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神薙少女は普通でいたい  作者: 道草家守
第三章

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閑話:水守香夜の場合



 水守香夜(みなもりかよ)は、す、と意識が上るのを感じて目を覚ました。


 天井は、この一週間で見慣れた妹の部屋のものだ。


 首を巡らせれば、隣にはあどけない表情で眠る妹、依夜がいた。

 ほんの少し固い表情で布団にくるまっているのは、香夜が意識を取り戻さないか気をもんでいるうちに眠りに落ちてしまったからかもしれない。


 意識を失う直前の記憶を思い出して、申し訳ないと思いつつ、明るい喜びが胸に広がった。


 香夜にとって、依夜はなによりも大事な妹だ。


 香夜が12歳の頃、両親が死んだ事で、依夜が唯一の家族になった。


 水守本家に引き取られて祖母が保護者になったものの、水守をとりまとめる立場上、血を分けていても距離を感じていたから、やっぱり香夜には依夜だけだった。


 水守本家に初めて来た時、大きな屋敷の中の、広い部屋に二人っきりで取り残された夜。

 広すぎる部屋に、並べて敷きのべた布団で、頬を涙でぬらしたまま眠る小さな依夜の顔を見た時、香夜は決意した。


 両親を亡くした悲しみも、それを奪った人在らざる者共にも憎しみもある。

 でも、自分には依夜がいる。

 ならば、何よりこのたった一人の小さな妹を守ろうと、そう思ったのだ。


 だから香夜は、水守にいわれた修行を誰よりもこなしていった。

 同年代の少年少女はもちろん、大人でも根を上げる過酷な修行に自ら志願して打ち込んだ。


 依夜は昔から、良い悪い問わず、人在らざる者を惹きつけていた。

 たとえ友好的な者でも、妖怪流にかまわれるものだから、想いの伝え方がおかしかったり、力の加減ができなかったりするのだ。


 そのせいで依夜は何度も傷つけられて泣いていたから、人では及び難い奇怪で強大な能力を持つ妖達に対抗できる技術が、香夜は欲しかった。

 幸いにも、香夜には才能があった。


 努力して努力して、気が付けば、神童、天才と呼ばれるようになって、いつしか次期当主、などと呼ばれるようになっていたけど、そんなもの関係なかった。

 身につけた技術は、すべて愛する妹のためだったから。


 依夜が居なければ、香夜のために泣いてくれる妹が居なければ、香夜は両親を失った悲しみにおぼれていただろうし、水守の空気にも、討伐にも、耐えられなかっただろう。


 守っているつもりでも、香夜の心は依夜に守られているのだ。


 なのに周囲がその妹を傷つけていた。


 香夜が努力し功績を挙げるたびに、本家の人間は、水守にとって有益な才能のない依夜をおとしめる。

 保護者であるはずの祖母は、沈黙を保ち、ただ依夜を田舎へ遠ざけた。


 ずっとおかしいと思っていた。


 なぜなら、依夜には妖を見る才能がある。

 神薙(かんなぎ)のなり手と同じくらい、それをサポートする用人(ようにん)も常に人手不足だ。


 ならたとえ退魔討伐ができなくて神薙になれずとも、裏方に割り振ることは自然なはず。

 それなのに依夜は、それこそ幼い頃から神薙になる才能がない、と見られているのに、ごく最近まで神薙の修業を続けさせられていた。


 水守は良くも悪くも実力主義、才能が在れば、分家の子でも本家に入れるし、本家で過ごしていた子でも裏方の修業に回されることはよくあった。


 だからこそ立ち上る違和感。


 依夜はただ自分が無能だからと思っていたようだけど、とんでもない。


 水守の子は適性を見る、という名目で伝わる術を一通り修業はするものの、依夜ほどみっちりやった者を香夜は知らない。

 あの若さで一通りのサポート役ができる用人が果たして水守に何人いるか。


 祝詞を奏上できて舞いも舞えて浄衣を縫えて、禊ぎの基本である掃除はもちろん、神饌、つまり料理ができるなんてどう考えたって良いお嫁さん……いや待て妹にはまだ早い!


