが沈黙を破り、黙りこくる木葉に問いかける。木葉はその言葉を聞き、妙だと思った。そんな謎の答えをレイは答えた。
「僕の声はメアには届かない。言ったろ? 死人は口無しだって……あっ、もちろん君が喋ったらメアには聞こえるから気をつけてね」
木葉の首筋にあった冷たい風はレイのその言葉で消えていた。木葉は良かったと小さく溜息をした。
「悪いな。少し考え事してて」
「いえ別に構いませんよ」
「それで禁術の件だけど、見えない炎って言ったら大体理解できるだろ」
「えぇ分かりました。貴方はその禁術に気をつけろとそう言いたいのですね」
「そうだ。後はもう話す事は多分無いな」
「……そうですか」
馬車に沈黙が出来た。仕方ない、今向かっている先は戦場、呑気に会話をしている方がおかしいのだ。喧嘩なんて物とは比べ物にならない。今から始まるのは殺し合い。墓に埋まるか墓に埋めるか。
1度メアも木葉も殺されてしまった。敵に傷をつけるより早く、敵は命を傷つけてきた。木葉が死んだ後起こった事は誰にもわからない。それはレイもそうなのだろう。滅んだ世界はどうなったのか、跡形も無く消えてしまったのだろうか、考えれば考えるほど頭が痛くなる。そこからノアニールまで沈黙が破られる事は無かった。
「お久しぶりです! アレスロイ様!」
「もう様付けはやめて欲しい。私の質問にだけ答えてくれ。私の妻は、エレナはどこにいる?」
「……申し訳ないのですが、分かりません……お力になれなくて申し訳ありません」
「そうか……」
「なんだありゃ?」
道の横で、騎士と黒い服を着ている男が話している。普通に話していればなんとも思わないが黒い服の男は、腰に剣をぶら下げている。メアが気づいたであろうその瞬間に、馬車が止まる。その馬車からメアが降りると真っ先に騎士と黒い服の男の元に行く
「お久しぶりですね」
「そうですな。相変わらず、変わらない、美しいお姿で」
「お世辞はエリス様に言われていればそれで結構です」
「……エリス様は今もご健全で?」
「えぇ何も変わることなく、美しいお方です」
「それで何の用でしょうか?」
「ここで会えたのも運命と言うべきでしょうね。貴方には聞きたい事が2つあります。1つは今までどこに? 2つは奥様は見つかりましたか?」
「1つ目は申し訳ありませんがお答えできません。2つ目は大体理解できるでしょう?」
木葉も馬車を降りその2人に近づく、そこにはなんとも言えない恐ろしい雰囲気が漂っている。
「それはお気の毒に……ところで騎士に戻る気は無いのですか?」
「今のところは全くありません。妻が見つかれば考え方も少しは変わると思うのですが」
「そうですか……いつでも騎士として迎え入れてくれるそうです。気が変われば、是非」
「お言葉感謝致します」
メアが会話を終え、こっちを振り向く
「早く行きましょう。ここでじっとしているわけにはいきません」
「お、おう」
メアは無言で馬車に戻った。木葉もそれに続き、馬車に入り込む
「なぁメア、あの人誰なんだ?」
「……」
返事は帰ってこなかった。メアはその言葉に興味を全く示さなく、これ以上話す事は無いと言わんばかりに無視を続ける。
「メア、あの人騎士なのか?」
「……騎士ではありません正しく言えば先代騎士王です」
「先代騎士王……?」
「ノアニールには2人の王が存在します。1人はノアニールで、1番偉いお方、国王陛下、もう1人は騎士を命令する権利を得られる、騎士王。あの方は騎士王を辞退しました。なので先代です」
「ほーそれじゃああの人は強いのか?」
「もちろんです。じゃなければ騎士王なんて席に座れません」
「あの人とはどんな関係なんだ?」
「元同僚です。と言っても権力が同じなだけです」
「権力が同じ?」
「私は王国最高のメイドとしてエリス様に仕えてます。戦闘に関しては、最上位の騎士レベルです」
