この恨み晴らさいでか!
そのどっからどう見てもナマズ顔のそいつは、器用に袖からヒレを出し、ナマズ尾で仁王立ちしていたけれど、これでもかというくらいの真っ赤な着物が目に痛い。
わたしを睥睨しているそいつは、いらだたしげに長い髭を揺らめかせ、ナマズ顔でもわかるほどの怒気をにじませて言った。
「ほほう、今宵は少々毛色が違うようだが、増援か。けがわらしい泥をまき散らすだけでは飽きたらず、とうとうここまでたどりつきおったか!」
「はっ!?」
訳の分からないことを言い始めたナマズに呆然としつつも、あの水弾には既視感を覚えた。
「ねえナギ、こいつがもしかして」
「おそらく、日中の水弾魔だろう。だが……」
言い掛けたナギの言葉はナマズ大音声に遮られた。
「だがしかぁし! 我が正義の名の下に、知行地を荒らした報い、受けてもらおうぞ!」
興奮したナマズは、びっと芝居がかった動作でわたしに指を突きつける。
とたん、奴の周囲に踊っていた水が一斉に襲いかかってきた。
とっさに地を蹴れば、体は軽く大地から離れる。
ドドドッ!!と離れた地面に水弾が着弾し、芝生をえぐった。
浄衣のおかげで身体能力が上がっているから、日中の二の舞にはならない。
だけど、わたしが空中にいる間も水弾は次から次へと襲ってきた。
体をひねってよけきれなかった水弾は、ハリセンを振り回して弾き飛ばし、地面に着地して、顔を上げる。
確かに、この水弾は紛れもなく昼間にわたしをずぶ濡れにしたやつだ。
こいつの、せいで、わたしはあんな目に……!
頭上に浮かんだままのナマズは、当たらない水弾に歯噛みをしていた。
「く、ちょこまか逃げおって! 我には未だ使命があるというのに……」
「……いいたいことはそれだけ?」
「なに?」
ゆらり、と立ち上がったわたしは、助走をつけて強く地を蹴った。
そうしてナマズに肉薄すると、問答無用でハリセンをナマズ顔に振りおろす。
「うわあっと!?」
驚いたナマズが寸前でのけぞった。
体を逃がそうともがくナマズの着物の襟首を、片手でむんずとつかむ。
そのまま振り回すことで体制を入れ替えて、ナマズを地面に叩きつけた。
空中にいられると面倒なのだ。
「ぐ、ぐほっ! な、なんだ!?」
せき込むナマズのそばに着地したわたしは、すかさず身を翻してハリセンを一閃したのだが、当たった瞬間、ナマズだと思っていた物は水に変わった。
本体はどこへ行った。
ちりっと首筋の産毛が逆立った気がして振り向けば、無数の水弾が降りそそいでくるのを、身をひねることでよける。
その間に水弾が打ち出された方向を見るが、そこにはナマズの姿がいない。
と、ナマズの声だけがあたりに響きわたった。
「ふははは!我が秘技『水乱演舞』をとくと受けるが良い!」
そうしてあらゆる方向から水弾が、わたしめがけて降り注いできた。
水弾と水弾の間を縫うようにステップとハリセンで避け続けたけど、身体能力が上がった今のわたしでも長くは続かない。
さすがに息切れした瞬間、背中からの水弾をまともに食らった。
体に衝撃が抜けて、地面に転がる。
全身がずぶ濡れになって、流しっぱなしの髪からぼたぼた滴が落ちた。
倒れたのがタイルの上だったから泥だらけにはならなかったものの、体に服が張り付いて気持ち悪い。
今回の浄衣は厚手らしく、全く透けないのが救いか。
せき込みながらも立ち上がろうとすれば、ナマズの悦に入った笑い声が聞こえた。
「ふはは、げほっごほっ!ぜーはー……。我が秘技『水乱演舞』をやぶれるものなどなし! そのまま藻屑となって消えるが良い!」
……もしかして、向こうもけっこう疲れてる?
