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神薙少女は普通でいたい  作者: 道草家守
第二章

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閑話:とあるソフトボール部員の場合

二章はじめます!!

 


 各部活動が終わり、黄昏の静寂に沈み込む陽南高校部室棟。

 

 女子ソフトボール部に所属している高松秋乃(たかまつあきの)は、忘れ物をとりに再び女子部室へ戻ってきていた。

 充電が切れたスマホを、部室内でこっそり充電したまま忘れてしまったのだ。


 学校内のコンセントでの充電は禁止されているから、教師に見つかったらもちろん怒られるだろうし、何より友達と話ができないのは冗談じゃなかった。


 というわけで、数十分前までいた部室に帰ってきた秋乃は、何とかスマホの回収に成功し、ほっと息をつく。

 顧問の先生に鍵を借りるときはかなり怪しまれたが、何とかなった。

 充電も100%と表示されているのににんまりとした秋乃が、さっさと帰ろうとしたその時。


 壁の向こうから、荒い息づかいが聞こえた。


 時折混じる、押し殺すような笑い声は間違いなく男の物だ。

 聞こえたほうは女子陸上部の部室だから、その声の持ち主が部員の訳がない。

 秋乃の脳裏に、近くの高校で女子部室ばかりをねらう窃盗犯の話がよぎった。


 神出鬼没で、着替えとしておいてある体操着や、ジャージはもちろん、果ては大事なユニフォームを盗まれたところもあるのだという。

 少し目を離した隙に鞄の中から運動着を抜き去られ、その姿を確認されたことがないと言うのだから、相当たちが悪い。

 そんな運動着泥棒が、いま、隣の部屋にいる。


 許せない。


 義憤に駆られた秋乃は表情を厳しく引き締めると、音を立てないように備品であるバットを一本握りしめて外に出た。

 空いた手には、カメラモードにしたスマホも持っている。

 もし取り逃がしたとしても、証拠写真を撮るためだ。


 絶対に、逃がすものか!


 緊張が高まっているせいか、空気がなんだか生ぬるく感じられて気持ち悪かった。

 いくら緊張していても吐き気を感じるなんて、大事な公式戦でもなかったのに。

 

 それでも秋乃は自らを奮い立たせて、極力足音をたてないように、すぐとなりの女子陸上部の部室扉の前までやってきたのだが、妙なことに気づいた。

 

 ドアノブがないのだ。

 

 ドアノブがあった場所に残っているのはねじ切ってしまったような断面で、得体のしれない不安が胸のうちに重く忍び寄る。

 だが秋乃はそれを振り切ると、勢いよく扉を開けて、スマホのシャッターを押した。


「そこで一体なにをし、て……っ!?」


 のだが。

 秋乃は自分の理解の範疇を越えたその光景に、言葉を詰まらせた。


 そこにいたのは、陸上部のユニフォームに顔を埋める異様に腹が出た中年男だった。

 女物のびっちびちの体操服を着たその姿は、確かに衝撃的だしおぞましい。


 だが、汗と制汗剤の混じった独特の匂いが漂う室内を、様々な運動部のユニフォームが空中に浮いて男の動きに合わせてうごめいていたのだ。

 その中に自分が所属しているソフトボール部のユニフォームが混じっているのを見つけて、嫌悪感に怖気立つ。


 幸せそうに陸上部のユニフォームに顔を埋めていた男は、緩慢な動作で顔を上げて秋乃をみた。

 その顔ににじむほの暗く浅ましい恍惚に、改めて背筋に悪寒を感じつつも、秋乃はきっと睨んで、持っていた木製バットを構えた。


「証拠写真は撮ったぞ変態! おとなしく捕まれ!!」


 だが、決定的な証拠を捕まれたはずの男はあわてることも逆上することもない。

 ただ、ギョロついた目でしげしげと、ジャージ姿の秋乃を眺めていたかと思うと、にたりと笑った。


「ちょうど良かった。きみ、ブルマをはいてくれよ」

「ぶ、ブルマ?」


 思わず問いかえした秋乃は、その男からぞぶりと立ち上った黒いもやに今度こそ悲鳴を上げた。

 逃げる間もなく、襲いかかってくる黒いもやにつつまれた秋乃は、それが晴れたとたん、また絶叫した。

 ジャージだったはずの服装が、白い体操着に紺色のパンツの形状をしたブルマになっていたのだ。


 今時小学校でも採用されていない古典的な服装だ。


「なんだこれ!?」

「ああ、やっぱり体操着はブルマだよなあ!」


 心底嬉しそうにゲラゲラと笑う男は、ゆっくりと立ち上がって、秋乃の方へ歩いてきた。

 男を追って空中へ浮かんでいるユニフォームも後を追ってくる。

 秋乃は、訳が分からないまでも逃げようと、転がるように部室から飛び出した。


 だが動きやすいはずのその服がやたらと重く、すぐに足をもつれさせて地面に転がった。

 すると男についてきていたユニフォームが、秋乃の手足を拘束するように巻き付いてきた。

 ひきはがそうとしてものりで固められたように離れず、秋乃は地面に縫いつけられた。


「さあ、まずはめいいっぱい君が運動する姿を鑑賞した後、たっぷり汗を流したその服を楽しもう、ああ、今の俺ならなんでもできるっ!」

「や、やだっ……」


 悦に入った男が、涙をにじませた秋乃に手を伸ばそうとしたその時。



「やめなさ――い!!」



 割り込んできた少女特有の甲高い声に、秋乃と男が振り向く。

 いつの間にか校庭にいたのは、なぜか、えび茶袴に矢絣の着物を身にまとった少女だった。


 背の高い秋乃よりも20センチは小さい体を、女学生スタイルに包んでいる様は、その現実味のなさと相まって人形のようでかわいらしかったが、なぜか大きなハリセンを携えている。

