星に誘われて
弓子は、堰を切ったように近況を話してくれた。
その話で、文章ではわからなかった、学校の状況や雰囲気も伝わってくる。
もちろんそれ以上にわたしがどうしていたかも聞かれたけど、弓子は学校でわたしがどう扱われているかを話してくれたので、それに合わせれば良かった。
『そっかあ。お姉さん、まだ昏睡状態なんだ』
「うん。いつ、目覚めるかわかんないって」
『お姉さんが海外で事故に巻き込まれたんでしょう? あんなに仲が良かったお姉さんだもんね。突然いなくなったときはびっくりしたけど、依夜がとにかくお姉さんのもとに駆けつけたかった気持ち、よくわかるよ』
「あり、がとう」
『ま、上履きのままで行っちゃうドジっこさはかわいいけど!』
「そ、そうかな」
弓子のちょっぴりちゃかすような声音に含まれた気づかいに、ずきりと胸が痛むのと同時に広がる温もりに泣きそうになった。
学校からの突然の失踪は、不自然きわまりないものだったけど、弓子をはじめとするクラスメイトは、不思議に思っていないみたいだ。
どうやら、水守の術者が学校へも行ってくれたようで、記憶を誘導してつじつまを合わせてくれたらしい。
記憶を完全に消し去ることは出来ない。
それでも実力のある術者なら、簡単に思い出させないように記憶を封印したり、多少不自然なことでも受け入れてしまうように意識を誘導することは出来る。
もちろん、勝手に記憶を変えるようなまねをしてしまったことに罪悪感はあるし、それが必要だとわかっていても、少しつらい。
けど、姉のことは本当だったから、弓子の気づかってくれる気持ちがうれしかった。
『依夜、こうして通話がつながったってことは今は落ち着いたの? 学校は長期休暇ってことになったって先生から聞いたけど、学校、これそう?』
「ごめん、まだ……」
他愛のない話の後弓子にそう問われて、わたしは言葉を濁した。
水守本家に居ろと命じられた以上、アパートに戻ることは難しい。
ここから学校までは乗り継ぎがうまくいって片道2時間、通えなくもない距離だけど、許してくれるかは聞いてみないとわからない。
『そっかあ。あ、依夜の鞄と靴はあたしが預かってるよ。間が悪くて依夜の家の人には渡せなくてさ』
「ありがとう。ごめんね、弓子ちゃん」
『いいのいいの。でも残念だなあ。お姉さんと依夜と星祭り、行きたかったんだけど』
「星、祭り?」
『お祭り、明日だよ? まあ大変なこといっぱいあったんだもん、忘れても仕方ないよねえ』
眠っていたせいで日時の感覚が狂っていたから、完全に忘れていた。
姉と約束した時のことを思い出して、またずきりと胸が痛む。
『明日は晴れとはいかないまでも雨は降らなさそうだから、いい感じなんだけど。あーあせめて依夜の顔、見たかったんだけどなあ』
弓子のしみじみ残念そうな声に、わたしはこみ上げてくるものを押さえきれなかった。
話たいことがいっぱいあって、顔が見たくて。
わたしにとってはたった数日前のことなのに、弓子が、学校が、あの日常が無性に恋しくて。
「……行く」
『え?』
「星祭り。行きたい」
言葉を重ねれば、弓子が驚くのが電話の向こうでもわかった。
『え、そりゃあ嬉しいけど。依夜、今どこにいるの、そもそもこれるの?』
「今は実家にいるの。でもマンションのガスの元栓とかも閉めてないし、着替えも欲しいから、一回家に帰らなきゃと思ってたんだ」
思いつきで言ったけれど、話しているうちにパズルのピースがはまるみたいに覚悟と意志が固まっていく。
「まだこっちにいなさいって言われてるから、戻らなきゃいけないけど。それでも、お祭りに行く余裕くらいはあると思う。――それに、弓子ちゃんに会いたい」
最後に本音を漏らせば、スマホの向こうで、弓子が息を飲む音が聞こえた気がした。
『それは、うん。あたしも、だから』
挙動不審な声にちょっと首を傾げたけど、気を取り直したらしい弓子が明るく続けた。
『よし星祭りに行こう! 何時くらいにこっちに着くか教えてくれたら、アパートの前で待ってるからさ』
「え、そんな悪いよ」
『でも、家の鍵は鞄に入ってるよ?』
そうだった、とちょっと顔を赤らめれば、弓子がくすくす笑う。
「お、お世話になります」
『じゃあ待ってるよ、明日は楽しみにしてるね!』
「わたしも。楽しみにしてる」
そうして通話が切れて、ぱた、とスマホを持った手を膝に落とした。
久しぶりの弓子の声が体中をまわっている気がして、あんなに落ち込んでいたのに、すこし気持ちが上向きになっている気さえした。
「おい、妹。にやけ面が気持ちわりいぞ」
「っひ、日向」
突然声をかけられて、完全に日向の存在を忘れていたわたしはびくっとふりかえる。
ふてくされた様子の日向は、あぐらをかいて頬杖をついていた。
「あんた、ここにいろって言われてんだろ。そんなに気軽に約束していいのかよ。許可が下りると思ってんのか」
「そう、だけど」
今のわたしの話を聞いていたらしい。
たしかに、日向に指摘されたとおりで、ちょっぴり頭が冷えたわたしは少しひるんでもいたのだけど。
