⚠︎FICUMENT2.0「シュレーディンガーの小説」
あなたが今読んでいるこの文章が、面白いものなのかあるいは取るに足らないつまらないものなのか。それは「読んでみなくてはわからない」。たとえこの小説にまつわる他人の評価や噂を耳にしたとしても、それはこの小説の真実を理解した事にはならない。いや、そもそも小説の真実などというものは存在し得ないと、彼ならば言いそうだ。あらゆる可能性の世界の数だけ嘘が存在し、観測者の数だけ嘘が存在するだけだと。
2.1
「ばかじゃねぇの」
ひどすぎる。あまりにもひどすぎるではないか。
「自分の言葉に酔いすぎなんだよ。はっきり言って意味がわかんねぇ。厨二か。」
さすがにここまで言われる筋合いは無いのではないか。
「自分の言葉が稚拙なのはわかってますよ。」
「いじけんなよ。いいかぁ?俺がてめぇに足りねぇモンを教えてやる。それはな。」
「それは…」
彼の真面目な口調にこちらも身を乗り出す。
「それはエロだ!」
「は?」
「お前の文からはエロさが全くない!!てめーそれでも厨二か?」
どっちなんだよと思いながらもすでに僕はウィットの聞いたツッコミを入れる余力もなくなっていた。秒刻みで矛盾を生じる彼の発言にすでに僕の感覚は麻痺しはじめている。
冒頭より汚言、醜語の極み、大変失礼いたしました。読者のみなさま、お久しぶりです。佐藤真です。僕はこのとき大山学院大学のコンピュータールームという、やや時代遅れ感のある教室の一角に拉致監禁。もとい「缶詰」にされ、お察しの通り皆様が先ほどまで読まれていた⚠FICUMENT1.0「出会いシステム」の執筆を強要されているところ。
すでに執筆から1週間は拘束されており、書かない時間は食事と風呂と睡眠のみ。さすがに精神的に限界を迎えつつある。後に知った事だがこのとき自分が行方不明になったということで何人かの方にはご迷惑をおかけしたとのこと、この場を借りて謝らせて頂きたい。僕を拘束するこの傍若無人な男、もはや紹介する必要もないだろう。「うそまる先輩」こと磯丸哲太そのひとに他ならない。
「現実がどうとかじゃねーんだよ。あぁ?このご時世、作家はニーズに応えてなんぼなんだよ。ほらぁ櫻井ルカとか本田の妹とか、もっとエロく書けんだろがぁ!妹ちゃんと一晩過ごしたんやろが!こうキャ〜えっちー!的な嬉し恥ずかしエピソード盛り込んでこいやwww」
「いや、オリジナルのキャラならまだしも、現実にいる女の子にそんな事できませんよ」
「うーそーだっつてるやんけ!ほらてめぇも書いてんだろが!ここんとこ!声出して読んでみろ!はい、読者の皆様ご一緒にwww」
この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。
「はい、よくできましたwww」
僕はうそまる先輩とこの文章をさっきから何度となく復唱させられ、もはや洗脳の域に達しているのではないかと思い始めていた。もし前回までの作中に不自然なセクシー展開が見受けられているようであれば、このような経緯によるものである。この場を借りてお詫びを…って僕はさっきから謝ってばっかりではないか。
この一週間、うそまる先輩と一緒にいた事でかなり彼の特徴がわかってきた。見かけより悪い人ではないというのが僕の総合的な彼への評価だ。ただ、その見かけがあまりにも悪すぎる。基本的に汚い言葉を発していないと気が済まないようで、さして親しくない人間にも簡単に毒を吐く。嘘というよりヘイトを愛していると言った方が的を射ている。さしあたって「うそまる」あらため「くそまる」とでもした方が良いのではないかと思うがそんな事は口が裂けても本人には言えない。特別暴力的と言うわけでもないのだが、なぜか彼には逆らう事ができない。いや、それを言うなら彼の精神的な暴力を恐れていると言った方が良い。人の心の奥底を一瞬で見抜き、触られたくない部分にその無精髭を押し当ててゴシゴシとやるような嫌らしい言動が彼の常套手段だ。
とまぁそこまで汚点を並べながらも「悪い人ではない」と僕が感じるのは一体何故なのか。そこが未だに自分でも謎であり、大山学院大学七不思議 のひとつにノミネートしてもおかしくはないと思える(そんな七不思議があるのかは知らない。)
さしあたっていま僕を悩ませているのは、小説の行方である。「出会いシステム」に関しては僕自身の身に起こったことを比較的そのまま描けばよいのだが、問題はこれから僕が書かなくてはいけないフィキュメントオリジナルの方の後半だった。渋谷で起こった殺人事件の真相をどう魅力的に描くべきか、正直僕は考えあぐねていた。うそまる先輩も「それに関してはお前に任せる」の一点張りでなにもヒントをくれない。いや、ヒントを貰おうというのも甘えてるのかもしれないが。
とにかく僕はもう徹夜続きのこの状況で限界がきていた。これでは出るアイデアも出ないというものだ。
すると、PCルームに珍しく研究生の人が顔を出しうそまる先輩に話しかけた。
「あ、うそまるくんここにいたのかぁ、茂呂教授がすぐ研究室に来るようにと言ってたよー。」
「うぁwまぁじかよ、やべぇな…」
これは願ってもいない好機である。茂呂教授とやら、なんと感謝すれば良いのだろう。
「ったく。じゃあちょっと行ってくるわぁ。てめサボんなよ?」
「ええ、サボりませんとも」
読者の皆様に置かれましてはもはや言わずもがなであろうが、ここはあえて言わせて頂こう。忘れないで頂きたい。
我々うそぶは嘘をつくのだ。
”S wave!
聞いていただいたのはmimiで『もうひとつの世界』でしたー。
さぁShibuyaFM道玄坂スタジオは今すっごいいいお天気なんですけど、ここでウェザーニュースです。今日は午前中はとても過ごしやすく気持ちの良い晴れ間が広がりますが午後から所により強い雷雨となりそうです。お出かけの際は傘を忘れずに、お洗濯物の干しっぱなしにはご注意くださいね。週間予報です...”
