パープルって何!?
わたしが理不尽さと無力感に打ちひしがれながらしゃがみ込んでいると、田の神がヒレを顔に当てて考え込む仕草を見せた。
「ふむ、新たな女幹部なれば、ヒーローとしても新たな境地を目指してもかまわぬのか。……美しき女幹部と共に真の悪に立ち向かう。良いのではないか良いのではないか!」
髭を激しく揺らめかせていた田の神がふいにヒレをわたしに向けると、すっと、自分の体が軽くなる。
服と髪が乾いたのだ、と気づいた時にはその水分は空中でボール状になっていた。
田の神はそれを明後日の方へ放り投げると、びしい!とヒレをわたし達に突きつけてきた。
「よおし、悪の女幹部とその式神よ。そなたらを我の仲間と認めよう!」
「は?」
「うむ、カラーはそなたがぱーぷる、我が盟友はぶらっくがよかろう。我が赤でちいと釣り合いは悪いがかまわん。共にヘドロどもからしょっぴんぐもーるを守ろうではないか!」
めちゃくちゃ悦に入っている田の神に、なに言ってるんだろうこいつと思った。
というかナギが盟友に格上げされてるし……。
だけど「ヘドロども」という単語にはっと本題を思い出した。
「もしかして、そのヘドロどもが瘴気の原因?」
「そうだ。秩序を保っておった我が知行地に、あのヘドロどもがやってきおって、モール内を侵略し始めたのだ!!」
田の神は悔しげにびたん、と噴水の縁をヒレで叩いた。
「我はこのモールを隔離、知行地を守らんと戦ったが、この祠と広場以外はきゃつらに侵略されてもうた。最盛期の我であれば、あのような雑魚の進入など許さなかったというのに……」
その言葉になるほどと思った。
田の神の祠があって守っていたから、この広場だけ瘴気がなくて、現世にも瘴気が漏れていなかったのだ。顔をしかめていた田の神だったけど、一転して気力に満ちた表情になる。
「だが、おぬし達がいれば百人力だ! これであのヘドロどもに目に物を食わせてやるぞい! さあ、ぱーぷる、ぶらっくよ共に戦おうぞ!」
「え、いや、ええと……」
何でそういうことになってるの!?
ちっちゃな目玉にめらめらと炎を燃やす田の神に迫られて腰が引ける。
ぞわりと背筋をはい上る悪寒。
「くうっ、きゃつらが来おったか!」
忌々しげな田の神の声にショッピングモールの方を振り返れば、地面からあふれ出す黒いもの。
水よりも粘度が高く波打つそれは、ゆっくりと盛り上がると、いくつものいびつな人型になった。
『ヨコ……セ……、田ヲ……ヨコ……セ……』
そして、きしむような耳障りな声を発しながら、体を引きずるようにしてこちらに向かって進んできたのだ。
つるりと頭に目玉が一つ。そして指が三本だけついた両腕をさまよわせる人型の全身からは濃い瘴気が漂っていた。
奴らが通った後には黒い泥の筋が残り、大地に瘴気をしみこませて穢れさせていく。
「こいつが瘴気の元凶!?」
「いかにも、泥田坊から落ちた禍霊だ! まったく、すでにあやつらの田畑はないと言うのに、誰かが無理やり目覚めさせてこのざまよ!」
苦々しげに言った田の神がヒレを一閃すれば、噴水池から大量の水が浮かび上がった。
「流水刃破っ。ゆけ、穢れどもを一掃せよ!」
田の神の号令に応えるように生み出された水流が泥田坊達に襲いかかった。
水流に貫かれた泥人形は片っ端から体をくずして泥に戻っていく。
だけど、その後からも次々に泥から人型が起き上がり、行軍を開始する。
『ヨ……コセ、田ヲ……田ヲ……』
同じことしか言わず、ただひたすらこちらに向かって歩いてくるだけの泥田坊の集団は、ゾンビ映画みたいで不気味だ。
泥田坊達が歩くそばに生えていた草木は、しゅうしゅうと音を立ててしおれていく。
さわったらただではすまなそうな感じだった。
これを田の神はずっと相手にしていたのか。
田の神は一つ舌打ちをすると、水で作った竜を自分の手元に戻す。
泥で濁った水の縄は、戻ってきたとたんに形を崩して地面に広がった。
「くう、やつらの泥で穢れた水は捨てねばならぬのが痛い。無尽蔵にあるわけではないのに、こやつらはいくらでも湧きおってきりがない!」
「ほかに本体みたいなのがいるってこと?」
「うむ、こやつらを倒しても手応えはとんと感じぬゆえ親玉がいるに違いないが、我はこの場から離れられん。だが、この場さえ守れば負けはせぬ! さあ、ぱーぷるよ、あの凶暴なハリセンさばきで蹴散らしてくれ!」
一言多い田の神にいらっときている間にも、泥田坊達はじりじりと包囲網を狭めてくる。
「どうする、ぬしよ」
「そんなの……!」
わりと絶体絶命の状態にも関わらず、ナギにのんきに問いかけられたわたしは、田の神が取りこぼした泥田坊の群に向かって走りつつ答えた。
「加勢するに決まっているでしょ!!」
田の神はまだ戦意を失っていないし元気だけど、ここを守れば大丈夫という言葉は、もうここしか守れないほど、田の神は劣勢になっているということでもあるのだ。
妖怪上がりの神様だから、土地を奪われてもきっと消滅するわけじゃない。
土地を捨てて逃げ出したっていいだろうに、この神様は誰にも省みられなくても、踏みとどまって守っていたのだ。
だいぶ正義感がおかしいし、スケベだし、話聞かないヒーロー厨だけど。土地を、人を守ろうとしてくれていた神様だ。
それに少しでも応じる人がいたって良いじゃないか!
