大掃除は勢いが大事
目の前にあるのは新旧様々な札の貼られた蔵だった。
山に抱かれるようにある水守の広大な敷地には、様々な建物が点在していて、ここもその中の一つだ。
何でこうなった、と思わなくはないけど理由は簡単。
途中で忙しく立ち回っていた巫女さんの一人に、この蔵の掃除を押しつけられたからだ。
「まったく、帰るって言ってるのにどうして頼んでくるかな。そりゃあ、わたしだって巫女服姿だったけどさあ……」
ぶつくさと言ってみるけど、白小袖に垂髪姿の巫女さんは掃除道具を押しつけるなり、嵐のように去って行ってしまっていた。
水守本家は実力社会だ。
現当主を頂上に「神薙」と呼ばれる術者。
次に、用人、巫女と呼ばれる術者を補助する者、その下に大部分の雑務に従事する使用人と来る。
大事なのは霊力で、退魔さえ出来れば、どんなに嫌な野郎でも一応は敬われるのだけど、妖が見えるだけのわたしは用人、いや用人以下なので文句は言えないのだ。
何せ見えるのがほぼ当たり前なので。
そんなの放り投げて、さっさと帰ってしまえばいいじゃないか、と思われるかもしれないけど、悲しいかな、わたしはそういう行動がとれるほど肝が太くない。
ついでに掃除を言いつけられた以上は、放っておく訳には行かない事情もあるわけで。
しょうがない、とさっさとあきらめたわたしは、新旧様々な札の貼られた重い鉄扉に手をかけた。
開けたとたん、ほこりが舞い上がり少しむせた。
空気にはカビっぽいにおいが混じっていて、長い間掃除どころか、換気もされていなかったみたいだ。
よどみきった空気の中で日の光に照らされて、大量のほこりがきらきら舞う姿にげんなりとした。
「全くこれじゃあいくら封じていても陰の気がはびこるわ。妖が引き寄せられてもしらないわよ……」
まあ、強固な結界が常に張られている水守本家だ。
こんなところに唯の妖が入ってくることはできないだろうけど、あんまりな汚部屋ぶりにちょっと心配してしまう。
陰の気は、負の感情が渦巻くところに淀み、穢れを引き起こすやっかいなものだ。
そして陰の気がよどみやすいのは埃や汚れのたまる、まさにこんな環境なわけで。
それを防ぐために日々の禊ぎ、つまり掃除が大事なのだけど、あれだけ人が居ても手の届かないところは出てくるらしい。
札や術を使って封じることで調整していたようだけど、それにしてもあんまりだ、と、わたしは蔵の中を見回した。
一人で任されるだけあって、中はそんなに広くない。
と言っても軽く家一軒分ある蔵は、天井は高く、壁際に作られた棚には中身が分からない箱や物が所狭しと詰め込まれていた。
古い家に特有の、とりあえずしまっておきましたー感の半端ないそれらは、おそらく退魔に利用する呪具のたぐいだろう。
ほぼ余所者のわたしに掃除が任されるくらいだから、それほど重要なものではないのだろうけど、これだけあれば、うっかり付喪神にすらなってもおかしくないほどの古びようだ。
こんなにめんどくさそうな掃除を任せられるなんて、自分はよほど厄介者らしいとげんなりしつつ、わたしは持参した手ぬぐい二枚で頭と口元を覆って、白い小袖にたすき掛けをした。
「じゃあ、さっさと終わらせますか」
終わらせなければ、帰れないのだし。
すっと作法通りに一礼をしたわたしは、戦場へと身を投じたのだった。
天井近くにある窓を竿を使って開け、新鮮な空気を通す。
後ははたきと箒で埃を追い出し、床や棚を堅く絞った雑巾で水拭きするだけだ。
だけど、それをやるためには雑多に転がるモノをどうにかしなきゃいけないわけで、初めは辟易しながらも適当にやっていたのだけど、だんだん腹が立ってきた。
「別にわたしが汚したわけでも散らかしたわけでもないのに片づけなきゃいけないかな。というか、何で、こんなに、ものが多いのよ!」
整理しろと言われたわけではないけれど、あんまりな無造作さに物が憐れに思えてくる。
とにかく見られる程度に片づけていくと、持ち上げた箱の一つからはらりと紙が一枚落ちてきた。
和紙っぽいそれを拾ってみれば、顔に一気に血が上る。
「こ、これ春画!? もしかしてこの箱の中全部!?」
今では春画も一芸術として扱われているらしいけど、もろにそういうシーンが描かれているそれはぶっちゃけ見る側の気まずさったらない。
「もう、どうしてこんなもの無造作においとくかな!?」
着乱れた男女がむ、むつみあうそれが見えない様にそーっと目を逸らしつつしまい込んで、その箱は奥の方へやった。
本当は捨てたかったけど、自分のではないのだからやるわけにはいかない。
ああああストレスたまるうう!!
