りんご飴と金魚すくい
おいしそうな焼きそばとか、たこ焼きとか、お好み焼きとかを買い込んだあと、お祭りの区画内にある公園で食べた。
そうしたら、真由花ちゃんが屋台の一つにあったクレープが食べたいといいだして、ついでに飲み物が欲しいよねと凛ちゃんもついて行き、わたしはその場で待つことになった。
「結構盛大な祭りなんだな」
楽しそうに行き交う人たちをぼんやりと眺めていたら、その喧噪につられたか、日向が姿を現した。
確か日向は自力で人の前にも姿が表せるはずだけど、ほかの人が日向に視線をやらないところから、完全に隠行は解いていないのがわかった。
きょろきょろと出店や人混みを見回すその横顔は、外見年齢と同じくらいに見えてなんかかわいい。
「……何だよ、そのにやけた面は」
「えあ、別に」
でもそれを素直に言えばきっと日向は不機嫌になるから、ごまかそうとしたけれど、その前に日向が見ているものに気がついた。
彼の視線の先にはリンゴ飴の出店があって、リンゴ飴と、深い紫をしたぶどう飴が整然と並べられていた。
艶やかで真っ赤な飴がかけられたリンゴ飴は宝石みたいでとてもきれいだ。
そう思ったわたしは、その場から立ち上がってリンゴ飴の屋台へ向かった。
「どうしたよ、妹」
「日向、どれがいい。おおきいの? ちいさいの?」
思わず、といった感じでついてきた日向にこっそり聞けば、目を丸くした後、みるみる顔をしかめた。
「は? べ、別にいらねえし。何であんたに買ってもらわなきゃいけねえんだよ」
「きっと、お姉ちゃんならそうしたと思うから」
やっぱり、日向はあまり元気がなさそうで。
お姉ちゃんはわたしが落ち込んでいることに気づいたら、一緒にいてくれたし、おいしいものを食べようっていろんなお菓子を持ってきてくれた。
きっとわたしなんかと一緒に居て欲しくないだろうから、本当にただの気持ちだけど。
日向は、はっとわたしを見たけれど、すぐ顔をそらした。
その小さな肩がかたくなで、だめかな、違ったのかなと思ったけど。
少し間の後、小さな声が聞こえた。
「……一番でっかくて、飴がいっぱいついてんのじゃなきゃだめだぞ」
「ん、わかった」
じんわりと、赤に染まる日向の横顔に、少し嬉しくなったわたしはそのまま出店にいって一番大きなリンゴ飴を買った。
そっと差し出せば、仏頂面の日向にひったくられる。
「……礼は言わねえからな」
だけど、赤々とした飴がかけられたリンゴ飴を手にした日向の表情は思ったよりは険がない。
言葉を返す前に、日向がとんっと地を蹴った瞬間、姿は消えてしまった。
「依夜。どうしたの? なんか気になるものでもあった?」
「あ、弓子ちゃん。ううん。お帰り」
声をかけられて振り向けば、ちょっとお手洗いと離れていた弓子で、わたしは曖昧に言葉を濁す。
「そっか。あ、そうだ。スマホ見た? クレープは買えたらしいけど、メイン会場でやってる和楽器の演奏が見たいからってそっちに居るって」
「凛ちゃん、そういうの好きそうだもんね」
真由花ちゃんと凛ちゃんは好きなものも性格もずいぶん違うけれど、中学校からずっと一緒で、お互いのことをよく知っているみたいだった。
きっと、凛ちゃんがその演目が気になっているのに気づいて、真由花ちゃんが引っ張っていったんだろうなあと思うと、ほっこりする。
「言ってくれれば行くのにねえ。ま、いっか。寄り道しながらメイン会場に行こ」
「うん」
そうして、弓子と連れだって、また屋台が並ぶ人混みの中を移動し始めた。
午後になってもそんなに人の量は変わらず、会場は先を見通すことは出来ない人混みだ。
雲が厚くなって、少し日が隠れたせいか、張り巡らされた提灯の明かりがついて、温もりのある光があたりをぽうっと照らす。
人のざわめきと、BGMとして流れるにぎやかな祭り囃子が反響して、頭が鈍くうずいた。
あ、まただ。
そう思ったとき、人混みの切れ間から小さな三四歳くらいの女の子がしゃがんでいるのが見えた。