 その隣にいるのは、闇より深い黒の着物で身を包んだ男で、その寒気がするほど整った美貌に、秋乃はこんな時でも見とれた。

 夜の闇深い中でもわかるほど顔を赤らめた少女は、うろうろと視線をさまよわせると、隣の男を仰ぎ見た。


「ほ、本当に言わなきゃだめ?」

「丈を長くする代わりにという約束だろう?」

「う、うう……」


 現れた少女は、その顔を耳まで真っ赤にしながら、大きなハリセンを中年男に突きつけた。


「よ、欲望のままに人様に迷惑をかける禍霊よ! わたしが成敗してやるわっ!」


 羞恥に震える声で言い切ったそれに、男は楽しげに拍手をした。

 だが、突然割り込んできた二人組に、中年男はその顔を悪鬼羅刹のようにゆがめて、いや、その形を崩した。


「じゃあまあをぉぉするなアアアア!!」


 今や全身が黒いもやに覆われた中年男の姿をした何かは、煙と化した腕で、周囲にあった運動器具やハードルやカラーコーンを少女に向けて次々に投げつけていく。

 だが、それらを驚くほど軽い身のこなしでよけた少女は、袴を悠々とさばき、ストラップパンプスの足で地面を踏みしめて飛んだ。


「はあああっ!!」


 振りかぶったハリセンは、黒いもやに侵された中年男の脳天に直撃する。瞬間、ふれた部分から冴えた光があふれ出し、黒いもやは光の粒子となった。

 散っていく光と共に清浄な空気が広がっていく中、晴れた光の中に倒れているのはやせ細った中年男だった。


 先ほどの恰幅など見る影もない男に秋乃が驚いていると、背中から何かがゾロリと出てくる。


 ムカデのような、芋虫のようなその黒い虫は、意外に素早い動きで逃げようとしたが、少女は容赦なくエナメルパンプスの足でふんずけて捕まえた。

 そのまま少女はいたって無造作に虫を持ち上げると、険しい顔でにらみつけた。


「次、こんなことしたら滅するから。二度と人にとりつくんじゃないわよ」

 

 きゅっと首もとあたりを絞められたらしい長虫は、激しく頭を上下に降り、少女が手を離したとたん、一目散にどこかへ消えていった。

 

 見送った少女は次いで中年男の方を向いたのだが、身につけているのが高校生の体操着だということに顔をしかめていた。

 秋乃も、中年男が気絶すると同時に元のジャージ姿に戻ってほっと息をついていたのだが、いつの間にか美貌の男がそばにいてぎょっとする。


「白い体操着にブルマとは、古典を愛する男だったようだな。そこを、欲を好む地虫に取り付かれ、瘴気を引き寄せてエスカレートしたのだろうのう。まあ無理矢理着せるというのは良くないが。日に焼けて鍛え上げられた生足に深き紺のブルマーのコントラスト、なかなか楽しませてもらったぞ」


 その言葉の内容を秋乃が理解する前に、激しい破砕音とともに、男の頭がものすごい勢いでしなった。

 見れば、少女が顔をぷりぷり怒らせながら男に指を突きつけていた。


「セクハラ禁止! 初対面の人に何言ってるのよっ」

「何を言うか、わしはただ美しいものを賞賛したまでだぞ。それよりもぬしよ、次の衣装は体操着とブルマでどうだ。もちろん胸にはひらがなで名前を書いたゼッケ……」

「断固として拒否するっ!」


 今度のハリセンはよけられぐぬぬと悔しげな少女と愉快げに笑む男を、呆気にとられて眺めていた秋乃だが、はっと我に返った。


「あ、あんたたち、一体……」

「うむ、わしらは、ご近所の怪異を解決する、人呼んで神薙少……」


 まじめな表情で言い掛けた男を押しのけた少女は、焦った風で言葉を重ねた。


「あああ、別になんでもないから、ただの通りすがりだから! もう後のことは全部忘れて! ああでもこいつのこと通報しておいてくれるとうれしいわ!」


 少女は一気にまくし立てると、頭をさする男の腕を掴んで、脱兎のごとく逃げ出した。

 かと思うと、途中で足を止めて振り返り、大きく声を張り上げた。


「暗くなる前に帰るのが難しいのはわかるけど、早く帰るのよ――!!」


 そうして闇夜に消えていった少女が袴を翻す姿を呆然と見送った秋乃は、ふと、未だにスマホを持ったままなのに気づく。

 画面を確認すれば、いつの間にか録画モードになっており、録画中を示す赤い表示がついたままになっていた。





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