姉というものは
水守本家に戻ったわたしは、注意されないぎりぎりの速度で病棟へ走ると、教えてもらった一般室の扉を勢いよくあけた。
どこか柔らかい印象の板張りの床と白い壁で構成された室内には、ベッドが一つ置かれ、そこには山犬の姿の日向と、日向に額をすり付けられてくすぐったそうにする姉がいた。
ベッドに座って日向を受け止めていた姉は、私の方を見ると朝とは打って変わって生気に満ちた顔をぱっとほころばせた。
「お姉ちゃんっ」
「依夜っ」
わたしはたまらずに手を広げて待ちかまえていた姉に飛びついた。
車の中で、碓氷さんに姉が目覚めたと聞いたときは期待と不安で胸が張り裂けそうだったけど、暖かい温もりに包まれて、本当なのだと実感する。
「よかっ、た……!」
「心配、かけたわね」
「ほんと、だよっ。体は、大丈夫?」
「全然平気。斎戒が開けた後みたいにすっきりしてるわ」
声の張りや、身を起こせていることからして、その言葉は本当なのだろう。
髪をすくようになでてくれる手が心地よくて、少しからだが細くなった気がするのがつらくて。
言いたいことも聞きたいことも沢山あったけれど、わたしは、泣くのをこらえてただただじっとすがりついた。
いつも姉がまとう香りとは違う、祈祷の時に使う、清めの香の薫りが染み着いていて、また胸が少しぎゅっとなる。
でもこの薫りって、ナギから漂ってくるものと一緒?
「依夜、ごめん」
はっと、顔を上げれば、姉は顔をゆがめてうつむいていた。
その表情から読みとれるのは悔恨と、後悔と、自分を責める感情だ。
「皆や日向から、だいたいのことは聞いたよ。不意を打たれたとはいえ油断して、その場しのぎで行動して鬼にさせられた。その上依夜を殺そうと……。全部、私の力が足りなかったからだ」
「違うよ」
お姉ちゃんを頬を両手で挟んで、無理矢理顔を上向かせた。
そうしてまっすぐ見つめれば、泣きそうだった姉の顔に戸惑いが浮かぶ。
「お姉ちゃんが足りなかったわけじゃない。本当のことを言わずに、お姉ちゃんに全部任せちゃったわたしがいけなかったの」
「それは……」
姉が、驚きに目を見開く。
あの時の記憶がどれくらい残っているかはわからないけど、わたしが神薙少女だってことを隠さなかったことが意外だったのかもしれない。
「わたしがちゃんと打ち明けていれば、お姉ちゃんはあんな無理なことをしなかったでしょう?」
「やらないわけないでしょ。妹を守るのはお姉ちゃんの権利、なんだからね」
気負いもなく、当たり前のように言い切る姉に、傍らにいる日向が、山犬でもわかるほど切なそうに顔をゆがめる。
わたしも、たぶんにたような表情をしている。
姉は強いのだ。強いからこそ、周りがつらい。
でも、やめてって言うのは違う。
守られているというのも本当だから。
それでも。だからこそ。
「ありがとうお姉ちゃん。でも、うれしくない」
「依夜……?」
「わたしは、お姉ちゃんが大事なの。たぶんきっと、お姉ちゃんがわたしを大事に思うのと同じくらい。だから、わたしの為って傷つくのを見るのはすごく、つらいよ」
息をのむ姉を見上げて、わたしは決意を込めて、言う。
「だからね、もう逃げるの、やめる。お姉ちゃんみたいにはなれないけど、どんなことをしても、強くなる。自分のことは何とか出来るくらい。それで、お姉ちゃんがつらいときは、苦しいときは、力になれるようになるから」
一番、伝えたかったことを、今まで形に出来なかったものを言葉にした。
「一人で、抱え込まないで」
姉は、どうして良いかわからないような、途方に暮れた表情になった。
だけどなんだか、すごく泣きそうに見えて、えっと思っているうちに、また抱きしめられた。
「うん……そっかあ。依夜は、強くなったなあ」
ぎゅうっと、背中に回される腕が強くて、少し苦しかったけど、そんなつぶやきが聞こえて、戸惑った。
「わたし、まだ強くないよ。修行を再開しても、一人で退魔が出来るようになるかはわかんないし……」
「そうじゃないよ。依夜は、もう十分、私の力になってくれてるの。ああもう、だめなお姉ちゃんでごめんねえ……」