 ……思考がそれたが、妹は優しすぎるきらいがあるけれど、神薙以外であれば、十分にこなせる技術があるのだ。


 それなのに水守本家は、いや祖母は、依夜に神薙以外になる道を閉ざし、結果、満足できないことで自分を責めた依夜は普通になることを強く望むようになった。


 香夜には、適性がないところに押し込める祖母の方針が理解できなかったから、水守から逃げたい、という依夜の願いに全力で協力したものだけど。


 今は、祖母がどうして神薙にこだわったか、その理由の一端が、すこしだけわかった気がしていた。


 香夜は布団から身を起こしたが、たったそれだけの動作で目がくらみ、全身に重い疲労を感じた。


 この感覚はよく知っている。


 何かをより憑け、急激に霊力を使い、体に負荷がかかったときの症状だ。


 修行中はよく倒れたものだったけど、最近では式神化した呪符を何十枚使っても軽い頭痛程度ですんでいたから、これほど重いのは久しぶりだ。


 だが、理由はわかっていると、香夜は依夜を起こさぬようにそっと抜け出て、布団の上に正座した。


「いるんでしょう」


 一拍して、机に置かれていた銀鈴から、すういと薄いもやが立ち上り、人型をとる。


 そうして現れた、闇よりも濃い黒髪に紅の瞳をした美貌の男に、香夜はぐっと眉間にしわが寄るのを自覚した。


 こんな成人男性にしか見えないモノが今までずっと依夜のそばにいたなんて、という怒りといらだちが一つ。


 もう一つは、この男から隠していてもあふれ出す、霊力に関してだ。


 牛鬼(ぎゅうき)を討伐し、その後に対面していても、未だに半信半疑だったが、こうして目の前にすれば間違いではなかったのがよく、わかってしまった。

 香夜はすくみかける己の心を叱咤して、居住まいを正すと、虚空に佇むその姿を見つめて言った。


「あなたが、依夜のそばにいるとは思いませんでした」


 頭は下げるつもりはなかった。

 それでもなるべく丁寧な言葉で呼びかければ、その美貌の式神はそれだけで悟ったようでゆっくりと瞳を瞬かせる。


「やはり、気付いたか。わしのことは秘されておると思うておったが」

「調べましたから。あれから、あなたが何者なのかを。それに、私は覚えていましたから」


 香夜はこの姿を見るのは初めてではなかった。

 ほんのひとときの邂逅。

 だがその強烈な気配と姿は幼い香夜に焼き付いていた。


 祖母はあの出来事をなかったことのように扱ったが、あの日を境に、祖母の依夜への態度が変わったような気がする。


 だからだろう、ことあるごとにあの姿の手がかりを探した。


「私は一応水守の実力者ですので。資料はいくらでも当たれますし、噂も聞けます。そこから推測はできました」

「そうか。では久しいの、と言うておこうか」

「あなたにとっては瞬きの間でしょう」

「いや、そうでもない。あのような小さかった幼子が娘となり、神薙となっておる。時の流れというものは愉快なものだの」


 わずかな感慨を込めて笑む式神に、香夜は一つ気合いを入れて本題に入った。


「あなたは、なんの為に妹のそばにいるのですか。害するためではないというのはわかります。ですが、祖母に気付かれたら、否応なく水守に囚われてしまう。それは看過できません」

「ほう、わしがここにおることを言わぬで良いのか?」


 少しからかいを含んだその問いに、香夜は声を荒げたくなるのをこらえて訴えた。


「依夜はただの女の子になりたがってるんです。祖母がなぜ依夜を神薙にすることにこだわったかはわかりましたが、それに納得できるかは別です。私は、依夜が笑顔で居られる場所にいてほしい」


 そこで息をすい、香夜は眼前の美貌の男を挑むように見つめた。


「そのためだったら水守なんて関係ない。私はあの子のためならなんだってやる」


 それは、あなたを殺すことでさえ。

 言外ににおわせたその言葉に、式神はただ、愉快げに笑むだけだった。

 そのようなさりげない表情にさえ、その圧倒的な美しさが露わになる。


 ここまで言うつもりはなかった。


 この式神にとって、自分のことなどとるに足らない存在でしかない。

 

