それはたとえようもなく
ろん。
瞬間、わたしの全身は、この短期間でずいぶんなつかしい気がする暖かな光の奔流に呑まれた。
寝巻きが光で包まれ、別の形に変わっていくのを感じて、ひときわ強い発光に目をつぶった瞬間、ぱっと光が散っていく。
相変わらず、この変身はどうやっているかはわからないけど、膝あたりに感じる軽やかな布地の存在にほっと息をついた。
どうやら本当に今回はスカート丈があるらしい。
「おう、もうちいと大きな鏡を用意しようかのう」
そんなナギの声を聞きながら、そっと瞼をあけたわたしは面食らった。
だって、等身大の人形がいたのだ。
目の前の人形はそれはかわいらしい姿をしていた。
ブラウスには胸元から袖からそこかしこにフリルがふんだんにあしらわれて、少しけぶるような淡い水色が初夏らしくさわやかだ。
ふんわりと広がるスカートの裾からは、たっぷりとした白いレースがちらりと見えているのがいっそう華やかさと愛らしさを演出している。
白いタイツで覆われた足は真っ青なエナメルのストラップシューズとリボンで飾られているし、ふわふわと巻かれた髪にちょこんと乗るのは花で飾られたミニハットで、あまやかな雰囲気をいっそう引き立たせていた。
確かに季節にあわせてさわやかな色合いにする所なんて、ナギの趣味の良さは認めざるを得ないけど、人形に着せるんなら先に言えばいいのに。
ナギの意図が分からなくてしゅわしゅわとした炭酸水のようなはかなげな人形を前に小首を傾げると、目の前の人形も同じ方向に首を傾げた。
さらりと髪が流れるタイミングまで同じだ。
え。
思考を停止して固まると、満足そうなナギが傍らに立つのが目の前の鏡に映った。
「おおう、やはり甘ロリさんが抜群に似合うのう。お人形さんのような、というのはまさにこのためにある言葉だ。テラかわゆいぞぬしよ」
「~~~!!!!???」
自分の勘違いに気付いたわたしはもう声も出せずに、瞬間沸騰する顔を手で覆ってしゃがみこんだ。
その拍子にふわりとスカートが揺れて、中にはいているパニエが足をくすぐり、その感触がさらに頭をおかしくする。
なななに自分が人形だってバカじゃないのわたしっ。どうして自分だって気付かなかったのよ!? しげしげと眺めちゃってめちゃくちゃ恥ずかしいじゃない!!
熱い、顔が燃えるように熱い。穴があったら入りたい。むしろ埋めて欲しい。
そうして下を向いたら袖口の飾りレースがひらひらとしているのが目に入って、さらに消えてしまいたくなった。
つまり、あの鏡に映っていた格好を今わたしがしているのだ。
まぎれもなく、このわたしが!
あんなひらひらふわふわ砂糖菓子のようなかわいらしいロリータ服を!
