第3話 目覚め
僕にとって不幸だったのは、彼女を本当に昔から知っているという事だった。
「その事」に気付いたのは小5の時だった。
その年の夏休み前にちょっとした事件があった。
ある日の体育の授業中、僕は美麻のズボンが汚れているのに気が付いた。
それを教えてやるとなぜか彼女は真っ赤になって逃げていってしまった。
後になってだが、女子には生理というものがくるのだと聞いた。
その頃、僕らの間では「トマト作戦」という変な遊びが流行っていた。
放課後になると裏山の畑から盗ってきたトマトをぶつけ合う単純な遊びだ。
追いかけっこだから鈍い者はたちまちトマトまみれにされる。
足が遅い僕はいつもトマト染みだらけになって帰っていたので母にしょっちゅう怒られていた。
美麻は一人男子に混ざって優秀なトマト作戦のメンバーだった。
ある日、普段はズボンしか着ない彼女が珍しく白のワンピースを着てきた。
今とは違い、髪が短く真っ黒に日焼けしたその姿は少年にしか見えなくて、
僕は裾のヒラヒラが風に吹かれるのを見る度になんとも言えない違和感を感じていた。
帰り道みんなでいつものように畑に行きトマトを投げ合った。
参加したがらない美麻に理由を聞くと服が汚れるから、と言った。
男子特有の気恥ずかしさや照れもあったのだろう。
僕らは幼稚な行動に出た。
「生理だ、生理だ!」とはやしたてながらターゲットを美麻に絞り攻撃した。
熟したトマトがワンピースの白にはじけとび、本当に血のようになった。
いつものごとく鬼の形相でトマト片手に追い掛けてくるのを僕らは待った。
しかし彼女はわぁと泣き出してその場にしゃがみ込んだ。
僕達は皆ただただ驚いて立ち尽くしてしまった。
・・・そんな事があった。
あの時、なんでか僕は無性に恋しい気持ちになった。
泣いている彼女に駆け寄り、抱きしめたいと思った。
そしてその夜は眠れなかった。
誰かのことについてこれほど胸が熱くなる思いをしたのは初めてだった。
これまで他の男子達とかわりなく思っていたのに美麻が女の子だという事を改めて知った。
彼女のことが急に弱く、はかなく、愛しく見えてしまう。
自分にそういった感情が芽生えた事に驚き、僕は戸惑った。
そして戸惑いがいつしか胸の高鳴りへと変わっていくうちにこれは恋なのだと気が付いた。
それは間違いなく僕にとっての初恋だった。
あの一件でトマト作戦のブームは過ぎ、美麻とはしばらく気まずい日々が続いた。
ある時何がきっかけだったか彼女の方から普通に話しかけてきて、僕も普通に受け答えをしたのでそれでやっと元の友達に戻った。
変わったのは僕の気持ちだけで、あれからもう5年も片思いを貫いていることになる。
僕が未麻の背を追い越したのは中2の夏だった。
それまでの僕は朝礼でいつも一番前にされるようなチビで、未麻からも友達からもよくからかわれていた。
僕自身、好きな女の子よりも背が低いことにコンプレックスを抱いていたが、
夏休みダラダラと寝てすごしていただけで10センチ近く背が伸びてあっという間に彼女を追い抜いた。
もちろん僕は飛び上がるほどに喜んだが、彼女にしてみればそれがしゃくに障ったようで一時口を聞いてもらえなかった事がある。(あの時は本気でへこんだ)
そして夏が終わり、彼女の機嫌もようやくなおった頃、美麻に初めての彼氏ができた。
名前は忘れてしまったが、同じクラスの僕も知ってる奴だった。
そいつとはすぐに別れたようだが、彼女がモテだしたのはその頃からだと思う。
中学時代はそうやってだんだんと距離ができていき、高校で別々になって終わるのかと思っていたら同じ高校を受験すると知って驚いた。
◆
高一の夏が近づいていた―――6月。
僕の身長は172センチまで伸びてとりあえず止まっていた。
窓際の席。
差し込む日差しが彼女のカラメル色に染めた髪を縁取ってキラキラと輝いている。
それを後ろからぼんやりと見つめ、退屈な授業をやり過ごすのが僕のいつもの光景だった。
しかし未麻は今日もいない。
丸まった小さな背中のかわりに、座り主のいない机がぽつんとそこにあるだけだった。
このところの彼女の様子はおかしかった。
だるそうにしているのはいつものことだったが、学校を何日も休んだり来たりを繰り返していた。
担任も、彼女とつるんでる奴達も詳しくはわからないみたいで、このまま学校を辞めるんじゃないかという噂までたち始めていた。
一週間も休んだある日、久しぶりに登校したと思ったらなぜか金髪になっていた。
最初、外人が入ってきたのかと思った。
髪を茶色く染めてる奴はうちの学校にもけっこういるがさずがに金髪は居なかったので、先生たちは驚いて彼女は当然のように職員室に呼び出される。
僕はというと心配だったのでこっそり職員室の前で未麻が出てくるのを待っていた。
と、いきなり扉が開いて本人が出てきたので驚いた僕は隠れきれず、あっさりとバレてしまった。
不機嫌そうな表情の彼女と目が合ってしまい、しどろもどろになった僕は「似合うね、それ」と我ながら間抜けな事を言った。
未麻はなにも答えず気まずい空気が流れたがやがて憮然とした顔で
「あたし、学校辞める」
と言った。