見えるだけで悪かったな!
春休みも終わりに近づいたその日、わたしは都心から離れた場所にある水守本家に帰っていた。
とはいえ、小さな頃からなじみはあれど、ここ数年間で数回も帰らない……いや、よりつかせてもらえない場所だ。
一応実家なのだけど、ぶっちゃけ他人の家どころか公共機関並に居心地が悪い。
それなのにどうしてのこのこ来ているかと言えば、当主であり、保護者でもある血のつながった祖母に呼び出されたからだ。
一応曲がりなりにも水守の末席にいる身としては、応じなければいけないわけで。
むしろどうやって断れとか言うレベルなので、仕方なく胃をきりきりさせながらきてみれば、勝手に入学する高校を決めたことに関する小言だった。
いや中学3年間ほぼ放っておいて何を今更とか思ったけど、ぐっと我慢して「もう決まったことなんだからあきらめろや」を二重三重に真綿にくるんだ感じで押し通したら引き下がってくれた。
……まあ、かなりびくびくしていたんだけど、わりとあっさりしてて拍子抜けした。
退魔科のある高校に入れたがっていたのを知っていただけにね。
でも祖母の部屋から遠ざかるにつれて、だんだんと顔がほころんでいくのが自分でもわかった。
やっとこれで解放される! そう思えば、板張りの廊下を歩く足も自然と軽くなるものだ。
数寄屋形式で建てられた広大な屋敷には、さすがに退魔の古い家だけあって、本家の人間以外にも術者や弟子、それを支える使用人と言った具合にかなりの人が居る。
こうして歩いている間も、白い小袖に浅葱や緋色の袴をはいた人たちと何度もすれ違った。
時々、その間を縫うように飛んでいく紙の鳥や、顔に面を着けた異様に背の高い影のようなモノが大きな荷物を運んでいたりする。
誰かの式が作業を手伝わせているのだろうけど、これを見るのも今日で最後だと思うと、ちょっぴり感傷に……
「おや、あれは本家の」
「とうとう芽がでなかったんだそうね」
「山奥で修行し続けても、発現したのは見鬼の才能だけだそうだ」
「それも、やっかい払いだったらしいな」
「結局一般の学校にかようらしい」
「姉君様は第一線で目覚ましい活躍をされているというのに」
「水守の出来損ないが……」
……浸るには少々陰口がうるさかった。
いつもならば胸の奥がざわりとささくれ立つ所だけど、今日ばかりは広い心でスルーするのだ。
だけど、自分が通う学校は、最高学府への現役合格者を毎年何人も送り出しているような進学校なんだけど、と胸の内だけで言い返す。
きっと彼らにはだから何だ、と言われるだろうけど。
彼らにとって重要なのは、霊力、ひいては退魔の能力だけなのだ。
水守はそういうところだからしょうがない。
だけど、今なら彼らのさげすむような視線にすら、笑みを返せてしまいそうだ。
まあ実際は廊下の板の目に視線を落としているわけだけど、そういう気持ちで。
なぜなら、わたしは今日かぎりで、この家とほぼ縁が切れる。
そうして願って願ってやまなかった普通が、やっと手にはいるのだ。
水守は退魔の家系だ。
町の闇には魑魅魍魎が潜み、神社仏閣には神仏が静かに座す。
それは高層ビルが建ち並び、夜でさえも真昼のように照らし出されるようになった現代でも変わらない。
闇が深くなった分だけより多く陰の気が凝り、それに引き寄せられて悪しきモノが生まれてくるようになった。
そんな中、古来より荒ぶる神々を鎮め、悪しき行いをする狐狸妖怪達を祓うことを生業としてきた水守は、今でも退魔の専門家として健在だ。
神魔関連と思われる事件が起きれば、行政府に依頼されて密かに協力することも珍しくないのだから、わりとすごいのではなかろうか。
警視庁や主要都市の県警に出向している術者もいるらしいし、本家の表玄関近くにある駐車場には黒塗りの車が当たり前のように止まっていて、控えの間まで秘書っぽい人とか、これ明らかにボディーガードだよね? な人たちにお茶を出したこともある。
