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神薙少女は普通でいたい  作者: 道草家守
第四章

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あきらめない


 ものすごく驚いた顔をしていた無貌は、すぐに自失から立ち直った。


『ははは!これは傑作ですねえ。まさか、隠そうとしていたはずの本人自ら開かしてくださったのですから』


 おかしそうに笑い声をあげると、床に広がった影が複数、物理法則を無視して立体的に立ち上がる。


『まあ私はどちらでも良いのです。神薙少女さえ手に入れば、ねっ』


 そうして影から表れたのは無数の妖たちだった。

 獣化け、虫化け、見上げるような巨躯の入道がいれば、なんだかわからない不定形の怪しい者もいる。

 その目にも表情にも覇気がなく、ひと目で意志を奪われ操られているのがわかった。

 鬼が腕を無造作に薙いだ刹那、妖たちは一斉にナギに襲いかかった。


 雪崩のように押し寄せた妖怪たちの姿で、ナギの姿が見えなくなると同時に、空間がゆがみ妖たちごと消え失せる。


「ナギっ!?」


 分断されたのだと理解する間もなく、肉薄してきた鬼が容赦なく刃のような爪を振り下ろしてくるのを、ハリセンをかざして迎え撃った。


 ハリセンで受け止めたとたん、爪にまとわりついていた瘴気が明るい光芒をはなって浄化される。


「祓い賜え、清め賜え!!」


 鬼が虚を突かれたところを見逃さず、ハリセンを斜めに振り下ろした。

 ハリセンの切っ先が鬼の肩口に当たると、浄化の光があふれると同時にじゅうと焼けるような音がして、ぎょっとした。

 初めて鬼が苦悶の表情を浮かべたが、わたしは思わず力を緩めてしまう。


 その隙に、後ろへ飛び退くことで距離をとられた。

 鬼の肩は、まるで妖のように焼けただれ、体にダメージを受けているように見えた。


 傷は見ている間にも治癒がはじまるのをわたしが呆然と見つめていると、無貌は平然と言った。


『……ハリセンとはずいぶん愉快な武器だと思いましたが、それが一番油断ならなさそうですねぇ。せっかくの体が痛んでしまいます』

「お姉ちゃんの体に何をしたの!?」


 今この場で鬼になっただけなら、浄化の霊力でダメージを負うほど体が瘴気におかされることはないはずだ。

 まだ何かある。とても嫌な何かが。


『なに、簡単ですよ。なにせあなたが捕まらなかったものですから、ゆっくりじっくり手間をかけて瘴気に慣らしていたのです。小さな禍玉から順にね』


 その言葉の意味がとっさに理解できず、愕然とするわたしに、無貌は姉の般若の顔でうっとり笑った。


『妹さんに手を出さない代わりに、一日ひとつぶずつ。自ら毒を呑むとは、ひとの思考は理解できませんでしたが、五日目になっても意識を保てていたのには驚嘆いたしました。いやはや姉妹愛とは尊いものですね』


 がんっと頭を殴られたような気分になった。


 五日前と言えば姉と別れてそれほどたっていない頃だ。水守の家に帰って任務地へ、たぶん神隠し事件を解決しにいくところ。

 そんなに前から、姉は捕まってつらい目に遭っていたのに、わたしは全然気づかなかった!


