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神薙少女は普通でいたい  作者: 道草家守
第三章

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その妖、祓うべからず


 牛鬼(ぎゅうき)はわたしを無造作につかんだまま、姉を愉快気に見下ろした。 


『ほう、ほう。儂のことを知る者がまだおったか。名もとどろいておったと見える』

「あんたはずっと昔に隠世へ封じられていたはずでしょう!? 何で生きて外に出てきているのよ!!」


 牛鬼は退魔師が所有する妖の図録になら必ず乗っている、有名な妖だ。


 性質は執念深く、きわめて残忍で、村を襲っては人や家畜を喰い、楽しむためだけに嬲り殺すことを繰り返し、数々の悪行を積み重ねた。

 その荒々しさと残虐さを恐れ、かつて神とあがめられていたこともある大妖怪だった。


 だけど一番重要なのは「殺した者が、次の牛鬼になる」という呪いだ。


 なんとか退治しても、その呪いのせいで逃れようもなく牛鬼となり果て、何人もの犠牲者が出た。


 数百年前に、呪いを受けないよう、複数の家の術者が協力して厳重に封じたと記録されている。


 その封印がほどかれたなんて、尋常なことじゃなかった。


『かようなこと、どうでもよかろう。それよりも……』


 姉の問いを一蹴した牛鬼がわずかばかり気をそらした瞬間、日向が牙をむいて襲いかかった。


 だけど、牛鬼がはいた毒霧にひるんだとたん、ふるわれた鉤爪をまともに食らって吹き飛ばされる。


 それと同時に死角から一気に飛び上がった姉が、牛鬼に――正確にはわたしを捕らえる左腕に肉薄した。


 白蓮を左腕に振り抜こうとした姉だったけど、狡猾な牛鬼は腕をわたしが太刀筋に重なるように動かした。


 唇をかみしめた姉が見開いた瞳と邂逅する。


 刹那、姉は体をひねることで無理矢理太刀筋を変え、わたしの目の前を鋭い切っ先が通り過ぎていく。


 無防備に地面に落ちていくだけの姉に向かって、牛鬼は毒霧をはいた。

 姉が毒霧に包まれるのに、わたしは悲鳴を上げるしかなかった。


「お姉ちゃん!」


 牛鬼はさも愉快げに笑ってわたしに話しかけてきた。


『おう、おう危なかったのう。姉御に殺されるところだったなあ』


 よどんだ色をした毒霧が晴れると、札で結界を張って逃れていた姉が険しい表情で白蓮を構えていて、わたしは一瞬ほっとする。


「依夜を返しなさい!」


 悔しげな姉を、わたしを盾にした牛鬼はさも楽しそうに顔をゆがめる。


『どうやらなまなかな術者ではないようだ。はしたな子分であったが、これは当たりを引き当てたようだの。真の実力を示さぬのは、未だに余裕があるのか』

「なんのこと」

『そのように強き霊力を持つ娘ごが早々おるはずはない。おんしが神薙少女であろう』


 牛鬼の言葉にわたしと姉は目を見開いた。

 でもきっと、理由は違う。


 姉が神薙少女に間違われている?