自分の呼吸を落ち着かせたわたしは、どこにいるかもわからないナマズに悪態をついてみせる。
「禍霊に堕ちかけの妖のくせに、こざかしいまねしてくれるじゃない」
というか、言葉の端々になんかものすごく既視感を覚えるのよね。
すると、近くにできていた水たまりからナマズの顔がにゅっと飛び出して、烈火のごとく抗議された。
「なんたる侮辱! 卑しき穢れは貴様のほうであろう! 我は悪を挫く正義の味方ぞ! 敵の軍門下るものか!!」
あっさりと姿を現してくれたナマズに、思わず唇の端があがった。
目が合ったナマズはやばい、という顔でまた隠れたが、もう逃がさない。
あのナマズは水の中に隠れているのはわかった。
だけどさっきまでの水弾攻撃で、周囲には大量に水たまりができていた。
精神を研ぎ澄ませても、ナマズの気配はすべての水から漂ってくる。
ならナマズがわかるまで、わたしの気配に塗り替えればいい。
わたしはかっと熱くなった頭のまま、ハリセンの先を水たまりの一つに突き立てた。
「”探して”」
瞬間、わたしの意図をくみ取ったように、ハリセンから光があふれ出し、水を伝って放射状に広がった。
ハリセンの魔を祓う力を放出すれば、引っかかるはずだ。
「うわあっと!?」
案の定驚愕の声に振り返れば、へっぴり腰で地面にナマズがいた。
すかさずわたしは加速し、また水たまりへ逃げようとしたナマズの着物をブーツで縫い止める。
そうして乱れた濡れ髪を無造作に背中に払って睥睨すれば、ナマズは顔をひきつらせながらもわめき始めた。
「と、とうとう本性を現したな、平和を乱す悪党め!! たとえ世界が許そうと、我が正義の鉄槌を下してくれっ……!?」
わたしが無言でハリセンを顔の傍に叩きつけてれば、すさまじい音と共に床がえぐれた。
たらりと汗を滴らせて沈黙するナマズに、こてり、と首を傾げてみせる。
「何回殴れば、瘴気が抜けるかしら?」
「て、敵ならば我を追いつめるとは天晴れな……ほめて使わそう」
「あれだけ人様に迷惑をかけたんだから、余分に殴っても大丈夫だと思うのよ」
「な、何の話だ。よ、よく見ればずいぶん年若い娘ではないか! その破廉恥きわまりない衣装もようにあって……あいや娘、なぜ振りかぶる!」
「いまさら往生際が悪いわね。禍霊なら禍霊らしくとっとと祓われて元に戻りなさい!!」
「待て、早まるな娘よ話し合えばわかる!!」
「もう話し合いの時期は越えてるのよこの恨み思い知れ!」
「わああああ!」
ナマズが腕を上げてかばうのにむけて、わたしは渾身の力を込めてハリセンを振り下ろ――……
「ちいと待て」
「ひゃあああ!!」
そうとした瞬間、後ろからわき腹をなで上げられてハリセンを取り落とした。
ぞわぞわ鳥肌が立つわき腹をかばいつつ振り返れば、犯人であるナギがいる。
「ふむ、やっぱり健康的ではないか。腹も縦線が入っているでな。なかなか鍛えられておる」
「ま、またいきなり、邪魔しないでよっ!?」
「ちいと頭に血が上っているようだったでの。ぬしよ、よう見てみい。それは瘴気に侵されてはおらぬぞ」
「なに言って……!」
とうとう頭がわいたのか、と声を荒げかけたわたしだったが、その前に必死な声が聞こえた。
「わ、我はこの一帯の田畑の水源を守りし田の神ぞ! 禍霊崩れと一緒にするでない!」
「田の神?」
その名乗りにもう一度ナマズを見おろせば、確かに彼の周囲には瘴気の穢れはない。
そういえば、こうやって理性的にというと微妙だけど普通に意志の疎通をとれているのも禍霊とは違う。
「じゃあ、ショッピングモール内の瘴気は何なのよ」
「我が知行地を乗っ取らんとたくらむ、悪の軍団による侵攻なのだ!」
え、つまり? え?
憤然とするナマズとナギに交互に視線をやれば、ナギはいつものひょうひょうとした態度で、肩をすくめた。
「ちいと話し合った方が良さそうだの」