『オカゲサマにまで気づかれてしまったのは少々痛かったですが、簡単に罠にかかってくださって、ありがたいばかりでしたよ。全部あなたのおかげです』


 言い終えるや否や、まるで弾丸のようにつっこんできた鬼の爪をわたしはハリセンでいなすけど、その猛攻に防戦一方になった。


『さあどういたします? お姉さまの体はすでに禍霊と変わらぬものとなっております。そのハリセンほどの強力な禊ぎ祓いの力があれば瘴気ごと殺してしまうでしょうねえ』


 とうとうと語られる無貌の言葉が、わたしの意識を毒のように浸食していく。

 わたしのせいだ、胸騒ぎがしたのに、また止められなかった。

 がんっと、鬼の爪が振り下ろされるのを、何とか受け止める。

 瘴気は祓われるものの、そのまま力任せにぎりぎりと押し込まれた。


 ロリータ服はその布の量に対して重さがないかのように軽くて、わたしの動きを妨げない。

 けれど、鬼となった姉の一撃は、今のわたしでも押し負けそうなほど重かった。


「くっ……」


 思わず両手で支えた瞬間、足下に強烈な衝撃が走って体勢を崩す。

 影に脚払いをかけられたのだ、と気づいたときには地面に倒れていて、容赦なく爪が真上から振り下ろされるのを転がって避けた。

 切っ先が床に突き刺さった、わずかな時間で何とか身を起こして距離をとる。


 わたしは、じっとりと全身を濡らす冷や汗を感じた。

 姉には何度も組み手の相手をしてもらったことがあるけれど、手加減されていたのだと嫌でもわかるすさまじい攻撃だった。

 かするだけでスカートが裂け、受け止めるだけで腕が痺れる。

 かろうじて致命傷を避けているようなものだ。長くは持たない。


『どうやら身体能力はかなり上がっているようですが、技術は大きく姉に劣っているようですね。出来損ないと言われていただけあるようです』


 それがわかったのか、無貌は姉の声で愉快そうに笑った。

 わたしの一番弱いところがじくじく痛んで悲鳴を上げる。


 鬼が足を一歩踏み出せば、自在に伸びる影が縦横無尽に襲いかかってきた。

 バックステップを踏み、よけきれない物にはハリセンを叩きつける。

 華やかな浄化の光が飛び散って霧散するけど、その光に紛れるように鬼の般若の顔が眼前にあった。


 ハリセンを構える間もなくその黒く染まった爪が振り抜かれる。

 寸前で身をひねって避けたけど、左腕の爪がわき腹に届く。

 かすった部分のレースが裂けた。

 横に飛んでさらに逃げる。

 だが、無理な体勢で逃げようとしたところを、鬼の鋭い蹴りがめり込んだ。


「うぁっ……!!」


 衝撃が体を抜けて、二転三転と床を転がった。

 痛いと言うより熱い。たぶん、浄衣がなければ腹に穴が開いていた。

 せき込みながら何とか立ち上がろうともがいていると、鬼の背後の影からゆらりと無貌が現れる。


「神薙少女もその程度ですか。この鬼の方がずっと使えることがわかりましたし、そろそろあの式神も処分できたことでしょう」


 その言葉を呆然と聞いた。

 ナギが消滅した? ほんとに?

 愉悦と喜びに満ちた笑みを浮かべた無貌は、そっと鬼の顔に手を滑らせて囁きかけた。


「――ねえそろそろ欲しくなってきましたでしょう? 人の血が、肉が、はらわたが」


 ぴくりと、鬼が反応した。


 鬼は人喰いの(さが)だ。

 堕ちたての時ほど飢餓と渇望は強く、また食べることで完全な妖怪へと変じる。

 まるで渇いたのどを潤すように、おなかが空いたらものを食べたくなるように、あらがいようがない衝動だと伝え聞く。

 体から一層強く瘴気があふれ出し、その爛々と光る双眸が、わたしを捕らえた。


 その瞳に映る飢餓と渇望にぞくりと肌が粟立つ。


「ええそれです。あなたの赴くままに、食べてしまいましょう」


 無貌に肯定された鬼は、一気にわたしへ襲いかかってくると錯覚した。

 だけどそれに反して、鬼は一歩踏み出したきり、体を小刻みに震わせて立ち止まったままだ。

 

 まるで、相反する意志がせめぎ合ってるかのように。

 はっと見上げれば、鬼の頬にはふた筋の赤い線が、両の瞳から赤い涙があふれてきていた。


「イ、ヨ……」

「お姉ちゃん……!」


 その目は鬼のものだったけれど、わたしはそこに苦悶する姉が閉じこめられているのをみた。

 お姉ちゃんはまだ生きてる!


「……しぶとい術者ですね。できれば自らの意志で妹を食らって欲しかったのですが」


 忌々しげに舌打ちをした無貌が、影の中にとけ込んだとたん、姉の顔から表情はなくなり、無慈悲な影と斬撃が襲いかかってくる。

 だけどわたしも体勢を整えていた。


 できること、やらなきゃいけないことは、全部わかってる。

 再び、ハリセンで影と爪の猛攻を受け止めながらも、自分を奮い立たせ、ハリセンの柄を強く握りしめる。

 いつだってわたしは間に合わなかった。


 でも、今回は、今回だけは、絶対お姉ちゃんを助けるんだ!


 思い出していたのは、組み手をしてもらったときの姉の言葉だった。


『いーい? 依夜。常に目と、耳と、鼻と、肌の感覚を研ぎ澄ますんだよ。私たち神薙は自分より何倍も強い妖や神を相手にしなきゃいけないわ。でもね、感覚を研ぎ澄ませ、時の流れと万物と一体化することで、最良の選択を呼び寄せるの』


 そのときの姉のほのかな笑みの浮かんだ、真剣な顔はしっかり覚えてる。

 鳩尾のあたりからあふれ出すような熱が、全身を満たしていく。


『わき上がってくる直感を、信じるのよ』


 目と、耳と、匂い、皮膚の感覚、全部を研ぎ澄ませて、意識が収束すると同時に拡散して広がる。

 爪とハリセンがぶつかっているとは思えない、硬質な音が響く。

 突き出される爪をハリセンでいなし、繰り出される蹴撃には足を合わせ、影が走れば断ち切った。


『しつこいですっね!』


 無貌の声に焦りが混じるけど、わたしの感覚は揺らがず不思議と平行を保っていた。

 腹の底が熱いのに、頭はどんどん冴えていく。

 ここは無貌の領域だ。姉が鬼でなくなっても、無貌の支配から逃れることはできないだろう。

 それに一度瘴気に侵されて鬼に変じたものを、元の人に戻せるなんてことは聞いたことがない。


 それでも!


