水守の式神姫
「お姉ちゃん!」
わたしが思わず叫ぶと、姉が指に挟んだ術符を投げうった。
舞った術符は地に落ちることなく、ひとりでに空を滑ると、わたしたちを包むように不可視の結界が現れる。
間を空けずぶつかった妖怪たちは、じゅっと焼けただれるような音とともに耳障りな悲鳴をあげた。
その光景には目もくれず、姉は袖から二枚式符を取り出して息を吹きかければ、それぞれにぽうっと光がともり、二つの人型が形作られる。
そうして現れた一人は日向で、もう一人は腕が翼になったきれいな女性の姿をした式神だった。
「薄墨、私の妹をよろしく」
こくりとうなずいた薄墨はわたしにしがみつけと身振りで示してきて、その通りにすれば、翼を一つ二つと羽ばたき、空中に浮く。
ぐんぐん地上が離れていく中、薄墨にしがみつきながら見下ろした姉は、安心してとでもいうようににっかり笑うと、ずっとうずうずしていた日向を振り返った。
「さあ日向、めいいっぱい暴れてきなさい!」
「おうっ!」
獰猛に返事をした日向が、その場でくるんとトンボを切った瞬間、その姿は見上げるように巨大な山犬に変わる。
日向は魍魎の群へつっこんでいき、それを見送った姉がさらに札を取り出すや否や結界が壊れた。
どっと押し寄せてきた妖怪たちだが、姉が両手をふるえば一斉に札が飛び回り、その中の一体にふれたとたん霊圧が膨れ上がり、周囲を巻き込んで爆発した。
その爆発に巻き込まれなかった者も、日向の突進に蹴散らされ、爪に切り裂かれ、牙にかかってかみ殺されていく。
空中に逃れたわたしと薄墨に迫ってこようとした妖も、姉が新たになげうった呪符によって消滅した。
太い樹のてっぺんにおろしてくれた薄墨に礼を言ったわたしは、眼下で繰り広げられる姉の鮮やかな戦いぶりに見入った。
姉がすごいのは、苦手な術がないということだ。
遠見も、体内の気を操作する身体強化も、呪具使いも、結界術も、符術も、退魔に必要な術式はすべて使える。
その中でも得意なのが、式神召喚だった。
式神を自分の霊力で創るのは、自分の一部を削っているようなものだから、多かれ少なかれ術者に負担がかかる。
さらに、己の霊力で作った式でも、複数を同時に操るのはそれだけ多くの精神力と集中力が必要で、普通の術者なら一度に数体操るのが限度だった。
なのに姉は、そのたぐいまれな精神力で扱う符すべてを式神として自由に操り、さらには日向や薄墨のような自分で契約をした妖たちまで式神として使っているのだ。
妖や神霊と契約をして、自分の式神とするのはとても難しい。
だって何よりも気ままで、自由を尊ぶ妖たちだ。
人間の言うことを聞こうと思う奴の方が少ないし、強い妖や神霊なんて言わずもがなだ。
だから、普通なら自分よりも弱い妖を屈服させたり、強い妖ならば口八丁や契約で縛って式神にする。
その経緯があるから、運良く強い妖を式神にできたとしても、百パーセントの力を引き出すことはできないのだ。
だけど姉の式神になった妖や霊は姉を慕ったり気に入ったりして、自ら式神になることを望んだモノばかりだ。
昔から姉に守られてきたわたしはよく知っている。
式神と姉の結びつきは、ほかの術者とのそれと比較にならない。
自ら生み出した式神と、強い式神たちの連携は比類なく、”式神姫”の異名はそんな姉の式神術に畏敬をもって自然と呼ばれるようになったのだった。
姉は再び式神符を一枚取り出して中に放り投げる。
「白蓮、手伝って!」
式神符を挟んだ柏手から、霊力が光となってこぼれだし、放した両手の平の間から一振りの刀が現れる。
付喪神である刀を呼び寄せた姉は、すぐさま鞘から刀身を抜き払い、襲いかかってこようとした妖をなで切りにした。
わたしのほうへ襲いかかってこようとした妖も、薄墨が巻き起こした烈風で散っていった。
炸裂符を使いながら日向と連携して刀を振る姉の戦いぶりは、思わず見入ってしまいそうなほど鮮やかで、危なげがない。
何度も何度も妖や禍霊たちと渡り合い、死線をくぐり抜けてきたのだと、改めて感じさせた。
