ぼっちご飯な昼休み
「何で助けてくれなかったのっ」
下駄箱で靴を取り替えている最中に戻ってきた黒蛇を見つけるや否や、物陰に連れ込み抗議したのだけど、ナギはどこ吹く風でのたまわった。
「実害はなかっただろう?」
今すぐその長い胴体を固結びしてやりたくなった。
「わたしの高校生活には大いにあるわよっ」
何せふつうの高校生を目指しているのだ。
見えない、感じられないものはないのと一緒というのが唯人の論理だ。
見えるはずのない妖たちに怒るわたしは、さぞや奇異に映ったに違いない。
一度ついたレッテルをはがすのがどんなに大変かこいつは知らないのか。
「ああもう、これで普通が遠のいたらどうしよう……」
「特に変わらんと思うがなあ」
のんびりとしたナギの言葉がぐさりと胸に突き刺さったけど、わたしは顔には出さずに鈴をナギに突き出した。
「約束よ、学校にいる間は帰ってて」
「別に見えぬのだから、見学ぐらいよいではないか」
「あんたに女子更衣室をのぞかれたらいろんな人に申し訳ないからよ!」
「そんなことせぬと言うのに……」
わたしで前科があるのに、全く信用できなかった。
さめた視線が理解できたのか、蛇の姿でも器用に肩をすくめたナギは、すうと溶けるように消えていく。
「まあ、せいぜい健闘を祈るぞ」
残された言葉をかみしめて、わたしは満を持して教室へ向かった。
教室が近づくにつれて楽しげなざわめきが廊下まで聞こえる。
どうやら今日も和気あいあいとしているらしい。
まだ2週間くらいしかたっていなくても打ち解けているうちのクラスだ。
それとは真逆に、かばんの肩紐を握る手に汗がにじむ。
自分の心臓の音が耳にまで聞こえてくる気がした。
あくまで自然に、たかが挨拶だ。
挨拶されたらちゃんと返す。それだけだ。
たった四文字。大したことない。
何度も言い聞かせて、扉を思い切って開けると、教室にいたクラスメイトたちの視線がこちらを向いた。
「っ……!」
注目されていると思った瞬間、さっきまであった勢いが急速にしぼんでいく。
目をそらしてしてしまったら、もうだめだ。
結局誰にも話しかけられず、わたしは息を殺すように自分の机に向かうしかなかった。
入学当時は張り切っていたわたしだったけど、2週間たった今でも、友達はおろか、クラスメイトと話すことすらまともにできていなかった。
いざ人を前にすると、言葉に詰まってうつむいてしまう。
一応、心当たりはある。
以前通っていたのは、小中が同じ校舎を使っているような生徒数の少ない学校で、生徒全員が顔見知りだった。つまり新しく友達を作る、というのが全くわからなかったのだ。
わたしだって、普通の高校生活を送りたいしこのままではまずいと思って、何とか話しかけるきっかけを狙ったさ。
でも、クラスメイトの会話に聞き耳を立ててみても、彼らが何をしゃべっているか全然わからなかった。
というか本当に同じ言語をしゃべっているのだろうか。
しかも、なぜかクラスメイトに遠巻きにされているようで、授業中に指名されて発言する以外、誰とも話せない毎日が続いていた。
今日も誰にも話しかけられずに昼休みを迎えたわたしは、授業終了と同時に教室を脱出した。
和気藹々とした人の間に混ざれないことが耐えられなかったのだ。
ふっ、この二週間の探索で、静かで快適に座っていられるスポットは軒並み把握済みなのだ。
……自分で言ってて悲しくなってくるけど。
そんなスポットの一つである中庭の片隅に座り込めば、いつの間にか黒蛇姿のナギが肩に乗っていた。
「その顔だと、今日も振るわなかったらしいのう」
「……るさい」
全くその通りだったので、それ以上言い返す気力もなく、もそもそとお弁当を広げた。
あんまり食欲はなかったけど、食べなければもったいない。
でも、ぜんぜんおいしくない。
考えるのは、どうしてうまくいかないのだろうと、そればかりだ。
ふつうの高校に行けば、変わるものだと思っていた。
授業を受けて勉強して、友達と他愛のない話をして、部活動に打ち込んで、クラスメイトはみんな楽しげだ。
わたしだけその輪に入れない。
ぽつんと一人で華やかなものを見るのは結構胸にくるものがある。
自分が違う、とまざまざと見せつけられているようで。
「……というかさ、なんであんなに当たり前のように話せるの。と言うかどこからあんなにたくさんしゃべることを仕入れてこれるの? それが普通力って奴? いまさら普通人になろうとしてもにわかのわたしには無理ってことなのかしら?」
「わからぬのなら話しかけて聞いてみればよかろうに」
「それができたら苦労しないわ!」
あきれ声のナギに勢いのまま言い返したわたしは、我に返ったとたん、気分がしょんぼりする。
