言える事と、言えない事
「……夜、依夜ー?」
「ふえ!?」
突然呼び声が耳に入ってきて顔を上げれば、弓子にのぞき込まれていてびっくりした。
「授業、もう終わったよ」
「え、あ!」
理科実験室を見渡せば、すでに大半のクラスメイトは席を立ち、わいわいがやがやと出て行くところだった。
とっさに自分のノートを見て、一応授業内容を筆記していたことにほっとする。
だけど、じんわりと顔に熱が上るのを感じた。
「教えてくれてありがとう」
赤面しつついそいそとノートと教科書を持って弓子の隣に並ぶと、弓子が話しかけてきた。
「最近ちょっと上の空だね?」
「えっと」
「まさか体調が悪いの隠してるんじゃ……」
「違うよっ」
真顔になる弓子からプレッシャーを感じたわたしは、重い口を開いた。
「大したことじゃないんだけど。お姉ちゃんが、仕事で帰っちゃって」
「あの依夜とはまた違った美人で、だけど依夜と血のつながりをよく感じさせるお姉さんが?」
「弓子ちゃん、なに言ってるの!?」
「半分冗談だよ。にしてもあのお姉さんがかあ、寂しいね」
半分冗談って事は半分は本気だって事だよね? と戦慄しつつ、いたわるような弓子の表情にわたしは少し救われような気分になった。
牛鬼を倒した翌朝、わたしが起きると、姉はすでに起きていて、シャワーで禊ぎをしたらしく濡れた白衣を干していた。
「おっはよー!依夜」
「お姉ちゃん、もう大丈夫なの」
「久しぶりにフルで札を使ったせいか、ガス欠になっちゃったみたいでさ。たっぷり寝たら良くなったよ」
からからと笑う姉に疲れた様子は見えなくて、わたしは安心したのだけど、すぐに、姉がすでに外出着になっていることに気付いた。
「出かけるの?」
「あーうん、本家からいい加減一度報告に来いって連絡が来てね。牛鬼については報告しておかなきゃいけないし、今抱えてる仕事で進展もあったみたいだから、そっちに掛かりきりになりそうなんだ」
「つまり、しばらく会えない?」
「そう言うことになるね」
急のことだけど、姉と居ればそうやって直前に予定が決まる事なんてしょっちゅうだ。
だから多少残念だけど、割と冷静に受け止められた。
と、自分では思っていたのだけど、姉にはそうは映らなかったみたいだ。
「だいじょうぶ。絶対七夕の祭りには帰ってくるから」
「……楽しみにしてる」
申し訳なさそうで、でもわたしを安心させるようなまなざしに、わたしはそう返して、せめてお弁当と朝ご飯だけでも作ろうと起きあがる。
同時にガラスの引き戸が開けられて、わたしにはなじみ深すぎる三角巾に割烹着をつけたナギが出てきた。
「おう、ぬしよ。おはようだな。朝食とお弁当は出来ておるぞ」
「おは……て、ええ!?」
反射的に挨拶しかけたわたしだったけど、ベランダから戻ってくる姉にさあっと血の気が引く。
そういえば美味しそうなにおいがするけれども、匂いがするって事はすでにご飯はできあがっているわけで、シャワーを使った簡易の禊ぎ修行は最低一時間くらいはやるわけで、そうするとナギと姉はすでに顔を合わせていないとおかしくないわけで……!?
……い一体、どこまで知られたのだろう。
こみあげてくる後ろめたさと罪悪感でおそるおそる振り向けば、姉は不機嫌そうに肩をすくめてみせた。
「大体の事情はそいつに聞いたわ。依夜が私を心配させたくなくて、人型にならないように命じていたんですって? 確かにお姉ちゃんびっくりしたけどね。日向だって薄墨だって人型になるんだから隠すような事じゃないんだよ?」
むっとした感じの姉の言葉に、わたしは戸惑いつつめまぐるしく思考を回転させて気付いた。
そっか、今ばれたのはナギが人型にもなれる、ってことだけだ。
いくら姉でも水守の倉に納められているもの全てを知っているわけではないし、ましてや神薙少女のこととつなげられるわけもない。
だってわたしはハリセンを出すこともなかったのだから。
「ただし!」
突然の姉の大声に思考を断ち切られたわたしは、顔を上げる。
「こんな大事なことを言ってくれなかったなんて、お姉ちゃんはとても悲しい! こんなおじさんと同棲なんて!」
きりっと顔をいかめしくした姉に指さされたナギは心外そうにした。
「む、わしの外見はおじさんという領域では」
「依夜から見れば十分おじさんでしょう」
ナギの抗議を姉はばっさりと切り捨てた。
「こんな見るからに女をだましてたかるしか脳のなさそうな男がしれっと押し掛け式神なんてして、依夜のそばに今までずっと一緒だったなんて気が休まらないわ!」
「大丈夫何にもされてないから! そりゃ、変態だしぐうたらだし変な趣味あったりするけど、こ、こうしてご飯作ってくれたり、わたしのことはちゃんと守ってくれてたの」
「姉妹そろってひどい言い様だのう。わしは紳士な絶食系男子であるのに」
必死に言い募っていたらナギのぼやきが聞えて、どうしてわたしはこいつをかばうような発言をしているのだろうと思った。
けど、姉は深くため息を付くと、あきらめたように言った。
「まあ、助けられたのは疑いようもないわ。牛鬼に勝てたのだってこの式神のおかげだし。今まで依夜が無事だったのも、悔しいけどそいつがいたからだってのはこの数日で良くわかった」
そうしてつかつかとナギの目の前にきた姉は、その胸に人差し指を突きつけて、睨みあげた。
