心をこじ開けて
精一杯強がって見せたら、ナギは、仕方ないとでも言うように、ほうとため息をついた。
「まったく、ぬしは、わしがおらぬと無茶をするのう」
誰のせいだ!と、わたしが目をつり上げかけたら、その前にナギは膝をついてわたしの頬を包み込むようにふれた。
見下ろしてくるその顔が、ひどくせつなげで、飛び出しかけた抗議の言葉がのどの奥へ引っ込んだ。
「天羽々斬を自分に向けた上、わしの封じすらこじ開けてしまうとはの。あげくには一人で引き受けようとするなぞ、ほんにぬしは目が離せぬ」
封じ、というのはたぶんナギを引き寄せようとしたときにあった障害のことだろう。
大きな手に撫でられたら、あれだけ苦しかった力の奔流が弱まり、一気に体が楽になった。
「なにしたの」
「ちいとばかし、流れを調整しただけだ」
平然と言うナギの様子に変わりはない。
だけど、今のナギにどれだけの負荷がかかっているのか、わたしには計り知れなかった。
「それしかなかったんだから、しょうがないじゃない。元はと言えばあんたのせいでしょ」
「すまぬ、あの時は、あれしか思いつかなかったでな」
あれ、というのがあの冷たいまなざしと言葉だというのはすぐに思い至った。
そのときの衝撃と痛みを思い出して、胸は軋む。
「怖かったんだから。わたし、のこと、興味ないって。今までのは全部嘘で、もう帰ってこないのかもって」
「おや、寂しがってくれたのかの?」
ちょっぴり揶揄するように言われて、頬がかっと熱くなる。
否定の言葉が喉元まで出かけたけれど、堪えて、頬にふれるひんやりとした手を包んでナギを見上げた。
「寂し、かったよ」
会えないと思うのは。
それ以上は言葉にならなくて、だけど言葉にならなかった想いを握った手に込める。
ナギは、驚いたように紅の瞳を見開いていたけど、ふいに空いている手で、わたしの頭をなでた。
「そう、か」
大きな手が髪を滑る感触が気持ちよくて、それ以上に安堵が押し寄せてきた。
ちゃんとここにいると、そう思える。
「だが、戻るつもりはなかったのは本当だ」
だけど、続けられた言葉にはっとした。
「なん、で」
「姉者は……鬼灯は、昔からわしに執心でなあ。わしがどこへ居ようと見つけだして、側に置きたがる。それこそなにをしてでもの。だが逆にわしさえいればおとなしくしておる。昔少々嫌気がさして、姉を封じはしたが、いずれはほどけると思うておったからな、それまでのつもりだったのだよ」
想いをはせるようなナギの声音に、わたしは思わず問いかけた。
「それは、水守との契約が?」
「……そうか、豊世から聞いたか」
ナギは、いたずらがばれてしまった時のような、決まりの悪そうな表情になった。
いつも、曖昧にごまかす中で、それはかえって珍しいのかもしれない。
でも、お婆さまから聞いた契約の内容も本当だと思い知って、悲しみとおびえが胸に広がった。
ナギが、死にたいと、願ったのは本当だった。けど。
「思い出したわよ。あんたのことも」
「そうだったの。まさか、豊世の封印を本当に破るとは思うておらなかった。しかもあれでの」
唐突に話題を変えるわたしに、ナギは戸惑った風もなく応じる。
ただ、ナギの視線が傍らに置いてあるハリセンを眺めるのに、ちょっと顔が赤らんだ。
「それしか思いつかなかったんだからしょうがないでしょ!」
「恥ずかしがるぬしを見るのも、久し振りだのう」
しみじみとするナギに、ますます落ち着かない気分にさせられた。
「半月もたってないじゃない! ナギにとってはそう長い時間じゃないでしょ!?」
「そうでもないぞ。時間とはかように長いものであったと久々に実感した」
真剣な声音に、どきりとすれば、ナギは寂しそうに目を伏せる。
「ゲームのログインボーナスは一からやり直しであるし、アニメもだいぶ見逃してしもうた。娯楽が足りのうて退屈で退屈で死にそうであったよ」
ああうん。そういうことだろうと思った。
「べつに、お姉さんに趣味を明かして、堂々と見れば良かったじゃない」
げんなりとしたわたしのじと目に、ナギは大げさなまでに震え上がった。
「ぬしよ、なんと恐ろしいことを言うか! 二次元の趣味を一般人の兄弟にさらすなど死に等しいのだぞ!!」
「わたしの前では堂々と見る癖にそれを言う!?」
「全く別物である! それに、姉者はこういったモノをいっさい理解しないたちであるし、そもそもわしの言葉など聞かぬでな」
なぜかやたら偉そうに言い切ったナギは、次いでわたしの頭を楽しそうに撫でまわす。
またうろたえてしまいかけるけど、さりげなく言われた言葉に疑問がもたげた。
ナギの言葉を聞かない? それって一体どういう意味?