スマートフォンでいつものラジオを聴きながら、僕は大学の構内を歩いた。サボりとはなんと幸せなことであるか。僕の心はまさに籠を飛び出した小鳥のごとく自由であった。
空はまぶしいくらいに晴れていて、PCルームに缶詰にされて疲れ果てている僕の身体には少し堪える。そして僕はふと、先週もやっぱりこんな晴れた天気だったなと思い出す。あのエイプリルフールから1週間。ゆっくり考える時間はあまり無かった。ただ、自分の生き方が少しだけ変わったのは確かだ。
桜はほとんど散ってしまった大学の裏門へと続く道。やはり頭から離れてくれないのは後ろ姿の彼女。シンプルに言えば僕はふられたのだ。あのとき彼女をあれ以上追いかけられなかったのは、僕の臆病さゆえだろうか。実際のところ冷静に考えて理由の99.9999999〜パーセントはその通りであるのだが、ほんの少しだけ言い訳をさせて頂くならば彼女のあの行動に、何か強い意志のようなものを感じた気がするからという理由もある。あるはずである。なくはない。ところで99.9999999〜という数字と100との間には果たして何らかの値が存在しているのだろうか?と疑問に思う。100−99.9999999〜=0.0000000~となり仮にこのゼロの連鎖の続くのが「無限」と定義されているのであれば、それはまさしく0ではないのか。100−X=0ならば、Xは100である。よって99.9999999〜=100であるのではないか?とか詳しいところは文系の僕にはわかりかねるが...これはだめだ、ずっと小説ばかり書いていたものだから、いざ頭の中が自由になるとどうやら思考がまとまらない。
見ろ。ついに僕の頭は幻覚まで見せ始めたらしい。誰もいないと思っていた道の先に気がつくと人影が見えてくる。
「ミサキ?」
つい、声が出てしまっていた。しかしその人影は僕が記憶しているミサキよりもずっと小さく、幼げなものだった。そうか僕はロリ属性があったのか!と僕は悟った。小5ロリと書いて悟りである。妄想の中でミサキをこれほどまでに幼く再現してしまうとは、僕もとうとうおしまいだなぁなどと巡らせながらはっと我に帰った。そこにいるのはミサキではなかった。
結論から言うと、つまり、ひとちがいだった。
やってしまった。やらかしてしまった。
見ず知らずの、それも年の頃も10歳かそこらの女児に人違いとはいえ声をかけてしまうとは。はたから見れば完全にロリコンの犯罪者ではないか。先ほどとは別の意味で僕もとうとうおしまいだなぁという思いが再び押し寄せる。
少女は訝しげな顔で僕を見つめ返す。いやまて、冷静に考えてみろ。ここは一応大学の構内だ。そこにこんな子供が1人で一体何をしているというのだろうか。迷子であれば大学の迷子センターに連れて行かねばなるまい(そんなセンターがあるのかどうかは知らない)
「きみ、(こんなところで何をしているの?誰か大人の人は一緒じゃないの?)」と我ながら紳士的に少女に問いかけようとしたそのときである。
彼女は僕の目を見つめて、ゆっくりと目を閉じた。
うそだろ。待ってくれ。僕はこの展開を知っている。さっきまで僕がPCルームで書いていた小説にそんなおまじないが出てくる。なんといったか。
3、2、1
少女の長いまつげがぱっとひらく。
そうこれはまさしく「出会いシステム」そのものである。そして彼女が次に発する言葉を僕は知っている。
「おとうさんですか?」
ちがった。思ってたのと違った。なんだよお父さんですかって?僕はあなたのお父さんではありませんよ…た、たぶん。というか、冷静に考えろ俺。子供とはいえ、こんなそこそこ大きな子供が自分のことをお父さんと間違えるはずがないではないか。これはそんな『父を尋ねて3000里』的な感動ストーリー文脈で発された言葉ではないのである。つまり彼女の言う「お父さんですか?」はこういうニュアンスだ
「(こんなところで私みたいな子供がうろうろしていたから、心配してくれだんですね。私の)お父さんですか?(それなら今日一緒に来ているので安心してください。お兄さん優しいですね大好きです。)」と言うことだ。少々僕なりの脚色があるかもしれないが、まぁそれほど大した問題ではないだろう。
問題は彼女がいまとった行動が「出会いシステム」なのかどうか?である。まさかフィキュメントオリジナルが小学生の間で密かにブームになっているなんてことだったりするのだろうか。それは由々しき事態である。とはいえ、急いてはいけない。ここは大人の対応をしなくてはと気を取り直す。
「うん、お父さんとか、大人の人は一緒なのかい。」
すると少女は少し困ったような、考えるような顔をして見せてから。
「うーん。もし、お父さんもお母さんもいなかったら貰ってくれますか?」
「なっ!?」
なんという急展開なのだ。変態扱いされて社会的に抹殺されることばかり恐れていてこのトラップには油断していた。ここは大人としての何かが試されているのだろうか。僕がスマートなイケメンであれば、
そうだね、君がもう少し大きくなって素敵なレディになったら迎えに来てあげるよ。
なんて返してあげるのだろうか。
そんなこと言えるかアホ!これはお話の世界じゃない!現実なのだ!いやまて、果たして現実なのか?いやいやいやいや、そんなことを考えてる場合ではない!
仮に現実だとするならば、現実ではありえないこの展開にもう少し冷静に対処しなくてはならない。佐藤真は行きずりの少女にひとことふたこと話しかけた程度で思いを寄せられるような、イケメンではまずない!謙遜でも自虐でもなく、悲しいことにそんなことはまず、起こりえない。つまり、少女がどんな意図で今の発言をしたのかを見極めなくてはならないのである。そして僕がその答えに気づくのにそれほど時間はかからなかった。
彼女の足元に小さなダンボールの箱が置いてある。それは僕も実際に実物を見るのは初めてというくらいステレオタイプでベタすぎる代物だった。ダンボールの中にタオルが敷かれ、その上を小さな子猫が「ナーン」と寂しそうな小さな鳴き声を出して小さな手で顔をくしくししている。名前はまだ無い。箱には当然おあつらえむきにあざとい張り紙が貼られており「ひろってください。」と書かれている。あまりにも古典的すぎて逆に現実味がない。いや、果たしてこれは現実なのか?と、またしてもゴールの見えない迷路に迷い込みそうになるがいい加減にしておこう。話が進まない。
つまり少女は自分が迷子であるかどうかという問題よりも、目の前の迷子をどうにかしてあげたいようで心ここに在らずというような受け答えをしているのだ。確かに最初の「お父さんですか?」と受け答えをしたときは自分のお父さんはどこかにいて、今たまたまいないだけだから大丈夫といった雰囲気ではあった。何より彼女自身がそれほど困ってもいないようだった。
そして自分の親のことを考えたときに、同時にこの子猫の置かれているあまりにも不憫な状況に切なくなったのだろう。この小さな迷子の親はどこにいるのかと心配になったわけだ。
「捨て猫かぁ、こんな大学の敷地内で捨てる人がいるんだなぁ」
「どうしよう、このままじゃこの子、生きていけないよね」
「困ったね。君のお父さんは猫を飼うことを許してくれないの?」
「たぶん、ダメって言うと思う」
「ちゃんとお願いしてみたら?自分のやりたいことはちゃんと伝えないと後悔するよ。」
自戒も込めて。親というものは子供にとって絶対的な存在である。時に些細なことで、どうしても超えられない壁として立ちはだかる。でもそうしたことが時折、後になって後悔に繋がることがあるのも事実だ。自分の気持ち、自分のやりたいことを打ち明けられないでいるのは辛い。
そんな年寄りの忠告などうわの空で、少女は可愛らしい子猫をそっと抱き上げる。ふと彼女が声をあげる。
「ねぇなにこれ!これみて!こんなのついてる」
子猫に首輪というのもあまり健全ではない印象だが、不穏なのはそれだけではない。真っ赤な首輪についているアクセサリー。そこに見覚えのある金属部分が見えた。
「USBメモリだ。」
猫にUSBメモリという組み合わせはあまりいい印象がない。なんとなく昔のニュースを思い出しながら僕はまたしてもやっかいなことに首を突っ込みはじめているのではないかという気がしてきた。
「あの」
少女が、僕に対してやや申し訳無さそうに、言いにくそうに見上げてきた。そんな仕草が少しだけミサキを彷彿とさせる。
「これ、どこかで中身を見れますでしょうか。」
小学生独特の礼儀の正しさと馴れ馴れしさで、彼女はそう言った。まぁ、猫を飼ってくれと言われるのはちょっと勘弁してほしいが、そのくらいであれば構わない。
「いいよ、じゃあついておいで。君、名前はなんていうの?」
「リンです!」
「リンちゃんか、いい名前だね。上の名前は?」
「んー。」
考えるようなことなのだろうかというくらいの間を開けて彼女は子供らしく答える。
「ないしょ!」
2.2
大学構内でUSBメモリを使うことのできる環境は意外と限られている。最近は学生達は皆ノートPCを持ち歩いているので、彼らに借りるのが手っ取り早いのだが、今日は休日のため大学に人がいない。そこで、ストレートに思い浮かぶのはPCルームなのだが今PCルームに向かうのは大変危険だ。せっかく執筆作業をサボってぶらぶらしているというのにうそまる先輩に鉢合わせたら元も子もない。そこでふと名案が浮かんだ。うそ部の部室に一台、少し古い型のPCが置いてあったのを思い出したのだ。(逆に言えばそれ以外なにもないあまりにも粗末な部屋である。)
そして僕たちは子猫を連れて、我が校の誇る文化の魔窟サークル棟へと足を踏み入れていた。正直、10歳かそこらの少女をこんなモラルの通用しないスラムのような場所に連れてくるのは気が引けたが、致し方がない。成年向けの書籍が散乱していないかどうか細心の注意を払いながら僕は彼女と猫を棟の2階へと案内した。2階は文化系(?)のサークルが多いため比較的(あくまで比較的に)片付いている。その角から2つ目の部屋。ここが僕たち『うそぶ』の部室だ。古い団地のような鉄製の重いドアには文芸部と書いてあるが大丈夫なのだろうかと思いながら、丸く鍵穴がついているタイプのドアノブをひねる。
「あれ?」
ガチャっという音が途中で止まり扉は開くことを拒んだ。鍵がかかっているようだ。入部の時に鍵などはもらわなかったが、どこかに置いてあるのだろうか?
