心を穿て!
『ほんにぬしは、わしの想像を遙かに超えるの』
しょうがないとばかりにため息をつくのはナギだった。
思わず遠くをみれば、ナギは大蛇の姿で、鬼灯ともつれ合ったままだ。
さっきまできれいだった黒い鱗は、無数の咬み傷が刻まれて赤い血が流れ落ち、炎にあぶられた火傷は、ないところを探すところが困難なほど。
あらためてそのぼろぼろな姿に息を呑んだが、声が聞こえる距離じゃない。
なんで、と思ったのだけど、耳からではなく、意識を通じて話しかけられているのだと腑に落ちた。
『もとはといえば、わしが姉者の想いを読み違えたが上の結果だ。わしがこの身に代えても引導を渡してやるのが一番だ、と思うたのだが』
「相打ちで死ぬつもりならさせないわよ!」
その意識にあきらめのようなものを読みとったわたしが、反射的に返せば、ナギはばつが悪そうに言葉を詰まらせた。
『こまった、筒抜けか』
「うるさいっこっちは余裕がないの! 端的に、はっきり、言って!!」
組み付いてこようとした黒鬼灯を、また一体消し飛ばして、ナギへ叫ぶ。
きっとわたしにナギの感情が伝わってくるように、ナギにもわたしの想いが丸のまま伝わっていることだろう。
ナギは、少し苦しそうに、絞り出すように言った。
『わしには作ること、壊すことはできても、姉者を浄化することはできぬ。ぬしよ、力を貸してはくれぬかの』
「当たり前でしょ!」
懇願にわたしが間髪入れずに応じれば、ナギから、複雑な想いが渦巻いて伝わってくる。
それは悔しさと、悲しみと震えるような喜びだ。
『ぬしは、真の巫女姫になったのだな』
吐息を漏らしたナギは、一転、真摯に引き締めた。
肩のあたりに、ナギの暖かい気配を感じる。
『わしを降ろせ。さすれば一時的にだが、同格になろうて。今のぬしなら、できるはずだ。存分に力を振るってくれ』
神を、ナギを降ろす。この身に?
きっと昔の自分なら、できるわけがないと即座に拒否をした。
でも今は、どうすればいいのかわかる。ナギの意識が教えてくれる。
わたしはためらいなく、天羽々斬を振り上げた。
攻勢をやめたことで、黒鬼灯が群がってくるけど、その前に勝手に声が滑り出る。
「いらさりませいらさりませ参頭遠呂智凪伎よ。我が身に宿りて、その神意を示したまえ!」
ろん。ささやかな鈴の音が鳴り響く。
瞬間、鬼灯に組み付いていた黒蛇のナギが光となり、雷のような轟音とともに、わたしへどうっと落ちてきた。
その余波だけで、襲いかかってこようとしていた黒鬼灯たちは、跡形もなく消し飛んでいく。
今までとは比べものにならないほど、強大な神気が体の中に濁流のように流れ込んできた。
よろけかけたけど踏ん張れば、ナギそのものが、意識に入り込んでくるのがわかる。
圧倒的な存在感に、少しおびえたけれど、意識の中で大丈夫とでも言うようになでられて、安心して受け入れた。
これはナギだ。なら大丈夫。
とたん強い、強い力が全身の隅々にまで満たされて、わたしじゃないわたしへと変わっていく。
そうしてぱっと光のような神気が散っていき、しゃららん♪と表現したくなるようなポップでキュートな効果音が流れ。
「みこっと参上、まじかる巫女姫依夜ちゃんです! 悪い妖は天羽々斬で成敗よ♪」
気がつけば、きらんっと音がしそうな感じでキメポーズをとっていた。
…………………………………………
「あんた一体なにしてんだああああああぁ!!??」
『わはは! 最っ高にかわゆかったぞぬしよ! 客観的に見られぬのが残念だ!!』
恥ずかしさと混乱に一気に頭に血が上ったわたしが叫べば、体の主導権を握って、勝手にひみこちゃんもどきのキメポーズをさせたナギは、わたしの中で楽しそうに笑い転げた。
殴れないのも直接文句言えないのも腹立つ!!
『巫女姫であるなら一度はやっておかないと、様式美というものに反するであろう! ああ、なぜ録画ができぬのだろう、もったいない! だがわしが味わったでよしとする!!』
「ふざけている場合じゃないのわかってるバカナギ!!」
『むろん、浄衣も最終変身バージョンにして、性能は当社比三〇〇パーセントというやつにしておるぞ! 新たな必殺技もばっちり伝授だ』
その言葉に浄衣を見下ろせば、たしかにフリルとか、装飾が増えてていて、感じる神気もさっきとは段違いだ。
可愛い方面に増やす必要あったの!?というか、必殺技についての内容も流れ込んできてさらに殴りたくなる。
やっぱり、またそれを叫べと!!
