episode1アンラッキー・ラッキーデー
俺の父親は作り話が得意な人だった。
「魔法使い…?」
「あぁ。父さんはな、偉大な魔法使いなんだ」
「ホント!?すげぇや父さん!」
休みの日、父さんはいつも「ドラゴンの背に乗って空を飛んだ」だの「血気盛んな天使との戦いに勝った」だの「俺は全ての精霊を統べる王」だのと、ありもしない空想話を繰り広げては俺に聞かせていた。一人息子を溺愛するあまり、幼い息子の羨望の眼差しに酔いしれていたのだろう。
今となってはあり得ないが俺は俺で判断力が未熟な上、父さんに憧れていたのもあって、疑う事なく父さんの法螺話を真に受けていた。確かこの日も、父さんの作った法螺話を俺は楽しそうに聞いていた。
「でも俺、魔法使いなんて見た事ないよ。本当にいたらわかるものじゃないの?」
「この世界にはいないからなぁ。彼らはもっと、遠い場所にいるんだ」
「遠い場所?」
「そう。魔法使いは本来、みんな魔界に住んでいるんだ。あと、これは母さんにも内緒だぞ」
まるで重大な秘密を打ち明ける様に神妙な面持ちを浮かべる父さんは、今か今かと固唾を飲んで見守る俺に、耳打ちする様にして声を潜めると、きまって楽しげに
「実はな……父さんは魔法使い達の王様で、一番偉い魔法使いなんだ」
そう言って、笑うんだ。
「……ふぅん」
「あれ。柚李、驚かないのか?」
「ううん、そうじゃなくてさ。俺もなれるかなって思って」
「なれるって……魔法使いにか?」
「そうだけど、それだけじゃない。父さんみたいに強くて、誰かを笑顔にできる優しい魔法使いに。俺もなれるのかな」
「…なれるさ。柚李なら絶対」
「本当?俺も父さんみたいになれる?」
「あぁ。父さん以上に立派な大魔法使いに、な」
父さんは話終えるといつも俺を強く抱き締めてくれた。やけに鍛えられた力強い腕は小さい俺の身体を包むには充分で、父さんから香る匂いは日向みたいに心地良くて、温かくて。何処か安心するのはきっと、父さんそのものみたいに思えたからかもしれない。だから俺はこの匂いも、父さんに抱き締めてもらうのも大好きだった。
そんないつまでも続くと思われていた幸せな日常。でも、それは何処かの童話のように期限付きの魔法で……終わりはもうすぐそこまで迫っていたんだ。
「柚李。お前はいつまでも、父さんと母さんの自慢の息子だ。それを絶対に忘れるなよ」
———そして、その言葉を最後に父さんは姿を消した。
思えば、今日の運勢は目覚めた時から最悪だった。いや、むしろ目覚める前からだっただろうか。これはある意味「予感」だったのかもしれないし、「選択」だったかもしれない。とにかく、俺の運命は今日という日を持って確実に狂い始めていた。
〝幸せだった頃〟の家族の光景。もしかしたら、昔の記憶を夢に見たその時から何かが変わっていたのかもしれない。もうすっかり忘れかけていた景色が今更になって思い起こされ、夢から醒めた後も焼き付いて離れなかったのも、きっとそれが原因だった。
夢を、過去の自分を断ち切る様に。いつもより早く早朝のゴミ出しに出掛けたのは、少なからずそんな意図があった。あの記憶は紛い物だったんだと、決してもう二度と手に入る事はないんだと。そう思わなければ自分自身がわからなくなってしまうから。
しかし、この時の「選択」が大きな間違いだったと気付くにはあまりにも遅過ぎた。
だって、物語は全て『非日常』から始まるのだから。
***
「………何だよコレ」
時は巻き戻り、現在。
俺の名前は火神宮柚李。ごくごくフツーの(何故かアダ名はオカンだが)至って平凡な男子高校生だ。
日々の日課は朝食作り、朝のゴミ出し、夕方のスーパーでの特売品の選定……その他家事諸々。そして、その一つである朝のゴミ出しへとやって来ているんだが、いつも通りゴミ捨て場に着くとそこには目を疑うような光景があった。
右手にゴミ袋、左手にもゴミ袋といかにも全身で「ゴミを捨てに来ました!」と体現しながらやって来た俺を出迎えたのは、おばさん達の置き土産である家庭ごみの山……ではなく、人だ。積み重なったごみが人に見えたとかそんな芸術的な話ではない、物理的に人だった。
正確には“ゴミ捨てに来たら家庭ごみの山の頂きに横たわっている少女を発見した”だが、それにしたっておかしな話だ。いくら大量のゴミがクッション代わりになるとは言え、寝るにはあまり快適とは言えない場所だし、わざわざうら若き乙女が腐臭を放つゴミ山で寝るのも理解ができない。そんな奇行に走る人間がいたら近所でも噂になるだろうし、おばちゃん達の井戸端会議のおこぼれがウチにもやってくるだろう。少なくとも、この近所で奇行に走る人間の存在なんてのは聞いた事がなかった。
というワケで、ゴミを捨てに来たところそこには人が捨てられていたという笑えない状況下に置かれてしまった俺は、為す術もなくかれこれ五分程悩んでしまっている。何も見なかった事にしてゴミだけ捨て帰っても良いと思うが、それは俺の中の善の心が可哀想と訴えてくる。