うそぶの部室というのはかなり名案だと思ったのだが。リンがそわそわと心配しながらこちらを伺っている。困った。
こうなるとやはりうそまる先輩に殺されることを覚悟でPCルームに行かざるを得ないか。
「おや?なにかご用ですか?」
後ろから聞きなれない声がした。振り返るとそこには背の高い長髪の男が1人立っていた。大学の学生だろうか。髪は後ろで結わえられ小綺麗にしている。身長がなければ女性に見間違えるような鼻筋の通った整った顔立ちで、フレームの細い丸眼鏡は知的な印象を醸し出していた。
「あぁ、いえ、ちょっと部室の鍵を忘れてしまったようで入れなくて」
「部室?その部屋はいま、どこのサークルも使っていないと思いますよ。」
「え、どうゆうことですか?」
日の光りが少しずつ陰って、ひんやりとした空気があたりに立ちこんでくる。
「いえ、元は文芸部の部屋だったんですけどね。確か、4.5年くらい前からですかね、ある事件があってから使われてないんですよ。」
なんとなく背筋が寒くなった。確かに僕たちは先週この場所にうそぶの部室だと言って招待されたはずだ、もしかするとまたうそまる先輩の悪い癖だろうか。実はあのときの話も全て嘘でうそぶの部室なんて最初から存在しないってオチだったりするのだろうか。残念なことにそういう展開も容易に想像ができてしまう。彼ならやりかねない。仮にそうだとしてもだ、問題はこの部屋がなぜ4.5年も使われていなかったかである。部屋を使わせなくさせるほどの事件とは一体何があったのか。
「興味あります?」
彼は僕の心を透かし見るように言った。
「いや、まぁそうですね。ただ、ちょっとそれより先にやらなきゃいけないことがありまして。」
すると僕の後ろに隠れていた少女と猫に気づいて彼は言った。
「おや、そこにいるのはリンさんじゃないですか。どうしたんですこんなところで?」
彼に声をかけられまた僕に隠れるリン。
「この子のこと、ご存知なんですか?」
「えぇ、有名ですよ?大山学院大学の七不思議のひとつです。一部では座敷わらしではないかとの噂も。」
「えっ」
瞬間ピカッっと一瞬空が光りゴロゴロと鳴り出した。天気予報が当たったらしい。
それにしてもどうやら本当に我が大学の七不思議は存在していたようである。この手のものはどこの学校にも存在するらしい。
リンがぎゅっと僕のTシャツの裾を握って引っ張りながら僕だけにこっそりと話す
「リン、おばけじゃないよ。」
「知っとるがな!」
ただ、どうやら話を聞く限りではリンはよくこの大学に遊びに来ているようだった。
「ちなみにやらなければならないこと、というのはその部屋となにか関係があるのですか?」
なんとなくこのひとを食ったような話し方をする長髪男に一抹の不安を抱きながらも、もう少しだけ話を聞いてみたいと思った。
「捨て猫を拾ったんですが…」
と僕は事の経緯を簡単に伝えた。
「そうですか。首輪にUSBメモリとはなにやら気味が悪いですね。そういう事でしたら私たちのPCを使って下さい。」
私たち?彼はどこかのサークルに属しているのだろうか。そろそろ彼の素性のわからないまま会話を続けるのも潮時かと判断し核心に触れる
「そういえばあなたは?」
「おっと、これはごめんなさい。私は隣のサークルの者です。」
そう言いながら彼は僕たちのいる横の扉、1番角の部屋のドアに鍵をさした。
「アフォーダンス研究会、部長の瀧東と申します。以後お見知りおきを。」
「アフォーダンス研究会?たきとう?」
そもそもアフォーダンスとはどういう意味だっただろうか、研究とつくぐらいなのだから何か専門的な言葉なんだろうなと思いマーケティング用語か何かだろうかと想像しながら話をあわせる。何となく聞いた事があるような気がしてくる。
そう言えばお恥ずかしながら隣の部室がなんのサークルなのか、いやそもそもこの大学にどんなサークルが存在しているのかさえ、僕はよくわかっていなかった。
「雨も降ってきましたし、雨宿りついでに見学もしていかれてはいかがですか?」
うそぶの部室もとい元文芸部の扉と左右逆向きに隣り合わせの扉がゆっくりとひらいて僕たちは中に案内される。
「うわぁ…」
サークル棟に入ってもなにも言わなかったリンがこの部屋には驚嘆の声を漏らした。そこは、なんと表現すれば良いのか、この部屋の様子を表現する言葉を僕は思いつかない。
「ビレバンだ…」
そうだ、まさにその通りだ。リンのその表現はまさにこの部屋を端的に言い表していた。ヴィレッジ・ヴァンガード渋谷大山学院大学店と称して差し支えないだろう。6畳ほどの小さな部屋の壁面は全て本棚になっており、そこには種々雑多な書籍と珍妙な雑貨たちで埋め尽くされている。卑猥なパーティーグッズが置いてあると思った横には博物館から盗んできたのではないかと思われるような精巧な土偶やらアフリカ民族の楽器やらが所狭しと陳列されている。天井にはアイドルのポスターが貼られていたり、ドローンを改造した怪しげなマシーンや豚の腸詰め(おそらく偽物)が無惨にぶら下がっている。
そしてそのカオス空間の中央に神々しく鎮座しているのが
「おこただ!」
そう!なんとここのサークルはコンクリートうちっぱなしの室内に掘りごたつをこしらえているのだ。もう四月も中旬にさしかかろうというのになんという体たらくな空間であろうか、おくびもせずに堂々と人をダメにする最強兵器を格納している。そしてこの凶悪な兵器は時を待たず一人の少女と一匹の猫を魅了してしまった。やはり猫と言えばこたつ。こたつと言えば猫である。けしからん。これは重大なテロ行為だ。
「あの…」
「なんでしょう?」
僕は彼にやはり確認しなくてはならないと意を決した。
「アフォーダンス研究会というのは具体的にどんな事を研究してらっしゃるんですか?」
「良い質問ですね。」
瀧東さんは少し考えてから先生のように話し始めた。
「辞書的な意味で言うならばアフォーダンスとは『環境が動物に与える意味』というような表現をされています。」
「環境問題ですか。」
「違います。」
違ったようである。
「この世に存在するありとあらゆる物の造形、構造というものは、それを使う人の行為にひもづいて存在しているという考え方です。」
「いやに抽象的ですね。」
「たとえば、あなたは今『やっぱり猫はこたつで丸くなるものだな』と思ったでしょう?」
「エスパーですか。」
「違います。」
違ったようである。
「こたつは猫にとって丸くなる行為を誘発する環境であり。こたつの造形や価値が猫にとって丸くなる行為をアフォードしているということになる。」
「なるんですか。」
「この環境と動物の間にあるアフォーダンスと言う考え方はインテリジェンスデザインと密接に関係しているのではないかと我々は考えています。」
いったい何の話なのか正直さっぱりわからないと首を傾げたその時、ガチャリとドアが開き、新しい顔ぶれが現れた。
「お疲れ様ですー!いやぁ急に降ってきましたよぉ〜傘持ってきてないのになぁーテキトー先輩傘持ってますー?。」
と言いながらすこしなよっとした小柄な男性(というより男の子という印象)と
「あれー?珍しい。アホ研の部室にお客さんですかぁ?」
とのんびりとしたトーンのすこし身体の大きな女性。テキトー先輩?アホ研?それを聞いて僕のかすかな記憶が蘇りかける。
「やぁ、2人とも今日は遅かったね。こちらは…えーっとそういえばまだお名前を伺ってませんでしたね」
「あ、ごめんなさい、文学部2年生の佐藤真...と、いいます。」
思い出した、そういえば櫻井が昔そんな話をしていた気がする。アホ研のテキトー先輩。
「あなたがアホ研のテキトー先輩ですか!」
「君が噂の佐藤真くんか!」
むむ?いったい僕のどんな噂が流れているというのだろうか。まぁひとまずのところは僕が思い出したことをここに書かせていただこう。
渋谷大山学院大学 アフォーダンス研究会、通称「アフォ研(アホ研)」とは数多ある本学院のサークルのなかで最も謎に満ちたサークルであるらしい。いわゆる「飲みサー」であろうという噂もあるがどうもことはそれだけではないらしい。まずもっておかしいのはその資金力だそうだ。毎年11月に行われる学園祭『渋乱祭』では圧倒的な機材と人的リソースを有したハリウッド顔負けの出し物をし、人々の目を奪っては去っていくということで恒例となっている。昨年はたしか、プロジェクションマッピング
