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神薙少女は普通でいたい  作者: 道草家守
第五章

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準備は大事


 水守本家には常に何十人かの関係者が生活を共にしていて、人の出入りも激しい。


 けれど、人が居るのは母屋や修行場、祭祀場とかがほとんどの上、広い敷地にそれらの棟も分散していたりするから、道順とタイミングさえ選べば、人と会わずに移動することはできるのだ。

……まあそれは、わたしがなるべく人と顔を合わせたくなくて、培った知恵なのだけど。


 早朝に目覚めたわたしは、用人達に混ざって清掃や日々のお勤めを手伝った。

 用人は、世間でいうお手伝いさん、とか使用人さんに近い人たちなのだけど、水守では、退魔も手伝う人と区別するためにそう称されていた。

 彼らは、現れたわたしに驚きこそしたけれど、邪険には扱わずに普通に手伝わせてくれてほっとする。

 そうして、姉をお見舞いに行ったあと、朝ご飯を食べるために居間へ戻った。


 ご飯はいつも決まった時間に、台所からお膳で運ばれてくる。

 祖母もここで食べるのだけど、当主にはまた別に祭事儀礼があるらしく、忙しいせいかほとんど重なったことはない。


 案の定、居間には祖母の姿はなかったけれど、代わりに碓氷さんが居て一気に緊張した。


「おはようございます、依夜様」

「おはよう、ございます」


 反射的にそう返したけれども、頭は混乱するばかりだ。


「さめてしまいます、座ってください」


 その言葉にわたしが見れば、ぴんと、背筋を伸ばして座っている碓氷さんの前には、当然のように膳が二つおかれている。

 つまり、ここで一緒に食べるということだろうか。


「さ、早く」

「は、はい」


 促されるままに向かいへ座ると、いただきますという挨拶とともに箸をとる。


 禊ぎの最中は食事も禊ぎの一部だったから、話さず、音もいっさい立てずに食べきるのだけれど、それが終わった今は普通に話しながら食べていいはずだ。


 だけど、無言で黙々と食べる碓氷さんに話しかけるなんてことは、聞きたいことが山ほどあっても、出来る気がしなかった。


 なんというか、無理!


 何か用があるのかと思ったけど、碓氷さんは本当に食べるだけで話しかけてこないし、わたしの頭の中は疑問符でいっぱいだ。

 ぶっちゃけ緊張しすぎておかずの味がわからなかった。


 ただでさえ、水守の味付けはものすごく淡泊なのに……。


 何というかそれでもお腹に納めれば、ほぼ同じくらいで食べ終えた碓氷さんは丁寧に頭を下げた後、箱膳をもって立ち上がる。


 わたしも慌てて自分のを持って碓氷さんの後へ続いて、話しかけた。


「あの、碓氷さん。なんでこちらに」

「当主に、願われましたので」

「お婆様に?」


 わたしと朝ご飯を食べることが? それとも、わたしに監視が必要だとでも思われているのだろうか?


 ますます首を傾げることになったけれど、万が一、これが昼も夜も続くとなると少し困る。


「あの、もし一人にさせるな、みたいなことを言われているのでしたら、これからは食堂のほうで食べます。そうしたら、碓氷さんがわざわざこちらへ来られなくてもいいですよね?」


