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神薙少女は普通でいたい  作者: 道草家守
第六章

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一歩を踏み出せ

 屋敷に戻った後、碓氷さんはすこし待ってくださいと言って去っていった。


 今は非常事態だから、きっとすぐには会えないだろうと思っていたけど、いくらでも待つ気でいたわたしは替えの巫女服に着替えながら覚悟を決める。

 なのに、碓氷さんはわたしが着替え終えた頃には戻ってきて、こわばった表情で祖母が呼んでいることを告げてきたのだ。


 碓氷さんは裾が泥だらけのままで、それだけ優先してくれたことに、申し訳ない気持ちと、少しの嬉しさを感じる。


 だけどそれ以上に祖母に呼び出されたことに驚きさめやらないまま、わたしは碓氷さんに言われたとおり、祖母の私室へ向かった。




 部屋まで続く廊下を歩いていると、ちょうど術者の一人が祖母の部屋から出てくるところだった。


 たぶん神薙と呼ばれているだろう実力者だと、何となくわかる。

 その厳しい表情から漂う張りつめた雰囲気に、わたしは知らずに息をのむ。

 彼は、わたしとは逆の方向へ、足早に去っていった。

 なにがあったかはわからないけど、なにかがあったというのはよくわかる。

 胸騒ぎがぶり返してきて苦しかった。


 それでも落ち着け、落ち着け。

 板張りの廊下と私室を遮るのは襖一枚だ。


 ここに入る時はあまり良い思い出はない。

 閉ざされた襖がとても厚いものに思えた。


 とっさに、緋袴のひもに挟んできた銀の鈴へ手を伸ばす。

 音は鳴らない。でも冷えた感触が心を落ち着かせてくれた。


 全部知りたいって、思ったんだ。


 わたしは背筋を伸ばすと、板張りの廊下へ座した。


「お婆さま、依夜、まかり越しました」

「入りなさい」

「失礼いたします」


 まずは右手を取っ手にかけて少しあけ、次に左手にかけかえ、右手を枠に添えて一人が通れるだけのスペースを確保する。

 畳の縁を踏まないように静かに入室し、同じ要領で襖を閉めた。


 長年しみこんだ作法だ。


 そうして緋袴を払って座り、手を付いて頭を下げた。


「近くにおいでなさい」


 直接聞いた声にかすかに違和を覚えたけれど、許されたので立ち上がって、祖母の前に用意されていた座布団へ移動する。


 祖母は文机に向かって書き物をしていたけど、わたしが座布団に座ったことで手を止めて、向き直る。

 改めて祖母を見たわたしは、少し驚いた。


「お婆さま……」

「なにか」


 一分の隙もなく白い小袖と白い袴を着て、すっと背筋をのばした祖母の姿は、巫覡(ふげき)の家系である水守の一族の当主にふさわしい貫禄と、威厳と、威圧感がある。


 だけど、今は、どことなく顔色が青ざめて憔悴しているような気がしたのだ。


 常に平静を保つ祖母にとって、ひどく珍しいことだと思う。

 姉と、いったいなにをしていたのか。


 大丈夫ですか、と思わず聞きたくなったわたしだけど、祖母の淡々としたまなざしに言葉は口の中で消えた。


「依夜さん、非常事態ですので、手短に言います」

「はい」

「寄代はどこですか」


 単刀直入に切り出されたけれど、祖母がなにを指し示しているのかよくわからなかった。


「なんのことですか」

「倉から連れだした式神の寄代を、今すぐ引き渡してください」


 ようやく祖母の言葉が頭に染み渡ってきて、わたしの頭は真っ白になった。

 お婆さまは、私がナギを連れ出したことを知っている?


「あなたが、あの者の力を使って退魔討伐をしていたことは知っています。渡してください」


 わたしはこんな時でも、かっと顔に熱が上った。


 おばあさまはわたしがあのこっぱずかしい浄衣を着て、ハリセンを振り回していたことを知っていたのだ。

 和メイドの画像はぶれぶれだけど、女幹部あたりはしっかり写っているし、女学生とか、メイドさんとか、チアガールとか、チャイナとか、きわどいものも結構ある。


 は、恥ずかしくて死にそうだ。いったいどこまで知っているのだろう。


 思考がぐるぐるして、とっさに袴に下げた鈴に手をやったら、祖母の視線が移った。


「それですね」


 しまったと、思ってももう遅い。

 お姉ちゃんが話したのか、それともほかのなにかから?