「話しかけたいけどなに話せばいいかわかんないし、そもそもめちゃくちゃ遠巻きにされてるのよ。今ではわたしが近づいただけで道があくわ。男の子たちのグループは特に」
そこが特にわからないことの一つだった。
話をした覚えもないのだから、嫌われることもないはずなのに、彼らは近づこうともしてこない。
目があう時もあるけれど、すぐにそらされるし、そのくせこちらを見つつこっそり言葉を交わしているのは多分、被害妄想ではない。
後ろでひそひそ陰口を言われるのは慣れているけれども、だからと言って耐えられるかといえばそうでもなかった。
……やっぱりこれ嫌われているんだろうか。
再度ヘコんでいると、蛇顔でもわかるナギの微妙な表情に気づいた。
「なによ、何かいいたいことでもあるの」
「ぬしよ、普通というが、己の服装と学友の服装を見比べたことはあるかの」
妙なことを聞くものだと思いつつ、クラスメイトの女子を思い出してみる。
「そういえば、みんな何となくスカートの丈が短かったり、制服にないカーディガンを着ていたり、靴下の丈が違ったりするような……?」
「まじめに校則を守っている者が少ない中、きっちり校則通りに纏うのは明らかに普通ではないぞ? おそらく、ぬしが浮いているのもそれが原因だ」
わたしはがく然と自分の制服を見下ろした。
スカートは膝まで、シャツは第一ボタンまで留めて、くるぶしが隠れる長さの白靴下に上履きを履いている。
生徒手帳には髪型も長い場合は邪魔にならないようきちんとまとめること、三つ編みを推奨すると書かれていたのでその通りにしていた。
まさか、校則通りにしたことが徒になっていたとは。
一つも間違えないように生徒手帳を読み込んだのがまずかったのだろうか。
や、でもその通りにしたほうが逆に浮くって、普通ってなんて難しいの!?
普通の奥深さに戦慄していれば、ナギはやたら訳知り顔で言った。
「まあ形から入るというのは悪くはないだろう。もうちいとばかりスカートを短くしてみるのも良いのではないか」
「む、無理よ……わたしの足、そんなにきれいじゃないものっ」
「自信があるから見せるわけではなく、そちらの方がかわいいから短くするのだがなあ」
「わかった風な口きかないでよっ」
わたしはぎゅっとスカートの裾を抑える手に力を込めた。
膝から下はそうでもないけど、太腿のあたりはしっかり肉が付いてしまっていた。
正座や腰を落とすような下半身の使い方をしているせいだと思っているけど、理由はなんにせよひどく形が悪いように思えて嫌いだった。
こっちに来て、同じ年頃の女の子達が堂々とさらしている足と見比べて、自分はなんてみっともないんだろうと落ち込んだのは記憶に新しい。
「まあかまわぬよ。お洒落というのは自分でやってみたいと思うてからが一番だ」
唇を引き結んでいたわたしは、ナギがやれやれとでもいうように鎌首を振ったのを、ちょっと意外に思う。
あれだけ微妙な顔をしていたナギなら、もっと説得するに違いないと思っていた。
「無理強い、しないの」
「わしがいつ無理強いした」
心外そうにいわれて、そう言えばナギは、主張はしても、強制されたことはないことに気づいた。
変態的な言動は繰り返すけど、言動だけだし、自分でどうこうっていうのはない。
思わず黙り込んでいると、すうと蛇体を揺らめかせて人型をとったナギは、わたしの傍にしゃがみ込んでくる。
「わしはぬしの足が好きなのだがなあ。しなやかで引き締まっておって何時でも愛でていられる」
「いつ見てるのよ!?」
うっとりと視線を落とすナギに、長いスカートを透かして見られているような気がして、即座に足を引っ込めて睨む。
ナギは少々残念そうにしつつも腕を組んだ。
「ともかく、まずは己にできることを考えることだのう」
「できることって、なによ」
話しかけてくれる人すら、いないのに。
「そこはぬしが考えることよ。まあ待つばかりでは変わらぬのではないかの」
「そう言われても……」
何にも思いつかなくてうつむけば、唐突に顎に指をかけられ上向かされた。
秀麗な顔が急に近づいてきて、心臓が不規則に跳ね上がる。
「ぬしの羞恥を堪え忍ぶ姿は魅力だが、押し殺しているのはつまらんぞ」
「あんたの好みなんて知らないわっ……と言うか近づき過ぎよ!」
吐息がふれそうな距離でゆるりと笑んだナギに、わたしはかっと頬を熱くさせて振り払う。
あっさりと手を離したナギはからからと笑った。
「おおう、元気だの。その意気でがんばるが良い」
「ちょっとどこいく……!」
軽く地を蹴って離れていくナギを追いかけようとしたのだが、弁当を膝に乗せているのを思い出して踏みとどまる。
と、足早に歩く音が聞こえて、声をかけられた。