 碓氷さんは規則正しい歩みを止めて、わたしを見下ろした。


「そうですが、あなたはそれでよろしいのですか」


 正直言うと、お膳をもらって一人で食べるほうが楽だし、お姉ちゃんのことについての噂とか、わたしを見る視線とかはまだ心に痛い。


 けどそれよりも、今日屋敷を抜け出せないほうが困るのだ。


「だいじょうぶです」


 碓氷さんを見上げれば、彼はほんの少し眉をあげる。

 不意に、碓氷さんの手が伸びてきて、わたしが持っていたお膳を取り上げられた。


「……わかりました」


 重ねたお膳を器用に片手で持ちながら、もう片方の手で、肩に手をおかれた。

 ふわりと暖かいような感覚に驚いているうちに、碓氷さんは廊下のむこうへ行ってしまっていた。


「行っちゃった」


 お礼もいえてないのに。

 なにがなんだかわからないけど、わたしはほっと息をついてきびすを返したのだった。






 着替えは制服だ。


 夏服のシャツにスカートと靴下をはき、スカートのポケットにスマホを滑り込ませた。

 靴は上履きしかなかったけど、夜のうちにとってきていた姉の靴を借りていく。


 そうしてなるべく急いで姉の部屋に行けば、仁王立ちの日向が待ちかまえていた。


「おせえぞ、妹!」

「ご、ごめん」


 日向が呆れた風にため息をもらすのに身をちぢこませながら、さっと窓から外に出た日向に続いて外にでる。


「さっさと乗れ」


 あっという間に見上げるような山犬に変わった日向の背に、わたしはおそるおそる乗った。

 白い毛並みは思ったよりも堅かったけれども、ふわりと日なたのような匂いがした。


「振り落とされんなよ」


 振り返った日向に言われた瞬間、わたしは空に居た。

 日向が走り始めたのだ、と理解するよりも早く、全身に強烈な風圧がかかり、反射的に身を伏せてしがみついた。


 目も開けていられないほど吹き付ける風の中で、風景が怖いほどあっという間に過ぎ去っていく。

 風すらも置いてけぼりにしているんじゃないだろうか、というくらい早い。


 7月で少し蒸し暑い盛りのはずなのに、容赦なく吹き付けてくる風は涼しいよりも寒さすら感じて、羽織るものを一枚持ってくれば良かったと後悔した。


 ぽーんとした浮遊感のあとに、腹に響く振動は日向が跳躍しているからだろう。

 お姉ちゃんが日向について話していたことを思い出す。


『日向はね、空は飛べないけれど、空を翔ることは出来るのよ。そりゃもうすっごく楽しいんだから! 日向が良いっていったらいつか乗せてあげるね』


 すっごいの意味は違うだろうけど、痛い程良くわかったよ!


 少しでも気を抜けば振り落とされてしまいそうな風圧と振動の中で、わたしは必死で手に力を込めた。

 あんまりよくわからないけど、過ぎ去っていく風景は電車や車より確実に速い。

 時間の感覚が麻痺していく。


 今どのあたりだろう?


