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神薙少女は普通でいたい  作者: 道草家守
第三章

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わたしは、どうしたい?

 


 放課後、わたしはぼんやりと、誰もいない屋上の片隅に座り込んでいた。

 それはどんよりと曇り、湿った風が吹くせいか、私以外は誰もいない。


 すでに姉がいない部屋に帰るのをためらっているのもある。

 けれど、いろんな事が頭の中に渦巻いていて、どうにも帰る気分になれなかったのだった。


「お悩みかの。ぬしよ」

「……ほんと、あんたはめざといんだから」


 当然のように傍らに現れる人型のナギの、その赤い瞳から逃れるように膝に頬を埋めれば、袖に手を入れたナギが続けた。


「ぬしよ、なかなか萌えるかわゆい姿勢であるが、今日のかわゆい白レースぱんつが見えそうでな、気をつけよ」

「もうちょっと指摘の仕方を考えてよ!」


 うっかりそのまま体育座りをしていたのを思い出して、あわててスカートを押さえれば、自然と顔はあがって、空中であぐらをかくナギと目があってしまう。


 なんか、はめられた気分だ。


「むう……」

「おおかた、姉御のことであろう」


 全てお見通しと言わんばかりの、ほんの少しほほえむような表情に、ほぼ図星だったわたしはせめてもの抵抗にちょっぴり視線を逸らした。


「牛鬼に捕まった時。わたし、全然抵抗できなかった」

「当たり前であろう。ぬしはただの娘であったからの」

「でも、ハリセンを出せば、変わったかもしれない」


 引っかかってるのはそこだった。

 続きを促す気配に、言葉は止まらなかった。


「お姉ちゃんが危ないって思ってたのに、わたしが人質から抜け出せば良いってわかってたのに。神薙少女がばれるかもしれないって思ったら、ためらってたの」


 結果は、ナギに助けられて、姉が牛鬼を倒したけれど、わたしは最初から最後までお荷物だった。


 しかも、唯一助けになるはずの場面で、躊躇した。


「わたし、お姉ちゃんより優先したの……っ!」


 ちっぽけな羞恥心のせいで姉を危うい立場に置いた。

 自分のせいで。自分がためらったせいで。姉は窮地に陥ったことが、どうしても許せなかった。

 わたしは姉よりも自分の方が大事なのだろうか。


「なんだ、そのようなことか」

「そのような事ってなによ!」


 あきれた風に言われて、わたしはかっと声を荒げた。

 けれどナギはどこ吹く風で、むしろ諭すように言い聞かせられる。


「ぬしは、神薙少女である事を明るみに出さずに、普通に徒人のように生きたいのだろう? ならばぬしのためらいはごく自然のものだ。むしろよう我慢したとほめてしかるべきであろう」

「ほめる!? わたしはお姉ちゃんを見捨てようとしたのよ!?」

「それが、普通に生きる、と言うことだ」


 秀麗な表情も赤い瞳も凪いでいて、非難も、嫌悪も、何にも浮かんでいない。


 だけどなぜか突き放されたような気がして、わたしはひんやりと腹の底が冷えた感じを覚えた。


「霊など感じず、妖などと交わらず、人の世のみを生き場所とする。それがぬしの願う徒人の普通と言うものだ。姉御の生きる世界とは分かたれるのだよ。人の世で生きたいとおもうたぬしが入り込む必要のない領域だ」

「でも、でもあの時のわたしには、お姉ちゃんの力になれて……」


 何かを言い返さなければと思うけれど、なにをいいたいかわからないまま意味のない言葉を繰り返す。

 でも、ナギは容赦なかった。


「ぬしがいうたことだ。神薙少女は借り物の力。このまま使い続ける事はしたくないと。ならば、あそこでぬしが天羽々斬を使わなかったことは良い判断だ」


 全部自分で言ったことだ。


 普通がいい。平穏に暮らしたい。

 水守から逃げたい。自由になりたい。


 そう願って、わたしは今のところおおむね成功している。

 だけどそれは、何よりも大事な姉ですら切り捨てる事だったのか。


 神薙少女になって、ずっとずっと出来なかった退魔が出来るようになって。なにを勘違いしていたのだろう。

 わたし自身が退魔をしているわけじゃないのに。たまたまナギが手を貸してくれる借り物の力なのに。


 でも、何だろう。何なのだろう?