だけど、体に感じる負担もけた違いで、意識が飛びそうになった。
よろけかけた瞬間、ナギの意識に支えられるような気配がした。
『なるべく負担がないよう、調整はしておるが、わしはぬしへすべてを明け渡しているでこれ以上は動けぬ』
歯がゆそうな、力が及ばないことを悔やむようなそんな雰囲気で、ナギの想いが響く。
『依夜、後は頼む』
こんな時だけ名前を呼ぶのはずるい。
全力で頑張るに決まっているじゃないか!!
草履で、大地を踏み締め直し、顔を上げれば、急にナギがいなくなって戸惑っていた鬼灯が、鎌首をもたげてこちらを見るのと目があった。
その理性を失った赤の瞳が、憎悪に溢れる。
『ガァアアアァア!!!』
絶叫のような咆哮とともに、呼気が灼熱の炎に変わった。
瘴気の混じったどす黒い炎は、轟音をひびかせながら空間を、植物を、大地を、枯れ腐らせて襲いかかってくる。
だけど、わたしは、裂帛の気合いを込めて天羽々斬を振り下ろした。
「はあああ!!」
剣筋が光の帯にかわって、瘴気の炎とぶつかり、相殺される。
その浄化の光がやむ前に、わたしは白いオーバーニーソックスに包まれた脚をたわめて跳躍した。
二つに結われた黒髪が揺れ、赤の袴が翻る。
木を足場にして再び跳躍し、浄化の光を引き連れて、わたしは鬼灯へ迫った。
『オマエガ、オマエガアアア!!』
巨大な蛇体をくねらせる鬼灯は、次々に炎を吐き散らしたが、わたしは身を翻し、あるいは剣で切り裂いて突き進んだ。
鬼灯に近づくだけですさまじい瘴気が襲いかかってくる。
少し、この空気を吸うだけで、普通の人間ならたちまち死んでしまうだろう。
なにより、顔だけでわたしの身の丈ほどはある鬼灯の憎悪も、怒りも恨みもすべてわたしに向けられたものだ。
怖くないわけがないけれど、負けるわけにはいかない!
鬼灯の胴までたどり着いたわたしは、すかさず剣を振り下ろそうとした。
「祓い賜え 浄めたま……っ!?」
だけど、側面からすさまじい衝撃が襲いかかってきて、吹っ飛ばされる。
かすむ視界で見れば、鬼灯の尾が近くにあって、それで薙ぎ払われたのだと知った。
吹き飛ばされたわたしは、山裾にある木々につっこんだ。
枝を何本もへし折ってようやく勢いが止まったけど、体を突き抜けた衝撃は筆舌につくしがたい。
けれどもすぐに痛みが引いていったのだ。
なんで、と思った矢先、ナギのかすれた警告が響く。
『依夜、前だっ!』
「っ!!」
反射的に跳躍すれば、紙一重で、鬼灯があぎとを開いて炎を吐き出すのをよけられた。
その熱もどこか遠く、混じっていた瘴気も息苦しさを覚える程度で、すぐに影響は消えた。
さっきからもそうだった。
浄衣が裂けてもすぐに元通りになり、炎にあぶられても火傷は負わなかった。
だけど、そのたびにナギの気配が弱くなっていくのに気づく。
浄衣のおかげだと思っていたそれは、ナギが今までのダメージをすべて肩代わりしてくれているからなのだ。
浄衣が瘴気を通さないのは本当だろう。
でも傷が治るのはまた別だ。
今まで、わたしが受けた傷はどれくらいあった?
『ぬしの肌に、傷を残したくないのでな。わしのわがままであるから、かまわず突き進むがよい』
無茶しないでと言いかけたら、ナギに先んじられてしまった。
ひどく消耗しているのは明白なのに、飄々とした態度で。
わたしはためらいかける心に活を入れて、剣の柄を握りなおした。
震えるような恐怖の中、こうして立ち向かっていられるのは、ナギがここにいるからだ。
なにより、わたしはやり抜くって決めた。
水守を、お婆さまを、碓氷さんを、お姉ちゃんを、ナギを。
そしてわたしを守るって願ったのだ。
体が熱い。
消耗していても、ナギの力は体の内側からわたしを炙る。
苦しい。でも、もっと必要だ。
今のままでは、鬼灯には少しも効かない。
「ナギ、もっと力を貸して」
けれど、ナギの焦ったような厳しい声音が体に響く。
『ぬしよ、これ以上は引き出すな。わしが問題なくともぬしが』
「全部を助ける為には必要なの! ナギの力なら、わたしは傷つかない!!」
考える余裕すらなくて、勢いのまま言葉を紡いだ。
わたしのために作られた浄衣は即死の瘴気を通さないし、わたしに宿っている今でさえ、ナギはわたしを守ってくれているのだ。
なら絶対大丈夫!