 わたしはハリセンを鬼に向けて強く振り抜いた。

 鬼は腕を交差させて受け止め、その腕が浄化の力で焼けただれるのにもかまわず、無数の影の手がわたしに襲いかかってきた。

 とっさにとびすさったけど、足を取られたわたしは、たちまちからめ取られて空中に張り付けにされた。

 ハリセンを振り回そうにも、注意深く右腕はがんじがらめにされてぴくりとも動かない。

 わたしを空中に磔にした鬼は、すでに治癒がはじまっている腕もそのままに愉快げに笑った。


『とうとう姉殺しの覚悟を決めたようですが、一歩遅かったようですねえ』

「ちがう、わっ!」

『何が違うというのです?』


 優位を確信しながらもいぶかしげな表情になる無貌にかまわず、肩で息をするわたしは感じていた。

 ひんやりしていて温かい、変ではあるけど親しみのある気配がすぐそばにあるのを。


 悔しいけど、不思議と落ち着くその気配に向けて、わたしはありったけの思いを込めて呼びかけた。


「わたしはここよ! ナギ!!」


 あふれる燐光とともに、広間の空間が裂ける。

 大広間はそのままに、別の気配が塗りつぶしていく。

 ちょうど薔薇の玉座をつぶすように現れたナギは、わたしをみるなり目を丸くした。


「何ともけしからん様子になっておるの、ぬしよ! 愛らしい肢体がすばらしく強調されておって実にいいぞ!」

「こんな時でも第一声がそれか馬鹿ナギいいいい!!」


 思わず全力で叫んだわたしだったけど、ナギはさすがにすぐ腕を振るって無数の衝撃波を放った。


『なっ!』


 一瞬呆然としていた鬼だったけど、影を走らせてそれを迎え撃つ。

 衝撃波はほとんど無効化されてしまい、鬼はナギにターゲットを変えて、凶悪に襲いかかる。

 だけど、ナギの衝撃波の一つが、わたしの右腕を戒めていた影を断ち切った。

 自由になった右腕で、ハリセンをふるって他の影も打ち祓う。


 自分の失態に気づいた無貌が、わたしに向けて大量の影を走らせてくるけど、その前にわたしは、ハリセンを頭上に掲げていた。


「天つ剣の力を持ちて すべての禍事(まがごと)を禊ぎ祓い浄め賜うことを かしこみかしこみもうす!」


 とたん、大気が渦を巻いて動き始め、刀身から霊力があふれ出す。

 エナメルパンプスで強く地を蹴って、わたしは目の前の鬼へ走り出した。


 願う。祈る。ナギが(つるぎ)と言ったこのハリセンに。


 わたしの想いをありったけ込めて、目の前の姉を救いたいとその一点に集中する。

 あふれ出した光芒でわたしに迫っていた影が蒸発した。


『くっ!!』

「させぬよ」


 不穏な気配を感じた鬼が回避する素振りを見せたけど、ナギが指を弾いた瞬間足が止まった。十分だ。


 体が熱い。心が熱い。

 力が全身を満たして爆発的に広がっていく。

 なにかとつながっている?


 どうでもいい。お願いだ。

 わたしに姉を侵すすべての災いを打ち祓う力を!!



「ヘブン☆ウイング クリーンアップ!!!」



 最後の一文を叫んだ瞬間、あふれる光が広間を満たした。

 ナギの戒めを破った鬼が、わたしへ爪を振りかぶる。

 だけどその前に懐へ飛び込んだわたしは、まばゆく輝くハリセンを、一番瘴気の渦が濃いところへ向けて振り下ろした。


 瘴気と浄化の光がせめぎ反発し合って、激しく大気を渦巻き、スカートがはためいた。

 姉に深く根付いてしまった瘴気は深い。

 後から後からあふれ出して、一瞬でも気を抜いたら、押し負けそうになる。


 でも、失いたくない。たった一人の、大好きなお姉ちゃんなんだ。

 お姉ちゃんを救いたい。お姉ちゃんの助けになりたい。

 ああそっか、わたしは――……


「やあああぁあ!!」


 わたしはありったけの思いを込めてハリセンを押し抜いた。

 ぱりんっと、禍玉が砕けるはかない音が聞こえる。


『なに、ぐっ……!!』


 鬼に張り憑いていた影が離れていき、浄化の光が一気に姉を包み込む。


「お姉ちゃんっ!! 戻ってきて!!」


 わたしが叫んだ刹那、鬼の角が砕け散った。

 同時に爪がぼろぼろになって、般若の顔から見る間に牙がなくなり、穏やかな元の姉の顔に戻っていく。

 光がふっと消え去ったとたん、姉がふらりと体を揺らめかせる。


 とっさにハリセンを落として受け止めて、一緒に崩れ落ちるように座り込んだ。

 ぎゅっと抱きしめた体は驚くほど冷たくて、青ざめた顔で目を閉じているけれど、胸は弱々しく上下している。

 わたしが切りつけたはずの場所は、服が裂けているけれど肌には傷一つなかった。


 禍玉の痕跡も、瘴気の気配もどこにもない。


「よかったっ……!」


 心の底からほっとして、わたしはお姉ちゃんを抱きしめた。




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