「もうお前が何言っても絶対驚けない自信ある」
木葉は再度メアの恐ろしさを知った。そして敵の力も。
「もう話したい事はありませんよね? 今からは黙ってて欲しいのですが」
「すんません。もう何にもありません」
「それで良いのです」
メアが無理やり沈黙を作った。メアの戦闘能力は以前の世界で目にしている。鎧をへこませ、騎士を1発で倒したのだから。
ただそれだけ強くても今から戦う敵、ミナセ・レイには勝てるイメージが湧かない。ミナセ・レイはただ強いのだ。メアが強くても禁術には勝てなかった。禁術は1つでは無い、他にも知っているのかもしれない。そんな事があれば最初から勝てる相手では無かったことになる。それ以上、禁術を持っていない事に全ての思いを託し、木葉はまた1歩、レイのパートナーに近づいていく。
「ここです」
「知ってるぜ」
ノアニール王国中心部への扉の前まで来れた。見張りの騎士はどうやら居ないようだ。
「見張りが居ないみたいだけど、大丈夫なのか?」
「見張りが居ないのは今日、国王の息子が帰ってきたからよ」
「なんだよ護衛ってことか?」
「そうです……それに私達にとっては好都合」
「そうですねぇ」
見張りが居ない今日はミナセ・レイにとっても、ここに入るいい機会だっただろう。誰か1人でも見張りが居てさえすればあんな事にはならなかったのかもしれない。
木葉とメアは目の前の扉を開き、長い階段を降りる。階段の途中には何も無い左右を見ても、何の変哲もない壁しかない。動きがあるのは目の前で階段を降りているメアだけだった。
階段の終わりが見えると今度は長く、扉が大量にある廊下が続いている。普通の日常生活だったら見た瞬間に諦めるところだが、今はそう言っていられない、世界が終わるのにめんどくさいと言うのはいくら何でも怠惰すぎる。
そんな長い廊下にも最後が見えてきた。最後であり始まり、目の前の扉の向こうに奴はいる。待っている、この世の絶望が
「この扉の向こうにいるのですね」
「魔力ってやつか」
「そうですね。ここまでの魔力は久しぶりです」
「こんなのがまだ他にいるのかよ。世界ってのは広いな」
「開けますよ……」
メアがドアノブに手をかけ扉が開くそこには、荒れ果てた教会のような部屋があった。扉から真っ直ぐには、どういった原理か分からないが外が映る窓がある。地下に窓があり外が見える事は絶対にありえない。現実的に考えてしまえば
「どこにいるのでしょうか?」
「私の事を呼んでいるのなら答えは簡単、後ろだよ」
「――なッ」
首に激痛が走る。だがそれは一瞬、長いようで短い痛みだった。
「早く起きなよ。君は死んではいない。私は無抵抗の人間を殺す趣味は無いからね」
木葉の目の前で声が聞こえた。木葉はどこかで座らされているようだった。しかし体は動かない。木葉が目を開けると倒れているメア、笑みを浮かべているミナセ・レイの姿があった
「――メア!」
「この子は死んでるよ。この子はノアニールで10本の指に入るくらい強いらしいからね。ここで儀式の邪魔をされたらたまったもんじゃない」
「てめぇ!!」
「あまり騒がないでくれよ。私はここ数日寝てないからストレスが溜まってるんだ」
口にロープを挟まれ喋れなくさせられた。その間でも木葉は唸り声をあげ、ミナセ・レイを今にも殺しそうな勢いで睨みつけていた。
「……君って待つことは出来ないの? もうすぐなんだ少しくらい待っててよ。術式が出来次第すぐに終わらせてあげるからさぁ」
相変わらず木葉は唸り声と睨みつけるのを止めない。だが今の木葉は対抗手段がない。ロープで縛られ目の前にはメアを殺した女がいる。
「幸運だね君は……」
「――」
「そうかロープを取ってあげないと話せないか」
「てめぇ! 何のつもりだ!!」