 心の奥がもやもやぐるぐるして、泣きたくなって、でもこれは全部自分が招いたことで。

 こみ上げてくる熱を必死で振り払う。

 自分が原因だ。わたしが泣く資格なんてない。


「ぬしはどうしたいのだ」


 落ちかける雫を、唇をかみしめてこらえていると、その言葉がするりと耳に入り込んできた。

 のろのろと顔を上げれば、ナギが名前の通り、凪いだまなざしでわたしを見下ろしている。


「どうしたいって」

「水守から離れ、自らの道を考え選ぶ事が出来るようになった。ぬしは自由なのだよ」


 じゆう。

 その言葉が、果てしなく途方もなく、こんなにも不安なものだと知らなかった。


「でも、わたしが迷惑をかけないためには、普通になることしか」

「おや、神薙少女になれるではないか」

「っそれは、あんたからの借り物で」

「なぜ、借り物が悪いのかの?」


 虚を突かれて言葉を失ったわたしに、ナギは少しからかうような調子で続けた。


「わしはぬしの式神ぞ。式神というのは術者にとって、自らの力と同義であるようだが」

「や、でも、それは嘘で。わたしはなんにもできなくて」

「自由なればこそ、行動を選び、責任をとれる。ぬしがいう偽りも、背負う覚悟があれば、誠となろうの」

「覚悟なんて」


 何にもなかった。


「ほれ、ぬしも一度やったではないか。水守から逃げるために、わしを受け入れたであろう」


 それは、そんなたいそうなものじゃなかった。

 ただ、水守から、自分の無能さから逃げるのに必死だったのだ。


 なのに、ナギの言葉が、頭に染み入ってくる。


 でも、それでも。わたしが、わたしのために、なにかを選んでいた?


「それが、自由と言うものだと、わしは思うがのう」


 のほほんと滑り落ちてきた言葉に、わたしは見上げた。


「ナギは、なにがしたいの。わたしになにをさせたいの」

「なにも」


 簡潔な言葉に、ますますわからなくなっていると、ナギはほんの少しだけ、唇の端をあげた。


「ただ、ぬしが本当に願うことを叶えたいだけだ」


 ほのかに笑みを浮かべてひょうひょうというナギは、いつもと変わらなかった。

 変わらなさすぎて、幻なのかと思ってしまいそうだ。


 でも、わたしの胸はどくどくと脈打ち、頭の中では様々な思考と感情がぐるぐると渦巻き荒れ狂ってる。


 わたしが、本当に願うこと。


 今まではずっと普通になることだと思っていた。

 わたしは人在らざるものが見えても、なにもできない。


 闘うことも、助けることも。

 だから普通になることが誰にも迷惑をかけない、自分も楽になる一番の方法だと思っていた。


 なのに姉に普通でいて良いと言われて、許された気分になったのに残ったしこり。

 姉が、窮地に陥っているのに、助けられなかった罪悪感。


 そうだ、それを弓子に聞いてみたのじゃないか。

 どうしようもなく悪いことをしてしまった時にどうしたらいいか。

 さっき弓子はなんて言っていたっけ。


『謝ってから、やり直せばいいんじゃない? む、何をやり直したいかがわからない?