「はあ!?」


 当然予想外の姉は驚きの声を上げたけど、牛鬼は別の意味にとったらしかった。


『ふむ認めるつもりはないか、まあよい。生きがよい術者は儂の好むところだが、ちいと生きがよすぎるのう。ならば、』


 ぶつぶつ言った牛鬼がいきなり一つ大きく吼えると、なにもない空間に亀裂が走った。


『我が卑しき子分ども、先に報酬をくれてやろう!』


 その亀裂から、はらはらとこぼれる小さな粒に、わたしは総毛立った。


 あたりは暗いので不確かだけど、このおぞましい気配は、田の神に感じたあの黒玉のものだった。

 森の木々に隠れていた妖たちは、歓喜の声を上げて群がる。


「なに……っ!?」


 姉もあれの尋常でなさを感じているのだろう、いぶかしそうにした瞬間、群がった妖たちの間から瘴気があふれ出したことで絶句した。


「何で禍霊になってるの!?」


 体から瘴気を立ち上らせる、今や禍霊となった妖たちに動揺する姉に、牛鬼は愉悦に満ちた笑みを浮かべながら言う。


『儂の子分どもが、禍霊となってまでぬしに礼を申したいようだ。受けてもらおうぞ』

「くっ……!」


 その言葉と共に、憎悪を宿した禍霊達が一斉に襲いかかってきた。

 姉は混乱しながらも、すぐに白蓮を構えて声をかける。


「日向、大丈夫!?」

「当たり前だろっ」


 山犬の日向は身を起こすと、咆哮をあげて禍霊の群へつっこんでいった。

 姉も呪符を一気に操作し、襲いかかってくる禍霊へ白蓮をふるう。


 たちまち乱戦になったけど、姉の動きはさっきより明らかに精彩を欠いていた。


 理由はわたしだ。わたしが捕まっているからだ。


 姉は自分だけでも余裕がないのに、わたしを気にして何とか助けようと機会をうかがっている。


「お姉ちゃんっ!」


 それでも姉によって、禍霊が一体二体と倒されていったけど、牛鬼は動こうとしなかった。

 わたしを人質にしているかぎり、姉が手を出せないことをわかっているからだ。


 牛鬼は妖たちのことを子分といっていたけど、こんな、禍霊に変えてしまうくらいだから、脅して従えさせたただの駒なのだろう。



 牛鬼の嗜虐に満ちた表情を見れば、姉を少しずつ消耗させて楽しんでいるのは嫌なほどよくわかってしまった。


 わたしがどうにかして牛鬼から逃れなきゃいけない。


 なんとか抜け出そうともがいたけど、牛鬼の鉤爪はびくともしなかった。


 そんな抵抗なんて歯牙にもかけず、牛鬼は愉悦によどんだ瞳でわたしをのぞき込んできた。


『ほうほう。ずいぶん大事にされておるようだな。妹御。そのせいで立派な足手まといだ』

「……っ! 卑怯者!」

『かかか、この儂を卑怯というか。おんしが抵抗もできぬ弱者であるのが悪かろう』


 とっさに叫んだその言葉も、牛鬼の言葉に胸がえぐられたような心地になって二の句が継げなかった。


『そもそも、おんしは儂らが見えるだけで儂等を退ける才もないようだのう。かように姉御は優秀であるのに、何とも出来損ないだ。それでいてかようにうまそうなにおいを垂れ流しておるとは、儂ら妖に喰ろうてくれというておるようなもんじゃ』


 そうだ、全部わたしが弱いからだ。


 姉に守られてばかり居るのも。

 牛鬼に簡単に捕まって、姉の足手まといになっているのも。


 妖に抵抗できる力がないわたしさえいなければ、姉はもっと楽に戦えていたはずだ。

 牛鬼にだって負けないはず。


 結局わたしは何にもできない。誰かを頼って助けられるのを待つだけだ。


 悔しい、悔しい、悔しい!


 自分の無力さに涙がにじんだけど、牛鬼を喜ばせるだけだ。


 だめだ。泣くな、もっと考えろ。


 わたしが人質じゃなくなれば、姉はちょっとでも楽になるんだ。


 唯一光明があるとすればナギだけど、依代(よりしろ)の鈴は封印具の中だ。

 さすがのナギでも結衣の封印具を破るには時間がかかるだろう。


 ほどけるはずの姉も、封じをほどく余裕もなく妖が襲いかかってきているから無理だ。

 ナギの助けは望めない。


 けどはっと思い出す。


 そうだ、両腕は自由だ。柏手さえ打てば、あのハリセンが呼び出せる!


 たとえ見た目はハリセンでも、ナギは霊力のこもった呪具だといっていた。

 禍霊だけでなく、妖にもダメージを与えられる、って。

 牛鬼にどれだけ利くかわからないけど、少しでも意表を突ければ抜け出せるかもしれない!


 わたしは鉤爪の中で両手を打とうと構えかけたけど、気づいてしまう。


 ハリセンは神薙少女の特徴の一つになっている。

 もし、今ここで出せば、姉にわたしが神薙少女とばれてしまうかもしれない。

 いや、でも姉が神薙少女に間違われてしまっているのだ。その間違いは正さなきゃいけない。


 でも、牛鬼にわたしが神薙少女だと気づかれたら……

 

 そのためらいが、致命的だった。


『ふむ、まだ正体を現さぬか。ならば』


 牛鬼はわたしを捕らえる腕が大きく振り上げた。

 ぐんと体に圧力がかかり、首がしなって痛みを感じる。


『子分どもよ、この娘を好きにせい』


 その言葉と共に、三本指の鉤爪があっけなく開かれ、支えるものがなくなったわたしは、地面に向かって落ちていった。

 内臓が浮くような浮遊感の中、すべてがゆっくりに感じられた。


 とっさに今まで囚われていた鉤爪へと手を伸びたけど、手の指先を切っただけで空を切る。


「依夜おおおぉぉ!!」


 視界の端に、姉がなりふり構わず、必死な顔で駆け寄ってこようとするのが見えた。

 だけど、すぐ妖達に取り囲まれてしまった。


 わたしの落ちていく先には、歓喜の声を上げて手を伸ばす容貌魁偉な妖達がうごめいている。


 あそこに落ちれば、肉のいっぺんも残さず食い尽くされてしまうのだろう。

 いや、その前にこの高さから落下すれば、無事ではすまない。


 わたしは、結局。何にもできない。


 ぼろり、と両目からこぼれた涙が、空中へ残っていく。


 








 あれ、こんなこと。前にもあった?










 ろん、と鈴の音が鳴り響いた。

 









 爆発的な光の奔流が生まれ、圧倒的な霊力が大気を揺り動かす。


 唐突な異変に首を巡らせるまもなく、背中に妖の腕が伸びるのを感じて。



 ふうわりと清涼な香りに包まれた。



 気が付けば、大きな腕にすっぽりと包まれ、暗い色合いの着物が頬に押しつけられていた。


「ぬしよ、遅うなった」


 深く寂のように美しい声に、わたしは衿元を握りしめることで応じた。


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