「着替えは必要だし、家の様子も気になるし。弓子ちゃんにいつまでも荷物を預かってもらうわけにはいかないよ。それにここにいなさいとは言われたけど、行動が制限されているわけじゃないから。許容範囲じゃないかな」
「あんた、水守に言わずに出かけるつもりか?」
日向に驚かれたわたしはちょっと面食らったけど、一つ一つ考えて答える。
「水守は討伐の準備で忙しいし、わたしが出かける出かけないでお婆さまを煩わせるわけにはいかないよ。どうせわたしのことをかまっている暇なんてないだろうし、こっそり日帰りすれば、ばれないんじゃないかな」
「その割には、俺には全部ばらしてんじゃないか」
それはまあ、なし崩し的な部分もあるけど、確信があった。
「日向はお姉ちゃんのこと以外、指一本動かさないでしょ。だからわたし一人出て行ったくらいで水守に告げ口をする理由がないかなって」
「おまえ……なんか、変わったな」
なんだか珍妙な生き物を見るような日向の視線が不思議で、わたしは首を傾げた。
「そう、かな」
「……いや、まあいい。その通りだしな。あんたがどっかでのたれ死のうと俺には関係ねえ」
「あ、あはは」
面と向かって言われるとちょっとくるものがあるけど、とりあえず水守には内緒にしてくれそうだ。
「それにしてもどうやって行くんだよ」
「え、普通に、電車で……」
と答えかけたところで、重大な事実に気がついた。
お財布もマネーカードも全部通学バッグの中だから、電車に乗る手段がない。
行くだけ行けばバッグを受け取れるから、帰りは電車を使えるのだけど、その行きが遠かった。
徒歩、というのも思い浮かんだけど、ここから歩いて何時間かかるのだろう。
めまぐるしく頭を働かせて必死にほかの手段を探していると、呆れた風な日向にごく自然に言われた。
「訂正、やっぱり弱っちくて馬鹿だなあんた。あの式神に送ってもらえばいいじゃねえか。ひでえ奴だけど、一応は式神なんだしそれくらいはしてくれるだろ」
不意打ちで掘り返されて、ふさがったと思った傷がじくりと痛み出した。
日向は、姉に伝令として水守に出されていたから、こうして無事だった。
でも、だから姉から離れていた間のことはほとんど知らないのだ。
「もう、いないから」
めをそらしてつぶやけば、日向が驚くのが気配で分かった。
「あいつが、いない? お前ら、あいつの術で帰ってきたんだろ」
「確かに、そう、だけど。嘘じゃないよ。ナギは、あの妖達と行っちゃったから」
「それこそ嘘だろ、だって、あいつは――……」
そう言い掛けた日向だったけど、言葉を止めてしまった。
「ナギが、なんだっていうの?」
「いや、何でもねえ。あいつ、いないのか」
さすがに気になって問い返したけれど、日向は言葉をにごすばかりだ。
少ししこりは残るけれど、それよりも考えなきゃいけないことがある。
試しにスマホでここから自宅までの道順を検索してみれば、6時間と出た。
初めて見る数字に思わず顔をひきつらせる。
これは、すごく、厳しい。
でも使用人の誰かに送迎を頼むなんてことは出来ないし、割と本気で手詰まりかも知れない。
それでもどうしても弓子に会いたい。あきらめるのは嫌だった。
ぎゅっと、スマホを握りしめていると。
「仕方ねえな。俺が送ってやるよ」
横にいた日向が、がしがしと髪をかき混ぜて盛大なため息をついてそう言うのに、わたしは心底驚いた。
「え、どうして。お姉ちゃんの側にいたいでしょう? そもそもお姉ちゃんのそばから離れられるの?」
式神の行動は術者との契約で制限されている。
契約にもよるけれど、一定の距離から離れられなかったり、術者の許可無しに力を振るうことが出来なかったりするのだ。
「香夜に命じられてるからな。条件はあるが、外にも出られるし、権能も振るえるぞ」
「ああ、だから」
こうしてお姉ちゃんの部屋で待つことも出来たのか、と納得したけれど、その表情がひどく寂しそうだったから、それ以上のことは聞けなかった。
日向の本性は山犬の妖だ。
姉からは、以前神として祀られたこともあるほど力のある妖だったと聞いている。
彼が本性で本気で走れば車よりも早いらしい。
彼に乗せていってもらえれば、全部解決するだろう。
でもわたしのことすごく嫌っていたのに、なんで言い出してくれるのかがわからなかった。
「ありがたいけど……いいの?」
「うっせえ、やめるぞ」
思わず問いかければ、不機嫌そうにすごまれて、慌てて首を横に振った。
「や、やめないですごく助かるから!」
「ふん、それに忘れてねえか。水守の結界は人や妖の出入りも管理してること。あんた一人で出て行ったらすぐに気づかれるぞ」
「あ……」
そういえばそうだった、と今更気づくわたしに、日向は心底呆れた顔でまたため息を付いた。
「俺と一緒に出て行けば、俺の気配に紛れるだろ」
「ありがとう、日向」
「……べつに、あんたの為じゃねえし」
お礼を言えば、日向は頬杖をついてそっぽを向く。
日向の真意はわからないけれど、これで明日の星祭りに行ける。
あきらめなくてすんだことにほっと嬉しくなりながら、わたしは、明日について考え始めたのだった。