毎年地域の住民もそれが目当てで学園祭に訪れるほどだという。その資金源がどこにあるのかというと、なんとあらゆるカテゴリーの懸賞論文を総なめにし、学生部門とつく幾多のコンテストというコンテストに優勝しているらしい。その賞金の累計たるや恐るべきものだと伺っている。いわば学内の最も優秀な学生のみが集うサロンのようなものだと妄想を膨らませる学生もいる。もうひとつこのサークルの噂をあげるとすれば恐るべき情報ネットを有しているらしいということだ。大学の不祥事から個々人の恋愛事情、おとしもの、迷子に至るまで校内外あらゆる事を把握している情報屋で、困った学生たちのお悩み相談をしながらあらゆる問題を解決しているらしい。(それもひとつの資金源になっていそうである。)一部の噂では裏社会とのパイプを持っているなどとも囁かれている。とはいえ噂は噂。僕としては尾ひれや背びれが余す所無くつきまくっている眉唾話だろうとたかをくくっている。なぜならその実態は全く持って不明確な事ばかりだからだ。
そしてかの部長。「テキトー先輩」こと瀧東ナオト。本学4年生。その異名の通りとも言うべきか、彼の適当さは常軌を逸しているという。いや、適当であるという事に対して全く適当ではないほど真摯に適当なのである。彼にかかればあらゆる理屈が変幻自在に歪められ、通らぬはずの道理がワープホールのごとくまかり通るという。
「あなたが有名なテキトー先輩でしたか。あまり大学に来ない僕でも何度かお噂を聞きましたよ。」
「噂という意味じゃ、君もなかなかHotだと思うけどね。文学部2年の佐藤真くん。」
「その、僕の噂というのは一体なんのことですか。僕はこれといって噂されるようなことは何も。」
「いやいや、あのうそまるくんに目を付けられてるっていうだけでこの大学じゃあすぐに広まるよ」
そういうことか。それは僕の噂というよりうそまる先輩の噂と言ったほうが正しい。
「へー、あのうそまるさんに見初められた子がどうしてまたアホ研に?もしかして掛け持ち入部希望?やめといたほうがいいと思うよー。」
とこたつに入りながら小柄な男が話かける
「あ、僕は小鳥遊カイト。みんなからは『とんび』って呼ばれてる。よろしくね。」
それに続いて女性の方もゆったりと続ける
「私は亀井サエコといいます〜。皆さんは『カメ子』って呼んでくれてます〜。」
「なんだか、動物園みたいですね。よろしくお願いします。」
と僕は少し笑いながら挨拶をした。
「掛け持ちをやめたほうが良いというのは?」
「あー、うそまるさんだよ。あのひと、うちの部長を目の敵にしてるからね。」
「とんびくん。」
おしゃべりな小鳥を咎めるように、瀧東は彼を目で叱った。
まぁなにやら大学の人間関係というものはフクザツらしい。引きこもりの僕にはあまり縁のない話で、できる事ならこれからもあまり関わりたくないものだと思った。
「みんないろんな名前があっていいなぁ。」
さっきから猫と遊んだり、もらった画用紙にクマみたいな猫の落書きをしたりと自由気ままにしながらも話を聞いていたリンが口を開いた。その落書きはなんとなくどこかで見たことがあるような気がした。
「ねぇ!この子の名前何にしようか。」
「名前?ちゃんとリンちゃんが飼うことが決まってからにしないと、今つけちゃったら変に愛着わいちゃうと思うけどなぁ。」
「いいから!何か考えて!真さん!」
さっきも感じたがこの子は思いのほか強情なところがある。子供という立場を余すところなく心得ている気がする。
「そうだなぁ、フンベルトフォンジッキンゲンってのはどう?」
「なにそれ?変な名前。」
一蹴されてしまった。
「耳をすませば知らない?何か物語が始まりそうな良い名前だと思ったんだけどなぁ」
「もっとかわいらしい名前がいいんじゃないでしょうか?猫の物語と言えば、そうですね。ペロちゃんというのはどうでしょう?かの有名な長靴を履いた猫の名前です。」
カメ子さんが優しい声で会話に入って来てくれた。
「んー、さっきのよりはいいけど…」
これもお気に召さないようである。
「じゃあ次はぼくの番かな?」
と今度はとんびくんが話に加わる。
「猫の名前と言えばトバモリーというのをぼくは推したいね。オーヘンリーと並ぶイギリスの短編小説の名手と言われた作家サキの代表作なんだけど、世界で初めて人の言葉を話せるようになった猫の話なのさ。」
「よくわかんない。」
「だよね。」
いつの間にかアホ研のこたつは猫の名付け大会となっていた。ふと窓から外を見ると昼間だというのにほとんど真っ暗で、雨脚はどんどん強まるばかりの様子だった。たまにびっくりするくらい大きな落雷が聞こえる。なんとなく、自分がPCルームを抜け出して来たことがわかり激怒するうそまる先輩の顔を思い出した。そして、さらにいっそう大きな雷が轟いたと思った瞬間、ドアの外から『きゃあっ!』と悲鳴が聞こえた。なんとなくどこかで聞いたような声だ。
「ちょっとすみません。」
気になって僕はアホ研の部室のドアを開けて外の様子を伺った。そこに立っていたのはずぶぬれの櫻井ルカと本田スイリのふたりだった。
「お、ご両人」
「真!こんなところで何やってるの」
「まこっち!!あーもうっいままで何処にいたのよっ!心配したんだからね!!」
「え、マジ?それはすまん。うそまる先輩に拉致監禁されてたのだよ。ついさっき命からがら逃げ果せて、この方々にかくまってもらっていたんだ。」
とまぁそんな感じで、二人はアホ研にタオルを貸してもらいつつまずはお茶でもと、全員でこたつを囲む事になった。なんとも面白い状況である。なんとなく本田だけが面々の顔を伺いながら
「なるほどね、また真はなにか厄介ごとに巻き込まれてるみたいだね。」とわかった風なことを言っていた。
「そういうお前だって似たような物じゃないか」
僕が本田にこう言い返すのには理由がある。櫻井と本田の二人が大事そうに抱えているものは何かと思えば、もぞもぞと動きだし、にゃご〜と鳴き声をだした。それはまごうことなく猫であった。ただ、僕とリンが拾った子猫とは違って大人の猫だ、そのへんにいる野良猫という感じだがやはり同じような首輪が付けられている。
「USBメモリをつけた猫が2匹ですか…。一体何が起こってるんでしょうね。」
瀧東は冷静に続けた。
「とにかく中身を見てみないことには始まりませんね。」
そう言いながら、傍らのPCに電源を入れる。
カメ子さんがインスタントコーヒーを入れて出してくれた。
「あ、そうだ。よかったらこれみんなで食べませんか?ちょうどさっき買ってきた所なんです」
櫻井が持っていた荷物を開いてこたつに広げるとささやかな歓声があがった。猫プリンの新味である。猫プリンとは最近渋谷で人気のスイーツで、猫の耳がついてるようなデザインの容器に入っている。ユニークなのはその味の種類の多さで、毎週新しい味が1つ登場するという事が話題になり今やその味の種類は100を超えるという。定番のたまごプリンはもちろんのこと、バニラ、チョコ、抹茶、キャラメル、シナモン、などのスタンダードなものから最近は「他人の不幸は蜜の味」や「禁断の果実味」「クレオパトラの涙味」など意趣を凝らしたものも出しているらしい。
今日櫻井が買ってきたのは「ミックスベリー味」と「ほうじ茶味」というもの。
「ありがとうございます。いただきます。」
瀧東はプリンを手に取りPCを操作しながらこんな話を始めた。
「猫プリンというのはなかなか面白いものですね。そういえば真くん。『The proof of the pudding is in the eating.』という諺をご存知ですか?」
「プディングの味は食べてみなければわからない。というやつですか。」
「はい、意訳として『論より証拠』などと訳されることもありますが、私はこの諺にはもう少し深いニュアンスが含まれているように思えるのです。」
「というと?」
「私たちは食べるという行為によってプディングの味を認知します。味というものは、もとからプディングに存在する普遍的なものではなく、プディングと舌が触れ合うこの現象によって引き起こされる感覚に内在しているのではないか。」
「はぁ。」
「つまり、『認知する』という行為が全てなのです。私たちは一人一人がこの世界を認知し、体験し、観測する。観測者の数だけ世界が存在し、真実が存在する。」
