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神薙少女は普通でいたい  作者: 道草家守
第六章

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閑話:無貌の場合

 無貌(むぼう)隠世(かくりよ)から現世(うつしよ)へ舞い降りれば、そこはじっとりと湿った山の中であった。


 いちおう地面には道らしきものがついているが、土で固められているだけで舗装などはされてない。


 うっそうと茂った森が広がる中には人はおろか、人家もなく、ましてや、水守(みなもり)の本拠地となる屋敷など影も形も見あたらない。

 その見事な秘境ぶりに、無貌は少し不安を覚えた。


 このあたりに水守の屋敷があると、情報を得たのが昨日のこと。

 水守に属する術者を捕まえ、記憶を探り尽くして特定したのだ。

 自分の術は、のっとった人間の記憶すべてを見ること、偽りが混じることなど滅多にない。


 探りきれないほど高位の術者でもなかったということは。


「隠されて、いるのでしょうね」


 無貌は苦々しい気分で、眉をしかめた。



 水守は神殺しですらやってのける、退魔の名家だ。

 退魔の系譜としては5百年もたっていないため、比較的新しい(・・・)ともいえるが、無貌でもそれほど気楽な相手ではない。

 家全体を相手取るともなると、分が悪いにもほどがある。


 だが、(あるじ)に望まれたのだ。

 水守を見つけだし、蹂躙しろと。

 ならばどんな困難があろうとも、最優先で実行するべき事柄である。


 とはいえ、そのように望まれたからこそ、時間がかかると言うことが気になる。

 主がじれていることがわかるだけに、なるべく早く成果を見せたい無貌だったが、こればかりは仕方がないと、あきらめた。


「やってくる水守の術者を捕まえるか、人形達に探らせるか……いえ、鬼灯様にいくら使っても良いとおっしゃっていただいているとはいえ、無駄使いはよくありません」


 思索に耽りかけたとき、背後で強大な妖力が渦巻くのを感じた。

 はじかれるように振り返れば、そこから現れたのは鮮烈な赤。


 妖艶なドレスに身を包んだ、何よりも敬うべき主が現れるのに、無貌は驚愕しながらも、恭しく頭を垂れた。


鬼灯(ほおずき)様、どうしてこちらに」

「あなたが動いたから、ちょっと来てみたのよ。どう、見つかった?」

「いえ、その……」


 無邪気に周囲を見渡す鬼灯の匂い立つような姿に見とれつつ、無貌は背筋をぞくぞくと這い上がる感触を自覚した。


 己の行動を気にかけていただいていた、というのが一つ。

 もう一つは、これから自分の失態をさらさねばならないという恥辱だ。


 だがどちらに関しても、無貌は恐怖を感じていない。

 むしろ期待に満ちた声音にならないように、注意しなければならないほどだ。


 そうしないと、主は自分に怒りや苛立ちを向け、お仕置きをしてくれないだろうから。


「鬼灯様、申し訳ありません。このあたりという情報は得られたのですが、いまだに特定には至っていないのです」


 頬が紅潮しないように、声に期待が混じらないように。

 果たして、鬼灯は赤々とした瞳を燃え立たせながら近づいてきたとたん、無貌は足に痛烈な痛みを感じてうずくまった。


 その細いヒールのかかとが己の靴にめり込み、痛烈な痛みを刻んでいるのだ。

 このタイプのハイヒールを選んで良かった、と無貌は鬼灯から与えられる痛みに酔いしれる。


 そう、こうして痛みを与えられている間は、確実に彼女は己を視界に入れている。

 痛みもそうだが、その事実はいつだって無貌を幸福にした。


「なんだ。つまりこのあたりにあるって事じゃない。ならとっととわたしに声をかけなさいよ。無貌」

「申し訳っありません」


 うずくまったまま頭を垂れれば、細いヒールは無貌の靴から離れた。

 薄れた痛みを少々残念に思いつつ立ち上がれば、鬼灯は光沢のある深紅のスカートを揺らめかせ、一歩、二歩と歩いていく。


「たしかに、何かあるみたいね。ナギの力の気配がする」

