#3-2.本の虫
「私も比較的ここには良く来る方だと思うが、君に会った事はこれが初めてなんじゃないか」
少し間をおいて、魔王は別の話題を振って流れを変えようと試みた。
「私は普段は図書館の東側……21書庫に居ますから。その辺りを通らないなら恐らくは」
アルルも、まともな流れに戻したかったのか、魔王の作った流れに素直に乗った。
「21書庫と言うと……以前行った時には、あの辺りは、比較的変なジャンルの本が多かった気がする」
「変というか……思想とか宗教観とか、後は政治関係のジャンルを見つけられる可能性が高い書庫ですね。百冊に一冊くらいの割合で見つけられます」
途方も無い数字ではあるが、本が記された時期以外は完全ランダムに等しいと言われていた無限書庫において、試行回数さえ重ねれば求めたジャンルの本が手に入るというのは貴重な情報でもあった。
「それは初耳だ。この図書館には、本の新古以外に規則性などなかったと思っていたが」
「年単位でずっといないと気づき難いのかもしれませんね。ここには規則性がほとんどないっていうのが『一般の常識』ですから」
規則の無いと思われた場所に規則が存在していたという事実。
これには魔王も純粋に驚かされた。その事実を、他ならぬこの若い娘が一人で見つけたと言うのだから無理も無い。
「他の書庫も、規則性は解っているのかね?」
「1番から30番までと、50番から102番までの書庫はある程度把握できてますよ」
それが何か? と、アルルは笑うのだ。自分がしている事がどれだけ大それた事かも知らずに。
「……私も相応に本が好きな方だと思っていたが、世界は思いの外広いらしいな。ある意味、君も趣味人と言う事か」
素直に感心していた。本の虫ここに極まれり。一つの道を追求し続ける、まぎれもない同類であると。
「え……あの、それって褒め言葉なんですか? なんか、自分が変人扱いされてるみたいで嫌なんですけど」
アルルはというと、とても迷惑そうに一歩引いた。
「いや、まあ、ある意味間違ってないと思うが」
話してみれば一応常識らしいものはあるようだが、そもそもまともな娘なら魔王にはきちんと礼儀正しくするし、若い娘らしく着飾ったりするし、何よりこんな陰気な図書館に年単位で引きこもったりしない。
「というか、こんな所で何年も過ごしていたのかね君は。悪魔王の話では、比較的最近まで会っていたらしいとも聞いていたのだが」
「別に、ずっと図書館内に居た訳ではないです。たまに自分の城に帰る位はしていました」
また父親の名前が出て、ふてくされたように唇を尖らせるモードに入ったアルル。
「いや、それならわかるが……それにしても、こんな不便な所に住み着く者が居たとはなあ……」
確かに食事を食べられるスペースもあるし、トイレもある。
特に監視もないし、その気になれば住む事も不可能ではないが、実際に住む者が居たという事実には、魔王もやはり驚きが隠せない。
それも、よりにもよって魔王軍の大幹部、悪魔王の娘が、である。ついでに先代魔王の娘が、である。
生活に不自由している訳でもない年頃の若い娘が、何故そんな変人生活を進んで選んだのかが不思議でならなかった。
――と同時に、エルゼもそうであったが、やはり周りの無理解で苦しんでいるであろうその境遇を思い、魔王は胸が締め付けられた。
「あ、ちょっと、何涙目になってるんですか!? 気持ち悪いですよ!?」
きっと周囲には漏らせない、言いたくても言えない事情が……などと思うと魔王は思わず目頭が熱くなってしまった。
「君も色々あるんだろう。強く生きなさい……きっと、いつか君の理解者も現れるよ」
彼女が何を思って不良になり図書館に引きこもっているのかは魔王にも理解が及ばないが、いつかは救われる日が来るだろうと励ましていた。
しかし、肝心のアルルは魔王が何を言っているのかまるで理解できないらしく、クエスチョンが頭の上に浮かんでいる様子だった。
