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神薙少女は普通でいたい  作者: 道草家守
第二章

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その災厄の名は

 


「うそ、どうして……きゃあっ!?」


 わたしが目に映る光景が信じられずに呆然としていると、田の神が身をよじって吼えた。


『ガアアァァ……!!!』


 びりびりと皮膚がふるえるその声に思わず耳をふさいだ瞬間、体が激しく振り回された。

 田の神が体を震わせたことで飛び散った黒い水を、ナギはわたしを抱えたまま次々に避けていく。

 その強い引力に耐える中、黒い水が触れた壁がすさまじい音をさせて溶けていくのが見えてぞっとした。

 黒い水の飛んでこない建物の陰に降り立ったナギは、中庭の様子をうかがいながら言った。


「なにがあったかは知らぬが、禍神(まがつがみ)に堕ちておるようだの」

「禍神って……!」


 わたしは信じられない気持ちで、今も咆哮を上げて瘴気の水をまき散らす田の神様を呆然と見た。


 人に祭られ、神となったモノは、その土地や事象を浄化する力を手に入れる。

 妖達が力業で瘴気を吹き飛ばすのとは違い、土地や司る事象限定だけど、多少の穢れならそこにいるだけで寄せ付けないようにできるのだ。


 だけどその力にも限界があるわけで。


 限度を超えた瘴気に触れたり、あるいは負の感情に呑まれ穢れてしまった神様は「禍神(まがつがみ)」に堕ち、その性質を変質させ、瘴気と穢れをまき散らす災厄となってしまうのだ。


 禍神のまき散らす瘴気の穢れは、禍霊とは比べものにならない。

 隠世からにじみ出す瘴気は大地を穢し枯らせ、人々に疫病をもたらす。

 

 今の田の神が現世へ現れれば、ショッピングモールはおろか、周辺の町を丸ごと瘴気でのみこみ、天変地異だけでなく、何人も人が死ぬような災厄を引き起こすだろう。

 穢れにくいモノである神が、一度禍神に堕ちれば生半可な術者では太刀打ちできず、多大な犠牲を払って神殺しをするか、力が及ばないなら封印するかしかない。


 たとえ「神殺し」を生業とする水守でさえ、無事ではすまない。

 だって、わたしの両親が死んだのは、禍神の討伐が原因だったのだから。


「でもだって、あんなに戦隊ヒーローの真似をして、正義の味方になるって言ってて、そんな穢れの気配も全然……」

「だが、現にあれは瘴気に呑まれておる。呑まれてしまった神は、倒すしかないの」


 淡々としたナギの言葉に、わたしは総毛立った。


 さっきまで話していた、その笑顔ですら鮮明な田の神を滅するのか。

 いや、でも、このまま放っておけば、じきに瘴気は現世にあふれ出し、人々に悪影響を及ぼす。

 何より田の神が大事に守っていたこのショッピングモールを、田の神自身の手で穢していくのを見ていられなかった。

 それに、遅かれ早かれ術者達が気づいて処理に来るだろう。


 なら、わたしが、この場で、引導をわたす?


 音を立てて体から血の気が引いていくのがわかった。


 出来るのか、神様を殺すなんて。

 霊力もない、術者でもない、借り物の力をふるうしか能のないわたしに?


