わたしはわたしなりに
その後、写真はないかと迫られたけど、自分で撮る趣味がないわたしはもちろんないと言いきり、すごく残念そうにされた。
けれど、わたしが若干冷たい目をしているのがわかったのか、ちょっと冷静になったらしい姉は、こほんと咳をして仕切り直す。
「で、依夜はあいつのことをどう思ってるの。姉って名乗ったそいつについて行ったんでしょう。依夜を捨てて」
打って変わって的確な指摘に、わたしはぐっと息をのみつつ、思っていることを言った。
「違う、と思うの」
「違う? でも、さんざん振り回しといて、何にも言葉を残さずに行ったんでしょう、あのクズ」
いつもの姉からは飛び出さない、乱暴な言葉に驚いた。
冷静だと思っていたけど、お姉ちゃん、もしかしてかなり怒ってるの?
それはともかく、ちょっぴり動揺する心を抑えてわたしは、慎重に言葉を選んだ。
「なにか、はわからないけど。あの時のナギは、なんか変だったの」
能面みたいなあの表情を思い出すだけで、まだ怖い。
でも頭が冷えて心の整理がついた今は、すこし違和感を覚えるのだ。
どこが、といえるほど確かなものじゃないけれど、春からずっと一緒にいたナギとは全然違うから。
「ナギはさ、もう興味がなくなったアニメとかゲームでも、すぐに捨てずに、眺めていたりするの。『これはここが面白かったのだよ』って話すの。それがすごくめんどくさかったけど、飽きたらぽいってしなかった」
「つまり、あいつの、本当の気持ちじゃなかったと?」
姉の問いかけに、わたしはおびえる心をねじ伏せて、しっかりうなずいた。
「依夜、それが希望的観測なのはわかってる? あいつは、姉――つまり家族の下に帰ったってことになる。家族の前で見せる顔のほうが本性だった、というのは十分あり得るのよ」
「それでも」
姉の言うことはもっともだ。
何度も、何度も考えた。
でも、そのたびに甦ってくるのはあの屋上でのナギの表情なのだ。
「ナギは、『全部思い出したら、教えよう』って言った。そんな風に言うほど、大事な約束、したの。こだわってたみたいなの。だから、わたしは、わたしが知っているナギを信じたい」
「依夜……」
「でもそれは、文句を言ってやりたいからでもあるの。あんな言い捨てばっかりじゃすごく腹が立つんだもん。もう一回会って一番言いたいことを言ってやるの!」
決意そのままに、拳を握って宣言すると、姉はなんだかすごく複雑そうな顔をしていて、私は首を傾げた。
「どうかした?」
「ああうん。何でもないのよ何でも……」
姉は、なんだか何でもなくないような、いろんなものを飲み込んだ表情をしていたけど、気を取り直したようだった。
「まあね。無貌が生きているのなら、なんとしてでもこの手でしとめてやらなきゃ気がすまない。それにその無貌が主と慕っているのなら、鬼灯って奴も、ろくでもないモノななのはわかり切ってる。何より依夜を殺そうとしたのは許せない」
「わたしも、お姉ちゃんを傷つけた無貌は、許せないよ」
鬼になった姉を鮮明に思い出して、わたしはふつふつと今まで感じたことのないような、煮え立つような感情を自覚していた。
これが怒るって言うことだ。
ぎりっと顔をしかめた姉は、だけど考え込む様子になる。
「ただ、その鬼灯は、姉って名乗ったのね。あいつの」
「うん」
「姉ってことはつまり、同じ血縁か性質から生じたと言うこと……でもまさかそんなことが」
「お姉ちゃん?」
その姿があんまりにも真剣で、少し不安になったわたしが呼ぶと、姉はひたりと見つめてくる。
「私は、依夜が普通になりたいっていう願いが、依夜の幸せになると思ったから賛成した。でもそうじゃないんだね」
「うん……ごめん、ね」
「謝らなくていいの」
確認するような問いに、わたしは迷いなくうなずいたけど、ずっと力を尽くしてくれたことを白紙にする選択に、申し訳なさがこみ上げる。
だけど、大好きなお姉ちゃんはにっこりと快活に笑った。
「お姉ちゃんは、依夜の味方だ。依夜が望むのなら、私はそれを全力で助けるわ」
やっぱり、お姉ちゃんはかっこいい。
そう思っていると、姉は少し考えるように顎に手を当てた。
「もう、水守は鬼灯たちの討伐に動き出しているのよね。なら、私も加わるわ」
「え」
「当たり前でしょ。私は水守の筆頭だしね。起きた以上は戦力に数えられていると思うし、そうじゃなくてもできる限り入れてもらうつもりよ」
姉は元気そうにしているけれど、今の今まで意識不明だったほど衰弱していたのだ。
ぼろぼろの体で戦いに身を投じようとする姉を止めたかったけど、姉はきっと笑って大丈夫というだろう。
ならわたしも、覚悟を決めなければいけない。
「お姉ちゃん。わたしも、討伐に連れて行って欲しい」
とたんに、厳しく目をすがめる姉をしっかり見つめる。
正直、何の力もないわたしに、出来ることは限られている。