 挑発するような言葉を投げかけて気分を害せば、香夜自身に危険が及ぶ可能性もある。

 たとえ水守だったとしても。いや、水守だからこそか。


 それでも、この式神の思い通りに依夜が転がされているのは我慢がならなかったのだ。


「……そうか」


 だが、少しの間を空けてただそう言った式神は、すっと袖に手を入れた後、香夜に何かを放ってきた。

 とっさに受け取った香夜は、手の内で転がるビー玉よりも一回り小さいその黒い玉に首を傾げた。


「これは?」

「妖を禍霊(まがつひ)としていた瘴気の玉だ」


 思わず取り落としかけるのをこらえ、無造作に扱った非難の意味も込めてにらみつけたが、男はどこ吹く風だった。


「問題ない。わしが封じておるでな。近頃それを身に含んで禍霊化する妖がこの町に増えておる」

「……っ!なぜ、これを私に」

「実物が在れば、術者を動かすことができよう?」


 確かに、禍霊を増やすやっかいな何かが居ることが証明できる。

 特に依夜のいるこの町にはびこっているというのは看過できなかった。


「水守に帰り次第、この玉を作ったモノを特定します」

「いや、それには心当たりがあるでの、やらんでよい」

「なぜ!」


 思わず目を見開いた香夜に、式神は袖に手を入れて腕を組みつつ続けた。


「予想が正しければ、ぬし等では歯が立たぬでな。必要ならばわしが出る」


 血が上った香夜だったが、その言葉の意味を理解して言葉を呑んだ。

 その隙を縫うように式神は読めぬ表情で言う。


「特にそなたが傷つけば我が主が悲しむでな。こちらで片を付けよう」


 あっさりとしたその言葉に香夜は顔色を変えた。丁寧語などあっさり吹き飛んだ。


「それって依夜を巻き込むって事じゃない! あの子は妖に対して無力なのよ!?」

「安心せい、十分な自衛の手段は持たせておるでな」


 その返答で一番当たってほしくない最悪の推測が正解だということがわかり、香夜は今度こそ激高した。


「冗談じゃないわ! 依夜は普通を望んでいるのよ!? それなのに依夜にあんな危ないことをさせてっ! 守るべき者を危険にさらしているのはあんたじゃない!!」


 胸ぐらをつかんで殺気立った香夜だったが、男はほんの少し眉を上げて言った。


「騒ぐでない。依夜が起きる」

「っ……!」


 様々な思いが駆けめぐりつつも、思わず横になる依夜を見れば、あどけない表情は深く眠りについたままでほっとする。

 それで気をそがれてしまった香夜は、胸ぐらをつかんでいた手は離したものの、ぎりぎりと歯を食いしばって睨みあげる。


 だが式神は飄々とした調子で言った。


「それにのう、確かに我が主はことあるごとに口にするが、本当にそれを望んでおるのかの」

「……あんたが知った口を聞かないで」


 依夜が、どれほど苦しんでいたか知らないくせに。

 普通の学校に通いたいから手伝ってくれと、願われたときの涙を知る香夜にとって、その言葉は世迷い言にしか聞こえなかった。


「あなたは一体なにがしたいの」

「なあに。ぬしとそう変わらん」


 すいと空中を移動し依夜の傍らにきた男は、そのあどけない寝顔をのぞき込んだ。


「わしは、我が主の望みを叶えたいだけなのだよ」


 淡い笑みを浮かべる男がなにを考えているか、香夜をには推し量れなかった。

 だが、依夜を見るそのまなざしの柔らかさは本物のように思えて、ますますわからない。


 だが悩むのは良くない。目が曇る、心が曇る。

 今、最前と思える判断を感じるのだ。

 香夜は一つ息を吐いて、決断した。


「とりあえず。今、依夜を水守に連れ帰るのは得策じゃないから、見逃すわ」

「ほう」

「だけど、あんたがそばにいることを認めた訳じゃないから」


 この町からひきはがしたいのは山々だったが、依夜は友人のいるこの町から離れたがらないだろうし、何より、水守本家が依夜にとって害にしかならないと思っている香夜としても気が進まない。


 それに香夜もいつまでもこの町へとどまっているわけにはいかない。


 抱えている事件に進展があったと一報が入っていたし、何より重要な手がかりであるこの黒い玉を分析しなければならない。

 この式神になんか任せない。


「私は、私のやり方で依夜を守る。なにをしてでもね」


 決意を込めてにらめば、式神は応えた様子もなく肩をすくめた。


「依夜を悲しませる事にならぬようにの」


 言いつつ式神が愛おしげに依夜の顔の輪郭をなぞろうとした手を、香夜は全力を持って払いのけた。


「気安く依夜にさわらないでくれる?」

「手厳しいのう」


 はらいのけられた手をわざとらしくひらひらとさせる式神に、香夜はふんと鼻息で応えて、ふと思い出す。


「それと、依夜の写真大量にとってあるんでしょ。よこしなさい」

「うむ、わしのコレクションを望むとな?」

「当然でしょ、私は依夜の姉だもの。妹のかわいい姿を見る権利があるわ」

「だが、ただでと言うのものう」

「……フォルダにある隠しファイル、依夜に教えてもいいのよ?」

「むっ」

「依夜が疎いのを見越して単純な隠し方にしたのが運の尽きだったわね。今時の神薙はパソコンにも強くなきゃやってらんないのよ」


 式神が少々うろたえた風になるのを見て、香夜はようやく溜飲を下げたのだった。



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