わたしが一歩も譲らないのを感じたのか、苦渋に満ちた気配でナギが結論を出した。
『一瞬だけだ。それで決着をつけよ』
その思念が伝わると同時に、神力が溢れ出して満たされる。
前方の鬼灯が、蛇体をくねらせて、木々をなぎ倒し、あぎとをむいて襲いかかってきた。
言いたいことが山のようにある。
だから、これで、決める!!
わたしは木々を足場に跳躍して、握った天羽々斬を天高く突き上げた。
「天つ剣の力と参頭遠呂智凪伎の御力を持ちて すべての禍事を禊ぎ祓い浄め賜うことを かしこみかしこみもうす!」
ろん、と柄に下げられた鈴の音が高らかに鳴り響く。
剣に変わってもらっても、わたしが願うことは変わらない。
すべての瘴気を祓い清めて、鬼灯を正気に戻す!!
強く願えば、天羽々斬が、呼応するように震えた。
鬼灯の口の中に、澱んだ炎が踊るのが見えた。
だけど、わたしは全身全霊を込めて、ナギにもらった必殺技を叫んだ。
「ヘヴン☆ウイング クリーンアップ! アルティメットォオオオ―――!!!!!!」
今まで見たことがないほどの強烈な浄化の光が、刀身から溢れ出した。
同時に、無防備なわたしへ瘴気の炎が吐き出される。
だけど、瘴気の炎は光にふれた瞬間その勢いは衰えた。
「やああああああぁああっ!!!!!」
枝から跳躍した勢いのまま突き進み、眼前に飛び込んだわたしは、牙をむく鬼灯へ、その剣を全力で振り下ろした。
刃が鬼灯の脳天へ叩きつけられた瞬間、濃密な瘴気が滝のように溢れ出す。
意志を持つかのように、わたしに襲いかかってくる瘴気だったけど、刀身から溢れる浄化の光にふれて、片っ端から霧散していった。
けれど少しでも気を抜いたら押し返されてしまいそうな手応えに、即座に手の感覚がなくなる。
でもまだだ。
一点に収束させるんだ。
内側にいる鬼灯に届くように!
わたしは、即座に剣の柄を逆手に持ち変えて、もう一度突き刺した。
ねらったのは、眉間。
濃密な瘴気が、臨海点を超えたのか、浄化の光を越えて、瘴気がわたしの肌を焼く。
一瞬だけ感じる痛みがすぐ消えていくのが、怖い。
それでも、鬼灯を守るように集まっていた瘴気が、そこだけ一気に浄化されていく。
視界がかすむ、腕の感覚がない。
息が苦しい、全身が痛い。
でも剣はそこにある。
この剣に、ナギの、わたしの、想いを乗せるんだ。
届け、届け、届け!
「届けえええぇええええ!!!!」
最後の瘴気が霧散し、赤々とした鱗が見えて、剣先が、ふれた。
刹那、瘴気と光が反転する。
浄化の光が、爆発的な質量を伴って広がった。
わたしの髪や、浄衣があおられるほどのその余波で、木々が激しくざわめき、辺り一帯が真昼のように照らされる。
「あああぁああああぁあ!!!!!!」
鬼灯の、高い悲鳴が響く中。
彼女の瘴気で真っ黒だった蛇体はみる間に洗い流され、赤い艶めいた鱗に変わり、だけどあっという間に収縮して、人型に変わった。
意識を失っているのか、力なく水守の敷地へ落ちていく。
とっさに助けに行こうとしたけれど、浄化の光に吹き飛ばされていたわたしも同じ身の上だ。
体に力が入らない。
だけど、するりと、わたしの中から抜け出る感触がしたと思ったら、空中でナギに抱えられていた。
ナギの、いつもきちんとしている着物はところどころ裂け、肌が見えている範囲でも、無数の痛々しい傷が刻まれている。
そのおびただしさに息をのんでいれば、ナギは苦笑した。
「仕方ないのう、ぬしは」
直前までわたしがなにを考えていたかは、筒抜けだっただろう。
そう言ったナギは、けれども少し安堵した様子で、鬼灯の下へ移動をはじめてくれたのだった。