耐えられなくなったわたしは、努めて目の前の鏡が見えないようにナギを見上げて訴えた。
「なななナギ! やだこれ、今すぐ脱ぐ!」
「急にどうしたぬしよ。今までになく似合っておって最高にかわゆいぞ?」
「か、かわいいからいやなの! こんなふりふりでひらひらな服が似合うなんて、わたしが子供っぽいってことでしょう!? わたしもう高校生なのに!」
湧き上がる忌避の思いをぶつければ、ナギは戸惑うように瞬いた。
そうだ、似合っているのは認めよう。
悔しいけど、ほんとに悔しいけど、背の低さとか、幼くみられがちな顔とかが、このふりふりのロリータワンピースに全部しっくりきてしまっている。
でも、その事実が、自分がまだまだなんにもできない子供だと言うのを真正面から突きつけられている気がして、情けなさと悔しさと劣等感でぐちゃぐちゃになるのだ。
こんな、ひどく情けない姿をさらすくらいなら今まで着ていたやつの方が……全然ましじゃないけどちょっとはましだった。
「ナギ、この間のチアガールでいいから、何なら悪の女幹部でもいいから、これだけは、やめてよう」
じわりと目に熱を感じつつも必死に訴えれば、ナギ軽く赤い瞳を見開いて考え込む素振りを見せた。
「ぬしは、これを着ているせいで己が幼子のように見えるから嫌だと?」
必死にうなずいて肯定する。これでやめてくれればいい。願って願って。
なのに、ナギは心底わからないとでも言うような顔をすると、わたしの背後で膝をついたのだ。
なにを、と思うまもなく、さらに背後から手が伸びてくると、顎をとられて上向かされた。
とっさに振り払おうとした片腕も、ナギにとられて拘束される。
「ぬしよ、よう見てみい」
「やっ」
顔を背けようとしたけど、ナギのやんわりとした大きな手は許してくれなくて、ふわふわなフリルに包まれた自分と目があった。
鏡の中の自分は、情けなさと恥ずかしさに顔を真っ赤にしていて、目が潤んでいる。
なんて、惨めなんだろう、これじゃ本当に子供じゃないか。
そもそも人が嫌がっているのに、ナギは何でこんなとどめを刺すみたいなことをするんだ。
「確かにフリルとレースはかわゆかろう。だがの、それは愛らしいだけで幼子のようなと言う意味ではないのだぞ」
「どう、違うのよ。わたしには同じに意味にしか思えないわよ。これが大人っぽい恰好とでも言うの!?」
「ぬしは大人でもなかろう?」
「それでもっ」
わたしは、少しでも何もできない自分でいたくない。
せめて外見だけでも、子供っぽさから抜け出したかった。
だけど腕をはずそうとしながらの抗議の声は、鏡に映るナギの柔らかく和む赤の瞳と合ったことでしぼんでしまった。
「背伸びをして大人に追いつこうとする年頃だ。それが悪いわけではなし、むしろ蝶になろうとする為の慈しむべき衝動と言えよう。だが、大人でもなく、幼子でもない。今のぬしだからこそある愛らしさと魅力を大事にしたいと思うのだ」
ナギの声が落ちてきて、その言葉に戸惑った。
「今の、わたし?」
「うむ、今のままのぬしだ。これからいくらでも成長し、殻を脱ぎ、どこへでも羽ばたける、の」
心臓がどくどく言っている。唇が震える。
思わず黙り込むわたしと視線を絡ませる、鏡の中のナギの表情は柔らかい。
今まで、見たことないようなまなざしのような気がした。
「ぬしの魅力はわしがよう知っておるが、できればぬし自身にも実感してほしいでな。よう見てみい」
優しく上向かされた先には淡い炭酸水のような自分がいて、その隣に、蠱惑的に美しいナギの顔が近づいてくる。
再び、耳元に低い、寂のある美しい声が滑り込んできた。
「この黒髪はつややかで、ぬしの気性のようにまっすぐだ。なのにわしの思うように形を変えることも受け入れる」
巻き髪の一房をとられて、ナギの指が滑っていく。
かすかな感触に、肌がしびれるような心地を覚えた。
「ぬしは背が低いと言うがそれほどでもないぞ。体の骨格のバランスがよいのだよ。しなやかで引き締まって、それでいておなごらしい起伏を描いておる。ぬしの魅力の一つだ」
ナギの手が、乱れていたスカートの裾を丁寧になおしていく。
たっぷり寄せられたギャザーで膨らんだスカートだ。