やっぱり姉はすごい。すごくて、わたしはやっぱり守られてばかりだ。
煙のように霧散する妖達の断末魔に、わたしはおびえかけるのをぎゅっと拳を握って耐えた。
相手は悪道に堕ちている妖で、わたしたちは殺されかけているんだから、容赦する必要はない。
姉はわたしを守るために戦ってくれている。それなら目を逸らしちゃだめだ。
やがてはじめの頃にいた妖の数は半分になり、姉の実力が飲み込めてきた妖たちの動きが鈍くなりはじめた。
「あら、もう怖じ気づいたの? 改心して、私が聞きたいことをしゃべってくれるんなら、命だけは助けてあげるけど」
とんと、刀を肩に担いだ姉が言えば、妖たちは、意外にも一斉に飛びかかってこようとした。
ちょっと驚いた顔をした姉だったけど、妖との間に日向が割り込んできて、口から炎を吐き出し燃やし尽くした。
その熱で大気が激しく動き、熱された風がこちらまで伝わってきた。
やがてその熱がやむと、妖どもの姿は数えるほどしかいなくなり、残った妖たちは我先にと逃げ出し始めた。
姉は、その業火から命からがら逃げ出した虫化けの妖に素早く近くと、その顔に切っ先を突きつけた。
「さあ、滅されたくなかったら答えなさい。どうして私たちを襲ったの?」
『ギ……』
さすがにこの距離からだと虫化けの顔までは見えないけど、相当焦っているのは何となくわかった。
それでも姉の背後に鎮座する日向が牙をむいてうなれば、せききったように話し始めた。
『言ワレタ。強イ、美味シソウナ人間、探セ』
「へえ、強ければ誰でもよかったわけ?」
『違ウ、神薙少女、探シテコイ』
危険がなくなったと判断したらしい薄墨が地上へ降ろしてくれる中で、その単語が耳に飛び込んできたわたしは、ゆっと息をのんだ。
妖怪に神薙少女を探されてる?
姉も驚いたのか目を見開いていた。
「……なんですって?」
『見ツケタラ、ゴ褒美貰エル。ココラノ妖、ミンナ探ス』
「なにが貰えるの」
『強クナレル玉。チカラ、詰マッタ。黒イ玉』
「強くなれる玉?」
首を傾げる姉だったが、わたしにはそれがなにを示すのかすぐに思いいたった。
田の神や魔風を、禍神や禍霊にした瘴気の玉だ。
あんなものをばらまこうとしている誰かが居るのは、信じたくはないけれど、その誰かが神薙少女のことを探しているのなら、他人事じゃない。
「あんた達に命令したのは、その強くなれる玉とやらをくれるのは誰」
『ソレ、ハ』
わたしはもっと近くで聞こうと姉の元へ駆け寄ろうとした。
ぞぶりと近づく膨大な妖気。
粘つくようなまがまがしい気配に、全身に鳥肌が立って思わず振り向く。
『ほうほう、にわかに焚きつけた雑魚どもだが、ここまで使えぬとはのう』
音もなく背後に迫っていたのは、見上げるような黒い巨体だった。
異変を察知した薄墨がその翼で真空の刃を生み出すけど、呼気によって打ち払われ、三本指の鉤爪に薙払われた。
木の葉のように吹き飛ばされた薄墨は、途中で淡い光の粒子に変わり、式神符に戻った。
「薄墨さ……っ!」
次の瞬間、ぬうっと三本指の鉤爪がわたしにもせまる。
逃げるまもなく、全身を鷲掴みにされて体が浮いた。
「依夜っ!」
無造作に振り回されたことで、全身に圧力がかかって骨がきしんだ。
力を込められて、息が苦しい中でも、姉の声が聞こえて何とか目を開く。
そうして、上からこちらを見上げる姉の必死な顔が眼下に見えると同時に自分がなににとらわれているのかを知った。
『ふむ、確かにうまそうな娘だのう。これは当たりだったか』
周辺の木々に負けないほど巨大な、毛むくじゃらの獣だった。
黄色と黒の縞模様の毛並みをした胴体に、三本指の鉤爪を持ち、その巨躯にふさわしい大きな頭にはねじくれた二本角が生えている。
禍々しい醜悪な顔は猿に似て、口が耳まで裂け、そこから鋭い牙がずらりとのぞいていた。
「牛鬼……!」
姉が忌々しげに口にしたその単語に、その妖怪――牛鬼はずらり並ぶ牙をむいて笑った。