この人が言っていることはいつもなんとなくしかわからないなぁと思う。
「そしてこれとよく似た考え方に『シュレーディンガーの猫』という話があります。」
「最近よく耳にしますね。」
「これは量子力学の中間的な存在確率を揶揄したたとえ話でしかないですが、箱の中に猫と毒薬を入れいつその猫が死んでもおかしくない状況を作り上げるわけです。するとその箱の中身が観測されるまで猫は生きている状態と死んでいる状態が『重なり合っている』というふうに定義するという考え方です。箱の中身は開けて見なくてはわからない。観測者中心のこの考え方はプディングの諺を思わせますよね。ときに、リンさん。子猫の名前ですが『シュレーディンガー』というのはいかがでしょうか。なかなか素敵な名前だとは思いませんか?」
「よくわかんないですけど、猫が死んじゃうのはやだな。」
「リンさんは優しい子ですね。さて、USBメモリを開く準備ができましたよ。中身を見て見ますか?見てしまったらもう世界が変わってしまうかもしれませんよ。」
瀧東は不敵な笑みを浮かべる。
「プリンは食べなきゃ意味がないよ。」
リンは迷わず答える。
「同意です。では皆さんよろしいですね。」
2.3
そしてファイルは開かれた。
僕たちが覗くPCの画面には地図が描かれている。大山学院大学や渋谷近辺の地図である。その上をいくつかの丸い印が散らばっていた。
「なんだこれ?この点の場所に行けってこと?」
「というか、見てください!これってこの場所ですよね。」
カメ子さんが指差す丸い印は確かにいま我々がいる大山学院大のサークル棟アホ研の部室を指し示していた。
「とはいえ、ここには特別これといって何があるって訳でもありませんけどね」
本田が冷静に考える。
「なにかあったとしてもこの部屋じゃ物が多すぎて何の位置を表してるのか全くわからないけどな」
僕は冷静につっこむ。
「へいうははー。」
櫻井がスプーンを口に入れたまま話し出す。
「てゆか、その点、動いてない?」
一同は驚いてもう一度画面を見た。たしかに。開かれたファイルは画像ではなかったのだ。地図上に表示された印はリアルタイムに更新され、わずかではあるが動いていた。
「なにかの位置情報を取得しているようですね。」
その時、急に雷が光りとなりだした。櫻井たちが連れてきた猫がそれに驚き部屋の中を駆け回りだした。こんな雑然とした部屋で大暴れするものだから状況は悲惨である。そこにいる者の多くが猫の暴動を押さえつけようと必至になっているなか、一人瀧東が画面を見ながら言った。
「どうやらその子のようですね。」
猫の動きにあわせて地図上の点が動いていた。なるほど。
「櫻井たちが連れてきた猫の首輪にあるUSBは発信器になっているんだ。ということは、他の点の場所にも発信器を付けられた猫がいる、ということでしょうか。」
「これ、この辺りの猫ちゃん達のすみかだよ」
画面の点が集中しているあたりを指してリンが言った。
「リンちゃんこの辺りの猫に詳しいんだね?」
「うん。よく遊んでるから。」
「一体だれがなんの為にこんな事をしたんでしょうね。」
「こういう悪ふざけが好きな人を一人知ってますけどね。」
僕と本田はなんとなく顔を見合って、同一人物を思い浮かべた。
これはつまり、渋谷区に点在する何匹かの野良猫達に発信機がつけられていて、それを全て集めよというゲームに他ならない。
「ねー!みんなで猫探しゲームをしにいこうよ!」
リンはワクワク顔で提案した。
その時、リンの子供用のケータイ電話が可愛らしく音を立てた。そんな陽気な着信音とは裏腹にリンの顔は少しだけ固くなった。
「もしもし、お父さん。うん。いまいく。」
そう言って電話を切ると、すくっと立ち上がった。
「そろそろ帰らないと、、、」
さっきまでの子供の表情が消えてしまって。どこか物悲しい大人の顔をしている。
「今日はあいにくの天気ですから、またみんなで猫探しに出かけましょうか、週末は晴れるようですよ。」
てきとーさんが優しく声をかける。
リンは「うん。」と答えながら、やや気もそぞろであたりを見回し、その見回した目は、僕のところで止まった。
「あの、真さん…」
小学生にファーストネームを呼ばれるのはなんだか落ち着かない。
「あの、この子を明日まで預かってくれませんか?」
なんてことだ…この展開を予想できなかったわけではないはずなのに。
「うーん、うちのアパートペット禁止だからなぁ」
「助けてほしいのです。」
これを言われるとかなわない。
ここまで来たら乗りかかった船だ。
僕は子猫を受け取った。
「外はすごい雨だよ?ひとりで大丈夫?」
部室にあったパンダのデザインの個性的な(ダサい)傘を渡しながらカメ子さんも彼女を気にかける。
「うん。大丈夫!お世話になりました!」
リンはそう言ってパタパタと雨の中をかけて行った。
「リンさんの前では言いませんでしたが…」
頃合いを見計らったように瀧東は口を開いた。
「うそまるくんには気をつけた方がいい。」
「…というと?」
「人の噂をするのは私もあまり好きじゃないですが、彼に関する噂はちょっと笑えないのです。鵜呑みにする必要はありませんが暴力団と裏で繋がっているという情報もある。最近、とある組織の拳銃が盗まれたという事件があったのをご存知ですか。」
その時「パンッ」という破裂音がどこかから聞こえた。
「えっ、まさかっ銃声?」
話の内容もあり櫻井は驚いて声を上げた。
「まさか、銃声ならもっと大きな音がするよ。この嵐で何か物が飛ばされたんだろう」
本田が落ち着いてなだめる。
僕も少しびっくりしたが、冷静になると流石に拳銃というのは現実味がない。
「まったく、一体どこからそんな情報を手に入れて来るんですか。そんなのうそまる先輩の得意の嘘にしたってお粗末ですよ。」
と一笑した。
ただ、拳銃というワードがどこか引っかかったのは確かだ。僕はあの晩手にした妙に精巧なトカレフを思い出す。
「いえ、杞憂ならばそれに越したことは無いのです。ただ、彼のことをあまり信用しすぎない方がいいということだけは言っておきます。」
一瞬、ミサキの涙が頭をよぎった。彼は敵を作りやすい。僕自身彼のことをそこまで信じきっているわけでは到底ない。しかし一方で、他人にうそまる先輩を悪く言われるのはいい気分もしない。ということに気づかされ正直、自分でも驚いた。
2.4
翌日、僕は恐る恐るPCルームを訪れていた。
丸一日サボったことでうそまる先輩に殺される覚悟は決めていた。それでもリンと週末に皆で猫探しに行くためには、ある程度執筆の成果を出さねばならなかった。
PCルームの入り口付近の椅子を3つ4つ並べ、その上にくちゃくちゃのゴミの塊のようなものが寝息をたてている。汚い。風呂に入ってないのかこの人は。よく見ると所々湿っているようで昨日の雨の中を傘もなく出歩いたように見えた。
見つかって捕まるのならばこちらとしても具合が良いのだが、わざわざ起こしてまで怒られる必要もないだろうと彼をそのままにしてPCの電源を入れる。
ポケットには昨日の2匹が付けていた首輪が入っていた。ふと取り出してなんとなく眺めていると櫻井たちが連れてきた方の首輪に四角が7つ横に並んでいるような刻印がされている。
ここに載せておこう
(図1)
なにかの暗号だろうか。またしても謎がひとつかと思い寝ているうそまる先輩を見やる。
「にゃんこ」
後ろから突然声をかけられてびっくりした。
振り返るとうそ部の部員の女の子が立っていた。名前は確か。
「言うな」
「えっ?」
「前野ユウナ」
「あぁ、前野さん。」
一瞬何を言うなと言われたのかと思ったが聞き間違えたようだ。そう、前野ユウナさん。ほとんど喋ったことはないが本学の三年生で、僕の先輩にあたる。うそまる先輩と同学年だが到底あのうそまる先輩と気があうとは思えない。いつも1人隅っこで大きなヘッドホンをしながらゲームをしている。気の弱そうな女の子だ。きっとあの極悪非道のうそまる先輩に弱みを握られて入部させられたに違いない。なんてかわいそうなのだと憤慨している僕をよそに彼女はポツリと話した。
「にゃんこのにおいがする」
なんと驚くべき嗅覚なのだろう。実は僕はこの日預かった子猫を動物用のゲージに入れて連れてきていた。櫻井が昔飼っていたペット用に持っていたのを貸してくれたのだ。