「――この世は毎日が記念日だ。1秒間に2人、人間が生まれるんだ。植物が育つ速度は、馬鹿にならない。だがそんな記念日を遥かに超える記念日が存在するんだ。世界が誕生する日と崩壊する日」
「ふざけんな!」
「知ってたかい? 闇神獣は誰にも操れない。そいつは気まぐれでね。そんな奴がどうやったら世界を確実に破壊してくれると思う?」
「分かるわけねぇだろ!」
「それもそうだね……ここは特殊でね。魔神獣って知ってるかい?」
「なんだよそれ……」
「闇神獣はここに眠ってるけどね、魔神獣はこの上、天で眠ってる。魔神獣と闇神獣は犬猿の中でね。そんな奴らが同じ世界で召喚されたらどうなると思う?」
「まさかお前……」
「そうだよ! 戦わせるのさ。最強と最凶が戦えば周りの被害は、考えなくても分かるだろう? 2神同時召喚ってやつだよ! どうだい? 豪華だろう。こんな事を考える狂信者はもちろん、魔術師なんて居なかっただろうね! 仮に居たとしてそれを実現出来なかった!」
「……狂ってる。いやお前は狂ってるなんて言葉で言い表せねぇ。お前は正真正銘の化け物だ」
「はは、いいよ! その言葉。褒め言葉だ。外を見てみたまえよ。人類生まれて初めて、肉眼にも見えるくらい、近くに絶望が来るぞ」
空は太陽が見えなくなるくらいに闇の霧が漂っていた。木葉にも分かる。膨大な魔力が空に満ちる。世界の終焉をもたらす者には丁度いい、いやそれ以上の魔力。
「ハハハハハ!! 誰にも実現が不可能だった絶望が! レイ・ノアニールでも無理だった。世界の終焉が!!」
「う……そだろ……」
真っ黒の世界に変化が訪れる。空が割れ、そこから巨大な漆黒の触手が現れた。その触手が地面に着地する。軽く着地した触手は、着地した地面を腐食し始める。着地した所からゆっくり腐食が広がり、建物が、地面が、人間が、何もかも全てを、触手は消している。本体が顔を出す。見た事がない、例えようのない絶望、神の姿。大量の触手が地面に触れ、腐食が更に早くなる。
漆黒の触手が暴れ回る。この世界で、この生物が現れたのは1度も無かっただろう。触手は人の命で遊んでいた。死体を投げたりしていれば、地面に叩きつけてもいた。
そして割れた空から顔を出していた神は、そのまま地面に着地した。犬の様な牙を持ち、蛇のような長い体、割れた空から触手が出ている。それが神と謳われる化け物の姿、世界をスイッチ1つで消せるような、とんでもない怪物
そんな神は勢いを無くさず破壊を続けている。どんな叫び声も神には届かない。
「神にとっては私達の命なんて宇宙で飛び回っている微生物かそれ以下でしかない! 全てを壊してくれ、何もかも……」
「あ……ああぁぁぁ」
「あれ? おかしいな闇神獣が召喚されない……まあいっか、この調子だと丸ごと壊してくれるよね……あっそうだ、君のロープ全部外してあげるよ。最後の時を幸せにね」
「あぁぁ」
「さて私は神をすぐ近くで見ていることにするよ。じゃあね大罪人」
ミナセ・レイは魔法を使ったのだろうか、一瞬で消えてしまう、だがそんな事は木葉にとっては些細な事だった。目の前の『神』を目撃して正気を保っていられない。神はなんの躊躇もなく人間を、建物を、全てを消していく。終わる事の無い絶望、どうする事も出来なかった木葉への罰。
生命なんて偶然の産物、命なんて物に最初から意味などなかったのだ。ゲームの主人公を殺すのに何とも思わないのと同じように神は、人間を、生物を潰していく
「ああああぁ……」
正気が保てなくなった木葉はやがて眠りに入る。世界が終わる中、脳は動かなくなった体を休める事しか考えていなかった。正気は狂気に変わり、木葉は膝から崩れ、夢の世界へ入っていく。邪魔する者は居ない。終わるこの世界で木葉を叱る奴も、褒める奴も、心配する奴も、もう何もかもどうでも良くなった。
木葉はレイの元に行く事無く目が覚める。冷たい地面で寝ていた木葉の体には異常と言えるものは、何1つ無かった。
