お姉ちゃんはごまかせる?
思わず閉めてしまったけど、どっと押し寄せてくる後悔と疑問で頭の中は大混乱だ。
え、何でお姉ちゃんこっち来てるの、ていうかなんで家の中にいるのってそういえば合い鍵渡してた、でもついこの間まで東北の方へ遠征に行っててしばらく帰れないって言ってたのに!?
ともかく今一番会いたくて会いたくない人がいきなり目の前に現れてしまったのだ。
全身から冷や汗が吹き出すのを感じつつ頭を抱えていると、ナギが場違いなまでにのほほんと言った。
「ぬしよ、ちいと落ち着けい」
「これが落ち着いていられるか!」
声を抑えつつも全力で抗議した。
誰のせいでこんなに悩んでいると思っているのだ!
一番の問題は水守から憑いてきちゃったこの式神についてなのだ。
見た目成人男性プラス変態な式神と一緒に暮らしてます、なんて言ったらどうなるかわからない。
「依夜ーどうしたのー? お姉ちゃんだよーほんものだよー妖怪じゃないよー」
そういえば姉の声をまねた妖に騙されたこともあったなあ。
わたしが妖怪と疑ってると推察するのはお姉ちゃんっぽい。
なんてのをしみじみ思い出している場合じゃなかった。
とにかくナギのことは隠し通さねばならない。
ていうかただでさえ忙しいのにお姉ちゃんに心配かけたくない!!
姉がドアノブをがちゃがちゃいわせる音を聞きながら、わたしは高速でナギの首根っこをひっつかんで、鞄の中に突っ込みファスナーを閉める。
「ふぎゅっ」
「ナギ、絶対出てくるんじゃないわよ。特になにがあっても人型では絶対に!!」
妙な悲鳴が聞こえるのもかまわずドスを利かせて言い聞かせれば、その一連の動作が終わるか否かのところで、どんと扉に押されてしりもちを付く。
「わ、ごめん。そんなに近くにいるとは思わなかった。大丈夫?」
「だい、大丈夫……」
冷や汗を感じながら、全力で平静を保ちつつ。
それでもこれだけはいわねばと、わたしは心配そうにする姉を見上げた。
「おかえり、お姉ちゃん」
「ん、ただいま!」
姉がうれしそうにはにかむのを見て、自然と顔がほころんだ。
*
「やー、すっかり高校生だねえ」
靴を脱いで家に上がったとたん、姉にはまじまじ見られて、わたしは思わず照れた。
「な、なにを急にいうの」
「だって、仕事のせいで入学式にも出られなかったんだよ? 今が依夜の制服姿を拝むのは初めてなんだもん」
今日の姉の服装は、白い上着と黒のエスニックっぽい柄のゆったりとしたワイドパンツだ。
その上から着物の羽織をひっかけているのだけど、それが不思議としっくりきて、都会のおしゃれなお姉さんって感じなのだけど、それ以上に落ち着いた雰囲気がある。
8歳も離れているから、両親の記憶が薄いわたしにとって姉は親みたいなものなわけで、こんな風に見られると無性に気恥ずかしい。
「ああもうかわいいなあ。ね、ちょっとくるっと回ってみてよ」
「お、お茶入れるからっ」
期待のまなざしから逃げるために、鞄を机においた私はいそいそとキッチンに向かおうとしたのだけど、その前に姉が懐から札を取り出した。
「それならまかせて」
すっと、姉の霊力が高まったか思うと、札――式神符にぽうっと光がともる。
その手から独りでに離れると、そこには小学校高学年ぐらいの男の子がいた。
姉の式神、日向だ。
「ったく、またこの姿で呼び出したのか」
あちこち飛び跳ねた白髪にだいだい色の水干に身を包んだ日向が不満そうなのを気にした風もなく、姉はにっこり笑って言った。
「日向、私と依夜の分のお茶を淹れてちょうだい。あなたの淹れるお茶はおいしいから」
「っ……しょうがねえな」
日向はちょっとそっぽを向いて一つ息をもらすと、その少しつり上がり気味の瞳でぎんっと睨んできた。
「おい妹、茶葉と湯飲みはどこだ」
「え、えと、お茶の葉はそのつり戸棚の中で、お姉ちゃん用の湯飲みは同じところに」
「こら、日向。そんな言い方はだめって言ってるじゃない」
姉にとがめられても日向は反省した風もなく、無言でちょっと浮いてつり戸棚を開けてお茶の準備をし始めた。
これくらいは挨拶代わりだ。
日向は姉とつきあいが長い式神だから、わたしとも顔見知りだけど、顔を合わせてからずっと風あたりが強い。
その理由はわかってる。
日向は才能のないわたしが姉の妹というのが気にくわないんだ。
「全くもう。日向ってば素直じゃないんだから。ごめんね」
「いいよ、わかってるし」
「そういう意味じゃ、ないんだけどなあ」
そう言えば、姉は申し訳なさそうな苦い顔になった。
けどこの話題はさんざん言い尽くされたことだから、すぐに切り替えたらしい。
「さあて依夜、こっち座って」
ちょいちょいと手招きされて、わたしが制服のスカートを払って正座をすれば、姉はしかめつらしい表情になる。
「依夜、お姉ちゃんは怒ってます」
「は、はい」
改まった姉の言葉に、わたしは思わず居住まいを正す。
気になるのは視界に入る通学鞄だ。
姉は気にするそぶりもなかったけど、や、やっぱりばれた? みつかった?
