羞恥プレイにもほどがある
目を開けると、自分の家の天井が見えた。
部屋は窓から入る光で明るくて、横たわっているのはなじみ深い布団の中だった。
どうやら朝らしい。
「う、ん……?」
でも異様にからだがだるくて、全く身が起こせなかった。
それでも鉛のように重い腕をゆっくり動かして、何とかスマホを取って画面を見れば、時刻はすでに10時。
完全に遅刻だ。
「……っ!?」
一気に目が覚めたわたしは、慌てて跳ね起きようとする。
その瞬間、体中に痛みが走って布団に逆戻りせざるを得なかった。
え、何で? と言うかそもそもいつ帰ってきた?
節々の痛みに耐えながら混乱していると、不意にのぞき込んできた赤い双眸にぎょっとする。
「おお、ぬしよ。おそようだな」
「おき、上がれないんだけど」
なぜか三角巾にかっぽう着を身につけているナギに訴えかければ、当然だという感じでうなずかれた。
「普段やらぬことをいきなりやって、体に負担がかかったのだ。筋肉痛みたいなものであるから、使えば使うほど鍛えられて、いずれはなくなるだろうよ」
使えば使うほどってあんなこと何度もあってたまるか!
「もう、二度とやらない!」
「まあうまい物を食ってぐっすり眠ればようなるから、安心せい」
さらりと頭をなでる手を振り払いたかったけど、腕を上げるのもつらかったので、むすりとにらみつけることしかできなかった。
「でも、がっこうに、行かなきゃ」
「おう、そちらは弓子とやらにラインをとばして、学校に休みと連絡してもらうよう手配したぞ」
な ん だ と!
握ったままだったスマホを操作して見れば、確かに西山さんとのやりとりのページにわたしが入れた記憶のないメッセージが入っていた。
「パスワード!」
「こう、ちょいとな。ちなみに、誕生日は止めておいたほうがよいぞ」
「ううー……」
わびれた風もないナギに、わたしはぎりぎりと歯噛みするしかない。
キーボードを手元も見ずに目にも留まらぬ早さで叩くナギに負けないように、せめてスマホは、と思っていたのに、技術面で完全に負けている。
とりあえず、あとでパスワードの変更の仕方を調べよう。
そうしてしぶしぶ学校へ行くのをあきらめたわたしは、ようやく先からの疑問につっこんだ。
「ねえ、その格好、いったいなに?」
「おさんどんというやつは、このような格好をするだろう?」
「そうだけど。なんであんたが三角巾とかっぽう着を着てるわけ。それにこの匂い」
さきほどから出汁や醤油の良い匂いが部屋に漂ってきていて、落ち着かなかったのだ。
「ああ、起きたら腹が空くだろうとおもうてな。適当に作ったぞ」
こともなげに言ったナギに、わたしは目を丸くした。
「あんた料理できたの!? そんな誰かに面倒見てもらわないとだめっぽそうな生活感ゼロの顔してて!?」
「……ぬしよ。遠慮がのうなっているのは嬉しいが、わりと酷い言われようだのう」
珍しく多少しょげた様子のナギに、微妙に言い過ぎたかなと思ったけど、それくらい驚いたのだ。
だって、こいつどっからどう見てもヒモかジゴロにしかならなさそうな感じだし。
実際、わたしがご飯を作る最中もそのようなそぶりを一切見せなかったというのに。
「煮て焼いて食べれられるようにするくらいは訳ないぞ。ほかにも洗濯、掃除はやれぬ事もない。今はいくらでも楽ができるからの。わけはない」
つまり家事全般はできるってことだ。高位の術者にはそういう雑事を式神に任せる人もいるけれど、まさかナギまでそんなことができるとは。
「なんで隠してたの。と言うか何でできるの?」
「隠しておったわけではないぞ。ぬしは全部一人でやると言いはっておったからの。手を出すのは控えておったまでだ」
わたしはぐっと息を詰めた。
突然入り込んできたこの式神に、家のことは何もやるなと言っていたのは、洗濯物や生活品をさわられたくなかったというのも一つだったけど。
一人で生きていくんだから全部自分でやらなくては、と意地を張っていたのは自覚していた。
「何でできるかといえば……そうだのう。ちいと前に、今の世は男子でも家事ができねばならぬのだと諭されての。趣味で覚えたのだよ」
趣味、と言うのが何ともこの式神らしいけど、そうやってやる気にさせたその人もすごい。
「昔にもあんたを使役してた奇特な人がいたの」
「ちと違うなあ。飼い主にはなってくれんかったからの。だが、約束はしてくれたのだ」
ナギは少し寂しそうに、でも嬉しげに口元をゆるめて微笑していた。
その表情には最近見慣れてきたわたしでも、はっとするような柔らかさと切なさがこもっていたけど、飼い主発言で台無しだった。うん、いつもどおりだ。
でもその人についてはちょっと気になる。
「約束ってどんなことをしたの」
「秘密だ。大事な約束なのでな。今のぬしには言えぬよ」
「何それ、そこまでもったいぶっておいて言わないなんて」
むっとしたわたしだけど、人の大事な約束を無理矢理聞き出すような性格の悪いことをするのもどうかなと思ってあきらめた。
だけど、使役関係を結ばずにこいつに言うことを聞かせられたその人は、よほど高位の術者だったのだろう。ナギを起こしてしまったことがばれてしまうけど、いつか会えないかな。
そんな風に考えているうちに、ナギはいつもの人を食った表情に戻っていた。
「まあ、そういうわけで、式神としては主をねぎらうのも一つの役割だろうと思うて用意してみたが、食すか?」
「いや、でも……」
まあいろいろ驚きが冷めやらないわたしだったけど、正直、こいつの手料理という物が想像できなくてためらった。
だって三角巾とかっぽう着が微妙に似合わないし、こう料理ができるが自称でめちゃくちゃなものが出てくるかもしれないし! それに……
ぐう、と盛大な腹の虫が鳴った。
ナギはおなかが減ったりしないから、必然的にわたしである。
じんわりと顔に血が上ることを自覚していると、ナギはからからと笑いながらひざを立てて立ち上がった。
「腹は正直なようだの。腹が減っておるなら回復も早かろうて」
「い、いいからっ! だって自分で食べられないしっ」
「安心せい、わしが食べさせてやろう」
「だ、だからそれが嫌でっ」
だけど、動けない布団の中から言っても意味はなく、わたしは布団を丸めて作った背もたれに体を起こして食べさせて貰うことになった。
ナギが用意したのは、だしで煮て卵を落とされた雑炊だったのだが……恐ろしくおいしかった。
や、もう部屋に充満している匂いからして、かつおと昆布っていうのはわかっていたんだけど、口に入れた瞬間かつおの香りが口いっぱいに広がるのだ。
香りまでおいしいってこういうことなのかと思い知り、さらにやけどしないけどおいしく食べられる温度に調整されている難い心遣いに謎の敗北感を覚えた。
子供よろしく抱えられて一口匙ずつ差し出されるのは屈辱的だったけど、その薫り高いだしの香りと、空腹に負け涙目で一口残さず食べきってしまう。
これわたしが作るよりおいしいんじゃないか!?
結局最後までナギに世話をされて、なんかいろいろなモノを失った気になりつつ布団に戻れば、楽しげなナギが言った。
「手洗いを使いたければ声をかけい」
「絶対言わない!」
本格的にし、したくなるまでには絶対に自力で歩けるようになろう。
そう固く決意したわたしは、布団をひっかぶったとたん、すとりと眠りに落ちたのだった。