「あの……陛下、本当に気持ち悪いですからやめてください。その、そういう、『私は解ってるんだよ』みたいなの」
そして本気で引かれていた。魔王は別の意味で涙目になった。
「なんだ、周りの無理解に苦しんで男装した末図書館に引きこもってたとかじゃないのか?」
「なんですかその設定……違いますって。私は別に、そんなんじゃないですから」
魔王の妄想は的外れもいいところだったらしい。途端に恥ずかしくなり年甲斐もなく顔が赤くなるのを感じ、照れ隠しに横を向いて適当な本を取ってみたりもする。
「男装してたのは、父上が私に何度も何度も何度も……もう、やめてっていう位に自分の部下の男性を紹介してくるから、まだそのつもりがないっていう意思表示ですし」
娘の不良化の原因は父親にあるという、ありきたりな展開がここにあった。
「髪を染めたのは?」
「悪魔族で一番スタンダードじゃないですか、赤髪って。ラミア様も赤だし」
そしてラミア好きがここにもいた。
「なんで図書館に? 本が好きなのは解るが、借りて帰ればいい話じゃないか?」
「最初は借りて帰ってましたけど、段々行き来する時間が勿体無く感じて……それに、お城に帰れば父上が色々とうるさいですし」
恐らくは娘が心配で色々気にかけた末の事だろうが、親の心子知らずとはよく言ったものである。
というかやることなすこと全て裏目に出ていてここまで酷いと逆に笑えてくる魔王であった。
「なんで笑うんですか……もう、泣いたり笑ったり変な人ですね、陛下って」
「君も、魔族とは思えん位に無礼だけどな」
魔王は皮肉げ口端を上げとにやりと笑っていた。
魔族である以上、自らの王である魔王には一定以上に礼儀を通す。
黒竜翁のように俺様最強な例外は居るには居るが、内心どう思っていようと大半の者は表向き慇懃に接するのだ。
その辺り見ると、やはりこの娘は他とは違っていて、話していると色々面白い娘であると気づかされる。
「だって、尊敬できるところ何もないじゃないですか。内政は完全に疎かにしてるし、戦争だってそんな積極的じゃないですし」
「政治は苦手分野だからね。それも含めラミアやそれが得意な女官達に任せきりにしているのが現状だ」
そもそもの所、魔王は支配するのが下手で、人心の把握もそれほど得意ではない。
色々な偶然が重なって前線の兵や一部の幹部には崇拝されているものの、魔界の多くの民や領主にとって、今代の魔王は頼りない変人扱いのままである。
この、軍略皆無で政才0の魔王は、ある意味無能だからこそ部下が最大限に力を発揮できるという奇妙なバランスの上に成り立っている存在であった。
当然、それに疑問を持つ者は少なからず居て、『自分ならばもっと上手く出来る』と下克上を狙う者も存在する。
アルルが魔王相手で言葉を選ばないのも、魔界の若者としてはそこまで不思議じゃない感性なのかもしれないと思うと、『この娘は単に自分に素直なだけなんだな』と思ってしまえて、魔王には微笑ましいとすら感じられた。
そう、素直なのである。
そう考えると、幼い頃はその素直さと負けん気の強さの所為で、しばしば黒竜姫の妹と対立していた事を思い出していた。
相手を選ばず噛み付くのは成長後の黒竜姫に似ていると思えなくも無いが、力の伴う黒竜族と違い、自分の力など関係なしに強者に噛み付く反骨心の強さは、魔族社会においては中々見る事が無い。
それも、反魔王を気取る多くの者のように、自分の身の程を弁えずにそういう考えに至っているのではなく、あくまで自分の力量は解った上で、それでも我慢ができずに噛み付くという一種の潔さも持っていた。
こういった人材はとても貴重であると魔王は考える。探して見つけられるようなものではない。
そうした視点で見ると、この、目の前で変人どころか変態を見るように顔をしかめている娘が、途端に魅力的な存在に感じられたのだった。