「真ですか」


 さすが、我が主、と無貌は驚きと崇敬を込めて見上げたのだが、鬼灯が応えることはなかった。


「では、直ちに特定を」

「そんなまどろっこしいことをする必要はないわ」


 その反応はいつものことのため気にしなかった無貌だったが、かつて見たことのない憎しみと怨嗟に満ちたそれには思わずひるむ。

 つい、と腕を水平に上げた鬼灯は、赤い唇に嗜虐的な笑みをはいた。


「わからないのなら、手当たり次第に消し飛ばせばいいのよ」


 膨れ上がる妖気は、鮮烈にして華麗。

 瞬間、圧倒的な質量の火炎が、前方へ向けて放出された。


 紅蓮の妖火(ようび)は渦巻き木々や山々を焼き払い、なぎ倒してゆく。


 その圧倒的な熱量に包まれて輝く鬼灯に、陶然と見ほれていた無貌だったが、ある一点で、火炎が不自然に揺らめく空間に気づいた。


 鬼灯も気づいたらしく、ちろりと唇をなめると、もう片方の手を掲げ、大きな業火の塊を作り出す。


 気軽に指が鳴らされた途端、その業火は加速し、揺らぐ空間へ飛んでいった。

 巨大な業火あぶられた空間は、少し離れたこちらにまで聞こえるほど盛大にきしむと、やがて鈍い音を響かせて崩れ去る。



 そこに現れたのは、山の麓に広がる、広大な屋敷だった。



 現代で、これほど広々とした敷地を有する家も珍しい。

 なによりこれほどの規模をすっぽりと隠す結界を、維持し続けるその技量に無貌は感心する。


 だが、それもこの方の前では児戯に等しいのだ。


「みいつけた」


 にんやりと、唇に笑みをはいた鬼灯は、その赤い長髪をひるがえして無貌を振り返った。


「さあ、無貌、妾の元へあの小娘を連れてきなさい。妾がこのまま焼き尽くしても良いけど、そうしたらどれが誰だかわからなくなっちゃうもの。じっくり楽しまなくちゃ」

「仰せのままに」


 ごく無邪気に言い放つ鬼灯へ、恭しく頭を下げた無貌は、己の影より預かった人形達を解き放つ。


「まもなく、妖どもも隠世を伝い、百鬼夜行となって押し寄せてくるでしょう。鬼灯様の望み通り、あの娘はすぐにとらえられるはずです」

「ふふふ、楽しみだわあ」


 くすくす、くすくすと笑う鬼灯は、赤い瞳をほの暗く光らせる。


「さあどうしてくれようかしら。ナギを縛り付けて、閉じこめて、良いようにして、許さないんだから。妾のナギを。あの小娘なんかより、ナギを知っているのは妾なのだから」


 つぶやく鬼灯は、心底楽しげだ。

 そう。

 出逢ったときは、無貌の主である鬼灯は無邪気で残酷で、美しくて強かった。




 無貌は、何者にもなれぬ妖だ。

 いや、妖と称することすらはばかれる、よどんだ精気(せいき)が何の拍子か寄せて集まっただけの、己という形をもてなかったモノだった。

 他者の知識、存在、姿を借りることでしか生きることができない、自己というモノがない曖昧な存在。


 そう生まれついてしまった無貌にとって、他者とは羨望と嫉妬と憎悪にあふれるものだった。


 ならば、何よりも強いモノに成り代わろうと、無貌は己の存在すべてをかけて強い妖を乗っ取っていった。


 もし、退魔師どもに見つかれば、適当な術者を乗っ取ってひっかき回し、無様に同士討ちをする様を笑い転げて眺めもした。


 そんな中、ふと噂を聞いた。

 隠世の深層に、古き神が封印されているらしいと。


 無貌は、おもしろいと思った。わき上がる闘争心。

 その頃にはたいていの妖はおろか、弱い神であれば乗っ取ることができるほど妖力が強くなっていた無貌は、その神を見つけて成り代わってやろうと算段した。


 強いと呼ばれる神になれれば、この餓えも収まるかもしれない、と。


 そうして露払い、肉壁とするために適当な妖どもを焚きつけ、今まで乗っ取った中で一番強い妖の姿をして乗り込んだ深層で。


 無貌は、女神に出会った。


「あら? 珍しいわねえ。お客さんがくるなんて」


 豪奢な屋敷の奥の奥、艶めいた紅の格子にそれがいた。

 精密華美な調度品に囲まれて、優雅に長いすに寝そべる女は、容貌魁偉な妖どもに囲まれても、泰然としていた。