「……どういう事だ?」
木葉は自分に問いかける。その言葉に返事が出来る様な答えを持ち合わせていないのに木葉は気づいた。
「死んでないのか……?」
痛みはない、生き返った場所も召喚が行われた場所で変わっていない。もし世界が巻き戻っていないのであれば、エリスは屋敷にいる。木葉はその事に気づき、重い腰を上げる。
「傷1つ無いって本当に巻き戻って無いのか分からなくなるな……」
長い廊下と階段を終え、外に出る。そこには崩れた家や死体が転がっている。8歳位の子が居れば70は超えているであろう人もいる。だがそのどれも魂の無い肉の塊になっている。
巻き戻っていない。それを証明するかのように木葉の歩く場所には至る所に死体がある。頭が無い者や手足の無い者まで。木葉はその道を、屋敷まで続く道をゆっくりと進む。変わり果てた世界。前回の死でも見た事が無い、酷い状態だった。そんな所を目撃しても木葉の足は止まらない。エリスが、この王国の西にある屋敷にいる。
木葉は自分が無事だった事により、魔神獣は帰ったのだと確信できた。偶然、屋敷まで被害が行っていないかもしれないと期待に胸を膨らます。
「――屋敷にエリスが……居るんだ。早く行かなくちゃ、エリスが待ってる……」
木葉の足は早くなる事もなく、遅くなる事も無い。ずっと同じスピードで屋敷まで確実に近づいていく。
そんなスピードを保ったままエリスが所有する森に着いた。森に入ってしまえば屋敷までそう遠くない。森には被害が及んでいないように見える。王国と比べ静かな自然が木葉の足を早める。ここまで被害が無いのなら屋敷は無事かもしれないという木葉の考えが、自然に足を早めてくれる。
そんな期待も簡単に打ち砕かれる。屋敷は見るに堪えない姿になっている。初めて屋敷を見た時とは全く違う姿。これが屋敷と言われても気づけないくらいに。
「な……んで……?」
魔神獣の被害はここまで来ていた。こんな屋敷の中でエリスが生きている可能性など0がいい所だ。この中でエリスが生きていたとしても、瓦礫の山の中、木葉の力では到底助けられない。頑張ったとしても何ヶ月も掛かる事だろう。
後ろから殺気とも取れる、ミナセ・レイと同じ気配がする。その気配に気づいた木葉は後ろを振り向こうとするも
「後ろを振り向かないで欲しいのう」
決して老人の物では無い、若々しい声が木葉の後ろでそう言った。木葉はその言葉を正直に聞き、後ろを振り向く事を止めた。振り向けば死ぬ、木葉にはそう感じられた。
「……酷い有様じゃのう? 何故こんな世の中になってしまったのか俺にも分からん」
言葉の主は冷静な声でそう言った。こんな状況で正気を保っていられる者はそう多くいないだろう。まず生きている者が2桁もいないのかもしれない。
「……君はきっと大罪教の1員になれるじゃろう。また会う機会があればここからもっと西側の山に来ておくれ。いつでも歓迎する」
そう言い残し、言葉の主はどんどん遠くなる。足音が遠のいていく、木葉が後ろを向く頃にはその姿はどこにも無かった。そして屋敷にもう1度顔を向ける。
足を前に出し、ゆっくり瓦礫の山に近づいていく。瓦礫の中には赤く光る物がある。木葉の鼓動が早くなり瓦礫の上を通りそこに近づく。瓦礫に付いていた赤色の光る物は、確実に血だった。この下にエリスが居る。
木葉の顔に絶望が浮かぶ。希望なんて物はこれっぽっちも無かった。後ろ側に倒れ瓦礫に頭をぶつけても木葉は痛がる事は無い。そんな事はどうでもよかった。目に映るのは空ではなく目に見える絶望だった。
木葉は今初めて本気で死にたいと願った。その願いを叶えてくれる者はもはやこの世界には居ない。そんな事は分かっている。だがこの地獄を終わらせてくれるのは死しか無いのだ。
だが願いを叶えてくれるほど世界は甘くない。そう悟った木葉はゆっくりと目を閉じこの世界を後にした。