 たまらなくなって、わたしは欄干に上って田の神に叫んだ。


「田の神様、目を覚ましてよ! 穢れをまき散らして大事な土地を穢すなんて、まるで悪役じゃない!! 正義の味方になるんじゃないの!?」

『グオオオォォ……!!!!』


 その虚のように暗い双眸をこちらに向けた田の神は、咆哮をあげるとわたしに向かって突っ込んできた。


 寸前で飛んで直撃は避けたものの、飛び散る瘴気の水が袖にかかる。

 何物も寄せ付けないはずのナギの浄衣が、じゅううと音を立ててわずかに溶けた。

 驚くまもなく、田の神の尾ビレが振り回されるのをまともに食らってはじかれた。


 その下は瘴気の海だ。

 尾ビレの強打に息を詰まらせつつも、とっさに体を丸める。

 だけど覚悟していた瘴気も衝撃もなく、ふんわりとした香りに包まれた。


「大事ないか」


 頭上から落とされた低い声に顔を上げれば、ナギの赤い双眸に見下ろされていた。

 どうやら途中で受け止めてくれたらしい。

 ナギが長身だから、平均より小さいわたしはすっぽりと包まれている。


「う、うん……」


 とっさに動けないで居ると、ナギの少し骨ばった手に腕をとられた。

 袖越しだけど、大きい手が柔らかくすっとなぞられたわたしは、妙に胸が騒いで、飛び上がるように離れた。

 だけど、ナギはわたしの腕をはなさない。


「な、なに!?」

「服に穴が空いてしもうたの」


 わたしの動揺など意に介さず、わずかに眉を顰めたナギは、その穴の空いた部分を指先でなぞる。

 すると指でなぞられた部分が柔らかい光を発したかと思うと、穴はきれいにふさがっていった。

 本当にこれはナギが作った物なんだな、と今更なことを思い出した。


「あ――」

「む、かわいいに勇猛さをかさねるために、破けたまま補修するというのもありだったの。これはちいと失敗した」

「――りじゃないわよバカナギ!」


 大まじめにのたまうナギから乱暴に腕を取り返した。

 せっかくお礼を言おうと思ったのに!


「さて、ぬしはここで待っておれ」


 むかむかと腹を立てていると、ナギがゆっくりと立ち上がったのをいぶかしく思う。


「どこへ行くの」

「なに、ちいとばかし禍神退治をするだけだ」


 あまりにもさりげなく言われたその言葉に、わたしは一瞬反応が遅れた。

 さっさと歩いていこうとするナギの袖を、慌てて捕まえる。


「や、ちょっとまって」

「安心せい、ぬしを守る約定は果たすでな。ぬしには毛ほども触れさせぬよ」

「何で今更そんなこと言い出すのよ。散々わたしに禍霊退治させてきたくせに!」

「これは、ちがかろう?」


 ナギのあっさりした返事に、わたしは言葉を詰まらせた。


 そう、禍神は別格なのだ。

 今まで相手にしてきた禍霊とは比べものにならない。

 本来なら、何十人もの術者が集まって、緻密に作戦を立てて準備をし、ようやく倒せるか否かという相手だ。

 式神の力を借りて、かろうじて退魔が出来るわたしなんかじゃかなうわけがない。


 でも、それはナギだって一緒だろう。

 瘴気を祓えるし、現世と隠世を自由に行き来できても、戦うところを見たことがない。

 わたしを守るという契約を果たすためなら、本来の力を使えるのかもしれないけど、禍神を相手にするなんて無謀だ。

 それに――……


 わたしのこわばった顔からなにを読みとったのか、ナギは悠然と唇の端を上げた。


「なあに、案ずることはない」


 言いながら、ナギは突っ込んだ建物から起きあがろうとしている田の神へ片手の平を向けた。

 瞬間、肌がひりつくほどの濃密な気の高まりが世界を支配する。

 禍々しいような、神々しいような強さと混沌が入り混じった力に、息を呑んだ。


「――わしは、超強い式神だからの」


 その圧倒的な圧力が、田の神へ向けて放出された。

 風圧すら作り出すそれに瘴気の海が左右に分かれ、一瞬地面がのぞく。


 空間すらゆがめるそれに、寸前で気づいたらしい田の神が身をひねったが、逃げ損ねた尾の一部が消し飛んだ。

 耳をふさぎたくなるような咆哮があたりをつんざいた。 


「ふむ、今の状態では一度で、というのは無理か。やはり直接しとめねばならぬようだの。――だからぬしよ、袖をはなしてくれぬか」


 田の神の巨体が背後でのたうち回る中、あれだけのことをしたにも関わらず、疲れた様子も見せないナギがいつもと変わらない調子で言う。


 いつの間にかへたり込んでいたわたしは、どうしたいのか分からず、ナギの着物の袖を握ったまま激しく左右に首を振った。

 言いたいことが山ほどあるはずなのに、全く声に出てこない。


 なんだ、あれ。制限されているんじゃなかったの。あんな神様みたいな圧倒的な力をなんでただの式神が持っているの? 