その後も、なんだかわからない土器とか、草紙本とか、わたしでも懐かしいとしか言いようがないレトロなおもちゃも出てきたから、本当に物を雑多に詰め込まれていたようだ。
そんなトラップを踏みながらも、ようやく床が見え始めたところで、やっとはき掃除が出来る。
ここまで終わったところで、ただ箱や棚を拭いただけなのに、雑巾二枚がヘドロにまみれているのをどうしてくれようか。
「ていうか何でここまで放っておけるかな? 曲がりなりにも神魔調伏の水守でしょ。わたしに嫌み言う前にきちんと片づけなさい、よっ!」
現代のマンガやDVDまで出てきたもんでさらに腹が立って、恨みも込めてがんがんはたきをかけていけばもうもうと埃が舞う。だけども、口をおおう二重手ぬぐいで防備は万全だ。
この程度でひるむものか、退魔が出来ない分こういう地味スキルはしっかり修めているのだ!
「って自分で言っていて落ち込むわ……」
若干テンションが下がっている間も手は止めない。
手を止めた分だけ帰る時間が遅くなるし、止めてしまえば落ち込みに拍車がかかることを知っているからだ。
ほうきでさくさく掃いて砂埃を外に追い出し、さらに雑巾追加で板張りの床を雑巾がけしていく。
「姉さんみたいに霊力が操れればよかったけど、できないんだから仕方ないじゃない。だから出てくのよ。この家を」
その決意のままに力を込めて汚れた雑巾を洗えば、瞬く間にバケツの水が真っ黒になったから、近くにあった井戸へ、何度か水を組み直しにいった。
手押しポンプで汲み上げるタイプだったけど、それがなければ、母屋まできっかり五分ぐらいの道のりを歩かなきゃいけないところだった。
それは良かったことだし、こんなこと、ちょっとでもいいことを見つけなきゃやってられない。
よかったといえば、あれだけわたしに修行を課してきた水守の家が――祖母が、なんだかんだで普通の高校へ行くことも、わたしの一人暮らしを許してくれたこともだ。
おかげで、もう、退魔ができなくて後ろめたく思うことも、だめだなんて決めつけられることもない。
ほっとしたのだ。ありがたいのだ。
だから、からからと胸の奥を吹きすさぶようなこの感じは気のせいだ。
「……ううん。わたしは、わたしが普通でいられる場所に行くんだから。ああもうほんと清々するんだから!」
もっといいこと考えよう。例えば、高校に入学したら何をしようか、とか。
朝夕と修行に食いつぶされることがないんだから、今までできなかったこともどんどんできる。
わたしが選んだ陽南高校は都心にだってアクセス可な、都会の高校だ。
都会の高校生は、放課後には部活だけじゃなくて、カラオケ行ったりゲーセンでプリクラをとったりして遊ぶのだ。休日には渋谷とか原宿に繰り出して、スイーツ食べ放題とかウインドウショッピングとかもするらしい。
なんかすごい。よくわからないけど!
「女子高生はーすーごいぞー! わかんーないけど超素敵! 学校行ったらなにしようっ♪」
わたしはうきうきと節をつけて歌いつつ、また堅く絞った雑巾を構え、四つん這いで一気に駆け抜けたのだった。