そうじゃないと、体を離して抗議しようとしたけど、ぎゅっとっ腕に力を込めて抱きしめられて、そういう姉の声が湿っているのに気づいてためらう。
と、わたしたちを取り囲むように、日向がのぞき込んできた。
『こいつは頼りねえけど、俺はちゃんと頼れよ。二度と置いていくんじゃねえ』
「日向……」
「日向もね、お姉ちゃんのこと心配して、ずっと部屋で待ってたんだよ。お姉ちゃんのそばにいられなくて寂しかったって」
『妹っ!!』
気を利かせて伝えたつもりだったのだけど、日向に牙をむかれてしまって引き下がる。
だけど姉が呆然と見上げるのに、日向は決まり悪そうにしつつ、それでも言った。
『こいつじゃなくて、あんたを守らせろよ。俺はあんたの式神なんだからよ』
「ありがとう、ごめん」
かすれた姉の声に、日向はどこか満足そうにうなる。
姉が深く深く息を吐くと、わたしから手を離した。
その顔は、どこかすがすがしそうだった。
「あーあ。頼れるお姉ちゃん像が崩れていくなあ」
「お姉ちゃんは、いつだって、わたしのヒーローだよ」
「なら、依夜はヒロインだね。可愛い可愛い私のお姫様よ」
「っ! で、でも今はヒロインも戦うの」
言いくるめられては困ると主張すれば、姉はちょっと不思議そうな顔をした。
「そうなの? そもそもどこ情報?」
「ええと、それは……」
ナギが見ているアニメとかだったけど、それはちょっと言いづらい。
だけど、姉は深くはつっこまずに、腕組みをして考え込んでくれてほっとした。
「まあ、とりあえず。あいつ謹製っていうのが気にくわないけど、あのコスプレは眼福だったわ。だけど、女幹部、だっけ、あんな露出するようなの着るのはけしから……危ないのは気になるけど、私の前で着てくれるとうれしいわ。次着たときは絶対写真をとらせてね」
「あ、えと、それはっ」
期待に満ちた表情でのぞき込まれて、意味もなくあわあわする。
今までやってきたコスプレを思い出して、顔に熱が上っていく。
な、なんか、あのコスプレをしているのが自分だって知られているの今さらだけど、すごくいたたまれない!
しかも改めて見せてとか言われるのすごくむずむずするし、ど、どうしたらいいの!?
わたしがなぜか追いつめられていると、日向が口を開いた。
『居ないんだとよ。あいつ』
わくわくうきうきとした擬音が聞こえてきそうなほど浮かれていた姉はその言葉に本気で驚いたようだった。
「え、あいつって……まさか、ほんとに?」
日向は、まだそこまでは話してなかったみたいだ。
確認するように見られたわたしは、唇を引き結んで、うなずいた。
まだ胸は痛いけれども、今はそれで良い。
姉とベッドに並んで座ったわたしは、水守にごまかした話ではなく、あの場所で実際に起きたことをすべて話した。
無貌の話になると、姉は嫌悪感をにじませて堅く拳を握っていたけれど、黙って聞いてくれた。
「うん、ありがとう、依夜。ところで聞きたいんだけど」
そうして聞き終わった姉は、ひどく真剣な表情になった。
そのあまりのまじめさにベッドに座ったままでも、思わず姿勢を正して、言葉を待つ。
「そのとき着ていた浄衣は、なにかしら?」
「浄衣?」
「うん。今までの傾向から行くと、そろそろ可愛い路線にも行くのかな、と思うのだけど、ね、なんだったの?」
『香夜……お前……』
日向のすごく残念そうなまなざしも気にした様子はない。
姉に迫られたわたしは、口を割らざるを得なかった。
「水色の、甘ロリ? だった、よ?」
「甘ロリ……私が私服に混ぜても全然着てくれないフリルたっぷりの? しかも水色……? ピンクでも赤でも紫でもなく水色なの! やっぱり趣味良いじゃないあいつめええ!」
すごく、まじめに話したつもりなのだけど、気になるのは、そこなのですかお姉ちゃん。
というか、時々すんごくフリルたっぷりの服が混ざっていたのは、買い間違いじゃなかったんだね……?
「めちゃくちゃ見たかったあっ! 鬼の私気合いで覚えてなさいよまったく!」
それは無理じゃないかな……?
悔しそうに嘆く姉の、その心の叫びに。
わたしは曖昧に笑いながら、一瞬、ほんの一瞬だけ、距離を置きたくなったのだった。