 どんどん腕の感覚もなくなってくるのがわかって、ぼんやりする意識の中でも焦りが生まれる。


 あ、これ、やばい、かも。


 そう、思い始めたとき、とん、と軽い衝撃を感じて、はっと意識が引き戻される。


「ついたぜ、早く降りろ」


 無造作に言い放った日向に、なんとか顔を上げて見れば木々に囲まれていた。

 一瞬どこかわからなかったけど、わたしのアパート近くにある公園だと思い至る。


 遠くから子供の歓声が聞こえるけれど、林の影になっていて人気はなかった。


 ちゃんと考えて降ろしてくれたらしい。


 ほっと息をついたわたしはこわばって言うことを聞かない指を一本一本はずしていく。

 何とか背中から降りるか降りないかというところで、日向はさっさと人型に変じた。


 うまく動かない身体でべちょっと地面に落ちるのは、ちょっと痛かった。


「俺は適当について行く。それで良いな」

「う、うん。ありがとう」


 わたしがお礼を言いきる前に、日向はふわりと虚空へ消えてしまった。


 完全に隠行(おんぎょう)してしまったらしい。

 暖かいと言うよりは蒸し暑い空気に包まれて、あっという間に汗ばむのを感じながら立ち上がった。


 ポケットのスマホを取り出してみれば、だいたい一時間ぐらいでたどり着いていた。


 おかげで待ち合わせよりも30分以上早い。


 良かったと思いつつ、はやる気持ちを抑えつつ見慣れた道のりを歩き始めた。

 こうして久しぶりに歩いてみると、懐かしささえ感じて、どれだけこの町になじんでいたのか身にしみた。


 最後の角を曲がれば、アパートが見えるのだけど、その入り口の前にたたずむ人影を見つけたわたしは、驚いて走り出した。


 彼女はわたしが走ってくるのに気づいたらしく、Tシャツとショートパンツという軽装で、嬉しそうに手を大きく振ってきた。


「弓子ちゃん!?」

「久しぶり、依夜! 元気そうで良かったよー!」


 息を切らしてたどり着いたとたん、弓子はぎゅっと抱きついてきた。

 ふあっと甘い制汗剤の匂いがしたけれども、わたしは走ってきたから、かなり汗も出ていてうろたえる。

 それに、


「弓子ちゃん、なんでいるの? まだ待ち合わせにはだいぶ早いよ?」

「いつも依夜の方が早いからね、今回は先に来ようと頑張ってみたんだ」


 だけどにこにこと笑う弓子の頬は真っ赤で、首筋にはわたしの比じゃない汗が流れていて、長い間外にいたのがよくわかった。


 日陰にいたとはいえ、とても暑そうだ。


「早く依夜に会いたくてさ。あーもうほんと心配したんだからね」

「ごめんね。ありがとう」


 うれしさはこみ上げてくるけど、それよりも弓子を涼しい場所に連れて行かなきゃ。

 弓子と一緒にアパートに入ったわたしは、カバンから鍵を取り出して、扉を開けた。


「ただいま……」


 二週間ぶりの部屋からはむわっと熱気があふれ出てきた。

 これなら外の方が涼しい。


 思わずひるんだけれど、そこに広がる光景は、二週間前と変わらない。

 変わったのは、反射的に口にしたただいまに、返事がないことだ。


 ナギがいないのだから当然のはずなのに、大丈夫になっていると思った気持ちがざわざわ騒ぐ。


「うっわー暑いねえ、窓開けるよ」


 思わず足を止めてしまったけど、わたしの横を弓子がすり抜けて中へ入っていく。


「エアコンつけて良い? ってまだ靴脱いでないじゃない。ほら、依夜んちなんだからあがらなきゃ」

「う、うん」


 壁に据え付けられていたリモコンをとった弓子は、そういいつつ振り返る。

 その変わらない明るさに、わたしはこわばりかけていた身体がゆるんだ。


 窓を全開にして熱気を追い出して、設定気温を環境に悪いくらい下げれば、狭い部屋はすぐに快適気温になった。


 二週間も居なければ、室内は少しほこりっぽくなっていて、軽く掃除をした後、持ち帰る着替えを風呂敷に包む。


 冷蔵庫の中は冷凍物以外は案の定腐っていたり、しなびていたりしていて、明日が燃やすゴミなので、今のうちにまとめて出してしまうことにした。


「依夜は何時に帰ればいいの?」

「ええと」


 昼食は出入りが激しいから、わたし一人居なくても大丈夫だとしても、さすがに夕食には戻らないといけないだろう。

 水守での夕食は六時から七時の間だから、日向が送ってくれても五時にはここを出なくちゃいけない。


「うーむ、お祭りは日が暮れてから一番盛り上がるんだけど、しょうがない」

「ごめんね」

「依夜のせいじゃないでしょ? お祭りは今からでもやってるからね。むこうで凛と真由花と合流する約束してるから。そうと決まれば!」


 冷たい飲み物がなかったので、近所の自動販売機で買ったジュースをお供にしていた弓子は、きらっと表情を輝かせると、持ってきていた紙袋を引き寄せた。


 そういえば、わたしの鞄一式のほかに結構大荷物だったけれど、なにが入っているのだろう?


「じゃーん!!」


 自分で効果音をつけながら、彼女が取り出したのは浴衣だった。

 青地に麻の葉模様と色鮮やかな花がプリントされていて、かわいらしいけど、大人びた印象がある。


 添えられた帯は明るい橙色で、弓子の快活なイメージにぴったりだった。


「えへへ、お祭りといえば、浴衣でしょ。依夜が浴衣を寝間着にしてるって言ってたから、自分の持ってきてみたんだ。あ、でも下駄は痛いから、サンダルなんだけどね」


 ちょっと照れ笑いを浮かべる弓子にわたしは驚くと同時に、少し気分が高揚するのを感じた。


 浴衣は夏用に何枚か持っているけど、お祭りに行くためというだけで、なんだか特別な感じがする。


「そう、だね。着ていこっか」

「そうこなくっちゃ! 依夜はどんな浴衣持ってるの?」

「寝間着以外だと、これくらいかな」


 早速箪笥を開いて出してみせると、弓子が目を輝かせた。


「わあ、こんなにあるんだ、帯も一色だけのしか知らなかったけど、刺繡とか入ってるの!? ちょっと透けて見える!? すごーい!」

「夏の帯は浴衣と兼用してるからね」

「あ、ねえこれとかどう? 依夜に似合いそう!」


 きらきらと顔を輝かせる弓子が差し出してきたのは、生成り地に色とりどりの水風船が流れている浴衣だった。


 お姉ちゃんからもらった浴衣だったけど、そういえばあまり袖を通してなかった。


「これなら、金魚の帯と合わせるのがいいかも?」


 白地に赤い金魚が泳いだ帯をおくと、水風船の間を泳いでいるみたいだ。

 色が濃い弓子とかぶらなくて、良いかもしれない。


「わっかわいい。これにしようよ、ぜひ着てみて!」


 弓子が表情をきらきら輝かせるから、それでいい気がした。


「うん、そうする。ご飯はどうする?」

「どうせ出店があるからそっちで食べよう」


 わくわくという擬音が似合う弓子の傍らで裾除けとひもの準備をしつつ、ふと思い出して聞いてみた。


「そういえば、弓子ちゃん。腰ひもと伊達締めはどこにあるの?」


 すると今にも服に手をかけようとしていた弓子は、こてりと首を傾げた。


「こしひも? だてじめってなあに?」

「……弓子ちゃん、浴衣、着れる?」

「スマホで着付けの動画見れるし、依夜に教えてもらえば大丈夫かなって!」


 つまり、ノープランだったんだね。


 ほんとに普通の子って、浴衣や着物の着方を知らないんだなあ。


 屈託のない笑顔でいう弓子に曖昧に笑いながら、弓子の分の腰ひもと伊達締めも用意したのだった。


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