「やあああああ!!」
ハリセンを振りかぶったわたしは、泥田坊達に向けて横薙に一閃した。
わたしに手を伸ばしてきた泥田坊は、ハリセンの燐光にふれた瞬間、体を崩して塵に変わって吹っ飛んでいった。
結果、わたしを中心に、広場が半円状にぽっかりと空く。
あれ、こんなに強力だったっけ?
「おおすごいの、ぱーぷるよ! それでこそ我が見込んだ女幹部!!」
田の神がはしゃぐのにもつっこめないほど驚いていると、背後にふわりとナギが立った。
「ぬしよ。そういえば先も、田の神をいぶり出すようなのもやっておったの」
「や、あれはとっさのことで……」
こうやってのんきに話していて大丈夫かと思うけど、泥田坊は半円の中には入ってこられないらしく、半円の外でうぞうぞしていた。
それがわかっているのかわたしを見下ろすナギは、悠然と口元をゆるめた。
その微笑がなんだか嬉しそうで戸惑ったのだけど、今はそれどころじゃない。
こいつらの本体を探して、倒す事が先決だ。
「田の神様、わたし、こいつ等の本体を倒してきます! 居場所わかりますか?」
「ぱーぷるよ、やってくれるのか!!」
なんだか目元を潤ませた田の神は、ばっとヒレで指し示す。
「だいたいあっちじゃ! 出現して以降、悪が動いた気配はないっ。……頼んだぞ、ぱーぷる、ぶらっく!」
「その呼び方やめて欲しいですが頼まれました!」
と言ったは良いものの、泥田坊は広場を囲んでいて抜け出せそうなところはない。
どうしようか考える暇もなく、地面を這うようにやってきた水に足を掬われた。
「ひゃっ」
しりもちをついたと思ったら大きな水の固まりで、わたしを乗せたまま地面から離れる。
まさか……
「途中まで我が送ろうぞ!」
「え、ちょっとまっ……!?」
「我の正義が燃える限り、禍霊なぞに屈しはせぬ!」
暑苦しい田の神が大量の水弾を展開し始めるのと同時に、わたしの乗った水弾がぐんと体全体に力が掛かり、ものすごい勢いで空を飛んでいく。
「ひいいいいやああああああ!!!」
そうして泥田坊の包囲網の上を越えて、田の神が指さした東棟へつっこんでいったのだった。
☆
飛び込んだのは、東棟二階にある外回廊だった。
「いったた……」
水である程度和らいだものの、勢いよく廊下を転がったわたしは、打ち付けたお尻をさすりながら立ち上がった。
すでに田の神の領域を離れているようで、あたりには至る所に瘴気がはびこり、穢れた泥の跡が這っている。
一応田の神も気を使ってくれたのか、水びだしにはならなかったけど、もうちょっとやり方を考えて欲しかった。
「ぬしよ、大丈夫かの」
「大丈夫よ。それよりも、親玉の居場所わかる?」
当然のようにそばにいるナギに問いかけると、
「うむ、それなら良い方法があるぞ。ぬしが田の神を探したのと同じ事をやればよい」
「や、でも」
あのときはどうやったか全然覚えていないと躊躇したのだけど、ナギはあっけらかんといったものだ。
「一度出来たことだ、安心せい」
「……簡単に言ってくれるわね」
仕方なくわたしは、こつりとハリセンの先を床に打ち付け、眼を閉じる。
真っ暗な視界の中で、ふいにナギの声だけが響いた。
「意識を剣の先に集中し、一番大きな瘴気の気配をたどるのだ」
ここで、一番大きな瘴気の気配をたどる……。
すると瞼の裏、ううん、意識の奥にある感覚が、あのときと同じように蜘蛛の巣のように広がっていく。
うねるような力の流れの間には塗りつぶすような異質な気配が複数あった。
ショッピングモール内や、広場を取り囲む小さな穢れが泥田坊だろう。
そして、わたしのいる東棟の一点にひときわ禍々しい気配が一つ。
「……見つけた、このモールの端の方。屋上だと思う」
「よし、ではゆくか」
自分でもまさか本当に出来ると思わなくて、驚きつつまぶたを開けると、ナギは当然といった雰囲気ですでに行動を始めていた。
「ここから入れるぞ」
なんか釈然としないものを感じつつも、壁を探っていたナギに手招きされて近づいてみれば、本当に何の変哲もないただの壁だ。
だけど、わたしがその壁に手を付いてみれば水面のように波打ってすり抜けた。
ここは隠世だ。道らしい道が道とは限らず、通れないところが通れる。