「どうして一昨日が体育祭だって教えてくれなかったの!」
「ふへ?」
体育祭?
思わぬ話題にぽかーんとしている間にも姉は心底悲しそうに続けた。
「だってお仕事で入学式にも行けなかったから、体育祭とか文化祭はきちんと見に行こうって思ってたんだよ。そのために秋に休みがとれるように今からお仕事詰めてたのに、体育祭が五月だったなんて! しかもおととい! おととい!」
「ご、ごめん。お姉ちゃん、いつこっちに帰ってきてたの?」
盛大に嘆く姉に恐る恐る聞いてみれば、恨めしげに見られた。
「……昨日」
どちらにせよ、来ることができなかったのが悔しいの、かな。
「やっと事件が片づいてさあ。神隠しで戻ってきたお嬢さんのお礼ってことで引き留められて一日伸びちゃったの。でも体育祭だって知ってたら打ち上げとか全部ぶっちぎって帰ってきたよう」
「お礼ならしょうがないし、依頼人さんにそれだけ感謝されたんでしょう?」
「それでもさあ」
姉は中学生の時にはすでに神薙として大人に混じって活躍していて、今は水守を背負って警察庁に出向して全国の怪異事件を解決して回っていることもあって、年齢よりもずっと落ち着いて見られるみたいだ。
実際に水守の人間に囲まれているときのお姉ちゃんはとても凛々しいのだけど、わたしにとってはぶうぶうと唇をとがらせる今の方がお姉ちゃんっぽい。
でもいつもならお仕事の区切りがついたらスマホにメッセージが届くのに、今回はなかったような?
「お姉ちゃん何で急にこっちに来てくれたの? 連絡を入れていってくれればいろいろ……」
「あ、ということはスマホやっぱり見てなかったんだね。メッセ入れたんだよ」
「きょ、今日は途中で充電が切れちゃって」
「だろうと思った」
姉の生温かい視線にちょっと顔を赤らめつつ、いそいそと鞄の外ポケットに入れていたスマホをとって充電器につなぐ。
ナギが入っているはずの鞄は静かだ。
ちゃんと見つからないように静かにしてくれているらしいとほっとして、姉から着ていたメッセージを開いたのだけど。
「『姉、仕事片付ケリ』ってこれじゃあいつ帰ってくるかわかんないよ?」
「見ていても見ていなくても、依夜を驚かせよーと思ってね。驚いた?」
「驚いたなんてものじゃないよ……心臓止まるかと思った」
「そっか! じゃあ成功だね」
悠々と長い足を伸ばしてくつろぐ姉の得意げな顔に苦笑いを返していると、ふわりと水干の袖を揺らしながら、日向が戻ってきた。
「茶が入ったぜ」
「ん、ありがと日向。そのままそこに座っていてちょうだい」
「はあ?……まあ、香夜が言うんなら、居るけどよ」
ことりとそれぞれの前に湯飲みをおいた日向は、ちょっと驚いた顔をしつつもおとなしく姉の背後に控えた。
そのまま不機嫌そうにわたしを睨んでくるのに居心地の悪さを感じながらも、わたしも姉の指示にちょっと違和感を持つ。
でも姉用の小ぶりの湯飲みでお茶をすすった姉は平然としていて、気のせいかと思いなおした。
「ねえ、お姉ちゃん。今回のお仕事どうだった?」
「んー。ぼちぼちかなあ。結局解決には至らなかったし」
「そうだったの」
言葉を濁した姉にそれ以上深く聞くのはやめた。
姉が携わっている仕事は刑事事件に関わることも少なからずあるので、仕事についてそこそこ気楽に話してくれるけど、それでもすでに終わったことだけだ。
言葉を濁したと言うことはわたしが聞かない方がいいことなのだろうと思う。
「まあね。あ、依夜は知ってるかな? 最近女の子の間で流行ってるアプリがあるらしいんだけど。お悩み相談室、みたいなの」
「……ごめん、アプリはぜんぜんわかんない」
ナギや弓子に教えてもらって、なんかいろんなゲームとかニュースとか見られるように機能を追加できる、ってことまではわかるけど、一度もダウンロードしたり、つかったことはなかったのだ。
あ、でも最近はタイマー機能を使えている。意外と便利なのだ。
「だよねえ。それよりも依夜がちゃんとスマホを持ち歩いていたことの方が驚きだったから。それも友達の影響? と言うか友達できた?」
少し心配するような色の混じった問いかけに、わたしは少し照れくさく思いつつうなずいた。
「う、うん」
「ほんと? 聞かせて!」
ぱっとうれしそうな顔をする姉に、弓子やいつも一緒にお昼を食べる凛ちゃんや真由花ちゃんについて語りながら、心配されてたんだな、と改めて思った。
姉は都心に近い進学校に通うことは否定的だったけど、普通の学校に通うことはずっと賛成してくれていた。
わたしが水守で肩身が狭いことを理解して、かばってくれていたのも姉だったし、こうして普通の学校に通えるように協力してくれたのも姉だ。
「ふんふん、いやあよかった。依夜が学校に行くの楽しそうでさ。妖とか、悪霊とかに悪さされていないか心配だったんだけど」
「それは、まあ何とかなってる、かな……」
ナギに憑かれてからは、命の危機を感じるような妖に目を付けられたことはない。
……三妖みたいないたずら系の妖は積極的に荷担するけどね。
神薙少女については結果的にだけど、非常に不本意だけど、自分で首を突っ込んでいるわけだから、悪さをされているには入らないだろう。
たぶん、きっと。
「本当に?」
なのに姉は黒々とした瞳でじっとわたしを見つめてきて、不自然に心臓が跳ねた。
「な、なにが」
「最近、この界隈で妙な退魔師が横行しているらしいじゃない。神薙少女、とか言う」
「……っ!」
わたしは動揺を表に出さなかった自信が全くなかった。
その単語だけは絶対聞きたくなかった!