直接わかるはずがないのに、その指先がたどっていく感覚さえわかる気がして、わたしはひゅっと息をのんだ。
「ぬしは太いというこの足も、鍛えられて引き締まっておるだけだ。すんなりとしてはおらぬかも知れぬが、今にも跳ね回りそうな曲線はすばらしいの一言だぞ」
スカートに触れていた手が、最後に包み込むように肩に置かれる。
本当に置かれただけなのに、なぜか体が震えた。
「何より、ぬしの顔には紅などいらぬし、ころころと変わる表情は愛らしくていくら眺めていても飽きぬ」
「で、でも、全部丸くて、子供っぽい」
「今だけのかわいらしい所だの。あと数年もたてば人の男が振り返らずにはいられない艶が乗るであろう。まあ、寄ってこようとする悪い虫は近づけさせぬがのう」
一人ごちるナギは、また、すいと鏡越しにわたしの瞳を見つめてくる。
心臓の鼓動がうるさく聞こえるのに、ナギの深い声だけはやけに鮮明に聞こえた。
「何より美しいのはこの瞳だ。黒々としておるのに底まで見通すように透き通っている。羞恥に潤むのもたまらぬが、覚悟を決めたときの射抜くような強さは、いつまでも見ていたくなるほど美しいぞ。こればかりはぬしに見せられぬ故、わしの特権だの」
ほほえむナギにわりとひどい気に入られ方をされていると思ったけど、言葉が出てこなかった。
その赤の瞳の真剣さに、ナギが全部本気で言っていることを理解させられて、指先まで熱くなる。
熱い。胸の奥がふわふわして落ち着かない。
「ゆえにの、このブラウスはぬしの華奢さとしなやかさを損なわぬようよけいなフリルは使っておらぬし、濃い青をアクセントに、甘さの中にも凛としたしなやかさを添えておる。スカートもあまり広がりすぎないよう、パニエは少な目だ。今のぬしに一番似合っておる」
そこでナギは言葉を切り、いたずらっぽく赤い瞳を和ませた。
「愛らしさの中にも強さを秘めた、これもぬしの一面なのだ。――さて、ぬしよ、それでも幼子に見えるかの?」
ナギの声を聞きながら、わたしは呆然と自分の姿をもう一度眺めた。
やっぱりフリルとレースで飾られたブラウスも、ふんわりと広がるフリルたっぷりのスカートもかわいらしくしか見えない。
でも子供っぽいと思っていたのがそんなに気にならなくなっていて、心の中の抵抗感が和らいでいるのに気付く。
わたしだって、ほんとはかわいいのが嫌いな訳じゃない。
ただ、そういうかわいさが、自分の弱さを強調するように思えていたのだ。
でも弱い訳じゃなの? こういうのが似合ってもみっともない訳じゃない、の?
こだわっていたものがほどけていく。溶かされていく。
でも……
「こ、子供っぽくは見えないって言うのは認めるけど、ふりふりが恥ずかしいことには変わらないのよ!」
わたしが真っ赤になる顔のまま振り返れば、ナギは愉快げに笑った。
「それでこそぬしだの。ただのお人形さんではこうはゆかぬ。ぬしが全力で恥じらってくれるからこそかわゆいのだ。ぎりぎり許せるかわゆさをねらった甲斐がある」
「面白がらないでっ」
「うむ、ぬしは全く子供っぽくなく、最高に愛らしく可憐でかわゆいわしの魔法少女なのだよ。自信を持つがよい」
ひどく楽しげで嬉しげで、はちみつでも滴ってるのかと思えるほど甘いまなざしで見下ろしてくるナギを、拘束が緩んすきを見計らい、わたしはぐいぐい押しやった。
「なにどさくさに紛れて言ってるのよ! と言うか近いから離れて!」
無性に落ち着かなくて、早く脱ぎたいと考えたとたん、燐光が体を包み込み、レースたっぷりの服は寝間着の浴衣に戻った。
そうか、これはわたしの意志で脱げるんだ。
「もう戻ってしもうたのか、記念撮影もしておらぬのに」
「も、もうお弁当と朝ご飯とか、制服に着替えなきゃとかやることたくさんあるんだから、そんな時間ないしそもそも撮らせる気もないんだから!」
「ええー」
ひどく残念そうにするナギをおいて制服をかっさらい、トイレに駆け込んで鍵を閉める。
とたん、お姉ちゃん特製の結界が立ち上がるのを感じて、わたしはその場にずるずると座り込んだ。
鳴り止まない心臓がうるさくて、落ち着かない熱が全身を巡っているのがわかる。
ナギにふれられた指先やのぞき込まれた赤い瞳が頭から離れない。
一体どうしちゃったんだ、わたし!