 見れば、自分の手が震えていた。


 なにが怖いんだろう。

 瘴気の海に囲まれていること? すぐ傍に禍神がいる絶体絶命の状況? 初めてかいま見たナギの力?


 ううん、ちがう。

 ナギが、当たり前のように他の者を傷つける、殺すことができるという、わかっていたはずのことを再認識してしまったからだ。


「ぬしよ。怖いのなら目をつむっておれ、さほどかからずに終わるでな」


 それがわかったのか、ナギの低い寂のような声は甘いほどやさしくて、胸の奥がぎゅうっと引き絞られた。


 怖いと思ってしまったことをとがめずに、これから起きることを見なかった振りをして良いと許してくれる。その毒のような優しさに、何も考えず全てをゆだねてしまいたくなる。

 この袖を離せば簡単だ。離すだけで、ナギは全部解決してくれる。


 なのに、わたしは震える指にさらに力を込めてナギの袖を握りしめていた。


「離したら、ナギは田の神を殺しに行くんでしょ」

「ぬしを守る、という約定を果たす必要があるからの」

「……嫌、なの」


 かすれるほど小さな声で言えば、ナギは赤の双眸で不思議そうに見下ろしてきた。


「人も、妖も、神様だって生きてるんだよ。仕方がないことでも、ナギにとっては特別な事じゃなくても、わたしはナギが殺すのを見たくない。なにかが死ぬのを、見たくないの」 


 あんな力を操れるナギなら本当に、わたしに瘴気すら近づけずに、田の神を倒すことが出来るのだろう。

 だけど、短い間でも、あんなに通じ合っているように見えたのに、ほんの数十分で殺し合わなきゃいけないのがたまらなく嫌で、それが当たり前のようにできるナギを見たくなかったのだ。


「とは言うもののなあ。ほかにぬしを守る方法もないしのう」


 困った顔をするナギに、頭をあやすようになでられた。

 髪を柔らかく梳いていく感触が、わかってくれと言われているようで居たたまれなくなった。


 わたしが場違いなことを言っているのもわかってる。

 それなのにナギの、怒らずにあきらめるまで待ってくれている優しさが情けなくて、無力な自分が痛いほど悔しかった。

 何でもいい、なにかないの、このまんまじゃ嫌だよ。


 辺りを見回して、いまさら気づく。


 わたしたちがいるのは、田の神の祠だった。

 古びた祠と、朱の落ち着いた鳥居の周りだけ清浄ささえ感じる空気で満たされていて、鳥居の向こうで瘴気の黒がよどんでいるのが見えた。

 明らかにこの周囲だけ瘴気から隔離されている。


「ねえ、瘴気が来ないけど、ナギが結界を張ったの?」

「いいや、わしはなにもしておらぬ。ぬしを抱えて飛び込んだときからこうであったよ」

「じゃあ、何で」


 言ってから、わたしはその可能性に思い至った。ほんのわずかな、砂粒のような光明。


「もしかして、田の神様はまだ禍神に堕ちきってない?」


 ここは田の神の祠だ。

 完全に瘴気に呑まれ、禍神に堕ちたのであれば、祠は真っ先に穢れて、瘴気のあふれる場になっているはずだ。


「堕ちきっておらんかったとして何かあるかの」


 あきらめろ、といわれているのはわかっている。

 それが簡単だと理解もしている。


 でも、わたしには一つあるじゃないか。唯一出来る、ばかげた方法が。


「田の神様を、正気に戻す」


 赤の双眸が、大きく見開かれた。





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