ゲージを少し開けて見せてあげると子猫は眠っているようだった。前野さんは子猫をずっと覗き込んでいる。
「そういえば、前野さんに聞きたいことがあったんですよ。うそ部の部室ってこの前の部屋じゃないんですかね?昨日行ったら空いてなくて、しばらく使われてないって聞いたんですが。」
「・・・」
猫を覗き込んだまま考えているのか、聞こえていないのか判別がつかない。もう答えてもらえないのかなと諦め始めたころ彼女はポツリと答える。
「知らない」
「そう…ですか。」
うそ部の部員なのだから知らないということはないだろうと思いもしたが、あまりの無愛想さにそれ以上深追いするのをやめた。しかしこれで会話は終わりかなと思ったところで、口を開いたのは彼女の方だった。
「かわいい」
ただ寝ているだけの子猫を見ているだけなのにとても幸せそうだなと思った。
「猫好きなんですね。この子しばらく預からないといけないんですが、もしよかったら前野先輩のおうちで預かってもらえませんか?」
彼女はしばらく黙ってから
「それはダメ」
と答える。やはりペットが飼える家はそう多くないのだろう。
「…まえ」
「え?」
「なまえはなんていうの」
「あー、名前まだ決まってないんですよ。何か素敵な名前ありませんかね?」
また少し間を開けて彼女は答える。
「バステト」
「え。。。」
思いのほか可愛らしくない名前で驚いたが、そういえばこの子はゲーム好きなんだった。
「バステトは、エジプト神話の女神。太陽神ラーが自分の左目を抉って人間に罰を与えるために生み出した殺戮の神。」
急に淡々とグロテスクな話をする彼女に引いていると、後ろで寝ていたゴミの塊が動き出した。
「バステトかwwwおめーらしいなぁwww」
「うそまる先輩」
即座に殺されるのではと身構えたものの、先輩は顔色が悪そうに起き上がった。どこか怪我をしてるようにも見えた。
「なんかあったんですか」
「あwwwいてて。バカかてめぇwなんもねぇわけねぇだろが。ただ寝てるだけでこんな怪我すっかよあ?あーくそ。佐藤真殺ろしてぇ。」
何があったか知らないが随分物騒な挨拶なものだ。それだけ毒が吐ければ大丈夫だろうと安心しつつ、一体昨晩の間に何があったのだろうかと気になる。
「猫かぁ、それならあれだ。クトゥルフって名前はどうだぁ?」
虚ろな目で椅子に腰掛け直しながらうそまる先輩は話し始めた。
「バステトはエジプト神話に登場する正真正銘の神だぁ。神話ってなぁその地に息づく民族的、文化的背景を元に生まれた神々の物語のことを指す。ほんとうに神さまがいたかどうかって話は別にしても、それは信仰される対象としてあくまで真実を語るストーリーだったわけだ。
だがクトゥルフ神話は特定の文化的背景を持たない。ラブクラフトという作家によって書かれた。いわばフィクションの神話。嘘の神話なんだよ。」
うそまる先輩は嬉々として語り始める。
「ラブクラフトは無類の愛猫家だったと言われていて、その神話の中にも様々な形で猫が登場する。まぁ身体は軟体動物っていうやたらグロい猫だけどなぁwwwひぎゃぎゃ」
全くよくわからないが、この大学には猫にまともな名前をつけられる人間がいないことだけははっきりとわかった。
「で」
うそまるは急に僕の胸ぐらを掴んで睨みをきかせる
「てめぇ昨日はどこ行ってやがったぁ?ぁん?」
やはりこうなる。
事情を説明するとうそまるはへらへら笑いながら
「小説を書いてない時まで謎解きとは熱心じゃねーかぁw」と嫌味を吐いた。
「なら週末までに「出会いシステム」だけ仕上げていけ。オリジナルの後半は連休前に上がってりゃいい。」
なぜここまでこの男に指図されねばならぬのかと腑に落ちないがまぁこの際気にしない。
「どうせ全部うそまる先輩の仕業なんでしょう。まったくよく懲りないもんですよ。」
「はぁw?しらねぇーよw」
「いまのは嘘ですね。まぁでもいいですよ。僕はその嘘を嘘として楽しむ権利を持っている。でしょ。」
「はっ!言うじゃねぇかwwてめぇ」
2.5
さて、場面が切り替わる。
あなたはそう思うだろう。
ただただ、とりとめもない日常のピースからどんな絵が現れるのかを待っている。おそらく次は猫を探しに街に出るシーンからはじまる。そして、登場人物たちがまた、とりとめもないような雑談を始める。きっとそれは「子猫にどんな名前をつけるか」という話題になるのだろう。
そんな予定調和なエピソードを続けるのも、あるいは悪くない。先を急ぐのであればそう、サブスクリプション2.8まで進めばよろしい。そうすればあなた自身が労することなくここに描かれた絵の全貌を眺めることができるだろう。
それにしても、しかしながら、さて。見せられたパズルのピースひとつひとつは全て、まったく異なる絵から持ち出されたとしか思えない。有象無象の体を成している。ひとつは青い空を、もうひとつは真っ赤な夕焼けを、そしてもうひとつは暗い夜の闇を。あなたはそれをひとつ手にとって考える。いったいこれらのピースが揃った先にどのような絵が描かれているのかと。
ひとつお忘れではないだろうか。
あなたはすでに読者ではないということを。
小説は読まれることで初めて物語となる。それはシュレーディンガーの猫やプディングの味と同じこと。
ただ、それでも、しかしなお。依然としてパズルのピースは揃わない。あなた自身が最後のピースを描かなくてはこの物語の扉は決して開かれないのだ。
回りくどい書き方をしてしまったが、ことは至極簡単である。あなたなりにこの1匹の子猫に名前をつけてみてほしい。少女が気に入るかどうかは別の話だが。
さて、物語の続きを始めるとしましょう。
2.6
「真さん!」
春の暖かい空気をまといながら、少女がこちらに走ってくる。息を切らしながら頬を赤く高揚させて。
「子猫は?」
せがむようにリンは子猫の無事を確認する。僕は低くしゃがんでゲージの中を彼女に見せてあげる。もう随分葉桜になった大学の道を僕らは集合場所のアホ研の部室に向かって歩いていた。その途中、同じくアホ研に向かう櫻井と本田の2人と合流した。
「おはよ!猫ちゃんは元気?」
「あぁ、なんだか眠ってばかりいるけどね。」
「子猫なんてだいたいそんなもんよ。どんな夢を見てるのかしらね。」
そう言いながら櫻井はリンに話しかける。
「ねぇ、子猫ちゃんの名前、決めた?」
「んーまだ。」
「じゃあさ、カンパネルラってのはどうかしら?」
カンパネルラときたか。櫻井らしいなと思う。これは説明は不要であろう。宮沢賢治の小説、銀河鉄道の夜の登場人物だ。それにしても、なぜ子猫の名前がカンパネルラなんだ?と尋ねようとして気づいた。猫と銀河鉄道の夜といえば、小説ではない。1985年に映画化されたアニメーション作品の方だ。そういうところのセンスも櫻井らしいなと改めて思い至る。
「なるほどね」
本田もそう思ったらしい。
「そういうことなら僕からもひとつ提案したい名前があるよ。」
そう言いながら本田は得意げに言った
「ホームズ」
なるほどね。この2人は奇をてらってないぶんまだましかななどと思えてくる。とはいえ、やや個人の嗜好に偏りすぎではないかとも思うけれど。
「ホームズは猫と言うより犬じゃない?」
櫻井が水を差す。
「いやぁ、アニメの話じゃないよ。三毛猫ホームズって知らないかなぁ?」
僕自身、耳をすませばというアニメからの引用なので人のことは言えないなと思いながら、中学の同級生がこうしてとりとめもない話ができていることを嬉しく感じた。もちろん、彼らの2案はリンのお眼鏡にはかなわなかったけれど。
そうこうしているうちに僕たちはアホ研の部室にやってきた。部長の「てきとーさん」こと滝東ナオトさん。ふんわりメガネ女子の「かめこさん」こと亀井サエコさん。お調子者「とんびさん」こと小鳥遊カイトさん。のアホ研部員3名と僕ら、佐藤、櫻井、本田の3人。そして謎の美少女リンちゃんが再び集まった。
「さぁ、それでは始めましょうか。」
切り出したのはてきとーさんだった。
「まず、このUSB探知ソフトですが、PCでしか見ることができません。そのため実際に猫を探す捜索班と、ここに残りPCを監視してリアルタイムで位置を知らせるオペレーション班に別れます。スマートフォンを共有しあいお互いの位置がわかるようにしておきましょう。オペレーション班には我らがアフォーダンス研究会のとんびとかめこに担当させましょう。そして僕ら5人が捜索班です。」