けれどそれは置いておいて、わたしは楽しそうにするナギを睨みつけた。
「わたし、あんたに言いたいことが、山ほどあるの」
袖で口元を隠してにやにやしていたナギだったけど、すっと表情が真剣なものに変わる。
「なんで、勝手に離れていったのよ、あんなに醒めた目で見られて、全部嘘かと思って、怖かったんだから」
「うむ」
「しかも、ちっちゃい頃のわたしが言ったことを、大まじめに叶えようとするなんて、ちょっとは年齢考えなさいよっ。わたし、全部忘れていたのに!」
今なら鮮やかに思い出せる。
花火が上がる中、水守の家の、屋根の上。
私は四歳だった。
白い衣に抱えられながら、夜空に広がる光の粒に見入っていると、ナギが言った。
『おまえの願いは何だ』
その頃のナギは無表情と言っていいほど表情が乏しくて、整った顔とも相まってひどく近寄りがたい威圧感があった。
だけど、ずっと一緒にいたわたしはもう慣れてしまっていた。
いや、ぶっちゃけわたしのやりたいことに延々ととつきあってくれて、好感度が鰻登りな中では些細なことだったのだ。
その時点で、たぶんお姉ちゃんの次くらいにはなついていたと思う。
まあ、そんなわけで、そういう風に聞かれたわたしは、首を傾げてしまった。
体感で丸一日くらい、ずっとわたしの好きなことをさせてもらって、非常に満足していたわたしは、それ以上やりたいことと言うのが思いつかなかったのだ。
『なぎはなにがしたいの?』
だから、わたしは無邪気に問いかえした。
もちろん四歳だから、明確にお礼をしようとか、遠慮したとかそういうところまでは考えてなかったと思う。
ただ、こんなにたくさん素敵なことをしてくれる人が、やりたいことはなんだろうと知りたくなったのだ。
そうしたら、ナギは、途方に暮れたように黙り込んでしまった。
困らせてしまったとわかったわたしは、悲しくなって励まそうとがんばって、なんとかなって。自分の夢を語ったのだ。
『わたしはね、いつかひみこちゃんみたいなかんなぎになりたいの!』
あれぐらいの女の子だったら、一度は願うような他愛のないものだった。
けど、今思い出すとすごく恥ずかしい。
ひみこちゃんみたいな服を着て、困っている人や大事な人を助けられる人になりたいと、忘れていた時でも同じことを願っていたのが、なんか、無性にごろごろ転がりたい。
ともかくにも、無邪気にそう願ったわたしを見下ろして、ナギは言ったのだ。
『ならば、わしが叶えてやる』
「なりたいと願われてしもうたからには、叶えない訳にはいかないだろうて」
苦笑したナギにあやすように言われて、猛烈な怒りを覚えた。
「なら死にたいってどういうことよ」
心の底からあふれ出す熱に翻弄されるまま、言葉を紡ぐ。
「あれだけ二次元を楽しんで充実した日々を送っていたくせして、自分で死ねないから殺してもらえるように工作してました? ふざけんじゃないわよ。生きるつもりがなかったんなら、それなら何でわたしと約束したのよ! わたしにでも殺してもらうつもりだったの!」
ナギは、曖昧な表情で何もいわなかった。
でも、その表情だけで真偽がわかるくらいにはナギのことを知ってしまっていた。
そう、ナギは本気だった。
苦しい、悔しい。つらい。
でも、かまわない。
言いたいことは変わらないのだから。
「ナギ、あの日の会話、覚えてるわね」
「むろんだとも」
「なら、もう一回繰り返すわ」
わたしは、挑むようにナギをにらみあげて、問いかけた。
「あんたは、なにがしたいの」
ナギはまるであの花火の日に戻ったときのように、表情を落としていた。けどひるんだりはしない。
「水守に殺してもらえるように過ごしてた。鬼灯と一緒にいることを選んだ。けどわたしの願いを叶えるとも言ったわ」
水守の初代様とナギが、どんな約束をしたかは知らない。
ナギの言葉の端々から、恐ろしいお姉さんと、何か確執があるのもわかる。
でもごちゃごちゃからみあって、ナギの真意が見えてこないのだ。
「お姉さんと一緒にいたかったの。マンガやアニメを楽しんでいたのはただのふり?」
だから、つかみ所がなくて、いつも曖昧にほほえんでばかりで、はぐらかすナギの心を見たかった。
「今、本当にやりたいことを教えてよ」
どんな反応も見逃さない。
わたしは、そういう意気も込めてナギを見つめたのだった。




