決意は剣とともに
ナギの神域である隠世を打ち破り、水守の敷地へ這い出してきた蛇体は、水守の本殿くらいならゆうゆうと巻くことができそうなほど長かった。
瘴気の黒にまみれた、胴の直径は、わたしの背丈くらいはありそうなほど太い。
その姿はまがまがしく堕ちたとしても、神代の時代から存在する八岐大蛇の一柱らしい圧倒的な存在感を放っていた。
だけど、蛇体から泥のようにしたたり落ちるすさまじい瘴気は、それだけで周辺の大地を穢していく。
瓦礫と化した倉の残骸を蹴散らした鬼灯は、わたしを赤に燃える瞳でとらえると、牙をむいて襲いかかってきた。
その瞳に、理性はない。
びりびりとかんじる重圧に肌が震えながらも、わたしはハリセンで迎え撃とうとする。
だけど、わたしの肩を引いて入れ替わるように前に出たのはナギだった。
「ナギっ!?」
「あれでも、姉なのでな。わしが蹴りをつける」
はじめて見るナギのこわばった表情に驚いている間に、ナギの姿に変化が起きた。
淡い光に包まれ、その人型の輪郭が曖昧になった刹那、膨張する。
そうして光が散った瞬間、禍神に体当たりをしていたのは、鬼灯に勝るとも劣らない巨大な大蛇だった。
黒々とした鱗は炎に照らされて艶めき、対照的にその腹は血がにじんでいるように赤い。
八峰には及ばなくても堂々とした蛇体は、まさしく神話に語られた八岐大蛇の姿だった。
資料にはホオズキのように赤いと描写されていたけど、鮮やかな赤の瞳は、見間違いようがない。
「ナギッ!?」
わたしの眼前で、ナギは蛇体をくねらせて、再び鬼灯へ体当たりを仕掛けた。
巨大な体が動くだけで、大地に地響きが起こる。
もつれ合って地に落ちた瞬間、どうっと大地が揺れて、瘴気が飛散った。
わたしに降り注いできた瘴気は、ハリセンを振るうことで浄化して、難を逃れたけど、ずしりと負荷がかかるのを感じた。
瘴気で水守の土地が穢れていくせいで、力を供給しているナギにまで影響を及ぼしているのだとすぐ気づいた。
鬼灯はいらだちもあらわに、濃い瘴気を飛び散らしながら、押さえ込もうとするナギへ炎を吐く。
炎に巻かれても、ナギは鬼灯の胴を締め上げる力を緩めなかった。
逃げようとする鬼灯の蛇体がのたうちまわるだけで、木々がなぎ倒され、山が削れ、瘴気が飛び散り大地が穢れていく。
その攻防は想像を絶していて、私は手を出しあぐねて、立ち尽してしまった。
けれど、周辺に張られていたお婆さまの結界が揺らいでいた。
お婆さまは対神魔用の弱体化術式を施していたようだった。
それが効いているおかげで、禍神になった鬼灯でもあの程度で済んでいる。
でもそれは、ナギも弱体化しているって事で、さらに長年、力を削られ続けていたナギのほうが、どう考えても分が悪い。
現に、もつれ合って倒れた二体の大蛇は、複雑に絡み合い、締め上げ、お互いの命を奪おうとのたうち回っている。
だけど、瘴気そのものの鬼灯にからみついたナギの体から、焼けるような音とともに煙が立ち上っていた。
高温になっているのか、瘴気で焼けているのか、あるいはどっちもかもしれない。
ナギは本気で、一人で決着をつけるつもりなんだ。
確かに、同格のナギしか、この場で鬼灯に勝てる者はないだろう。
でも、ナギの姉なのだ。
一瞬だけ、本性に戻る前の覚悟を決めたような、あきらめたような表情は、本当は殺したくないって事じゃないのか。
腹の底から沸々とわき上がるのは、鬼灯とナギに対する強烈な怒りだ。
「自分が原因じゃない! それなのにかんしゃく起こして禍神に堕ちるなんて、ナギの気持ちも考えなさいよ。それでいて弟に討たせるなんてそんなひどいことある!? ナギもナギよ、自己完結して一人で解決するなんて言っちゃって。頼りないかもしれないけど!」
わたしはわき上がる熱のまま、今も地響きをたててもつれ合う大蛇をにらみつけた。
「わたしにだってできることはあるのよ!!」
相手は神話級の禍神だ。
でも心が熱い。
全身に力がみなぎるような、そんな高揚感のまま、わたしは手元に持つ相棒を正眼に構えた。
「天羽々斬、あなた、きっとあの素戔嗚尊の持ち物だった本物よね」
どくりと、ハリセンの柄が応じるように脈動する。
勇気をもらったわたしは、願った。
