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最悪は不意にやってくる


 わたしが絶句している間に、男は曖昧な笑みで続けた。


「それはわしにつながっているのでな。ぬしの声もよう聞こえたぞ」

「なっ!」

「ずいぶんうっ憤がたまって居たようだったの。どうせ役立たずだとか、自分で望んだわけではないとか」

「ッッ……!!」

「おう、学校に行くのが楽しみで変え歌まで作るとは才知にあふれておるのう。まこと歌詞はともかく、良い声だったぞ」


 あんまりな事態に、頭が真っ白になった。

 このどうしようもない恥ずかしさを誤魔化すために今すぐごろごろ転がりまわりたい。

 確かに誰もいないことを良いことに、ついいつもの癖でしゃべりながら掃除をしていたけど、まさか全部……しかもう、う、歌まで聴かれてたなんて―!


「最低っ! そ、そういう時は聴かなかった振りをするもんでしょ!?」

「あれほど気持ちよく歌っておるのを聴こえぬ振りをするなどもったいないではないか」

「むしろ全力で記憶から消して!」

「それにしても、あの程度の春画で恥ずかしがるとはぬしも愛いのう。顔を染めて慌てる様は眼福であった」


 しみじみ言われて、あの絵柄を思い出してまたぐっと顔に熱が上った。

 別に悪いことをしたわけじゃないのに、他人から指摘されると恐ろしく後ろめたい。


「う、うるさい!あ、あんなところにおいてあるのがいけないんだから!!」

「確かに、あれは始めてみるにはつまらぬやつだったの。もうちいと美しくおなごの乱れた姿を描いたものがよかろう」

「そんな解説いらないし見たくないわよ!!」

「なにを言う、春画は立派な芸術作品だ。その良さを理解するのに言葉を尽くさずしてどうする。だがまあ動揺するぬしの反応もよいのだがな」

 

 我を忘れて言い返したわたしだったけど、男にはのれんに腕押し、糠に釘状態だった。

 しかもかえって喜ばせている気がする。

 怒り狂う感情のままに言い返したくなったけど、だめだ。

 これ以上抵抗したら、さすがに気を損ねるかもしれないし、不愉快の腹いせに何をされるかわかったものではない。

 妖達にやられてきた数々の嫌がらせを思いだしたわたしは、かろうじて言葉を飲み込んで、緋袴を払って平伏した。


「……恐れ多くも、よろず神魔の一柱(ひとはしら)とお見受けいたします」

「うむ?」

「まずはこのような狭き場所に降臨してくださったこと感謝申し上げます。ですが、わたしの意図したことではなく偶然が重なった結果でございます。お力をお借りする必要もございませぬ故、まことに申し訳ありませんが、このままお帰りいただけませんでしょうか」


 見えないふりをしていれば、たいていはあきらめて離れてくれるけど、今回はそれをする間もなく反応してしまった。

 なら気持ちよくついでに速やかにお帰りいただけるよう、徹底的に下手にでておだてるしかない。


 相手は人知を越える存在だ。

 人を虫けら以下に思っていたり、とるに足らない存在と認識していたりする者も多い中、間違って呼び出してしまったので帰ってくれというのは殺してくれ、と言っているようなものだとは重々わかっている。


 でもそれ以外になんと言えと。


 どうせ、水守はわたし一人消えたところで気にしたりはしないだろう。

 唯の神隠しとして処理されるはずだから安心だ。

 とうつろに考えつつ、ひたすら自分がきれいにした床に頭をこすりつけていると。


「……急に、本家どもと同じような反応になるとはのう」


 頭上からからひんやりとした気配を感じて縮み上がった。

 これは、確実に、気に触ってる、怒っている。


 お姉ちゃん、先立つ不孝をお許しください。

 ああさようなら、新生活。


 気を遠くなっていると、ふわりとまたあの香りがした。

 上品で繊細なのに、どこか懐かしいような柔らかい香りだ。


「顔を上げぬと、ぬしを食うぞ」


 とっさに顔を上げれば、あの蠱惑的なまでに美しい顔が目と鼻の先にあった。

 

 唇に柔らかくて、少し冷たいものが当たった。

 軽く()まれて肌が粟立つ。

 

 キスされたのだ、とわかった瞬間、わたしは全力で頭突きをかました。


「っ……!」

「なにすんのよこの変態!!」


 さすがに驚いたのか、紅の双眸を見開いて額を押さえる男を、わたしはぐちゃぐちゃな感情のままにらみつけた。

 全力でぶつけた額がひりつくのも意識の外だ。

 全身が熱い。焼けつくような感じたことのない怒りに、腹の底が煮えたぎっているようだった。

 もう、こいつがなにとか、どういう存在なのかなんて関係ない。

 とるに足らない人間だって、一矢報いるくらいはやってやる。

 だから、にじみかける涙を気合いでこらえて、敵意をむき出しにすれば、なぜか男は嬉しげに笑ったのだ。


「うむ、やはりそちらの方がずっと良い。さすがわしが見込んだぬしだ」

「意味が分かんないこと言わないでよ!」


 怒鳴ってもいっこうに堪えた様子はなく、男は愉快げに言い放った。


「わしをつれてゆくといい」

「は?」

「今のわしは式神のようなモノなのだが、長らく外に出ておらぬでいいかげん飽いておってな。どうしたもんかと思っておったのだ」

「何であんたを連れて行かなきゃなんないのよ!」


 いらだちのままに怒鳴れば、ひどく不思議そうな顔をされた。


「ぬしは一人が不安なのだろう?」


 かっと頬が熱くなった。

 図星だった。


 なんだかんだで、傍に誰も居ないのは初めてで、一人でやって行けるかどうか自信もなかったし、不安になっていたけど、表に出した気はなかった。でも見知らぬモノに見透かされるほど分かりやすかったのか。

 絶句して震えていると、自称式神の男はにんまりと笑みを浮かべた。


「わしはいろいろと役に立つぞ。ぬしの望みを叶える手助けになろうて」

「……冗談じゃないわっ!」


 これ以上ないほど頭が沸騰していたわたしは、最後の一言に爆発した。

 屈辱と羞恥と苛立ちと、様々な感情が渦巻くままに持っていた鈴を男に投げつけて、蔵の外へ飛び出した。

 もちろんその前に掃除道具を回収することも忘れない。

 田舎育ちをなめないで欲しい。

 素早さは鼠並だと賞されているのだ、ものすごく不本意だけど!


「おや?」


 意表を突かれたらしい男の惚けた顔を鉄扉で遮り、しっかりと閂をかける。

 すると自動的に封じの結界が立ち上がり、蔵は何事もなかったように沈黙した。

 式神、のようなものと言う言葉は少々気になったけど、神霊でないのなら遠慮はいらない。

 

 何せ、ずっとあの蔵にいた風だ。

 あの蔵に保管されたきり出られなかったモノならば、扉を閉めれば追ってこられないはず。

 十中八九依代(よりしろ)であるあの鈴へ帰らざるを得ないだろう。

 天窓を先に閉めておいてあって良かった。

 がちゃがちゃと掃除用具を鳴らしながら、わたしは足袋のまま憤然と走った。


 ようやく、ようやく普通の生活が手に入ろうとしているのに、あんな変態の気まぐれですべてが壊れるなんて、冗談じゃなかった。

 式神なんていらない。わたしは一人でやっていける。

 わたしは、もう、普通の人間なのだ。

 ぐっと唇をかみしめれば、あの冷たいような柔らかいような感触が脳裏によみがえり、また頬が熱くなる。


 急いで口元をごしごし拭った。

 唇が切れて血の味がした。





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