 さっき思いだした花火の情景にはお婆さまもいたのだから……もしかして、最初から?


 ううん、問題はそこじゃない。

 わたしは全力で羞恥心を押しのけて、自分を立て直した。


「なに、に使うんですか。もう、あいつは呼び出せません」

「あなたには関係ありません」

「あります!」


 反射的に声を上げれば、祖母は虚を突かれたように軽く目を見開く。

 そこで息を付いたわたしは、大きく深呼吸をして、続けた。


「あいつは、短い間でも、押し掛けでも、わたしの式神でした。なら、主人であるわたしが責任を持つのが道理です。理由があるのなら、教えてください」


 気を抜いたら、震えてしまいそうだった。

 それでも、なにもわからないまま、引き渡すのは嫌だ。


 ぎゅうっと、銀鈴を握りしめて目を逸らさずにいれば、沈黙していた祖母は眉間にしわを寄せ、厳しい表情のまま硬質な声で言った。


「まだパスがつながっているはずですから、それを触媒に標的の居場所を特定し、呪詛を仕掛けて封じます」


 息を呑んだ。


 確かに寄代となっていた鈴なら、人探しの術も十分効力を発揮するだろう。

 だけど、さらに呪詛を仕掛ける、というのは、つまり。


「おばあさまは、ナギが敵になると言うんですか」


 呆然と問えば、一瞬だけ、祖母の表情が揺らいだ。

 そこにかいまみえた感情を読みとる前に、祖母の表情は取り繕われる。


「今回は、水守の総力を挙げての厳しい戦になるのは必至。ならば戦になる前に不確定要素は少しでも減らし、そげる戦力は全力でそぐのが定石です」


 ようやく理解が及んで、わたしは愕然と祖母を見た。


「敵か味方は関係ありません。あの方が、この水守を離れた。その一点で我らが動く理由になる」


 いっそう厳しくすがめられた眼光に、わたしは射抜かれた。


「これは、水守が水守たるお役目なのです」


 それは、わたしが嫌という程良く知る、水守当主の顔。

 それ以上は口答えをするな、という意思表示だ。


 明確に線を引かれたのがわかる。

 黙って従えと、そういわれている。


 だけど。


 わたしは、震える手をぎゅっと握って、声を絞り出した。


「つまり、この事態とはべつの、何かがあるってことですか」


 祖母が緩く瞬く。


「理由を、教えてください」


 逃げたくなるのを、全力で押さえた。

 一歩だ。怖くても良い。踏み出せ。言うんだ。

 ずっとずっとためらっていたその言葉を。


「さっきも言いました。ナギは、わたしの式神です。そして、わたしは、水守です!」


 情けないくらい震えた声音だった。


 どっと汗が噴き出す。逃げてきた物が目の前にある。怖い。重い。


 それでも、背負うってきめた。

 なりたいものを追い求めるって決めたんだ。


「虫の良いことを言っているのはわかっています。実力不足で、重圧に耐えきれなくて、一度は逃げました。でも、人あらざる者達と、あいつと、言葉を交わして、つながりを持って、思ったんです」