「なら、今だけもとの剣に戻って! あの分からず屋な神様たちを本気でどつきたいから!」
一層力強く脈動したハリセンは、光の粒子に包まれ、ぱっとその姿を直刃の剣に変えた。
いや、たぶんこの場合は戻ったってことだ。
銀色にきらめく刃は、今の日本刀と違って、まっすぐで肉厚で無骨だ。
でもとても力強い神力を内包している。
一歩、二歩、三歩、四歩、加速していく。
見ている間にも、ナギは劣勢になっていく。
鬼灯に胴体へ噛みつかれ、瘴気を直接そそぎ込まれた。
瞬間、這い回るような怖気がわたしの体へ走る。
それは今、ナギが感じている痛みだ。
ナギと縁を交わしたから、より強固につながった、その副作用だろう。
苦しくて、つらくて、……そこにわずかに混ざる悲しみにわたしは歯を食いしばった。
こんな時になっても、ナギは水守の土地に神力を供給し続けている。
それを止めれば、すぐに鬼灯から溢れる瘴気に土地が呑まれるからだろうけど、ハンデを背負ったままだったら、容赦なく殺しにかかってくる鬼灯に勝てるわけがない。
妙なところで甘くなるのは反則だ。
わたしにすら、ナギの力が流れ込んできて、浄衣も健在だ。
守られているのがすごく悔しい。
でも、ナギの意識が伝わってくる今なら、ナギが倒れないようにわたしが支えることもできるはずだ。
神様は称え奉ることで力を増すけど、水守の下手な祝詞は使えない。
けれど、代わりに名前を呼んでくれって言った。
「ナギ!!」
だから、わたしは、ありったけの想いを声に乗せて叫んだ。
「あんたはわたしの超強い式神よ! だだこねてるだけの禍神になんか、絶対に負けない!!」
わたしは知ってる。ナギは誰よりも強い。そうしていつだって助けてくれた。
叫ぶたびに、わたしから何かがナギへと流れていくような気がした。
襲いかかってくる瘴気を剣で払いながら、どんどん近づいていく。
「わたしはナギの主よ! だから、わたしがナギを支える! ナギが傷つくんなら、わたしも戦う! あんたが望むんなら、禍神だって、」
高く跳躍したわたしは、鬼灯へ刃を振り抜いた。
「元に戻してみせるわ!」
天羽々斬は、鬼灯の胴の中ほどあたりへあっさりと入り込み、瘴気を一気に弾き飛ばす。
いつもより強い浄化の光が、溢れ出した。
今まさに、再びナギへ噛みつこうとしていた鬼灯は咆哮を上げて、身をよじる。
だけど、巻き込まれないようすかさず離脱したわたしを、憎悪を宿した両眼で捕らえた。
『オマエガァァアアアァァアア!!!!!』
たちまち尾をふりまわしてくるのを、ナギが横から、体当たりすることでそらした。
それでもわたしは、風圧にあおられ、どこかの建物の屋根へ転がった。
本当は、鬼灯を殺してしまいたいほど憎い気持ちもある。
でもナギは、悲しいと思っているのだ。
それに、正気を失った状態ではなにも届かない。
ちゃんと目を覚まさせて、まともに戻ったときに文句と恨み言とお説教をしてやらなきゃいけないのだ!
すぐに起きあがったわたしは、鬼灯へつけた傷が、瘴気の泥によってずぶずぶとふさがれていくのをみた。
手応えもあまりなかった。
全身が瘴気に呑まれてしまっているのだろう。
歯噛みしつつも、再び剣をふるおうとすれば、瘴気の泥が落ちた箇所がぼこりと沸き立ち、盛り上がってきたのだ。
何人もの鬼灯の姿になった黒いものは、全身から瘴気を吹き出しつつ、わたしにゆらりと近づいてくる。
『オマエガ、ナギヲウバッタ!!』
一斉に襲いかかってくる黒い鬼灯を、剣で薙ぎ払えば、一瞬で浄化の光とともに霧散した。
だけど、瘴気は次から次へと落ちてきて、鬼灯の姿でわたしに憎悪をぶつけてきた。
身を翻し、剣を叩きつける中、わたしは歯を食いしばる。
鬼灯はやっぱり、田の神の時より、ずっと深く堕ちてしまっている。
このまま暴れ続けられたら、水守の土地はもちろん、ナギも倒しきれたとしても無事では済まない。
戦いを長引かせることは、ひたすらこちらが不利になるだけだ。
唯一有効な手段は、あのこっぱずかしい必殺技だけど、これほどまでに強力な禍神となった鬼灯を、元に戻すことはできるのだろうか。
じっとりとした不安に、呑まれかけて。
頭の中に何かが滑り込んでくるような感覚に、はっとした。