大混乱に陥る思考の中、早く頬の熱が冷めるように念じながら、しばらくうずくまっていたのだった。
何とか熱を冷まして出てくればナギがおにぎりを作っていてくれて、なんだか顔が見れないながらも鞄に放り込んで家を出る。
歩いている間に頭の中で水守の祝詞を唱えていれば徐々に落ち着いてきたけれど、学校に着く寸前、蛙と小鬼と一つ目毛玉がぞろぞろ出てきて、わたしは思わず立ち止まった。
最近見ていなかったから無事でいることにはほっとしたけれども、さんざんされたいたずらが色あせたわけではない。
ナギはどうせ助けてくれないんだから、自分で対処するしかない!
「な、何のよう」
思わず身構えていたのだけど、三妖たちが何かする前に、鞄から蛇のナギが降りていったのには本気で驚いた。
「うむ、待っておった」
『スンダ』
『ヤッタ』
『ガンバッタ』
わたしが驚いている間に三妖と何か言葉を交わしたナギはわたしの方を見上げてくる。
「ぬしよ、こ奴らをねぎろうてくれるかの」
「な、なんで」
「だいぶ有益な情報が手に入ったでの。代価を遣るというたのだが、ぬしの言葉がよいと言うのだ」
ま、わからなくはないがの、とひとりごちたナギの傍らで、おずおずとこちらを見上げてくる三妖の期待の視線に、わたしは困惑する。
や、なにをねぎらうかとかぜんぜんわかんないんだけど。
誰も人がいないことを確認してから、しゃがみ込んで視線を合わせたわたしは、そっと彼らに手を伸ばした。
「あり、がとう?」
それぞれの頭をなでれば、蛙はげこげこと鳴いて、小鬼は照れくさそうに頬を掻き、毛玉は気持ちよさそうに一つ目を細めた。
あ、ちょっとかわいいかもと和んだ矢先。
風のように何かが横切る。
『ゴホウビ』
『モラッタ』
『ぱんつハ、レェス!』
なじみたくなかったすっとした感触の後、めくられてしまったスカートを慌てて押さえて振り返れば、楽しげに飛び跳ねながら去っていく三妖の後ろ姿が遠ざかって行くばかりだった。
「結局、やられたっ……!」
唯一の救いは人がいないことだけど、それでも悔しいし恥ずかしいし、やっぱり助けてくれなかった!
「うむうむ、よう喜んでおるわ」
その楽しそうなナギにはなにをいっても無駄だ。
それでもぎんっとにらみつけてから校門へ歩きはじめたら、ナギがついてこない。
あれ、と思って振り返ると、ナギが鎌首をもたげてこちらを見ていた。
「ぬしよ、影には気をつけよ」
「影?」
「うむ」
「わかった、けど」
どうやって気をつければいいのかというのはよくわからなかったけど、ナギのまじめな声音にとりあえずうなずけば、ナギは姿を揺らがせて消えた。
もう校舎だから気を利かせてくれた、と言うのもあるのかも知れないけど。
釈然としないものを感じながら、考えるのはやめようと思った。
私に今できるのは、真由花ちゃんの彼氏さん探しだ。
校舎に入るとすでに弓子と凛ちゃんが待ちかまえていた。
二人ともちょっと疲れ気味のように見えたけど、顔には異様にやる気がみなぎっている。
「依夜、よかった。早速行くよ!」
「校庭の朝練が終わっちゃうわ」
「え、え?」
こうして上履きを履き替える間もなく、わたしは二人に引き連れられて慌ただしく「薄情彼氏」探しは始まったのだった。