「子猫ちゃんは私たちが面倒見ててあげるからね」
とかめこさんはリンに優しく付け加えた。
そして僕たちは街に出た。
地図上に記された丸は全部で7つ。ひとつは先日櫻井たちが拾ってきた大人猫の首輪なので、あと6匹探し出せば良い。それも位置はリアルタイムで把握できる。簡単な事のように思われた。
しかし実際はこれがどうにも骨が折れる。
かめこさんやとんびくんが場所を教えてくれるものの、探しているうちにまた別のところへ移動してしまう。てきとーさんと本田は両方向から挟みこむ作戦や櫻井は餌でおびき出す作戦など様々な方法を試して見たがなかなか苦戦を強いられていた。そんななか、いとも簡単に猫を見つけ出してしまったのがリンである。彼女は猫の隠れ家や行動パターンをよく把握している上、なぜか猫に警戒されないのだ。普段からこの辺りの猫とよく遊びまわっているのだろうと想像したが、なぜか僕の想像したリンはいつも1人だった。そんな僕の心配もよそに、リンは目をキラキラさせながら僕の手を引く。
JR渋谷駅を中心に約半径2キロ圏。人通りの多いあたりは流石に猫は少ないが、原宿方面に残る古い団地跡や代々木のあたりの公園や神社にはまだ野良猫たちが生息している、大山学院大学の周辺の駐車場などでもたまに見かける事がある。人目を忍んで猫たちはこの街でも生きているのだ。
僕とリンで3匹、櫻井が1匹、本田とてきとーさんで1匹。およそ丸一日かけて5匹の猫を捕まえ首輪を回収した。それぞれの首輪にはやはり同様に四角の並んだ図が描かれていたが、中には数字の入っているものもある。1〜3までは規則正しく並んでいるように見えるが、数字の入っていないものも2つ、そして4〜7を不規則に含んだとりわけ長い列のものもいた。ここに6匹分をまとめて掲載する。
(図2)
「残るはあと1匹ね」
探索メンバーが一度集合し、大学にいる2人と通話していた。
『それがちょっとおかしいんだよね。』
「おかしいとは?」
電話口でとんびくんが怪訝そうな声で言った。
『今日ずっとこのマップを見ていたんだけど、この最後の点だけ動き方が異常なんだ。あまりにも早すぎる』
「猫が車にでも乗ってるのかな?」
「宅急便のトラックかも」
櫻井と本田が冗談ぽく言う
「ちょっと苦戦しそうですね。リンさん今日はもう暗いので最後のひとつは明日にするというのはどうでしょう。」
てきとーさんが提案する。
「えー、あしたぁ?うーん。」
「なにか予定ありそう?」
「うーん。うーん。わかんないけど。でも。うーん。」
「大丈夫!ここにいる名探偵の真お兄ちゃんが明日にはこの暗号を解き明かしてくれるから。」
本田が僕の肩に手を置きながら楽しそうに無責任を言う。名探偵になった覚えはないんだが。
「うーん。わかった!じゃあ早く解決してね!」
こうして、猫を探す会は翌日の日曜に持ち越されることとなった。
どうでも良いが僕はいつまでこの子猫を預かれば良いのか。困ったものである。子猫がうちにやってきてから部屋が猫臭くなった気がする。前野先輩でなくとも猫のにおいがわかるようになってしまった。部屋に戻って、ミルクを舐める子猫を眺めつつ先ほどの首輪の刻印を見返してみる。なにかを見落としているのか、考える要素は多分にあるがどれひとつとして繋がる気配がない。しまいに僕は眠ってしまっていた。
2.7
夢をみた。青い草原が広がり風の音が聞こえる。かなりの高原のようで、はるか遠く下方に町のようのな景色が見える。空は水色にも桃色にも見え昼間なのか夕暮れなのか判別が難しい。見上げると月がふたつみっつ。近いものから遠いものまでいくつか浮いている。こう近くに衛星が見えると宇宙を意識せずにはいられないほどの広い空間がそこにあるのがわかる。ここはどこだろう。きっとどこかで見たり聞いたりした世界が自分の中でコラージュされた空間なのだろう。ふと気づくと、自分の目の前に猫が1匹立っている。猫が立っているというのはあまり想像がつかないかもしれないが、全く言葉の通り、彼はシルクハットと燕尾服に身を包み、ステッキを小脇に抱えてすっくと直立していた。そして僕が待ちに待った言葉をその通りに口にした。
「いざ、お供つかまつらん。ラピスラズリの鉱脈を探す旅に」
僕は嬉しくなった。
「恐れることはない。」
新月の晩は空間が歪む、遠いものは大きく、近いものは小さく見えるだけのこと。だろう?
猫はふむと頷き次の言葉を選んだ。
「左様、あなたは私を知っているようだね。」
うん。よく知ってるよ。お会いできて光栄だ。
「私の名前はシュレーディンガークトゥルフ…」
?
「シュレーディンガークトゥルフバステトカンパネルラペロトバモリーホームズフンベルトフォンジッキンゲンプリン男爵だ。」
なんと。
「シュレーディンガークトゥルフバステトカンパネルラ…
わかったわかったと彼を止め話を進める。
寿限無並みの新キャラクターが現れてしまった。ぼくの困惑をよそにシュレーディンガークトゥルフ…もとい男爵は話し始める。
「一見繋がらないパズルのピースがある。全く異なる色のピースは、果たして1つの絵を表しているのかどうかさえ怪しい。しかし君はそれを並べてみる。こんな風に少し強引に。」
そう言うと手袋をはめた手でジグソーパズルのピースをテーブルに並べ始める。気がつくとそこはすでに草原ではなく、スポットライトとテーブルがひとつあるだけの暗い部屋。
「すると単純なことに気づく。全く違う絵の上にもう一つ別の絵が描かれていることに」
青空のようなパズルのピースにはマジックペンで殴り書きをしたような黒い線が書かれている。もう一つの夕焼け空のピースにも同様の線が引かれており二つを重ねるとペンで書かれた線のみがピタリと一致する。
「君はなにも見落としていないし、忘れてもいない。」
揃っていくパズルの最後の空間が空いてる。
「最後の一枚を君が描く必要はあるがね」
マジックペンを差し出しながら男爵は笑う。
一枚のピースを欠いたパズルの上に描かれたのは
「⚠︎FICUMENT」の文字。
僕は目を覚ました。日曜の朝だ。
目の前にある例の暗号をもう一度見返して、僕は
フリクションボールペンをカチッとひとつ押した。
2.8
さて、解決編へ臨もう。
サブスクリプション2.5から飛んできた読者の方々こんにちは。まずは皆様にもお分りいただけるよう、これまでの状況と謎を整理する。
1.USBをつけた子猫。
2.リンという名前の少女。
3.開かない部室。
4.猫探しゲームと首輪の暗号。
そして昨日の猫探しゲームの中で1匹だけ捕まえることが出来なかった高速で移動する点
これらを踏まえて導き出される答えを僕はこの時、大体見当をつけていた。
昨日と同様に僕たちは7人はアホ研の部室に集まっていた。まずは開口一番本田が僕に問う。
「真、昨日の暗号の謎は解けたかい?」
「うん。だいたいね。」
「ほんと??」
リンが僕の腕を掴んでわくわくとする。
「でもまずは、昨日やり残した最後の1匹を捕まえることから始めよう。それで全てがわかるはずだよ。」
高速で移動する最後の点。
この動きを追うとある規則性があることがわかる。渋谷エリアのいくつかのポイントを回遊するように混雑を避けながら決められたルートで車道を走行している。信号などでの停止も踏まえ、明らかに自動車の動きだ。
「まずはこのルートで待ち伏せしよう。」
僕たちはルートをよく見下ろせる歩道橋へ向かった。明治通りを見下ろす高架下の大きな歩道橋で、僕らは待ち構える。
「猫ちゃんがすごい速さで走ってたりして」
リンは楽しそうにはしゃいでいた。
『そろそろくるよ!』
とんびくんが電話越しに伝えると同時にリンが叫んだ。
「猫だ!」
リンが見つけ指差したのは小さなトラック。そのトラックには猫の耳が付いており、可愛らしい文字で「猫プリン」と書いてある。これが最後の点の正体だった。
「よし、リンちゃん追いかけよう。」
僕たちは走り出した。
渋谷駅付近は車両が混雑するのと信号がいくつもありトラックもすぐには通り抜けることができない。僕たちは歩道橋を降りて宮益坂下の交差点まで先回りすることができた。ゆっくりと小道に入りトラックは目的地に到着した。
猫プリン渋谷一号店本店。表には沢山のお客さんで行列ができている。その裏でトラックは荷下ろしを始めた。僕は荷下ろしを手伝うスタッフに声をかけた。するとスタッフはすぐにトラックの奥から紙袋を取り渡してくれた。