収まっていた冷や汗がまた背筋をだらだら流れていくのを感じながら、わたしは続く姉の言葉を聞くしかなかった。
「なんて言ったって依夜がいる街だから、定期的に情報が入るようにはしてたんだけど。最近になって、禍霊の出現率が妙に高くなっているみたいだから、もしかして依夜も遭遇してないか心配だったんだよ」
「そん、なことはないよ……友達が瘴気が漂っていたことがあったけど、すぐに消えちゃったし」
そこまで知っているのなら弓子のことを黙っているのはおかしいと口にすれば、姉は真顔で聞いてきた。
「もしかしてその子、神薙少女に出会ってるんじゃない?」
「……そう、だと思う。あれから、弓子ちゃん追っかけみたいなことしてるし」
姉はとても鋭い。
普通の人の嘘なら直感で見抜けるくらいだ。
お姉ちゃんに隠し事をするなら、本気でかからなきゃいけない。
慎重に言葉を選びつつあの経緯を説明すれば、姉は深くため息をついていた。
「つまり、本当に禍霊が頻繁に出没していて、その神薙少女が倒して回っているのね。そして、体育祭にも現れた、と」
「う、うん。わたしは見てないけど」
自分に会うことはできないから、間違ってはいない。
「まあ、私が後手に回っている間、依夜に危害が及ぶ前に禍霊を退治してくれていたのは感謝する面もあるんだけど」
ふうと、息をついた姉はそれでも厳しい表情を崩さずに続けた。
「あの神薙少女って子、強力な隠蔽術を使っていて、私でも顔を特定できないのよ。禍霊をたった一人で倒せる術者なら噂の一つぐらい聞いてもいいのに、つてをたどって調べた限りでは有名どころの組織も家も心当たりはないみたいなんだ」
それはそうだ。だってわたしなんだから。
「つまり、本当に正体不明なの。得体が知れないんだよ。人に目撃されるほど禍霊が出てきて、都合よく討伐する術者が現れて、しかもこんなに情報が出回ってるのに、本人は特定できないなんて怪しいにもほどがあるわ。しかもかわ……妙な衣装着て目立っているなんて! 何か裏があるに決まってる!」
裏はないけど、ごもっともです!
ていうかやっぱり妙だよね! 変だよね!
「ああもう伝承とか、霊脈にいっさい癖のない土地だったから大丈夫だと思ったのに、こんな妙なものが出てくるなんて。しかも」
わたしは「妙な衣装」発言がぐさりと胸に刺さっていたせいで、姉の突然の行動に反応ができなかった。
唐突に、姉にがばっと抱きつかれて、畳の上に押し倒される。
「わっきゃっ!!」
「おい香夜!?」
側にいた日向もびっくりした様子で腰を浮かせているのが目に入ったけど、わたしは姉の手に体をまさぐられて、くすぐったいのと訳が分からないので大パニックだ。
「お、おねぇちゃ、んっなにっ、ひ!?」
「……あった! 日向、結界!!」
「っおう!」
腰のあたりでようやく手を止めたお姉ちゃんはすぐ身を起こすと、手に持ったそれを放り投げて日向に言い放つ。
どことなく顔を赤らめていた日向だったけど、反射的にといった具合で妖力を繰り、結界を構築した。
その寸前で、バチッと拒絶するような空気の破砕音が聞こえて、日向の結界は消滅する。
そのままごとりとちゃぶ台に落ちた物が、あの銀鈴であることに気づいてひいとなった。
「ちっ、この程度でしとめられると思ってなかったけど、結界を破るなんて」
膝立ちで羽織の袖に手を突っ込んで臨戦態勢にはいった姉と日向の前で、鈴の周囲の空間が揺らいだ。
「ふむ、手荒な歓迎だのう。水守の術者よ」
すういと、銀鈴を取り巻くように現れた黒蛇ナギと、それを厳しく見下ろす姉に挟まれ、わたしは心の中で全力で悲鳴を上げたのだった。