かわいいピンクの花柄で、下がふんわりとスカートになったやつは、最近よく出回っている浴衣ドレス、というものだろう。
確かにかわいいけど、似たような浴衣を着ている子は割と目に付く。
なんであの子だけ気になるのだろう、と首を傾げていると、その女の子がいるのが金魚すくいの屋台だということに気がついた。
熱心に目を落としているのは金魚の泳ぐ水槽で、後ろ姿しか見えないけれど、わくわくと表情を輝かせているのだろうというのがよくわかった。
不意にとなりに座り込んだのは男の人で、女の子に話しかけると、女の子はとたん悲しそうに訴えかける。
それでもお父さんだろう男の人が首を横に振ると、横顔が見る見る泣き顔に変わって、その姿に胸が騒いだ。
同じことを、した覚えがある。
ぱっと脳裏に、記憶が色鮮やかに広がっていく。
あのときも、水の中でひらひらと尾びれを揺らめかせる金魚がとてもきれいで、欲しくて、欲しくてたまらなくて、お願いして困らせた。
だめなものはだめって半ばわかっていたわたしが、涙がこぼれかけるのをぎゅっと我慢していたら、その人は仕方なさそうにしゃがむと、わたしが着ていた白い着物に金魚を泳がせてくれたのだ。
着物の中をふわふわと泳ぐ金魚にびっくりしている間に、抱き上げられて、屋台の中を歩いた。
背が高かったから、抱えられていても人混みの先が見渡せるのが不思議で、いつの間にか涙も引っ込んだ。
その人のさらさらとした黒髪がすごくきれいで、着物を泳ぐ金魚がうれしくて。
ぎゅっと抱きついて、顔を見上げた。
こちらを見たのは、この世のものとは思えないすごみさえある美貌で、その鮮やかな赤の双眼に映るのは、幼いわたしだ。
『……なんだ』
ただ聴いただけ、というのが正しい淡々とした問いかけは、だけど表情が乏しいせいでこちらをひるませるような、冷たい威圧感があった。
なのに、そんな様子も意に介さず、わたしは満面の笑みで口を動かすのだ。
『なぎ、ありがと!』
すると、戸惑ったように赤い相貌がゆるく瞬いて、だけどこっくりとうなずいただけでまた前を向いてしまう。
なのに、それだけで雰囲気が和らいで、それでますますうれしくなったわたしは、にこにこ笑っていた。
その、艶やかな黒髪をさらりと肩に流して、白練りの着物を着ていたのは。
寒気がするほどの美貌は。
深く寂のある声は。
赤い相貌は。
「ナギ、だ……」
あの屋上の時よりもずっと鮮明に思い出す。
ずっと表情は乏しくて別人のようだけど、確かにナギだ。
ナギを慕っていた記憶の中のわたしの、楽しいという感情が流れてきて、同時に太い針を刺されるような頭痛が起こる。
「う……」
やっぱり、お祭りに一緒に行ったのはナギだった、とか。
どうしてあのころもナギと呼んでいたのか、とか。
わかったことと、気になることは増えていくけれど、わたしはひたすら、痛みが消えるように念じた。
これは思いだそうとするから痛む。なら思い出さなければいい。
だって。
「今さら、思い出してどうするのよ……」
痛みに頭を抱えながら、わたしは顔をゆがめた。
ナギはもういない。
交わしたという約束もうやむやになってるのに、わたしだけ追いかけるなんて、ばからしいじゃないか。
忘れていたんだから、もう忘れたままで良いじゃないか。
なのに。
何度もそう思うのに。
頭の痛みよりも、胸が引き絞られるような苦しさがつらかった。
この苦しさの原因がわからなくて、頭の痛みとぐるぐるに吐き気がして。
ぎゅっと目をつぶる。と。
「依夜、どうしたの。大丈夫?」
弓子の声が降ってきて、のろのろと目をあける。
気づかないうちにわたしは立ち止まっていて、そんなわたしを弓子が心配そうにのぞき込んでいた。
「人混みに酔ったかな。あんまり得意じゃなかったもんね。ちょっと脇で休もう?」
そういって、弓子はわたしの肩に手を添えて人混みの中から連れ出してくれたのだった。