まだ状況がわかっていないという顔をしているリンに対して僕は袋の中身を見せながら伝える。
「ハッピーバースデー!リンちゃん。」
紙袋の中には大きな猫プリンケーキにリンちゃんの名前入りプレートが入っていた。
「え!え!うそ!?どうしてわかったの?なんで?」
「じゃあ、種明かしをしようか。」
再びアホ研の部室。そこにいる全員が微笑んでいた。
捕まえた猫は全部で6匹。その首輪についていた四角は
ホームズ
ペロ
バステト
クトゥルフ
トバモリー
シュレーディンガー
にそれぞれ対応している。
(図3)
そして、数字の付いている文字を順に並べると
H P B d r i n
となる。ハッピーバースデーリンだ。
これはここに登場する6匹の名付け親が全員共犯であることを同時に示している。
バステトとクトゥルフに関してはリンは知らない。ということは基本的にこの謎は佐藤真の参加を前提としているということだ。
さらにもうひとつ。プリンケーキと一緒に猫プリンのスタッフから預かったのは一本の鍵。この鍵がどこの鍵かということはもはや言うまでもないだろう。
僕たちは全員で、アホ研の隣の部屋。つまりうそ部の部屋の前に来て鍵をさした。
「じゃあ開けるね。」
ガコンという音とともに。重い扉が開く。
「わぁ」
そこには風船やモールで装飾された室内に沢山のご馳走が並んでいた。
「くぁーんぐらっちゅれーしょwwwwwん‼︎」
例のごとく現れたのはかの悪名高き暴君うそまる先輩。傍らに無言でゲームをする前野先輩。
「うそにい!?」
そのリンの反応に驚いた人も何人かいたようだった。
「え、うそまる先輩の妹さん!?全然にてない。」
「ひぎゃぎゃぎゃwwwどうだリン?楽しめたかぁwwwwあ?猫は俺からのプレゼントだwww飼っていいかはテメェでオヤジに聞けよwww」
「うそにいが犯人だったの!?」
「全員が犯人だったんだよ、まったくやられたよ。本田まで僕を騙すなんて。」
「僕たちうそ部はうそをつくからね。」
こうして、うそ部×アホ研合同でのリンの誕生日会が盛大に開かれた。総勢9名の人間模様はまぁ割愛しよう。ひとつわかったのは、やはり噂通り、うそまる先輩とてきとー先輩は仲があまり良くなさそうだということと、やはり噂ほどうそまる先輩はそれほど悪い人ではないのではないのではないかということだ。いつかそんな話をミサキにできるといいなと思った。
「そういえば、リンちゃん。子猫の名前はどうするの?」
櫻井がリンに尋ねる。
「えっとねー」
それと同時に、僕のスマートフォンが着信を告げる。うそぶのSNSアカウントに知らないアカウントからメッセージが来ていた。
佐藤真さま
はじめまして、突然ご連絡してしまいました。
あなたの小説を読ませて頂いている者です。
きっと正解はないのだと思いますが、小説を読みながら自分なりにリンちゃんに気に入ってもらえそうな名前を考えました。
『プリン!』
僕がその投稿を読むと同時にリンは子猫に名前をつけた。こうしてリンとプリンという可愛らしい名前のメンバーが僕たちの仲間に加わる事となった。
さて、以上がまたしてもうそまる先輩によって仕組まれた謎解きゲームの全貌であったあわけだが、ゲームはただのゲームである。物語は1人の少女の心の中にフォーカスしていく。
「それにしても、うそまる先輩にこんな可愛い妹さんがいらっしゃるとはねー。じゃあ磯丸リンちゃんだね。」
とんびくんが調子よく話すと少し空気が淀む。事情を知るごく数名はちょっと気まずい感じになっていた。
「リン、うそにいの兄妹じゃないよ。」
リン自身がその妙な空気を打ち消して話しだした。
「兄妹じゃない?」
そう、ずっと引っかかっていたことがある。それはリンがなぜずっと自分の苗字を隠しているのかということだ。
「一緒に暮らしてるけど、兄妹じゃないの。」
「こいつの苗字聞いたら笑うぜwww」
「ちょっと!やめてようそにい!」
「茂呂リン」
茂呂。この苗字を記憶している方はいらっしゃるだろうか?我が大山学院大学文学部の教授の名である。つまりその、教授がリンの父親にあたるわけだ。
「茂呂ってあの茂呂教授?」
という驚きの声と同時に、
「モロリン」という謎に語感の可愛い(?)フルネームを隠していた本人の気持ちをどこか理解した。
「モwwwロwwwリwwwンwww」
「やーめてよ!このくそにい!」
「あ゛ぁ?wwwンだゴラァ?あ?www」
そうしてると、部室のドアがノックされ開かれた。そこには40代前後の男性が1人立っていた。茂呂教授である。
「哲太くん、リン。ここにいたのか。リン、そろそろ帰るぞ。支度しなさい。」
ちょっと疲れたような。冷たい物言いに感じられた。あの晩電話を受けたリンの表情が蘇る。
「茂呂教授」
呼び止めたのは本田だった。
「あの、娘さん。リンちゃん誕生日おめでとうございます。」
その挨拶はなかなか気が利いているなと思った。
明らかに娘の誕生日を失念していた教授はどうやら状況を理解し、少し申し訳なさそうに言った。
「そうか、君たちはリンの。そういうことならもう少しここにいればいい。哲太くん、リンを家までよろしく頼むよ。」
そして、教授は邪魔者は退散とばかりそそくさと部屋を去ろうとした。そのときおそらく、誰かがリンの背中を押した。誰かがリンの手を握った。「リンちゃん!」と誰かが彼女を呼んだ。「ミャウ」と啼く声がした。
この部屋にいる全員が彼女を応援していた。
「お父さん。」
リンはやっと出した声で父親を呼び止めた。
「ん?なんだい?」
「あのね、えっと。わたし。」
言い淀む娘の不安に気づかず、教授は続きを待っていた。
「わたし、猫が飼いたい。うそにいが誕生日で買ってくれたの。お父さん、おねがい。」
こんな簡単な事が、彼女はずっと言えなかったのだ。教授はその様子に少し困惑していたが
「…そうか、うん。そうだね。わかった。いいよ。リンがしっかり面倒を見なさい。」
と許してくれた。
ふと空気が柔らかくなった。教授も決して悪い人じゃない。ただなんとなく距離感が掴めず、お互いに不器用なだけなのだ。ふと、自分の父親を思い出していた。
そういう事があってから、リンはよくうそ部に顔を出すようになったし、前より明るくなった。と、僕は思っている。改めて僕自身も、自分の夢について父親と話さなくてはいけないと感じた。
2.9
リンの物語を終えて、変わったのは彼女だけではなかった。僕が悩み続けていた小説「フィキュメントオリジナル」の後編の展開である。これは実際に読んで頂ければはっきりとわかる事なのだが結論から言うとすれば、うそまる先輩こと磯丸哲太作の「うそまるエンド」と、ぼく佐藤真による「まことエンド」という2種類の全く異なるエンディングが用意されることとなった。全員犯人という今回のゲームから着想を得たが、正直のところうそまる先輩に踊らされているだけなのではないかという気もする。こちらはまた後日公開される日を楽しみにしていただければ幸いである。
かくして、うそ部、ならびにアホ研なる面々が揃い僕らの物語が始まった。うそで世界をアップデートするなどという事が出来るのか僕には到底わからないが、この後僕たちがとんだ大騒動に巻き込まれていくということだけは予告しておこう。そしてそのためにも、うそ部はこの活動に賛同してくれる有志を引き続き募っている。⚠︎FICUMENTの名の下に手始めにこの作品を「自分の書いた小説だ」と言って友人や家族に見せてください。そしてあなたも僕らとつながって広がる世界を表現してみていただきたい。あなた方はもはや読者ではなくこの世界に参加しているのだ。
そして、最後まで忘れないでほしい。
「僕たちうそ部は嘘をつく」
「あなたは嘘を嘘として、楽しむ権利を持っている」
「この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。」
以上、第2話シュレーディンガーの小説。これにて筆を置きたい。ここまでお付き合いいただいた方に心から感謝を。そしてまた、我々うそ部の次回作をお待ちいただければ尚幸いである。その時、お相手が僕になるかどうかはわかりかねるが。あなたが素敵な嘘に出会えることを、うそ部一同お祈り申し上げます。
2018.5.1 佐藤 真