そこにすむ妖や高位の術者でなければ、隠世で安全に進める道を知ることは出来ない。
もちろんどこが通れる道かわからないわたしは、ナギのおかげで迷わないで済んでいた。
……まあ、こうしてナギに手伝ってもらうためには、メイド服で、ナギ監修のメイド講座を受けた挙句、スカートをつまみつつ「お願いいたします旦那様」なんて言わなきゃいけなかったのは、浄衣を着始めた初期のころだったか。くすん。
ナギが見つけた通路から一歩モール内に入れば、むせかえるような瘴気と多くの泥田坊がうごめいていた。
泥田坊が通ることで壁と言わず床と言わず至る所に泥がまき散らされ、悪臭を放っている。
商品やディスプレイもところどころ泥田坊によって壊されたらしく、現世からは想像できないほど廃墟めいた様相になっていた。
これだけ浸食されていれば、現世に影響が漏れ出るのも当たり前だ、と思いつつ、わたしはこちらに気づいて襲いかかかってくる泥田坊にハリセンを構えた。
「ナギ、最短距離でよろしく!」
「あいわかった」
泥田坊たちを蹴散らしながら、ナギの先導で奥へ進み始めた。
お店に飛び込むと従業員通路につながっていたり、倉庫の中を突っ切ると食料売場に紛れ込んでいたり。
その道中には大量の泥田坊達が待ちかまえていたけれど、全部ハリセンや蹴りで文字通り蹴散らした。
「どうやら相手も必死のようだの。空間をいじって阻んでおる」
「全部なぎ倒すわ!」
「おう、気合い十分だの。ではこの壁を壊すが良い」
「こうっ!?」
ナギが指し示した壁に、思い切りハリセンを叩きつけると、ゼリーにでもつっこんだみたいに柔らかい感触が返ってきて、空間すべてがゆがむ。
波紋のようなゆらぎが落ち着けば、そこは屋上駐車場だった。
広々とした駐車場の中心には、絶対に見逃さないほど大きな泥田坊がいた。
大きさは見上げるほど、たぶんビル四階分くらいか。でっかい。
身じろぎする度に、からだからぼたぼたと悪臭を放つ泥が地面に落ち、じゅっという音をさせて瘴気をまき散らす。
当たったらわりとだめな感じだった。
わたしはじっとりと背中に冷や汗を感じながらも、ハリセンをぎゅっと握りしめる。
「泥田坊ならぬ親田坊とでも言うか。では、ボス戦だの」
『オォォォ……!!』
ナギの声が聞こえた瞬間、ナギ命名親田坊は咆哮を上げると、わたしたちに向けて泥の手を大きく伸ばしてきた。
大振りのそれを飛び上がることで避ければ、びちゃりと音を立てて泥が一帯に跳ね上がる。
泥が広がった地面に着地すると、ブーツの裏からじゅわりと音がした。
ちらりと視線をやれば、そこだけただの泥に戻っている。
浄衣の浄化作用には敵わないのだ。
だからわたしはかまわず、振りかぶったハリセンをその泥の腕に向けて叩きつけた。
泥の腕はじゅうと焼けるような激しい音とともに、ハリセンを中心に清浄な光が広がり、ただの乾いた土になってぼろぼろと崩れた。
『オオォォ……!』
明らかに苦痛の咆哮をあげる親田坊が腕を引っ込めるのを追って走れば、もう一方の腕が薙払うように襲ってくる。
軽く跳躍し、その腕に乗って本体へ向けて走る。
「やあああ!!」
ブーツで踏んだ跡も浄化されて足跡が残っていくのを感じながら、一気に本体まで駆け抜けて、その頭に全力でハリセンを振り下ろした。
濃密な気とあふれるほどの浄化の光が広がり、頭部が吹き飛んだ。
また苦痛の咆哮が響きわたる。
地面に着地しかけた瞬間、親田坊の三本指の掌に薙払われた。
とっさにハリセンを挟み、同じ方向へ飛ぶことで勢いを殺したけど、屋上入り口の建物まで弾き飛ばされる。
何で、と見れば、親田坊の頭だった部分が沸き立ち、ぼこりとあらたな頭が現れていた。
その一つ目が敵意を持ってわたしを見る。
ぞくりと寒気を感じつつ、体制を立て直して、建物の壁に着地してワンクッション。
地面に降りたったわたしは、ハリセンを構え直した。
ハリセンが効いていないのかと一瞬動揺したけど、よく見れば頭分くらい身体が一回り小さくなっている。
「だったら、なくなるまで叩くまでよ!」
もう一度気合いを入れ直して、わたしはまた親田坊に向けてハリセンを振りかぶったのだった。