 うーん。なら、本当にやりたいこと、考えてみるのはどう?』


 やりなおす。自分がやりたいことは、本当に願っていたことはなんだったのだろう。

 昔は、昔は――……


「さあぬしよ。そろそろ雨が降るぞ」


 わたしが思考の波に沈んでいると、ナギが腰を屈めて片手を差し出してきた。

 その拍子に艶やかな黒髪が流れるのを、改めて眺めた。


 退廃的な、甘い毒の滴るような美貌も、その紅玉のような赤い瞳も、その圧倒的な気配も、一度見たら、感じたら忘れられない。


 あの日出会ったのが初めてだ。初めて見たものだ。


 そのはずだ。


 小首を傾げるナギに、わたしは気が付けば聞いていた。


「ねえ、ナギ。一番初め、わたしが禍霊(まがつひ)に襲われてたのを助けてくれたとき、覚えてる?」

「ああ、ぬしが大変けしからん様相になったときだの」


 そのあっけらかんとした物言いに反射的につっこみかけるのをこらえて、続けた。


「わたしの名前、呼んだよね。わたしが名乗る前だったのに」


 確認するように問えば、ナギは、ゆるりと赤い瞳を瞬かせただけだった。


「ふむ、そうだったかのう」


 まるで動じたところもなく、いつもと変わらない調子のナギに、一瞬自分の勘違いかと錯覚する。

 でも、今差し出された手を握ったとき、その感触が、胸のうちにさざ波のように広がり、心の奥深くに鈍くささやきかける。


 やっぱり、なにかある。


 牛鬼から助けてくれたときも、いや、ナギと出会ってから、少しずつ、少しずつ蓄積してきたこの痛みのような違和感を奥深く探った。




 記憶が流れていく。




 花火。祭りの囃子が聞こえる。


 小さい手をくるまれるように手を握ってもらった。


 その大きな手の先には、大きな人がいて……




 ズキリと太い針を刺されたように頭が痛んだ。


「っ……!」

「ぬしよ、無理はするでない」


 あまりの痛みに呼吸すら乱れた。

 頭を抱えると、ナギにそっと背に手を添えられた。


 けれどその言葉で、ナギの身にまとう薫りが鼻孔をくすぐり、確信する。


 ずきずきと痛む頭もそのままに、わたしはナギを見上げた。


「ねえ、ナギ。わたし、もしかして、前にあんたと会ったことが、ある?」


 頭に浮かぶ情景は断片的で、そこでした会話すら思い出せない。

 けれど、あの大きな姿は、身に纏っている香りは、ナギと同じもののような気がしたのだ。

 わずかにつかんだ糸を離さないように、わたしは思いつくままに言葉を紡ぐ。


「あの祭りの出店の中を歩いたのも、金魚すくいが出来なかったのも、屋根に上って花火を見たのもあんたよね」


 そう、それで、何かを話した気がする。


 たぶん、無邪気に見上げて笑いかけて、でもとても真剣に。


 問いかけに応えた。花火に照らされた横顔。


 驚いた顔をしていた。わたしはなにか、約束をした。


 大事なこと。そう、とてもだいじなことだ。


 もどかしい。後少しなのに、追いかけようとすればするほどその少しが届かない。


「ねえナギ……」


 わたしはなにを約束したの?


 言葉として形作ろうとした瞬間、頭の奥がひときわ強く痛んで顔をゆがむ。

 頭を抱えて、しゃがみ込もうとしたとき、頭の上に大きな手が乗った。


 とっさに顔を上げて息をのむ。


 腰を屈めてわたしを見つめるナギは、いつもの不敵で飄々とした表情じゃなくて。


 嬉しさと、切ないほどの悲しみが複雑に入り交じった微笑を浮かべていた。


「ぬしが、自ら思い出せたら、教えよう」


 頭に乗った手は髪を伝って頬を包む。


 ナギの掌は、ひんやりとしていた。

 低くかすれた声はどこかふるえているようにも思え、今にもほろほろと溶け崩れてしまいそうなその笑みに、なぜだかぎゅっと胸が引き絞られた。


「な、ぎ」


 はたり、と雨粒がナギの頬に落ちた。

 つうと、滑り落ちていった滴を皮切りに、はたはたと空から雨粒が降り注いでくる。


「雨が降ってしもうたの。ほれ、ぬしよ帰ろうぞ。濡れ鼠は体に良くなかろう」

「あ、うん」


 促されるまま階段に避難したわたしは、もう一度ナギを伺ったけど、さっきまでの悲しげな雰囲気などみじんもなく、しかもすぐに鈴へ戻ってしまった。


 いつの間にか、頭の痛みも消えている。


 でも、わかったことがある。


 ナギとは式神として契約する前に、どこかで会っているんだ。

 でもその記憶は殆ど抜け落ちてしまっている。


 わたしはいったいなにを忘れているの?


 自分への問いと、深い疑問を頭の中で渦巻かせながら、わたしは階段をゆっくり下りていったのだった。







これにて三章は終了です。

四章も、引き続き投稿いたします。

ここまでのご愛読、ありがとうございました!

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