 飾りたてられた部屋ですらかすんで見えるほど美しい女は、百鬼を見渡し嫣然と笑う。


「ちょうど退屈していたのよ。遊んでちょうだいな」


 その女の格すらわからない雑魚妖怪はあざけりの笑い声をあげたまま、首を落とされた。


 しゃなりと長いすから身を起こした女が、その細腕をふるう度に、妖どもはあっけなく散り、壁や床に赤の模様を増やしていく。


 その姿の、なんと苛烈なことか。


 命乞いをしてきた妖には、慈母のようなほほえみで、指先から付け根までひと関節ごとに削っていく。


 その笑顔のなんと無邪気なことか。


 破れかぶれにつっこんできた妖は、一筋もその身に寄せ付けることなく四散させる。


 赤に濡れる姿が、なんと美しいことか。


 いつの間にか、連れてきた雑魚どもは一人残らず死んでいた。


「さあ、残ったのはおまえ一人だけれど。妾は今気分がとってもいいの。死に方を選ばせてあげるわ」


 すべてが赤に染まるその中で、一際明るく笑う女に、満身創痍だった無貌は、己の能力を解いた。

 成り代わるモノ以外に見せたことのない己の真の姿に、女は流石に驚いた顔をする。


 だが、無貌はかまわず、女の足下にひざまずいた。


「どうか、あなた様のお(そば)においてください」


 初めて成り変われない。と思った。

 いや、自分が成り代わるなどおこがましい。


 この方がこの姿で居るからこそ美しいのだ。

 唯一無二の、美しく強く鮮やかな存在に無貌は心の底から魅せられていた。


 この方にならなにをされてもかまわない。

 だができるならば、側にいてずっと眺めていたかった。


 瞬間、頭部に強烈な衝撃と痛みが走り、床を転がった。

 かすむ視界で見れば、女の白く華奢な足が裾からのぞいていた。


 あの足で、蹴ってもらえた。

 雑魚妖怪どもがふれることすらできなかったあの足に!


 無貌は今まで感じたことのないよう喜びに、全身を満たされた。


「蹴られて喜ぶなんて、あなた、気持ち悪いわね」


 女の紅の双眸が、冷ややかに無貌を見下ろした。

 視線と興味を独占していることに、続々と幸福感がわき上がる。


「申し訳、ありません」


 それでも不快を覚えさせているのだからと謝れば、また長いすに体を伸ばした女は愉快そうに目元を和ませる。


 それが、虫けらをもて遊ぶ童子に似たモノだと気づいたが、無貌はかまわなかった。

 すると、きれいにした足先が無貌の顎にひっかけられる。


「まあいいわ。ちょうど暇だったの。お茶を入れてちょうだい。おいしかったら、あなたを下僕にしてあげる」


 無貌の心にあふれる歓喜が広がった。

 以前、茶人の記憶を奪っておいて、これほどよかったと思ったことはない。


 すぐさま屋敷にあった茶葉と茶器で、可能な限りおいしいお茶を入れれば、女は――鬼灯様は無貌を下僕として側に置いた。


 彼女は見飽きぬほどに美しい。

 鬼灯様は時折暇つぶしと称していろんなモノを作った。

 その一つが、禍玉(まがたま)というモノを使い、気に入った素材に入れ込み練り合わせ、命令に忠実に動く肉人形だ。


 まるで粘土でもこねるようにひとを、妖を、時には神でさえ楽しげに練り合わせて作り出す主には敬服するばかりだ。


「ナギには適わないのだけどね」


 無貌にとっては、瘴気(しょうき)を練り上げ禍玉(まがたま)を作り出すことすらすさまじいの一言なのだが、気分がいいときには、そうやって愛しい弟のことを話してくれた。


 弟について話す鬼灯は、また違った魅力を放っていて、無貌はうっとりとしたものだ。


 そうして数百年過ごしてきた。

 鬼灯様は美しい。何よりも強く、美しい。

 無貌は、彼女の望むのであれば、何でもするだろう。


「さあ、無貌、特等席で眺めに行くわ」

「はい。お供いたします」


 だから、無貌は、鬼灯から時折したたる黒い瘴気には気づかない振りをして、眼下へ広がる水守の本拠地へと歩を進めたのだった。



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