そうは言ってもこんなシチュエーションは経験した事がないし、俺は趣味が家事というだけの、一般的男子高校生だ。齢16の男に「女の子がゴミ山で寝そべっている時の対処法」なんて聞かれても困る。方法なんて「ご家族に連絡する」くらいしか思い付かないのも無理はない。
「しかも、見覚えのない顔なんだよな……ご近所さんはほとんど記憶してる筈なんだが」
ぐったりと横たわる少女の顔を覗き込んでみるものの、やはりその顔を見てもピンと来ない。自慢じゃないが、長年の主夫活動のお陰で近隣に住む人達は全員顔馴染みと言っても過言じゃない。早朝のゴミ出しに向かう時、夕飯の献立を買いにスーパーへ向かう時、歩く情報源こと主婦のおばちゃんと話す事はプラスの効果が働くからだ。
素人にはわからないと思うが、時にスーパーのタイムセールで戦士となる彼女らは非常に手強い敵となり、見事な連携プレーを生み出す。敵の情報を事前に頭に入れておく事は戦いを有利に進められる(※買い物の話です)。おばちゃんの来店時間、カゴの中身、家族構成……それらを把握することによっておばちゃんがどの惣菜を手に取り、どんな風にエリア移動するのか推測できる。その抜け道を通っていけば難なくおかずにありつける、というわけだ。
そんなわけで、おばちゃんの家族構成については頭に入っているわけで。近所の住人であるならば顔すら全く知らないなんて事はないはずだ。二軒隣の石崎さん家にホームステイしてるジョンだって俺とは顔見知りだし、ジョンの国でもゴミ捨て場を寝床にはしないだろう。知らんけど。
「日本人離れした顔だし、見た感じ良いところのお嬢さんって感じなんだよな。そうなると、尚更こんな所で寝てるのが謎過ぎるけど」
ゴミ山に寝そべる少女と少女を凝視するクマちゃんエプロンの男子高校生という、異様に異様を重ねて最早異次元のような空間を作り上げているが、そんな中でも少女の存在は特異だった。
見るからに質の良い水色のジャケットに、フリルをあしらった白のスカート。さらに身につけている本人は雪の如く白い肌をしており、ほんのり赤く蒸気した頬はまさに熟れた林檎の様。形の良い桜色の唇は艶やかに濡れていて、目鼻に筋が通ったその顔立ちは神秘的な迄に美しく、まるで絵本の中の登場人物みたいだ。…ただ残念なのは桃色の長い髪がビニールの上に覆い被さって、皮肉にも鮮やかなコントラストを描き出している事だけども。
そんな美少女が何でゴミ山に寝てるのか……考えれば考えるほど分からなくなってくる。
「でもまぁ、このまま何もしないでいるってのも良心が痛むし、とりあえず起こして警察に引き取りに来てもらうか救急車でも呼ぶか」
それに、もしこんな光景を見られたら俺自身が井戸端会議の議題になってしまう。「火神宮さん家の柚李君、寝てる女の子をジッと観察してたんだって!」なんて広まった日には、俺の主夫生活も終わりだ。ただでさえ母子家庭というハンデがあるんだ、これ以上問題を増やすわけにはいかない。長年培って来たおばちゃん達の信頼を打ち壊さない為にも、早急に片を付けよう。
まぁ、最悪(おばちゃん関連以外なら)何か起きても起きた後に考えたらいいし。安直だけどそれが一番な気がする。何をとっても一番厄介なおばちゃん達に見つかるよりはマシだ。
未だ気を失ったままの少女に手を伸ばし、身体を優しくゆする。やけに華奢な身体だ。ちゃんと食べてるんだろうか、と他人ながら心配してしまう。こんな場所で寝てるぐらいだし、ちゃんとした食生活を送ってないのかもしれない。それにしては服が高価そうなのは、最近話題の家出少女って奴か…?なんて、俺が気にしてても仕方ないか。
「おーい、大丈夫ですかー?」
「……ぅ………んん…」
思案しながらも少女の身体をゆすり続けると、悩んでいた時間は何だったのかと思わせるくらい意外にも早く彼女は目を開き、おもむろに視線をこちらへと向けた。
「ん………っ、え?」
「あ。大丈夫?ここで寝てたみたいだけど」
そう声をかけてみるも、状況を飲み込めていないのか返事はない。
「何処か調子が悪いなら病院に…」
「みつけた」
「……ん?」
早速スマートフォンを取り出し「110番」か「119番」を打とうか迷っていた俺だったが、少女の独り言の様な呟きに思考は掻き消され、文字を打つ手は止まった。
だって普通、聞き間違いだと思うだろう?
「えぇっと……ごめん、今なんて……」
人生で最も不幸な記憶を夢見た今日。
それはこれから巻き起こる大冒険の「予感」で、文字通り俺の運命の「選択」だった。
「ようやく、ようやく会えた…!」
〝全ての物語は『非日常』から始まる〟
ラズベリージャムみたいな瞳をキラキラ輝かせて、目覚めた少女はこう告げるのだ。
「見つけました、魔王様!!」
「………………は?」
澄んだ声が空高く響いた時。
全ての物語は、始まった。
次回の投稿は未定です。