それでもやるって決めたのだ。
「もう一度ナギに会うためには、きっと鬼灯のところにいくしかないと思うの。無理なことを言っているのはわかってる。邪魔にならないようにする。足手まといにならないようにするから、連れて行ってください」
末席でも現場にいられれば、きっとナギに会える可能性は高い。
そう思ったのだけど、姉は、神薙の顔をしていた。
真意をすべて見透かすような冷徹なまなざしに、手に汗がにじむ。
姉はわたしをしばらく見つめていたかと思うと静かに問いかけてきた。
「総力戦になるわ。戦闘に入れば、依夜を守ってやれない」
「自分の身は、自分で守るよ」
「死ぬかもしれないわ」
「うん」
「本気?」
「うん」
だんだん、姉の方が泣きそうな表情になっていた。
「ここに、居てくれないの?」
ひどく心細そうな姉に、こくりとうなずく。
「お姉ちゃんを一人で戦わせるのも、もう嫌だから」
わたしの意志が固いと知ると、姉はなぜか悔しそうな表情に変わり、深く息をついた。
「……わかったわ。私の用人として付けるように働きかけてみる。私のそばだったら、人も少ないだろうし、あのハリセン、使えるでしょ。少しは自由に身を守れるはず」
姉の提案に、普通にハリセンを使う気だったわたしは、自分の考えの浅さに赤面した。
わたしが多少なりとも身を守るすべがあるのを、水守は知らないのだ。
普通に考えれば許可が下りるわけがなかったのに、姉はきっちり解決策を用意してくれた。
けれど、
「いいの。わたしなんかを用人として付けて。部下の人居るんじゃないの」
用人は、神薙のサポートに徹する人員だ。
つく神薙によって必要なサポートは千差万別だけど、妖を察知したり周囲への人払いや、神薙の使う退魔道具の補充も役目だ。
人によっては、神薙並に戦える用人を付けることもある。
つまり、後方支援なのだけど、隠世を察知する感覚と、妖を見る目があれば付けるとはいえ、わたしはおばあさまから出動を許可されたことはない。
用人としてついて行けば、確かに最前線へ出られる。
けど、実力不足のわたしを付けたがために、姉の足手まといになったらそちらの方が後悔するだろう。
すぐに返事をするのをためらっていると、姉はあきれたように息をついた。
「私はずっと一人で活動してたから、付けさせてくれるはずだわ。それにね、前から思っていたけど、依夜は十分用人としてサポートに付ける実力はあるのよ。そうじゃなきゃ、依夜にでもこんなこと言わないわ」
実力がある、と言われたことも驚きだったけど、用人を付けないでやっていた話も初耳だ。
姉ぐらいの実力者なら、居なくても大丈夫なのかもしれないけれど、かなり異例のことだった。
「どうしてひとりもつけなかったの?」
「うちの式神が気に入る用人が居なかったからね。でも依夜なら大丈夫よ。日向が問答無用で食いつかないし」
ちら、と姉が傍らにいる大きな山犬の顔を見上げれば、日向は気まずそうに唸った。
「別に、こんなよわっちいやつ噛みついても面白くねえだけだ」
その反応にくすくすと笑った姉は、わたしをみた。
「依夜が怖いんなら別に良いわ。むしろそっちの方がいい」
心配していることがすごくわかるお姉ちゃんに、わたしは首を横に振った。
「ありがとう、お姉ちゃん。行かせてください」
すると姉は少々涙目になりながら、わたしの手を握ってきた。
「わかっていると思うけど、絶対に危ないと思ったらすぐ逃げるのよ!」
普通だったら許されないことを平気で推奨する姉に苦笑する。
その気持ちはうれしいけど、それじゃあだめだし。それに、
「わたし、お姉ちゃんの助けになれるのがすごくうれしいの。だからできる限りがんばるね」
これでも、一通り仕込まれているのだ。
姉が100パーセントで戦えるように最大限努力しよう。
よし、と気負いを入れていると、姉はなぜかますます顔をゆがめたのだ。
「うええ、嬉しいけど嬉しくないい……!」
そのままぎゅっと抱きつかれてぐずぐずする姉に、どうしたものだろうとおもいつつ、背中をさする。
お仕事でお姉ちゃんは手を抜かないのはわかっているから、わたしを付けるのはいいんだけど、複雑ってことなのかな。
心配されるのはわたしの実力不足のせいなのだし、そこは、がんばるしかない。
しばらくぎゅうぎゅう抱きつかれていたけれど、姉は不意に耳元でささやいた。
「がんばれ、依夜。お姉ちゃんもがんばるから」
姉の言葉に、わたしは目を見張った。
がんばれって、初めて言われた気がする。
「うん。がんばる」
でも、なんだか嬉しくて、はにかみながらうなずいた。
胸がほこほことあったかい。
何でも出来るような気がしてくる。
ほとんどは自分のため。……ほんのちょっぴりナギのため。
がんばろう、わたしなりに。
姉の背中に回した手に力をこめ、改めて心に刻んだのだった。