そんな水守の家に、小さい頃に両親を亡くした姉とわたしは、唯一の肉親だった祖母に引き取られ、その霊力を見込まれて、退魔の術を学ぶべく日夜修行に励むことになった。
けれど、わたしにはかろうじて見鬼――人あらざる者の姿を見る才能はあっても、術者としてのとしての力はからっきしだったのだ。
一族の者であれば分家の小学生でも使える呪符にも力を込められず、悪しきモノを滅することはおろか、からかわれ、時には喰われかける始末。
姉が修行を始めてすぐ自在に呪符を扱えるようになって、式神すら作り出せたのとは大違いだ。
わたしは、それでも何とかなるんじゃないかと、はじめのころは思っていた。
だから本家を離れて水守の所有する山奥の霊場に行くように言われたときも、黙って従った。
まあ、10かそこらで逆らうという発想も、行動力もなかったわけだけど。
それが本家に一縷の望みをかけられたのか、厄介払いだったのかは謎だけど、限界集落としか言いようがないド田舎で、ずっと滝に打たれて祝詞を唱える日々が3年ほど続いて、ようやく思い知ったのだ。
自分には、まるっきり才能がないのだと。
なにせ、彼らの言う呪符に霊力を込めるというのも、気力を練り上げるという感覚もいくらたっても全くわからなかったわけで。
同時に気づいた。このままじゃ未来がない。
盆暮れ正月に本家へ挨拶に来ていたわたしは、本家に出入する術者達が次第に冷ややかになっていくのを肌身に感じていた。
家に言われるがまま修行を続けて霊力が発現しないままだったら、わたしは本当にお荷物の厄介者になってしまう。
これからずっと、出来損ないだとそしられながら生きていくのかと考えるだけで息がつまった。
それよりも嫌なのは、わたしが隅っこにほっておかれるのが当たり前になっていることを、姉がとても申し訳なさそうにすることだ。
わたしに才能がないのは姉のせいではないのに、わたしが出来損ないなだけで、姉の足を引っ張ってしまう。
わたしと違って姉はとても優秀だ。
ああそうだ、わたしに対する陰口の中に「香夜様の残された才能の滓に卑しくしがみつく小猿」と言うのもあったな。
言い方はともかく、まさにそうなのだと思う。
見えるだけの才能しか持たないわたしは、水守の家では全く持って意味がない。
でも、普通の人は退魔の才能なんてなくても生きていけるのだから、そのまねをすればいい。
普通なら、中学の後は高校に、受験をして大学へ行って、企業に就職するものだ。高校卒業と同時に就職もできるらしい。
なら、すべきは高校進学だ!
そう決意した14の春。
決意するには遅かったけど、それでもわたしは課せられた修行の傍ら猛勉強をして学力を上げ、奨学金のある進学校一本に絞って冬の陣に挑んだ。
寝る間も惜しんで勉強していたから、時折訪ねてきてくれる姉にはとても心配されたけど、わたしはこれで人生をやり直すのだと決めたのだ。
姉に迷惑をかけたくなかったのもそうだけど、きっと自分にだってほかにできることがあるはずだ、と信じて。
結局姉も協力してくれて、保護者欄に名前を書いてもらうことができた。
合格通知を手にしたときは、人生最高の幸せを味わった気分になったものだ。
既成事実を作ってしまえばこちらのモノと思っていたから、祖母には合格通知書をもらうまで言わなかった。
だって普通の学校でなければ駄目だったのだ。
「水守」の名は裏の世界では有名だ。
関係者が居るなら、たとえ普通科に通っていようとわたしは確実に才能を期待される。
あるはずのない才能に。
そうして最後に落胆されるのは、もう耐えられなかったのだ。
本家からは遠い場所だったから、学校近くにアパートを借りての一人暮らしだ。
むふふ、明日から、霊力とも退魔とも修行とも無縁な普通の生活を送るのだ。
めざせ、高校デビューだひゃっほい!
そうしてわたしは、浮かれながら荷物をおいてある部屋に帰ろうとしていたはずなのだけど。
数分後、自分の荷物の代わりに持っているのは、なぜか掃除用具の入った籠と水の入ったバケツだった。