 神薙少女でいる間は、ひどい目にあったり、恥ずかしい目にあったり、大変だったけど。

 大事な人を助けられて、笑顔を取り戻す人が居て、直接じゃなくてもありがとうって言われた。


 嬉しかった。守れることがあるって、わかって。

 だから。


「どんな形でもいい。彼らと関わっていく道を選びたい。だからもう、水守の名から逃げません」


 涙は流れなかった。

 わたしは精一杯の決意を込めて、畳に手をついて、頭を下げた。


「お願いします」


 額を畳にこすりつける。

 祖母は沈黙していた。


 無音で過ぎていくその時間が、ひどく間延びしているように思えた。


 湿度のせいだけではなく、じっとりと手が湿る。

 それでも顔を上げなかった。


 心臓がひどくうるさい。


「話したとして、あなたにできることはほとんどありません。それでも、後悔はしませんか」


 ぽつりと、問われたそれに、わたしは肩を振るわせた。

 怖さからではない。期待と、喜びからだった。


「はい」

「顔を、あげなさい」


 こわばる体をゆっくりとあげると、厳しい表情でたたずむ祖母がいる。


 だけど、その瞳は悲しみと痛ましさに満ちているように思えた。

 わたしは手を太股に置きなおして、ぐっと背筋を伸ばす。


 なにが来ても、受け止める。


「あなたがナギ、と呼ぶ式神は、式神ではありません」


 淡々とした祖母は単刀直入だった。




「あれは、我が水守の奉る神。八岐大蛇(やまたのおろち)の一柱です」












 すうっと、意識が遠のいた気がした。

 ナギが水守の神。


 ひどく驚いた。けど、腑に落ちる部分はある。


 勝手に出てこれるのは、寄代だったなら当たり前だし、浄衣というかたちで力を分け与える、という技は憑依、分霊だ。


 お守りだって、神さまの力を分けて作るものだし、願わなければちからを発揮できない部分も、納得がいく。


 でも、



「やまたのおろち……?」



 その単語が、ひどく現実味がなかった。


 術者じゃなくても、多くの人が知っている、有名な蛇神の名だった。


 その昔、素戔嗚尊(スサノオノミコト)に討伐された、八つの頭と八つの尾を持つ悪神だ。


 その目は鬼灯のように赤く、腹は血がにじんだようになっていて、八つの峰と八つの谷にまたがるほど巨大な蛇と伝えられている。


 現世に権限されなくとも、その恩恵を受けられる神々は未だに多くいるけれど、八岐大蛇は神話の時代にすでに討伐されているはず。


「実際は、八匹の兄弟蛇であったと、当主のみに伝わる水守の記録に残っています。そして初代より、その一柱である、我が水守の神を殺すために、この水守はあります」


 途方もない話に、わたしは呆然とするしかなかった。


大蛇(おろち)を、殺す?」

「ええ。今日まで連綿と培ってきた我らの技は、すべてそのためにあります。我らが神殺しの水守なのは、知っているでしょう」


 確かに、水守はほかの家のどこよりも、堕ちた神、禍神(まがつがみ)を討伐するのに長けていた。


 閲覧できるだけでも、神に関する事柄は資料が膨大に残っていたし、今でも研究され続けているらしいとは聞いている。


「でも、祝詞は、ぜんぶ神をたたえるものです。そもそも何で殺されるとわかっているのに、奉じられて」

「神が望んでいるとしたら?」


 なにがあっても受け止めると思っていたのに反論しかけて、だけど間髪入れない祖母の言葉に呑まれた。


「ナギが、望んでいる……?」


 聞き間違いじゃなかったのかと思いたかった。

 けど、祖母は無情だった。


「よく思い出しなさい。水守の祝詞に、神の名は入っておりません。奉じるさいも、どの神に対してなのかひどく曖昧にされているでしょう。徹底的に、存在を秘しているのです。どんな小さな力も与えぬように。その上で力を搾取できるよう」


 理解を拒否しているような気がしたのに、わたしの頭はめまぐるしく祖母の言葉を咀嚼する。


 水守の神は、秘されている。

 ほかの家でも独自の神を奉っているところはあるけれど、少なくとも名前はちゃんと祝詞で詠いあげられているはずだ。


 神は存在を感知され、人に奉られることで力を増す。

 逆に言えば人に忘れられることで、霊格が衰えるのだ。


 田の神が、社の規模を縮小され人々に奉られなかったことで弱体化したのが良い例かもしれない。


 消滅はしないまでも、確実に弱くなる。

 そして、祝詞は願いを神に聞き届けてもらうためのものだ。


 神がそれをかなえることで人は恩恵を実感して、神を認識し、神は霊格を維持できる。それが普通だ。


 でももし、願いを叶えた神がわからなければ。

 人は神がいることは認識できても、神が霊格を維持するほどの力にはならないだろう。



 力を搾取するだけの祝詞……それは、(のろ)いといわないか。



 もちろん、そんな願い、拒絶することは簡単なはずだ。

 なのに姉は水守の祝詞を唱えあげて、牛鬼を討伐していた。


 今ですら、水守の神に力を借りて、術が使えなかったという話は聞かない。

 つまり、望まれれば分け与えている、ということで。


 ぞっとした。

 ナギは、本気で望んでいるんだ。


 あんなに楽しそうだったのに? わたしといる間もずっと?


 そこで、思い出す。自分もたくさん願ってきた。


 浄衣だってナギの力だ。守るためにいろんなことをしてくれていた。

 ナギを殺す片棒を、自分も担いでいたことになる。



 わたしの体から音を立てて血の気が引いていった。

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