「これからも依夜を守ることだけは、許可するわ」
「お姉ちゃん……」
「でもそれだけだからね、妹に手なんか出してみなさい! わたしの全戦力持って滅するから!」
「て、手を出すって! そんなこと!?」
ぶあっと顔が真っ赤になってあわあわしつつ二人を伺えば、ナギは曖昧な笑みを浮かべた。
「気が立っておるのう。わしは我が主の望みを叶えるだけだというておろうに。主にお願いされぬかぎり、それ以上のことはせぬよ」
「ふん、とりあえずそういうことにしといてあげる」
そんな感じで、一応の解決をみた姉とナギの作った朝ご飯を囲むことになったのだけど。
スープにサラダが付いたパンケーキというめちゃくちゃおしゃれなメニューに姉が驚き、スープとサラダの彩りと盛りつけの良さに戦慄し、パンケーキの二センチ以上ある厚みとふわふわ感にもだえて、敗北感に涙目になっていた。
わたしたち、いつも作るの和食ばっかりだもんね。
「く、くう……そりゃあ、最近料理してなかったけどさあ。何でこんなしゃれたメニューをあんたが作れるのようっ」
「うむ、今の世の中ググればだいたいのことはわかるでな」
「そういう問題じゃないでしょ。というか依夜、これに餌付けされてる部分も」
思わずさっと目をそらしてしまい、姉にさらに追求される朝ご飯が終わって。
一緒に家を出れば、マンションの前には黒塗りの車が留まっていた。
外に立って待っているスーツ姿の男性を見て、姉の顔が一気に苦々しくなる。
「くっそ。なにがあってもこいってことね」
わたしでも何となく顔を見たことがあるから、水守の人だろう。
駅までの道のりは少し重なっていたのだけど、こうして迎えがいるのならここでお別れだ。
「じゃあ……」
名残惜しいけど、わたしが手を振ろうとした矢先、不意に姉に抱きしめられた。
柔らかい、すっきりとした清めの香の薫りに包まれる。
「なにをしても、私が依夜を守るからね」
そう言った姉がどんな表情をしているかはわからない。
ただ、腕に込められた力や、低い、自分に言い聞かせるようなこの言葉が、ざわざわと不安な気持ちを呼び寄せた。
「お姉ちゃん?」
なんでそんなことを言うの?
問いかける前に、ぱっと離れた姉はすでにいつも通りで。
「じゃっまたね!」
ひらひらと手を振った姉を乗せた車が走り去っていくのを、わたしはただ見送ったのだった。
「そっか、あたしはずっと家族とも一緒だから、うまく想像できないや」
わたしの簡単な説明を聞いた弓子はそう言った。
弓子には以前、両親が居ないことは話していた。
そんな彼女の反応は言葉としてはすこし突き放したようなものだったけど、その声色にわたしを思いやる暖かみがあって、嫌な感じは全然しなかった。
申し訳なさそうにされると、どうして良いかわからなくなるから、それくらいがちょうど良い。
「でもさ、急に一人になると寂しいってのはなんとなくわかると思う」
「……ありがとう、弓子ちゃん」
たぶん、弓子とわたしでは感じている部分に隔たりがあるのだと思う。
それでも、わかろうとしてくれることがうれしかった。
「いやいやあたしなにもしてないからね? むしろあのうるさい弟がいなかったらちょっと楽かもって思ったり……や、ごめんこれじゃ意味ないね」
「ううん、いいよ。お姉ちゃんが行っちゃって寂しいって事はあるけど、いつものことだから」
それに、わたしが引っかかってるのは別のことだから。
「もしかして、他にも何かあった?」
唐突に弓子にそんな風な声をかけられて、わたしは思わず表情を固めた。
「言いにくいこと?」
ためらいながらこくりとうなずけば、少し沈黙が降りる。
だけど、弓子は思い切ったように続けた。
「依夜が話したいと思うんなら、何でも聞くから。口は堅いほうだし。だからあんまりため込まないでね、寂しいから」
最後に付け加えられた言葉にわたしは目をぱちくりさせた。
「弓子ちゃんが、寂しいの?」
「うーん。なんか、依夜はあたしとかと比べると自分のこととか話さないから。あ、けど、それが悪いってわけじゃないよ? でも愚痴とかも全然聞かないから、大丈夫かなって思うのよ」
途中あわてながらも、弓子は空いている手で照れくさそうに頬を掻いた。
「そりゃあ毎日楽しい話題ばっかりの方がいいけどさ、友達としては、寂しいとかつらいとかも分けてほしいなって思うんだ」
わたしは、なんだか申し訳ないようなうれしいような気分で、胸がいっぱいになった。
わたしは水守の家のこととか、退魔師のことだとか、自分が視えてしまうことについてとか、ナギのこととか、言えないこと、言っても困らせるだけなことが沢山ある。
だから、話す内容に注意することが昔から身についてしまっていて、自分の事を話すというのがなくなっていた。
でもそうか。言わないというのも心配させることなのか。
そういうつもりじゃなかったのだと、説明しようにも本当のことも言えないから、唇はまごつく。
それでも言って、いいのだろうか。
「あのさ、弓子ちゃん」
「なに?」
「あとで、ちょっと変なこと聞いてもいい」
「変なこととはなんぞやって感じだけど。もちろん!」
悩んだあげく、要領の得ないわたしの話を、弓子はどこかうれしそうな表情で耳を傾けてくれたのだった。




